21_2 - その目に映るモノの名は
剥き出しの岩肌が無機質な光景を作り出すホロワ山脈を道なりに進みながらエリスの気配を探す。だいぶ遅れてしまったが、女の足でそう遠くまで行けるとは思えない。慎重に気配を探りながら、シックは胸中でアザトの言葉を繰り返した。
――災いは暴走する。
禍々しさを感じたあの魔力が暴走を始めたら、確かに大変なことになりそうだ。周囲はもちろんのこと、エリス本人も。
(あの子はなんなんだ?)
何度目になるかもはや覚えていない自問を繰り返す。
わからないことだらけだ。謎は増えゆくばかりで解明の兆しさえ訪れない。
苛立ちに歯噛みしそうになり、気配の揺れを感じて足を止めた。
(……なんだ?)
進もうとしていた方向からやや逸れた方角から、あからさまにシックに向けたと思える気配――敵意と表現しても良い――が感じられた。
腰に下げた剣帯の位置を確認する。
何かの罠だとしても、このタイミングでの誘いを無視することはできなかった。
位置がばれていることを承知で、足音を忍ばせて気配のするほうへと足を進める。剣帯から剣は抜いておいた。
「――――暴れるな。少しは大人しくしたらどうだ」
「むーーー!」
前方から男の声と誰かのくぐもった声が聞こえてくる。
警戒を解かないままに、シックは何気ない風を装った足取りで進んで行った。
「君の王子様がきたぞ」
「むー! むーーー!!!」
切り立った崖を背にする形でエリスと、そしてそのエリスを背後から拘束している軍服姿の男がいた。
「睦言の邪魔をしてしまったか?」
「冗談だとしても不愉快極まりないな」
「むー!!」
軽口を叩くシックにくすりとも笑わずに軍服の男が言い返してくる。エリスの抗議の声はこの際無視でも構わないだろう。
軍服の男は、イイ男を自称するシックの目から見ても申し分ない器量の持ち主だった。
無造作にしかし小奇麗にまとめられた短い金髪、透き通るような蒼眼、背丈も高すぎず低すぎない。紺色の軍服を几帳面に着こなしている様子から、固そうな性格をしていそうな印象を受けるところだけが唯一の欠点か。
左腰に同じ長さの刀――剣とは構造が異なるので刀だろう――を2本差している。
エリスの口を塞いでいる男は、エリスが暴れようとするたびに絶妙な力加減でエリスの抵抗を受け流していた。ただ単純に力だけで抑え込んでいるわけではないことがうかがえる。
男と知り合いというわけではないが、男の顔には見覚えがあった。シックのような軍事関係者のみならず、知っている者は多いだろう。
「帝国の最高司令官殿ともあろうお方が、こんな場所までわざわざ女ひとりを捕らえに?」
「まさか。別件のついでに寄っただけのこと」
からかうようなシックの軽口に、先ほどと同じく静かな口調で反論が返ってくる。
目の前でエリスを拘束している軍人は、帝国軍の若き司令官ヨーヒ・クレリアスその人だ。名門クレリアス家の家長でもあり、帝国にその人ありと言わしめる才人だった。
そんな人間がエリスを捕らえに来たという事実。
冷や汗が流れるのをシックは感じた。
そんなシックの様子に気づいているのかいないのか、ヨーヒは軽く嘆息をして取り押さえているエリスに視線を移した。
「1年近く家に帰らず何をしていたかは知らないが、私のところに君の父上から捜索願が来た。隣国の軍人を私用でこき使うのはバードランド家の伝統か?」
「父親が娘に手を焼くのは世の常よ! それに成人越えた大人がどこで何してたってパパには関係ないでしょ!」
「そう思うなら父上に直接そう言えばいい。私のとこまで飛び火する前に」
「ヨーヒ兄様はそういう役回りでしょ!?」
「いつからそうなった。聞いていないぞ」
剣を握る手から力が抜ける。思わず取り落としそうになって、慌ててシックは剣を剣帯に納めた。
目の前で披露される寸劇――相応しい表現がそれしか思いつかなかった――を呆然と眺めながら首筋をかく。
珍しく、シックは途方に暮れていた。
――この2人はなんだ。
めまいにも似た疲労が肩にのしかかってくる。
「タイム。ちょっとタイム」
