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19 - 賢人はかく語りき

 どこをどう走ったものかわからない。

 限界を感じて立ち止まったときには少年と2人で狭い路地にいた。

「もうすぐだぞ、兄ちゃん」

 膝に手を突いて息を整える。

 ルーダよりも体が小さくて体力も少ないはずの少年は多少息を弾ませている程度で、ルーダほどに疲れている様子はなかった。

 情けない。

 そう思いながらも居着いた恐怖心はルーダから確実に精神力を奪っていた。


「あ、そうだ。さっきはありがとな」

「え?」

 思い出したように言う少年に、ルーダは疑問符を返した。

「助けてくれただろ? おれ、うれしかった」

 まっすぐにルーダを見上げて、少年。


 飾りのないストレートなお礼の言葉は、帝国への恐怖に彩られていたルーダの思考に気恥かしさという色を加えた。

 わたわたするルーダに歳相応の無邪気な笑顔を向けて、少年の手がルーダに伸ばされる。意図を図れずにその手を見下ろすルーダに焦れたのか、何も言わずに少年はルーダの右手と手を重ねた。

 握手か――とルーダがまぬけな勘違いをしているうちに少年が歩き出す。手を引かれる形でルーダも少年について歩き出した。


 今もまだ軍人に追われる立場であることは変わりない。

 それでも徐々に動悸が収まってきているのをルーダは感じた。それはきっと、手を繋いでくれている少年のおかげ。


「おれはティッケ。エリーのともだちだ」

 前を向いたまま少年ティッケが言う。

「あ、おれはルーダ。エリーって、エリスのことだよね?」

「うん。兄ちゃんもエリーの知り合いなのか?」

「知り合いっていうか……一緒に旅してる」

「え!? もしかしてエリーが来てるのか!?」

 立ち止まったティッケが勢いよく振り返ってくる。その目は爛々と輝いていた。

 気圧される形で腰を引く。


「う、うん。今は別行動中だけど」

「エリーが来てるならじいちゃんのとこだ。エリーが安心して休める場所はおれの家しかないからな」

 得意そうに言うティッケだったが、その表情もなぜかすぐに曇ってしまった。

「半年前にいなくなってからずっと姿見せないんだ。なぁ、エリーは今でも笑ってるか?」

 まだ幼い顔に不安の色を浮かべて見上げてくるティッケ。本気でエリスの身を案じているのだろうということが伝わってくる。

 一度はシックのおかげで収まったはずの恐怖を再度静めてくれたティッケに、お礼をするつもりでルーダは笑いかけた。


「大丈夫、笑ってるよ」

「心からかはわからないけどな」

「そんなこと――……って、シック!」

 後ろから余計な口を挟まれて即座に反論するも、その声の主の顔を見ると驚きのほうが前に出た。


「どこから出てきたの?」

「人を害虫みたいに言わないでもらいたいが……少し帝国のヤツらをからかおうと思ってね」

「えぇ!?」

「お偉いさんが出てきて引き上げていってしまったからそれもできなかったが、もうこそこそと逃げ回る必要はない」

「ホント?」

「こんなときにウソを言うほどへそ曲がりではないつもりだ」


 言うシックの艶のある笑みに反射的にルーダの顔が赤くなった。別におかしな意味でではなく、フェロモンを感じさせるしぐさと表情にあてられて照れてしまうのだ。

 そんなルーダの反応を知った上で楽しんでいるシックには腹が立つけれど。


「だが手配書が出回ってるとなると早くエリスと合流しないとまずいな」

「あ、うん、そうだね。この子の家にいるらしいよ」

 意外と早く切り替えられて――状況が状況だからシックも空気を読んだのかもしれない――戸惑いつつも、手をつないだままだったティッケを示して先ほどの話をシックにも伝える。


