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21_1 - 小さき賢人

 嵐が過ぎ去ったような感覚に、ルーダは吐き気すら覚えた。

 まさに惨状という言葉しか当てはまらない部屋。そこからティッケを連れ出し、泣きじゃくるティッケを抱きしめて背中を撫でる。まだ幼い少年が目の当たりにするにはあまりにもひどすぎる惨状だった。

 最愛の祖父を失ったティッケの気持ちを推し量ると胸が苦しくなる。

 経緯は違うが、ルーダも最愛の人を失う哀しみを経験していた。気持ちは痛いほどに理解できる。

 下手な慰めは余計にティッケの気持ちをかき乱すだろう。ルーダがそうであったように。


「おれ……ぃっく…――エリーに、ひどいっ……っと―――」

 嗚咽の隙間からティッケが漏らす。


 ルーダは内心で驚いていた。

 こんなときだというのに、ティッケは自分のことではなく他人のことを考えている。取り乱してエリスを責めるような言い方をしてしまったことを反省している。

 複雑そうに歪む唇。

 悟られないようにルーダは言葉を紡いだ。


「…………うん、ひどいことを言ってしまったね」

 昂ぶる感情を宥めるように背中を優しく叩いて同意を示す。

 そんなことはない、と返すよりもティッケの気持ちを静められるような気がした。


「エリー、なんも悪く…っ……ない、のに……」

「うん」

「……じぃちゃんが……っふ……うぅ……っ………」


 強い子だと思った。

 あの頃のルーダにはなかった強さだ。

 ルーダの衣服をつかむティッケの手に力がこもる。内心で複雑な気持ちを抱きながらも、そのティッケに応えるようにルーダはティッケの体を優しく抱き寄せた。


「やっさし~」

「っ!」

 耳朶を叩く軽い声に、ルーダは慌てて顔を上げた。

 ティッケを抱く腕に力を込める。

 勝手にもう大丈夫なのだと思い込んでいたが、先ほど去った魔が再び戻ってくる可能性は決してゼロではなかった。それを忘れていた自分が情けない。


「あ……」

 体に走った緊張は、声の主を見つけ出すと弛緩するように緩んだ。

 声の主の眉毛がひょいと持ち上がる。

「なーんでそこで安心するんしょ」

 呆れたように声の主――ナルが頭を斜めに傾ける。

 頼りなく呻いてルーダはナルを見上げた。


 どこから侵入してきたのかは知らないが、市場で出会い別れた変な魔導師がそこにいるだけで安心してしまったのは確かだ。彼女ならば先ほどの魔が再び現れたとしても対処してくれるとの期待があるからなのかもしれない。

 腕の中のティッケがもぞもぞと動く。気付いて腕の力を緩めると、涙は溜まっているが流れることをやめた目がナルに向いた。


「はーい、賢者の卵ちゃん」

 ティッケの視線を受けて、友好的にナルがひらひらと手を振る。勢いに気圧されるようにしてティッケが右手を上げた。振り返さなかったが、ナルはそれで満足したようだった。


「なんでここにいるの?」

「お、やーっとまともな反応。答えは単純、野次馬っしょ」

 パチンと指を鳴らしたナルがルーダを指差してあっけらかんとのたまう。そうも明るく本音を語られると反応に困ってしまう。

 けらけらと笑うナルに毒気を抜かれていく感覚にますます脱力した。


 ルーダを指差していた指を左右に振って、何気ない足取りでナルが未だ惨状の広がる部屋へと向かおうとする。ルーダは慌てて立ち上がった。

「そっちは駄目!」

「はい聞かなーい」

「ちょっと!」

 腕をつかもうとするルーダをかわして、ナルがドアを開けて部屋の中へと入っていく。目の前で閉まったドアを開けようとドアノブに手をかけるも、あの惨状を思い出すと開ける勇気が湧いてこなかった。ティッケもこの場に置いていけない。


 二の足を踏んでいるうちにドアは再び内側から開けられた。

「なに遊んでるけ?」

 ドアの前に突っ立っていたルーダを見て不思議そうにナルが小首を傾げる。ごまかすようにルーダは首を振った。

「とりあえず部屋はキレイにしといたけ」

「え?」

「とりあえず部屋はキレイにしといたけ」

 わざわざ言い直してくれたのはありがたいが、別に聞き取れなかったわけではない。言っている意味がわからなかっただけだ。

 ニヤニヤとしているのでナルもわざととぼけて言い直したのだろう。

 じと目で見つめる。降参するようにパッと両手を上げられた。


「においまで消せはせんけーど、血だけは消しといたけ」

「どうやって?」

「企業秘密」


 ぶれない笑顔で一言だけ告げられる。ルーダは微妙な表情をしながらもそれ以上の追究をやめた。

 ある程度は予想できる。魔導の力を借りたのだろう。それがどんな力なのかまでは想像できないが、あの高名な魔導師の弟子だと自称するナルならばやってできないことはないだろうと思う。

