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15 - 毒のナイフが臓腑を汚す

 漁っていた旅行かばんの中からなぜか未開封のワインが発掘されたことに呆れていいものかどうか悩んでいる間に、背を向けていた方向から小さくドアが閉まる音が耳に届いた。


「…………いいのか?」

「なにがよ」


 見たことのない銘柄のワインを興味深そうに眺めながら問うシックに、ぶすっとした声音でエリスが返す。わかりやすく不機嫌な様子を晒しているエリスの態度にシックは苦笑をにじませた。

 普段からこれくらいわかりやすい態度を取っていてくれたらいいのに、とは思いつつも口に出しては言わなかった。張り合いがなくなってはつまらない。


「君が話してくれた魔にルーダが手傷を負わされるかもしれない」

「放っておけばいいのよ。子供じゃないんだから。自分が決めたことなら、責任を取るのは自分しかいないわ」

 突き放した言い方ではあった。不満を表に出していなければ淡白な冷たい人間だと判断されていただろう。

 機嫌を悪くしているということは、心配しているということ。本心では言葉通りに放っておきたいのに、裏庭に向かったルーダのことが心配だから完全に突き放したままではいられない。だけど意地が邪魔して見に行くことすらできない。

 可愛い性格だと思う。


 シックは隠れるでもなく苦笑して立ち上がった。追いかけてくる視線に気づいたが、それには気付かないふりを。シックはラドとルーダが向かった裏庭へと続くドアに足を向けた。

 荷物を漁るエリスの頭をいちべつする。

 裏庭にルーダの様子を見に行っただけでも彼女の機嫌を悪くする原因になるだろうか――なるだろう。確信を持って言える。エリスはそういう女だ。

 拗ねさせるのもそれはそれで面白いかもしれない。

 くくっと喉の奥で笑い、シックは裏庭へと向かった。


 ドアを開ける前に外の気配を探る。感じる気配はひとり分だった。疑問には思ったが、先ほどラドが空間を渡る魔導を扱えることを聞いていたのを思い出すとすぐに納得できた。あいさつせずに帰ったのだろう。だとしたらこの気配はルーダのものということになる。


 ゆっくりとドアノブを回す。

 いつの間にかすっかりと太陽の沈んだ外は暗く、控えめに鳴く虫の声が静けさの中で心地よく響いた。

 開いた隙間から滑り込ませるように体を室外へと運ぶ。

 剥き出しの岩肌を目線でなぞり、雑草が伸び放題となっている畑らしきもの、井戸、と確認してからルーダに目を移した。


 泣いているのだろう。鼻をすする音で察する。

 これが女性ならば口説くチャンスとなるが、相手は男、しかもルーダだ。積極的に関わりたいと思える心躍るイベントではない。


「――……おい、ルーダ」

 短い黙考の後に声をかける。

 こういうときに変に気を使っても互いに気まずくなるだけだ。女性ならば慰め方も何通りか考えるが、やはり相手が男だとそんな気力もなくなる。

 ぴくんと肩を震わせ大きく鼻をすする音を響かせてから、ルーダは振り返ってきた。


「愛しの女性には会えたか?」

「あ……ん、…………」

 歯切れ悪いルーダの返事。


 一体誰を見たのか――詮索したところでシックに得があるとは思えない。だからシックはそれ以上の問いは発しなかった。

 のろのろとした足取りで戻ってくるルーダを確認して小屋へと戻る。


 荷物漁りに飽きてしまったのか、荷物に埋もれるようにして突っ伏しているエリスを見てシックはまた苦笑をもらした。へそを曲げた末の態度ならばこれほど斜め上な面白さはない。

 今なら背後から抱き締められるのではないかと思い、シックは足音を忍ばせてエリスの背後へと歩み寄っていった。


「……――――いいわよ、どうせ願いが叶えられるのはたった一人なんだから。黄昏に近づけばみんな不幸になるんだから」


 ぶつぶつと恨み事のように吐き出されている言葉を聞きつつ足を止める。

 背後にシックが立っていることに気づかぬまま、エリスは続けた。


「契約がある以上、バーリハーが一番有力、か…………」


 バーリハー。口の中で反芻する。その名が示す者が誰なのかはすぐに思い至った。

 反射的にシックは背後を振り返った。

 ルーダはまだ戻ってきていない。

 ほっと体から力を抜いてエリスに向き直る。なおもぶつぶつと続けているエリスの後頭部を眺めながらシックは口を開いた。


「周りを確認もせずに随分と大胆な発言をするな。バーリハーという名は魔の王の名だと記憶しているが?」

 驚かすつもりで声をかけたが、予想に反してエリスの反応は薄かった。

 荷物に埋もれたままちらりと視線を寄こし、すぐに興味を失ったように再び荷物に顔をうずめる。これもまた黙殺されるのだろう。


 呆れたように息を吐いてエリスの隣で膝を曲げてしゃがみ込んだ。

「…………驚かないのね」

 荷物漁りを再開させようとしていたシックはその手を止めてエリスに目を向けた。相変わらず荷物に埋もれたまま――荷物を漁るのに非常に邪魔だ――、寝言のようにぼそりとした声音で話しかけてくる。