 視線を誘導されたシックが、腰を折ってティッケと目線を合わせた。

「なら道案内頼めるかな?」

「うん! まかせて!」

 元気いっぱいにティッケがうなずいた。


 ぐっと引っ張られて慌てて歩きだす。

 まだ年端もいかない子供に手をつないでもらっている状況に今さらながら――シックもいるから――恥ずかしさを覚えた。だけど心に恐怖はまだ居着いたまま、手を離して欲しいと言うだけの勇気はまだルーダに戻っていなかった。


「エリーまだ帝国にねらわれてんだな」

 歩きながらティッケがぽつりとこぼす。表情は見えないが、声は沈んでいるように聞こえた。

「まだって?」

「半年前にも追われてたんだ。すごくボロボロになって家に逃げ込んできた」

 つないだ手に力がこもる。


「…………リドルの件か」

 ルーダも思いついたことをシックがつぶやく。ティッケには聞こえないように小さく。


「あのときにはあんま話してくれなかったんだ……ひどいケガだったのに気付いたらいなくなってたし」

「君に理解しろと言うのは酷かもしれないが、あの子にもあの子なりの事情がある」

 まさか年端もいかない少年に事情を話すわけにもいかない――エリスもきっと望んでいないだろう――ため、卑怯とも思える濁した表現でシックが告げる。

 ぷくっとティッケの頬が膨らんだ。


「むぅ~~~~~エリーのバカ。会ったらぶんなぐってやる」

 拗ねた声を出すティッケ。


 困ったようにシックに顔を向けると、軽く肩をすくめられた。大人の対応だ。

 ティッケの頭に視線を戻すタイミングを同じくして、するりとルーダの手からティッケの手が離れた。

 え、と思う間もなくティッケが駆け出す。

 話しているうちに辿り着いていた立派な邸宅の玄関を勢いよく開け放ち、ドアを閉めもせずにそのまま邸宅内へと駆けこんで行ってしまった。


「じいちゃん! エリー来てるか!?」

 奥からティッケの元気な声が聞こえてくる。

 ルーダはシックと顔を合わせてから、ティッケの後を追って邸宅へとお邪魔した。


 家人の了承も得ずに上がり込んだことに気後れしつつ、道しるべのように開け放たれたままのドアを抜けて邸宅内を進む。

 外見もそうだが邸宅の中は立派な造りだった。

 ただし、手入れは行き届いていないようだった。ジスターデ国内で使用人をやっていたルーダだからこそ、立派な調度品よりも先に埃の溜まった卓上や部屋の隅が気になった。


「静かにしなさい、ティッケ。今ようやく寝たところだ」

 家人の目がないことをいいことにきょろきょろと邸宅内を見渡していたルーダの耳に老人の声が届く。歩みの遅くなっていたルーダの先を行っていたシックが、部屋のひとつに入ってすぐのところで立ち止まっているのが見えた。

 入ってもいいのだろうかと不安になりながらもシックの後ろから部屋に入る。


 部屋にはキングサイズのベッドと書斎机があった。

 何日もベッドメイキングされていないしわが癖になっているシーツに包まるようにしてベッドを占領している人物がひとり、ベッド脇に車椅子を寄せて座している老人がひとり、後はその老人の前で頬を膨らませているティッケと、部屋の入口で立ち尽くしているシックとルーダ――それが現在部屋にいる者全員だ。

 ベッドを占領しているのはルーダもよく見知った顔のエリスだった。猫のように丸くなって穏やかな寝息を立てている。あどけなさすら垣間見える寝顔は、周囲への警戒を忘れたかのように無防備だった。