 そもそも魔導師に対して先天性の能力がどんなものであるのか尋ねることはあまり行儀の良いものではない、と昔母に聞いたことがある。国境の村で聞かれた気がするが、あれは修行を付けてもらっている立場だったので文句を言う権利はない。


「それよーり、賢者様のご遺体はどうするっしょ? あのままってわけにはいかんしょ」

 言われて思い出す。胴から首が切り離された賢者ロウアーニの姿を。

 ティッケに目を向ける。強く目元を拭ったのだろうか、目元が赤い。だけどナルを見上げる目には強い意思が感じられた。

「かあちゃんのとこまで……レトポーフまで連れていきたい」

「オッケー。あたいに任せるっしょ」

 いつでもどこでもナルの返事は深刻さなど感じさせずに軽かった。


 へにゃりとティッケに笑いかけるナルを眺めながら小さく息を吐く。逆にこれくらい明るく振る舞ったほうが哀しみも薄れるのかもしれない。

 ふと疑問が浮かぶ。


「ナルはなんで助けてくれるの?」

 その問いは今さら過ぎたのだろうか、ナルの表情がなんとも表現しがたいものに変形した。

「あたいはあの禍々しい魔力をどうにかしようと思ってここまで来たんけーど、賢者様の後継者を放置しとくのもできんしょ」

 まともなことを言っているはずなのに、発言者がナルというだけで激しく違和感を覚えた。ナルには失礼な話かもしれないけれど。

 消化不良を起こしている違和感はとりあえず脇にどけておき、眉根を寄せてナルの顔を見返す。


「禍々しいって…………あれ、なんなの?」

 間近で見たわけではないが、あの時エリスから感じられた魔力はナルの言う通り、確かに禍々しかった。思い出すだけで鳥肌が立つほどに。

「そんなん知らーん」

 ナルの答えは至極シンプルなものだった。

 現場に居合わせなかったのだから仕方がないとは言え、ルーダに残り香のように付着したエリスの魔力をも感じ取れたナルならば何か知っているのではないかと期待していた。


 こてんとナルの頭が傾く。

「わからんことだらけなんよ。だーかーらー、キミに会いに来たんしょ」

「こっちもさっぱりだよ」

「みたいだーね。がっかりちょん」

 言うほど落胆した様子もなくナルの頭が元の位置に戻った。


「賢者の卵ちゃんはあたいが保護してやるっしょ。師匠も賢者の卵ちゃんなら連れてっても嫌がらんけ」

「保護?」

 思わぬ単語に反射的に聞き返したルーダに呆れたナルの視線が返ってくる。

「キミは頭がパーなんけ?」

 ため息に声を乗せたような問いかけに、戸惑い気味に愁眉を寄せる。

 その反応にますます呆れたとばかりにナルが嘆息した。


「賢者様を襲った魔がどうしてその孫を襲わんと思うっしょ。賢者の卵ちゃんには賢者様の知識も力も受け継がれてるけ」

「で、でも、あの場では――」

「魔導師なら最悪を考えて行動するっしょ」


 眼前に突き付けられたステッキ――いつの間に取りだしたのだろう――の先に気圧されて背中を壁に付ける。鋭さを伴った眼差しに目を逸らせなかった。

 ごくりと喉が鳴る。

 遠ざかるステッキを目で追いながら、ルーダは脱力したように肩を落とした。


「あたいの予想では今後賢者の卵ちゃんが狙われる確率90%」

 配慮もなく告げられた宣告にティッケの顔が強張る。

 そばに行こうとルーダが行動するよりも先、ひらひらと手を振ったナルがティッケのそばに腰をかがめた。

「あたいと師匠がおちびちゃんを守ってあげるけ、安心するっしょ」

「ナルのお師匠様はあのパレニー・ラキッシュ様らしいよ」

 困惑気味にナルとルーダを交互に見やっていたティッケが、不安そうな表情のままこくりとうなずく。その反応に満足したようにナルがニコッと微笑んだ。


「じゃーあたいは引っ越し準備でもするけ」

「あ、じゃあティッケのこと任せてもいいかな? ぼくは2人を追いかけなきゃ」

 立ち上がったナルと目が合った。何かを言いたそうな目と。

 予想外の眼差しにたじろぐルーダから視線を外して、すたすたと歩き出したナルが玄関へ続く通路を塞ぐような場所で立ち止まった。

 疑問符を飛ばすルーダへと向き直ったナルが、ステッキの先をルーダに向ける。


「そうはさせないっしょ」


「えぇ!?」

