18 - 彼方からの警告
帝国領内の栄えている街というのは意外と少ない。
有名どころを挙げるとすれば、帝国の首都である帝都、高い技術力を持つ職人を集めた工房都市、そして犯罪者の温床とも呼ばれるこの街だ。
ホロワ山脈のふもとに位置する街には闇市広場という繁華街が存在する。その名の通り、非合法の品を売買することを中心とした違法な市場であるのだが、軍に摘発されるでもなく昼日中から商売を行えている。
政府公認の無法地帯として他国にまで名の通るその闇市広場に、ルーダはいた。
「道間違えた……」
合法な店のある一般的な市場に行こうと思っていたのに、どうやら道を一本間違えてしまったらしい。
犯罪のにおいしかしない闇市広場にもちろんルーダは用などない。下手をすれば犯罪に巻き込まれかねない闇市広場にいて良いことなど起ころうはずもないのだから。
くるりと踵を返す。
振り向いたタイミングで誰かと肩がぶつかった。
「あ、ご、ごめんなさい」
反射的に謝る。ただ肩がぶつかっただけとは言え、その程度のことで理不尽な因縁を付けられかねないのがここ闇市広場だ。
ぶつかった相手は気分を害するでもなく、にこっと人の良い笑顔を向けてくれた。
「こっちこそごめんなさいよ」
明るい声音でそう言う相手は、なんというか――デジャヴ。
「じゃ」
ポカーンと女性を見つめていたルーダの肩をポンと叩いて女性が横を通り過ぎていく。
「ぐえっ!」
ピンと引っ張られる感覚にルーダは声を上げた。
首から下げていた紐がルーダの首を絞める。紐の先を辿ると女性の手の中にある財布に行きついた。
「……なにしてるの?」
「小遣い稼ぎ?」
頭痛がしてきた。
そこにいたのはあの魔導師だった。国境の村で出会って、スリ未遂に遭って、そしてなぜか魔導を教えてもらったあの魔導師だ。
「あたいはナル。レトポーフの魔導師っしょ。キミは?」
「えっと……」
当然のように自己紹介をされて、さらにルーダは困惑した。
「そ、その前に、ナルさんは――」
「さんはいらーん」
それまで楽しそうにしていたナルが一転、口を尖らせるようにして口を挟んでくる。エリスもそうだったが、敬称を付けられるのが嫌らしい。
「えっと……ナルはいつもこんなことしてるの?」
「スリのことけ? そら当然」
「魔導師なんだったら少し探せば仕事くらいいくらでもあるのに?」
「働いて稼ぐとかあたいには向かん。それーに、スリの技は師匠から教えてもらったっしょ。楽して活動資金を稼ぐ方法ってなもんさ」
「えぇ!?」
まさかの告白に驚きの声を上げるルーダを見て、ケタケタと楽しそうにナルが笑った。
魔導師の師がいるという事実にも驚いた――てっきり魔導学校の出だと思っていた――し、その師からスリの技術を学んでいたことにも驚いた。
「それでも師匠は偉大な人っしょ。あたいもいつか師匠みたいな偉業を成し遂げるかんね。今は師匠のパシリでもさ」
「犯罪は犯罪だと思うけど…………随分と尊敬してるんだね」
「そらそうさ。あたいの師匠はパレニー・ラキッシュってレトポーフではちょいと有名なお人っしょ。やる気は全然ない怠惰の塊だけーど」
またしてもルーダは驚くことになった。
パレニー・ラキッシュと言えば魔導国レトポーフを代表する凄腕の魔導師だ。かつてあの魔導学校を首席で卒業した実力者でありながら、永久的な中立を掲げるレトポーフ国内では正当な評価を受けられずにどこかへと隠遁してしまったという伝説を残している。
その生ける伝説の弟子と名乗る魔導師が目の前に。
どうして驚かずにいられようか。
「ほ、ホント?」
疑いの目を向けるルーダの鼻先にナルの指が止まった。
「自慢じゃないけ、腕には自信があるっしょ。キミで試してみてもいいんよ?」