 思わず頬を紅潮させて目を逸らしたルーダとは反対に、興味を持ったようにシックはエリスの眠るベッドへと近づいていった。


「あ、じいちゃん、この兄ちゃんたちエリーの仲間だってさ」

 近くへ来たシックを見て、思い出したようにティッケがルーダたちの紹介を老人にする。

 軽く頭を下げるシックに遅れて、慌ててルーダも老人に頭を下げた。


「兄ちゃんたち、おれのじいちゃん、賢者の末裔ロウアーニだ」


「へ?」

 振り返って老人の紹介をしてくれたティッケの言葉に、虚を突かれてルーダは動きを止めた。

 停止した思考が何度もティッケの言葉を脳内で繰り返す。


 ――賢者。の。末裔。賢者。の末。裔。賢者……


 理解の遅れていた脳が何度も同じ単語を繰り返す。

「うええぇぇぇえぇえぇぇ!?」

 理解が奇声となって外に排出される。

 突然の大声に、驚いたようにティッケの元々大きな目がさらに真ん丸に広がった。


「騒々しいぞ、ルーダ。この子が起きる」

 同様に驚いているとばかり思っていたシックが迷惑そうな視線を向けてくる。いつの間にか老人ロウアーニから役目を引き継いだようにエリスの手を握りながら。

 軽く裏切られた気分を味わいながらも、ぐっと言葉を飲み込む。

 少しの間躊躇してから、ルーダは部屋の入口からベッド脇へと移動した。


「驚かないシックのほうがどうかしてるよ」

 声量を落としてシックに告げる。

 かの有名な賢者様の末裔が目の前にいるというのに、落ち着き払った態度を見せるシックが腑に落ちなかった。


「…………そんなに有名なのか?」

「はあ? 有名も何もあの賢者様の末裔だよ? 魔導師じゃなくても知ってるよ」


 素っ頓狂な声が漏れる。シックの問いかけは完全に予想の外にあるものだった。

 賢者と言えば小さな子供でも知らない者はいないと言われるほどの人物だ。暗黒時代と呼ばれた時代に魔との戦争を収束へと向かわせた功績を持つ賢人は子供用の絵本にすら登場する。