片手で額を押さえ、別の手で制止のポーズを取る。それだけで2人の注目を集められるかいささか不安であったが、心配するまでもなく2人はシックに気付いて口論を止めてくれた。
「確認させてくれ。君は帝国の軍人として彼女を捕まえに来たわけではないのか?」
「私は国に仕える軍人だ。国に還元される命令ならば聞くが、皇帝の私欲を満たすための命令に従う義理はない。ましてや馬鹿で無鉄砲で手のかかる女だが恩あるバードランド家の一人娘をリドルの豚にくれてやる気はない」
「誰が馬鹿よ!」
余計な口を挟んでくるエリスの口をヨーヒが再び覆う。エリスには悪いが、彼女が口を挟まないほうがスムーズに会話ができそうなので正直助かる。
憤慨したように暴れようとするエリスを押さえ付けるヨーヒには慣れがあるように見えた。帝国の名門クレリアス家とジスターデ国有数の資産家バードランド家に繋がりがあったとしても不思議ではないので、恐らく幼いころからの知り合いなのだろう。エリスもヨーヒのことを兄様と呼んでいたことだし。
そういえばラドもそんなことを言っていた気がする。
「豚、ね。確かに大佐とは違って良識はあるようだ。だが嫌がる女性を無理やり拘束するのはいただけないな」
「穏便に話し合うつもりだったがなぜか血まみれで半狂乱になっていた。やむなく少々乱暴ではあったがこのような止め方をした」
ヨーヒの反論を聞きながらエリスにいちべつを向ける。
今は屋敷で見せたあの禍々しい魔力は感じられない。ヨーヒに気を取られているからか、取り乱している様子もない。
無意識のうちに視界は狭まった。
細めた目でヨーヒを見やるシックの表情には如実に表れていただろう。気に入らない、という感情が。
あのとき――ティッケに言葉をぶつけられたとき、エリスは逃げ出すことで自分を守ろうとした。その場にいたシックを頼ろうともせずに。あの場にもしヨーヒがいたら、エリスはヨーヒを頼っただろうか。
そんな嫉妬にも似た疑問が湧いた。
「今は落ち着いているようだし、いつまでも拘束しておく必要はないんじゃないか?」
らしくない感情をもみ消すように、エリスを取り押さえたままのヨーヒを指摘する。
何かしら反論があると身構えていたが、ヨーヒはあっさりと指摘を受け入れエリスを解放した。突然解放されて――背中でも押されたのか――たたらを踏むエリスの手首をつかんで引き寄せる。
「お帰り、俺のヒメ」
「誰があんたのよ」
微笑みかけながら軽口を叩くシックに、いつも通りの調子でエリスが返してくる。その受け答えに安心してシックの表情もふっと和らいだ。
庇うようにしてエリスを背後に隠す。それが自然な流れであるかのようにきゅっと服の裾をつかまれた。
「なんかよくわかんないけど、ヨーヒ兄様すっごい怒ってるから逃げるわよ」
「怒ってるのか? 俺には普通に見えるが」
「わかりにくいけど怒ってるのよ。私が言うんだから間違いない」
断言するエリスに向けていた視線をヨーヒに戻す。
腕を組むわけでも片足に体重を預けるでもなく、まっすぐに姿勢よく立ったままシックとエリスに鋭い眼差しを向けてくるヨーヒ。感情のわかりにくい御仁ではあるが、エリスの言うように怒っている空気はどうしても感じられなかった。身内にしかわからない何かがあるのかもしれない。
諦めたように嘆息するシックの服の裾を急かすようにエリスが引っ張る。
苦笑が浮かびそうになるのを堪えて、シックはヨーヒから目を逸らしてエリスを見た。
「逃げられるものならそうするけど、逃げ切れる自信はあるのか?」
「ないわよ」
何か作戦でもあるのかと期待しての問いだったが、エリスから返ってきたのはなんとも頼りにならない自信たっぷりの答えだった。
苦い感情が口元を歪める。
軽く小突こうかとも思ったがやめておいた。無駄な行為だ。
「作戦会議は終わったか?」
2人の間に沈黙が降りたことで生じた隙間に、ヨーヒの問いが滑り込んでくる。
それを言ったのがヨーヒでなければ皮肉と受け取っていただろう。
「俺とエリスの関係が気になったりしないのか?」