鼻先がピリピリと痺れるような痛みに驚いて慌てて身を引く。くるくると指を回しながらナルが楽しそうにケタケタと笑った。
からかわれただけだ。
頭ではそう理解できても、触れていたナルの指先から感じた魔力を思い出すと心臓は落ち着きなく早鐘を打った。術者独自の癖はあるが、その魔力はよく精錬されわずかな量で頭一つぐらい楽に吹き飛ばせる威力を内包していた。
完成に近い魔導師だ――そう感じた。
「そのパレニー様はどこにいるの?」
引いた身を前に押し出しナルに問う。
ナルはキョトンとしたようだった。
「レトポーフっしょ。それがどうしたけ?」
「強く…………――強くなりたいんだ。今すぐに」
一番にルーダが求めているものがここにある。
黄昏に到達するために障害となるあらゆるものを打ち破れる魔導の腕。シックの助けを借りなくてもひとりで立てる勇気。
パレニーに師事すれば短期間で得られるかもしれない。
「悪いけど師匠はいろいろやる気なくして隠居してるっしょ。怠惰を極めるとか言い出してるけ、あれはもう弟子とか面倒なモンは取る気ないけ」
ぴろぴろと手を振ってナルがあっさりとルーダの希望を打ち砕く。
「諦めるっしょ。あの人はもう人に会うのも面倒くさがるほど怠惰になってきとるけ。そのうち息するのも面倒だとか言いそう」
「そ……そっか…………」
肩を落とすルーダに、申し訳なさそうな顔をしてナルが肩に手を置いた。
「まぁまぁ、そう落ち込むこと――……んん? ん~~~……?」
「え、な、なに?」
慰めの言葉をかけている途中でいきなり顔を近づけてきたナルに驚いて腰を引く。構わず顔を近づけてきていたナルだったが、顔を引きつらせているルーダに気付いてパッと離れてくれた。
何かを考えるように腕を組んで、右に頭を傾け左に頭を傾け、しばらく何やら考え込んでからナルは組んでいた腕を解いた。
「前は気付かなかったけーど、キミから特異な魔力が感じられるっしょ。キミの魔力じゃないよーだけーど……キミ、連れがいるけ?」
「う、うん。2人いるけど」
「その魔力、良くない感じがするけ」
それまで笑顔だったナルが急に真面目な顔をして言うものだから、ルーダの中にジワリと染み出すようにして不安が広がった。
「勘違いじゃない?」
半ば願望のように尋ねる。
途端にムッとしたようにナルの唇の先が尖った。
「ナルちゃんを馬鹿にするなと言いたいっしょ。その魔力は誰にとっても良くないっしょ」
「良くないって言われても何がどう良くないのかよくわからないし……それに、だったら帝国の軍人たちの魔力は? 彼らはたくさん罪のない命を奪ってるよ?」
反撃のつもりで問いを重ねる。たとえ闇市広場の中でも、どこで帝国の軍人が目を光らせているかわからないため小声で。
きょとっと目を瞬かせたナルだったが、すぐに気を取り戻したように小さく笑った。
「少しも危険じゃなーい。人を殺したのは魔力じゃなくて彼らの意思。魔力はそのために利用されただけに過ぎないっしょ。けーど、感じる魔力はそれ自体で他者を害する危険性があるけ」
気圧されるようにしてルーダは後退った。
こくんと喉を鳴らす。
残り香のような他人の魔力からそこまで断言できるほどに分析してしまうナルの力量に慄き、そして告げられた内容にまた心は震えた。それが真実かどうかはともかくとして。
「ん~…………黄昏関係っしょ? キミの近くにいる良くない魔力の持ち主」
ぎょっとした。
脳裏に浮かんだのはエリスの姿。
驚愕は表情に出たのだろう、急激に温度を下げるようにナルの目が細くなった。
「師匠のパシリは適当に済ますつもりだったけー、そうもいかんなってきたっしょ」
ナルが横に腕を振る。
ルーダはまた気圧されるように数歩を後退った。
「黄昏は日の目に晒すなと師匠は言うたけ。悪いけど阻止させてもらうっしょ」