 いきなりの展開についていけずに悲鳴にも似た声を上げる。

 ナルからは決してふざけている雰囲気は感じられなかった。本気なのだろう。


「あの禍々しい魔力を目の当たりにしてまーだ理解できないけ? あの魔力は現世にあっちゃいけないものだっしょ。あたいにとってはこのまま怖い人たちに消されたほうが都合がいいっしょ」

「消すって、そんな乱暴な――!」

「あたいだって好きで人殺ししようなんて思ってないっしょ。けーど、女にはやらにゃならんときがあるんよ~」

 口調は軽いながらも、それが本気であることは確かに感じ取れた。

 思わず逃げ腰になる。

 力量の差は実際にやり合わなくてもわかっていた。


「エリーは何も悪いことなんてしてない!」


 尻込みするルーダの脇からナルに反論を返す声がある。ティッケだった。

「あの魔力だってじいちゃんが封印してた! じいちゃんがあんなことにならなきゃエリーの中でずっと封印されたままだったんだ!」

 ちらりといちべつするようにナルの視線が下がる。

 ルーダの前に立って主張するティッケの声に後押しされるように、不甲斐ない気持ちを奮い立たせてルーダもまっすぐにナルを見返した。

「彼女は優しい人だよ。可能性だけで彼女の存在を否定するなんて横暴だ」


 杖で肩を叩きながらナルが左肩に頬を寄せる。

 何かを見定めるかのような視線から逃げたくなるのを堪えて、ルーダはナルの眼差しを受け止めた。


「……――おちび」

「ティッケ! ちびじゃない!」

 ナルの呼びかけに即座にティッケが反応を返す。無視されたけれど。


「賢者様がやってたこと、おちびにもできるけ?」

「え?」

「良くない魔力を封印できるんけ?」

「えう……で、できる!」

「なら今すぐしてくるっしょ」


 向けられていたステッキがパッと手品のようにナルの手から消失した。

 すたすたと軽い足音を立てて戻ってきたナルが壁にもたれかかる。

 ルーダはティッケとナルを見比べ――ティッケの手を取ってナルが立ち塞がっていた通路を通って玄関へと向かった。


「ちょーっと待つっしょ」

 玄関ドアに手をかけたルーダの背中にナルの声が追いかけてくる。

 振り返る。ナルの手から放り投げられた何かが足元に落ちた。


「カードだ」

 何かを拾い上げたティッケの手元を覗き込む。小さな手には真っ白なカードが握られていた。びっくりするぐらいなんの絵柄もない真っ白なカードだ。

 ティッケと目を合わせて首を傾げる。


 壁にもたれたまま、ナルがひらひらと気軽に手を振った。

「それはすごくいいもんっしょ」

 説明になってない説明を誇らしげにするナルに視線を送る。

「ただのカードに見えるけど」

 思ったままを口にする。ぱちりとナルが指を鳴らした。


「あっまーい。それは師匠が作った魔導の力を封じたカードけ」

「へぇ」

 理解の遅れた脳が生返事を作り出す。

 期待していた反応ではなかったからだろうか、ナルの眼差しが胡乱なものに変わった。

「もちっとリアクションが欲しい」

「ごめん」

 とりあえず謝罪する。ナルの肩ががっくりと落とされた。


 どんな反応を期待していたのかは知らないが、残念ながらルーダではナルのリクエストに応えられそうになかった。そもそも持ち前のテンションというものに差が開きすぎている。

 ふるふると小さくかぶりを振ったナルが顔を上げる。気を取り直してくれたのか、仕切り直しのつもりで小さく咳払いをされた。


「マナチップって師匠は名付けたけ。そーれは、天賦の才に関係なく誰でも気楽に治癒の効果を得られるって代物っしょ」

 示された白いカードにティッケと一緒に視線を落とす。

 見れば見るほどただの真っ白なカードにナルが言う効果が秘められているようには見えない。


「信じる信じないは君のお好きなよーにどーぞ」

 疑っているルーダの機先を制するように、笑いながらナルが言ってくる。

 押し付けられるようにティッケからマナチップだとかいう白いカードを受け取って、今度こそルーダはティッケと共に屋敷の玄関ドアを抜けた。



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