話を逸らすつもりで尋ねる。ヨーヒの顔筋はぴくりとも反応しなかった。
「じゃじゃ馬のわがままに付き合っている酔狂な男」
「それは正しくない。俺はエリスの恋人の座を狙ってる」
「それは酔狂を通り越してただの馬鹿だ」
「どういう意味よ!」
シックの背中に隠れていたエリスが叫ぶ。耳元であまり喚かないで欲しいが、そう言ったときのエリスの反応が容易に想像できるのでやめておいた。
「エリス」
「な、なに?」
無視を許されない響きを伴ったヨーヒの声に、背後にいるエリスが緊張する空気が伝わってくる。裾をつかむエリスの手に力が込められるのを感じた。
無言でヨーヒが見据えてくる。どうでもいい話だが、ただ黙っていても威圧感のあるヨーヒを見ていると、シックの所属している疾風騎士団の団長の威圧感のなさっぷりに喜んでいいものか嘆いてもいいものか迷ってしまう。
「家に戻る気はあるか?」
「ない」
「父上が心配している」
「し、知らない。パパなんて」
「……まだ許せないのか?」
うつむき黙り込むエリスを見やる。
会話の内容はシックに理解できるものではなかった――家庭内のごたごたであろうことはわかるが、口を挟めるような問題ではない。
そうとわかっていても口を挟まずにはいられなかった。
「この子は父親に裏切られたと言っている。自分を裏切った父親のもとに君なら帰りたいと思うか?」
問いかけはヨーヒの目つきをますます鋭くさせる効果しか得られなかった。
「エリス、君はまだそんなことを言っているのか」
「だ、だってぇ……」
ヨーヒに睨まれたエリスがシックの背中からさらに後方にある岩の裏へと逃げ隠れる。エリスを目で追ったヨーヒの眼差しから厳しさは抜けなかった。
「父上が再婚したことが裏切りになるのか?」
「再婚?」
思わぬ単語につい怪訝な声を上げてしまった。
じろりとヨーヒの視線がシックに向けられる。
「母上が事故で亡くなられてから数年後に再婚されたのだ。エリスはそれが許せないらしい」
振り返る。視線が合う前にエリスは岩陰に隠れてしまった。
そんなことで――というのがシックの正直な感想だ。
くだらないとは言わないが、ひどく子供っぽい理由であるように思えた。まるで経験のない生娘のような潔癖さだ。
「なるほど。少しは事情が理解できた。だが戻りたくないと言っているのを無理に連れ戻すのもどうかな」
「このまま仲違いしたままでいいとは思わない。無理やりだろうと一度話し合いの場を設けさせるべきだと判断した」
「余計なお節介じゃないのか?」
「あのわがまま娘にはそれくらいの世話を焼かなければ、糸の切れた凧のようにふらふらしているだけで問題に向き合おうとはしない」
「あの子はあの子なりに考えているさ。せめてこの旅が終わるまで待ってやってみないか?」
言いながら振り返る。岩陰に隠れているはずのエリスの気配がいつの間にかなくなっていた。
訝しげに眉根を寄せ、踵を返す――鞘走りの音にそれを阻まれた。
「なんのつもりだ?」
二振りのうちの一振り、鞘から刀を抜いたヨーヒに問いかける。
「試させてもらう」
何をと問う時間は与えられなかった。
鋭く空を裂き体の正面に突き出された刀を、体を横に捻ることで避ける。目測よりも速度のあった刀の突きは左腕を覆う服と皮膚、さらには肉を抉って通り過ぎていった。致命傷とまでは至らなかったが、痛みを無視できるような軽傷では済まされなかった。
剣の柄に手をやる。しかし剣はまだ抜けない。
突きの勢いを失ったところで反身を捻って滑る刀を、体勢を低くして避ける。遠心力を得た刀は頭の上を通過しきったところでその動きを止めた。
剣の柄から手を離す。地面に手を突き、四肢を突っ張って後方に体を逃がす。
左肩口から右脇腹に繋がる直線をまっすぐに振り下りてきたヨーヒの刀が地面に傷を付ける前に止まった。
つ、と汗が伝う。
一瞬の攻防ではあったが、それだけで実力の差が知れた。敵うような相手ではない。
右手が剣を抜く。抜き打ちざま、剣を水平に薙ぐ。鈍い不協和音はヨーヒの持つ刀との間で奏でられた。