「こ、こんなところで騒ぎを起こす気なの?!」
長い袖の下に隠れていたブレスレットが鈍色の光を放つ。
ただの装飾品には見えなかった。それ自体が力を持つ魔武器の類であろうと、そのブレスレットから感じる魔力でわかった。
「あたいも師匠と同じで面倒なことは嫌っしょ。けーど、明らかに良くない魔力を見て見過ごせるほど薄情でもないっしょ」
言い終わるとすぐにナルの口が小さく動いた。何事かつぶやいたのは見えたが、それはルーダの耳にまでは届かなかった。
ただ直感的にわかる。それは何かの詠唱だ。
本能に従い身構える。
ふと瞬きした刹那にナルの腕のブレスレットが消えていた。代わりに手の中に先ほどまではなかったはずのステッキがある。
一瞬、なにが起きたかわからずにルーダの思考はフリーズした。
「今ここで争う気はないけ。帝国領内で騒ぎを起こしたら厄介だーかーらー」
ナルの手の中でクルクルとステッキが回される。
ハッとしたようにルーダはナルの顔を見つめた。
「いったん引かせてもらうっしょ。こっちにも準備が必要だから」
弄ばれていたステッキがその動きを止めた。
ステッキの先が地面を叩く。ぐにゃりと変形するようにしてナルの影が歪んだ。
「ばーい」
明るい笑顔を見せてナルが手を振ってみせる。ルーダはとても手を振り返す気にはなれなかった。
ただ呆気に取られているうちに歪んだ影の中に徐々にナルの体が沈んでいっているのに気が付いた。原理はよくわからないので恐らくは魔導の類だろうが、混乱と呆然に同時に襲われている今のルーダにはどうという反応も示せなかった。
はふ、と気の抜けた息を吐く。
嵐が去ったような脱力感だけが残っていた。
騒ぎになっていただろうかと周囲を確認してみる。幸いにしてあの程度で行き交う人々の注目を集めることはなかったらしい。闇市広場では何事もなかったように時が流れていた。
なんとなく手持ちぶさたな気分に陥って頭をかく。
ナルに言われたことは何一つ理解することはできなかったが、ルーダの胸に一抹の不安を呼び込んだことだけは確かだった。
(黄昏は、どんな願いでも叶えてくれるものじゃないの?)
もしかしたらでたらめを吹き込まれたのかもしれない。
もしかしたらエリスのことではなくナンパ騎士シックのことを指しているのかもしれない。
もしかしたらナルの勘違いだったのかもしれない。
自分に都合の良い可能性を列挙してみても、どうしたところで結局は確たる証拠を得られない限りは不安が消えることはなかった。
またため息をひとつ。
気落ちした気分のまま歩きだす。
引き返そうとしていたことも忘れて闇市広場を直進していたことに気付いたのは、進行方向から言い争う声が聞こえてきてからだった。
「離せよこのやろう!」
「黙れ下民が!」
はたと足を止める。
多くもなければ少なくもない人通りの中、ぽっかりと穴が開いたように人の少ない区画があった。いるのは年若い軍服に身を包んだ男性と、その軍人に首根っこをつかまれ宙づり状態となっている少年の2人だけ。
「おまえらがエリーの似顔絵なんか配ってるからいけねーんだ!」
犬歯を剥き出しにして少年が吠える。軍人を睨む表情には、この位置からでも怒りに満ち溢れていることがわかった。
状況はわからない。わからないが、少年が非常に危うい行為をしていることはすぐに察することができた。
帝国領内で軍人に逆らうことは命を捨てることに等しい。たとえそれが年端もいかない子供だろうと例外はない。
心臓が早鐘を打つ。息苦しさに目をそむけたくなった。
震える右手が左腕をつかむ。ゆったりとした袖の下、そこには隠すようにして鞭が巻きつけてあった。
脳内で自問の声が聞こえてくる。
――見ず知らずの少年のために帝国領内で軍人に立て突くのか?