 その賢人の末裔となんの前触れもなく出会ってどうして冷静でいられよう。


「賢者と言っても人より少しだけ多くのことを知っとるだけさ」

 シックに追い打ちをかけようと口を開きかけたルーダは、横から挟まれた言葉に口をつぐんで眉をハの字に下げた。

 闇市広場で軍人と相対したときとは違うドキドキがある。緊張して何を話したらいいのかわからなかった。


「ティッケ、エリーが持ち込んだ仕事が地下にある。エリーが起きるまでに済ませてしまいなさい」

「やだ。おれ、エリーが起きるの待つ」

「ティッケ」

「…………むぅ……わかった」


 緊張するルーダをよそに、老人と孫の会話が目の前で繰り広げられる。

 エリスに会うことを楽しみにしていたティッケにとっては、エリスから遠ざけられるのは不満なのだろう。

 名残惜しそうに部屋の入口へと足を運んだティッケが、部屋を出ていく前に振り返ってくる。

「エリーが起きたら絶対呼んでくれよ」

 睨むように見られながらの言葉に、コクコクと何度かうなずいてみせる。

 それでも不満そうな表情のティッケだったが、振り切るように部屋の外に体を向けると、そのまま振り返らずに走り去っていく足音が尾を引いて遠ざかっていった。


「君たちはエリスとどういう関係なんだ?」

「シック。賢者様に向かって失礼だよ」

 去るティッケを見届けてからシックが口を開く。賢者ロウアーニを少しも敬っていないその言葉づかいに、噛みつくようにしてルーダは口を挟んだ。

 不良騎士とは言え騎士は騎士。相手によって言葉づかいも切り替えられると思っていたのに、失礼極まりない砕けた言葉づかいを平気で使うシックに怒りすら覚えた。


「お前さんらの聞きたいことは山ほどあるだろう。この娘は肝心なことは何も話さないからね」

 睨み合う2人――ルーダが一方的に睨んでいるだけだが――を意に介さず、穏やかな寝顔を浮かべるエリスの頭を撫でながら賢者ロウアーニが話しだす。

「あぁ、たまに気まぐれを起こしたと思えば肝心なところでいつも口をつぐむ」

 逃げ口見つけたりとばかりに素早くシックが返す。

 怒りのぶつけどころを失ったルーダはしばらくシックを不満そうに見つめた後に賢者ロウアーニに視線を移した。


「じゃが、お前さんらの知りたいことをわしも多くは知らない」

「君たちにも話さないのか? こんなに安心して眠るほど信頼されているのに」

「心許しているからこそ、話さぬのであろう。エリーは浅はかだが非道にはなりきれん。わしらを巻き込みたくないのだろう」

 立派に蓄えられた白いひげの合間から賢者ロウアーニがため息を漏らす。エリスの寝顔を見る目は優しかったが、どこか寂しさを湛えているようにも見えた。


「半年前に瀕死でやってきたときも、何も話してはくれなかった」

「それは……ツライことだったろう。巻き込むことを非道だとは思って欲しくないんだがな」

 小さく唸ってエリスが寝返りを打つ。


 夢の中の彼女は未だに賢者ロウアーニと手をつないでいると思いこんでいるのだろうか。起きたときに実は手の主がシックだと知ったらショックを受けるかもしれない。

 そんなどうでもいいことをルーダが考えている間にも、賢者ロウアーニの話は続いた。


「つらくはあったが、人間不信に陥るような目に遭ってもわしらを頼ってきてくれたことは嬉しかった」

「人がいいな。……だからこそこの子も君たちを頼ったのか」

 呆れのようなものが含まれたシックの言葉に賢者ロウアーニは小さく笑った。

「わしにはエリーを止めることも救うこともできん。じゃがお前さんらは最後までこの娘を信じて傍にいてあげて欲しい。じじいの勝手な願いだ」


 顔を上げたシックが柔らかく微笑む。いつものドキリとするような色気のある笑顔ではなかった。

「誓うよ。ヤマトのヤツのようにたとえこの子が不吉だとか言うヤツが現れても、俺はこの子を護ると決めた」

「……ヤマト?」

 黙って話を聞いているつもりだったが、思いがけずシックの話の中に出てきた辺境の島国の名前にルーダはキョトンと目を瞬かせた。

 ちらりといちべつをシックがくれる。


「君と合流する前に遭遇してね。俺の連れに不吉がいるんだそうだ」

「不吉って……――」

 反論しようとしたルーダは途中で言葉を濁した。


 妙な既視感を覚えて記憶を探れば、ルーダ自身も今日会った人物に似たようなことを言われていた。その後すぐによりインパクトのある出来事に遭遇したせいですっかり忘れていたけれど。