敵わないとわかっていても退くわけにはいかない。
ここで退けばエリスと共にいることができないと思った。
「悪くない反応だ」
「イヤミのつもりか?」
押し切られて後方に下がる。
距離を取って改めて構えるも、特に構えらしい構えを見せずにいるヨーヒから斬りかかる隙を見つけることはできなかった。
経験値の差、と言ってしまえばそれまでだ。
あるいは、覚悟の差か。
「名前を聞いていなかったな」
余裕の表れなのか、そんなことを言うヨーヒを苦々しい思いで見据える。
「……シック」
無視したところで意味はないと判断して隠さず名乗る。シックの名を聞いたからといってヨーヒが何かリアクションを取ってくれるわけでもなかった。
帝国軍の総司令官といえども、隣国の騎士団の末端騎士の名まで網羅しているはずがない。名前からシックがジスターデ国の疾風騎士団に所属しているところまでは突き止められないだろう。
どうでもいいことだ。
構えを取らないヨーヒから隙を見いだせないまま、シックは地面を蹴っていた。
胸の中心を狙って剣で突く。距離があったために軽いステップでその場から離れられてシックの攻撃は不発に終わった。
円軌道をなぞってヨーヒが駆けてくるのが見える。突き切った腕を引き寄せるだけの時間をかけている間にシックの元へと辿り着くだろう。
シックは地を蹴って直進する剣と共に前方へと体を運んだ。
無防備な背中をさらしたまま数メートル駆ける。
前方を塞ぐ岩壁を前に右足を軸に定めると、シックは半ば強引に体を捻って振り向きざまに剣を振り回した。
ギンッ、と鈍い音と共に手元に固い手応えが返ってくる。
すぐ背後まで迫っていたヨーヒの怜悧な眼差しとかち合った。
奥歯を噛みしめて剣を振り切る――今度はシックが押し切った。
崩れた体勢を戻す。息を整える時間はない。
後退したヨーヒの手から刀が離れた。息を呑んで飛来した刀を反射的に弾く。
「粗削りだが見込みはある」
つ、と首筋を汗が伝う。口内に溜まった唾を嚥下することすら躊躇われた。
喉元に突き付けられた刀の切っ先。少しでも前進すれば、たちまちシックの喉は突き破られる。
「風の流れ、筋肉の動き、魔力の道筋……そのすべてを見極め、行動の際にはすべての可能性を考えろ。最善と最悪を常に脳裏に描け」
低く告げられる言葉を黙って聞く。聞かざるを得なかった。
突き付けられた刀が遠ざかる。抜き放たれたばかりの刀はすぐに鞘に納められた。シックが弾いた投てきされた刀を追ってヨーヒ自身もシックから遠ざかっていく。
双刀使いであることはわかっていたはずなのに、実際にもう一振りを抜かれるまでシックはヨーヒが二振り目を抜くとは思っていなかった。
そう思わせた、ということだろうか。
「試した結果、俺は合格だったか?」
刀を拾い上げているヨーヒがいちべつをくれる。高い音を立ててヨーヒの手の中の刀が、腰から下げられた鞘にその白刃を隠した。
無言でヨーヒの言葉を待つ。
開いた口から声が形成される――その前に、轟音が大地を揺らした。
「なっ――!?」
揺れる地面に足を取られて転倒しかけながらも、なんとか踏みとどまる。持っていた剣を地面に突き刺さなければ無様に転倒していたかもしれない。
半ば反射的に空を振り仰ぐ。地震のときに無関係な空を見上げるのは癖のようなものだった。が、今回はその癖が思わぬ収穫をつかんだ。
天を貫く勢いで立ち上る炎の柱。
見えた。荒れ狂う憎悪。
血の気が引いていく思いがした。
「……どうやらシナリオは最悪の方向で進行しているらしい」
「ああ、そのようだ」
「行け」
後ろに反っていた首を元に戻す。
数度瞬いてから口元に笑みを乗せる。
「それは俺が合格したってことか?」
軽口を叩くシックをいちべつして、さっさとヨーヒは顔を逸らしてしまった。
「何か不都合があればリブエンド荒野に来るといい。私が信用できればだが」
「君のことは信用するさ。あの子が信用しているようだからね」
最後にヨーヒに笑いかけて駆けだす。
炎の柱が立ち上ったのは山のさらに上のほうだった。