ぎゅうっと左腕をつかむ手に力がこもる。
「またエリーをだまして悪さするつもりなんだろ! そんなのおれがゆるさねーぞ!!」
喉に詰まった空気の塊をハッと吐き出す。
ルーダはしなる鞭の狙いを軍人の足に定めた。
「ぐおっ?!」
軍人の足首に巻き付いた鞭がすくいあげるようにして軍人の体勢を崩す。同時に駆け出していたルーダは、足を取られて派手に転倒した軍人の手から放り捨てられた少年をギリギリのところで受け止めた。
遅れて波紋が広がるようにしてワッとどよめきの声が聞こえてきた。
耳の奥でどくどくとうるさい。
やってしまったことに後悔はしていなくても、幼いころから植えつけられてきた恐怖心は体の震えを止めてくれなかった。
「――俺の記憶では、別れる前に騒ぎだけは起こすなとエリスに忠告されたはずだが」
ぴくんと聴覚が声を捉える。
振り返ろうとしたルーダの頭は背後から誰かに優しく叩かれた。
「ま、君がやらなければ俺がやっていたけどな」
促されるままに腕の中の少年を地に下ろす。
細かく震えるルーダの肩に手を置いて涼しく微笑むシックのおかげで、徐々にだが体を強張らせていた力が抜けていった。
「俺の場合はもっとスマートな方法を取ったが、君にしては勇気のある行動だった。君は震えるのではなく自分を褒めるべきだ」
言いながら足元に落ちていた紙切れをシックが拾う。
いつも軽口ばかり叩いてエリスに呆れられているのに、渡される言葉はすとんと心に落ちてきて落ち着きを取り戻す助けになってくれた。
「少年、エリーがどうと言っていたが君の言うエリーとはこの子のことか?」
拾い上げた紙切れを掲げながらシックが少年に声をかける。
覗きこんでみると、人懐っこそうに笑っているエリスの似顔絵がでかでかとプリントされていた。ひと目でそれが手配書であることがわかる。『Alive Only』の表記だけが唯一の安心材料だった。
「えう、えと……」
驚愕から目を丸くするルーダをよそに、急に声をかけられてキョトンとしていた少年が戸惑いつつもこくんと頷いた。
「兄ちゃん、エリーの知り合いか?」
探るような眼差しをシックに向けて今度は少年が問い返す。
安心させるようにしてシックが優しく微笑んだ。
「ああ。彼女を支える仲間だ」
目線を合わせるためにか、しゃがみ込んで、シック。
視界の端で何かが動いたような気がして視線を移動する。先ほど思いっきり間抜けに転倒させた軍人が、恥じるように顔を真っ赤にさせてちょうど立ち上がったところだった。
「貴様! 軍人相手に手を上げて五体満足でいられると思うな!」
よく通る大声が闇市広場に響いた。
いくら違法地帯だとは言え一市民のいる往来で、躊躇なく軍刀を引き抜いた軍人が血走った目をルーダに向ける。
しまっていなかった鞭はまだルーダに握られ、だらしなく肢体を地面に転がしていた。
これがなければまだ素知らぬふりを通せたかもしれなかったが――可能性は極めて低いが――、物的証拠は今まさにルーダの手の中にあった。
覚悟はしていたがいささか急すぎる展開に再び体は震えに襲われる。
「こっち!」
息を吸い込んだ軍人が――また何か言おうとしていたのだろう――差し込まれた少年の声に阻まれて動きを止める。
駆け出した少年に気付くと、ルーダも二もなく駆け出した。
「逃がすか!!」
背後から軍人の声が追いかけてくる。ピィーっと甲高く鳴り響く警笛の音が尾を引いてルーダの背中を刺し貫こうとしているような錯覚に襲われた。
――怖い。
――怖い!
――怖いっ!!
軍人に対する恐怖心がいたずらに膨れ上がる。
恐慌状態に陥った脳が、いつ声帯を震わせて叫ばせる命令を下してくるかわからなかった。だから走りながら両手で口を塞ぐ。息苦しくてもそちらのほうが安全であるような気がした。