 良くない魔力――ナルはそう言った。


 安心しきった顔で眠るエリスを見下ろす。

 眉間に力を込めて目を凝らしてみるも、ナルの言うような良くない魔力を感知することはできなかった。他人よりも少し癖のある扱いにくそうな魔力だが、普通の魔力に見えた。


 ふむ、と考えるように賢者ロウアーニが声を上げる。

「ヤマトは歴史の暗躍者。ヤマトが動いておるとなると、黄昏はわしらが思っておるような代物ではないのかもしれんの」

 すぐそばで会話をしているからだろうか、やや寝苦しそうに唸りだしたエリスの頬に手を添えて賢者ロウアーニ。

「でもだったら黄昏のうわさは誰が流したんですか? 根拠のないうわさが世界的に流れるのはおかしいと思うんですが」

 反射的に口を挟む。

 賢者ロウアーニはルーダを見上げて緩く首を振った。わからない、というジェスチャーだ。


「ヤマトのあの子は絶望があると言っていた。誰にも太刀打ちできない絶望とね。それを排除するためなら人ひとりの犠牲も厭わない、と」

「それって……どういう意味?」

「俺たちが相手をしなきゃならないのは魔と帝国だけじゃないってことだ」


 シックが口にする不吉を契機にしたように、エリスが苦しむように胸元をかき抱きながら唸り始めた。

 頭に巻いたままの派手なバンダナから覗く金髪がベッドの上で乱れ散る。

 噴き出した汗が額に浮かんでいた。


「悪い夢を見ておるの。もう少し休んでおいて欲しかったが、起こしてやってくれ」

「了解」

 言うなりシックの手がエリスの頬に伸びる。そしてその流れのまま、まるで抱き合うように耳元に口元が寄せられた。


「エリス、戻っておいで。君の現実はそっちじゃない」


 自分に言われているわけでもないのに、ルーダは恥ずかしさから目を逸らしていた。

 艶のあるシックの低い声には無駄な色気があって困る。

「…………ぁ……」

 かすれたエリスの声が漏れる。

 寝惚けた気だるさを伴ったかすれ具合だったが、半開きの唇から漏れた声はシックに負けず劣らずの色気を感じさせた。あどけなさすら感じさせた寝顔を見た後だったからこそ、余計にそのギャップにルーダは赤面してしまった。


「……まだ寝るのぉ」

 追い打ちをかけるようにしてエリスの口から甘えた声が漏れる。

 シックが無駄に密着していたからなのかどうかはわからないが、声同様に甘えたようにエリスの腕がシックの首に絡んだ。瞼は閉じたままなので本当に寝惚けているだけなのだろう。

 楽しそうにシックが笑った。絡んでくるエリスに応えるようにエリスの体を抱きこんだシックが、またエリスの耳元で言葉を紡ぐ。


「起きないとこのまま襲うぞ」


「ん~……」

 ぐずるように唸ってエリスの眉間にしわが寄る。

 ますます楽しそうにシックの笑みが深くなった。

「なら目覚めのキスでもしてやろうか?」

「んー……」


 寝惚けた唸り声を上げるエリスに顔を近づけるシックを見て、反射的にルーダはシックの肩を力いっぱい押していた。

 不意を突いたからなのか、割とあっさりとシックをエリスから引き剥がすことができた。ついでにベッドの縁に頭をぶつけていたが、自業自得だろう。寝込みを襲うなど男の風上にも置けない。

 半眼を向けられたが無視しておいた。


「――んっ……」

 それまでの唸り声よりもはっきりした声をエリスが上げる。

 シックの魔の手から守った際に目覚めのスイッチでも入ったのか。ゆっくりと開けられた瞼の下から碧の瞳が覗いた。

「ロ、……アーニ……?」


 ぼんやりとした眼差しに捉われて、意味なくルーダはあたふたと慌てた。

「お、おは――」

「おはよう、エリス。よく眠れたか?」

 ルーダの口上を遮り、早くも立ち直ったシックがルーダを押しのけるようにしてエリスの顔の前に顔を出した。


 目覚めたばかりでまだ思考の働きが鈍いのか、開ききっていない瞼を上下させ、ボーっとした様子でエリスがシックと見つめ合う。

 かと思えば、のそりとした動作で上半身を起こし、左手で口元を隠しながら大きなあくびを漏らした。目を擦って眠気を飛ばそうとしている姿はいかにも無防備だ。

 が、そこに至ってようやく違和感に気付いたらしい。

 動きを止めたエリスが引きつった顔でシックを見上げる。


「――――っきゃあ!!」

 わざとらしいくらい楽しそうにニヤニヤと笑うシックを見てエリスが悲鳴を上げた。

 反対側のベッドの淵から落ちるぎりぎりまで下がり、目を白黒させながら自身の体を抱く。

 この状況なら寝込みを襲われたと勘違いしたとしても無理はない。


「ななななななな――――変態っ!」

 案の定、エリスの口からそんな言葉が投げられる。

 シックはひょいと肩をすくめた。


「ツレナイな。さっきはあんなに積極的だったのに。今から続きでもやるか?」

「ばっ! じょ、冗談じゃないわよ!!」

 顔を紅潮させて、エリス。


 逃げ道を探すように彷徨っていた目が賢者ロウアーニを見つけて止まった。

「ロウアーニ! なんでこんな奴招き入れたのよ」

 反対側からベッドを降り、バタバタと慌ただしく賢者ロウアーニの傍まで逃げながらエリスが非難めいたことを口にする。非常に残念なことにエリスもシックと同様に、賢者ロウアーニに対する口調に尊敬の念は含まれていなかった。

 いっそ敬う態度のルーダこそ間違っているのではないかとすら思えてくる。

 気分を害した様子もなくエリスの混乱ぶりを微笑ましく見守っている賢者ロウアーニの懐の広さに、ルーダはますます尊敬の念を抱いた。


「そうだ、ティッケの悪ガキ帰ってきた?」

「ああ、今下でお前さんの持ってきた仕事をしとるよ」

 近づこうとするシックをけん制しながら問うエリスに賢者ロウアーニが肯定を返す。どこかホッとしたような安堵の表情を浮かべたエリスだったが、シックに顔を向けたときにはその表情も険悪なものに戻っていた。


「ちょっとあんたらティッケ呼んできて。ついでに戻ってこなくていいわよ」

 ルーダも含めて部屋の外を指さすエリス。

 苦笑しつつもシックは逆らうことなく部屋の外に足を運んだ。ルーダもそれを追う。


 屋敷の中は広かったが、下へ降りる階段をそれほど苦労することなく見つけられた。

「……そのうち本気で嫌われるよ?」

 階段を降りるシックの背中にぽつりと言葉を投げる。ちらりと肩越しにルーダを振り返ってきたが、特に反論も肯定もせずにシックはただ肩をすくめただけだった。

 本気で心配したわけではないが、旅をする仲間同士がぎすぎすした関係なのはルーダとしては避けたい事態だ。


 階段を降り切った突き当たりにドアが見えた。

「ティッケ、エリスが起きたぞ」

 ドアを軽く叩きながらシックが部屋にいるだろうティッケに声をかける。

 しばらく待ってみるが反応はない。

 顔を見合わせてもう一度ドアを叩いてティッケを呼んでみる。


 ガタンッ、ガタ、バサバサ、タッタッタッ、ガチャガチャ――


 部屋の中から聞こえてくる騒音に、再びルーダはシックと顔を見合わせた。

 ほどなくして勢いよくドアが外側――つまりこちら側――に開く。


「うわっ!」

「わぁ!」

 ドアが開くと同時に上げられた声に驚いてルーダも声を上げた。


「どうしたんだ兄ちゃんたち? エリー起きたのか?」

「ああ、元気に騒いでいるよ」

 期待した眼差しで問いかけてくるティッケに笑顔でシックが返す。

 ぱぁっと表情を綻ばせたティッケの子供らしい反応に、微笑ましさからルーダの顔も柔らかく綻んだ。旅を始めてから初めて心が和んだような気がした。


「ところで、君は何をしていたんだ?」

 今にも駆け出そうとする気配を見せていたティッケの出鼻を挫くようにして、シックが思い出した体を装って――声をかけたタイミング的に見計らっていたとしかルーダには思えなかった――ティッケに話しかける。

 キョトンと瞬いてティッケがシックを見上げた。


「エリーの持ってきた仕事だ。黄昏の記述の解読ができるんだ、おれ」

「へぇ、すごいな」

「え? そ、そうか?」

 照れたように鼻の下を擦るティッケにシックが微笑みかける。何か企んでいるのだろうな、というのがなんとなくルーダにはわかった。


 シックが膝を折ってティッケとの目線を合わせる。

「解読は終わったのか?」

「うん、ここにある」

 うなずくティッケの手の中に手帳がある。エリスが持っていたものだ。

「見せてもらってもいいか?」

「えう? ……んっと――」

 戸惑うようにティッケの目が泳ぐ。


 ふと、ティッケと目が合った。

 助けを求められているのだろう――それは察したが、ルーダはあえて口をつぐんだままシックを諌める言葉は吐かなかった。


 ルーダとて知りたい。

 シックが会ったというヤマトの人間、そしてルーダが会ったナル、その2人が口をそろえて不吉と断じる黄昏が如何なものかを。知る権利はあるはずだ。

 迷うティッケが、おずおずと手帳をシックに差し出す。


 シックはにこりと笑ってそれを受け取った――甲高い悲鳴が響き渡ったのはそのときだった。


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