 どうやら今回はごまかさないらしい。

 意外ではあったが、特に驚くべきことでもなかった。


「それとももう知ってた?」

 ドアが開く音が聞こえて振り返る。外で見たときは暗い表情をしていたルーダが、幾分かマシな顔色になって小屋に入ってきていた。

「可能性のひとつとして考えていた。君が魔とつながりがあるかもしれないと。それが魔の王だとは思わなかったけどね」

 視線を戻しながら告げる。


「…………2年前に偶然ね。……契約結んだの」

 エリスの表情は窺えなかった。


 白状された事実でいくつかの疑問が答えを得る――樹林で魔の王バーリハーが現れた理由。すぐにバーリハーが退いた理由。ルーンスポットに近づけないエリスの知り合いの正体。そして、監獄で魔が来ると発言した理由。そのすべてがバーリハーと契約を結んでいたから、で説明がつく。

 もっとも、エリスの話す内容が本当に真実であるかどうかを見極めることはできなかった。彼女は平気な顔をして嘘を付ける度胸を持っている。

 が、疑ったところで栓のないこと。

 少し考えた後に、シックはエリスの話が真実であることを前提にして会話を続けた。


「偶然で出会えるような相手じゃないだろ。仮にも王だ」

「ブラスノルカ島に潜入した。黄昏の手掛かりがあると思ったから。島の一番奥に潜入したときに会ったの」

「あの島に? あそこは王の住まう原初の魔の領域だ。そんなところに君ひとりで潜入したと?」

「私にとっては危険じゃない」

「どういうことだ?」

「それは秘密」

「なら契約とは? 鍵とやらを引き渡す契約でもしたのか?」


 矢継ぎ早に問いをぶつけると、ようやくエリスは荷物に埋めていた顔を上げた。

「少し違う。鍵は……」

 苦い顔をしてエリスはそこで言葉を止めた。

 言うか言うまいか迷っているのか――垂れていたエリスの手が胸元をつかんだ。

 雰囲気で悟る。このまま何もアクションを取らなければ、またはぐらかされてだんまりに入る。


「鍵は……なんだ?」

 エリスの目が泳ぐ。

 尋問ではないが、シックのやっている行為はリドルと何も変わらないのかもしれない――なんて思った。

 精神的に責められた後での問いかけはフェアではないだろう。

 質問を撤回しようとシックが口を開きかけたところで、先にエリスが口を開いてしまった。


「鍵はやがて夢喰い人となる。夢喰い人は我を覚醒させられる唯一の存在。役目を終えた夢喰い人は我が都へと導かれる」


 いつか聞いたときと同じく、詩歌をそらんじるように口にするそれにシックは耳を傾けた。

「昔、冒険家の間で話題になった黄昏の記述の一文よ」

「前に聞かせてもらったものもそうだが、曖昧で抽象的な内容で意味が不明確だな」

 話を継続しようか迷ったのは一瞬だった。核心に近づくとすぐにはぐらかすエリスが話す気になっている今を見逃す手はない。


 エリスの語った黄昏の記述を反駁しながら立ち上がる。

 それが黄昏に関することならばルーダも聞いておくべきだろうとシックは考えた。

 肉を焼いているルーダを振り返り、未だしゃがみ込んだままのエリスに視線だけでカウンターに戻ることを促す。了承するようにうなずいたエリスが、先ほどルーダを見に行く前にシックが発掘していたワインを片手にシックの後を追ってカウンター席に着いた。


「何かヒントはないのか?」

「ヒントって言うか、実はその謎はもう解決してるの。まぁ、教えないけど」

 慣れた様子でワインの栓を開けようとしているエリスの手からワインを取り上げる。怪訝そうな顔をするエリスは無視して、いつものようにニヤニヤ笑いながら顔を覗き込むと、面白いように不機嫌そうに顔をしかめられた。


「意地の悪いことを言わずに教えてくれてもいいものを。なぁ、ルーダも知りたいだろ?」

「へ? あ、ん、うん、……そうだね?」

「いきなり話振った相手に同意を求めるのってルール違反じゃない?」

「そんなルールがあったなんて知らなかったな。今度から気を付けるよ」

「いちいち腹立つわね、あんた」


 わざとらしく言って笑うシックを半眼で睨みつけて、エリスが陰険に唸った。

 愉快なエリスの反応を楽しみながら、先ほどエリスが聞かせてくれた黄昏の記述を脳裏に描く。曖昧で抽象的な内容ではあったが、抽象的であることを踏まえて考えれば複雑な内容でもなかった。


「なら俺なりの解釈が合っているかどうかを答えるくらいはしてくれるか?」

 エリスが肩をすくめる。

 了承の合図と取ってシックは脳内で整理した言葉を舌に乗せた。


「鍵、というのは君が持っている黄昏に関する重要なアイテムのことを指す。その鍵はそれ単体では黄昏……正式にはトワイライト・ストーンと呼ばれる、人魔の戦争の引き金にもなった未知の存在に作用しない」

「当たらずとも遠からず」

 期待していた結果ではなかったが、落胆する結果でもない。

 とりあえずは満足してシックは続けた。


「鍵の役割は夢喰い人を作り出す、あるいは選出すること。夢喰い人は我を覚醒させられる、という記述の中の我とは黄昏のことを指し、黄昏に対してなんらかの影響を及ぼすのは鍵によって夢喰い人となった存在。そして夢喰い人は役目を終えた後に楽園に招待される、と」

 エリスからの反応はなかった。

 寸分違わず合っているなどと都合の良い解釈をするつもりはないが、完全に的外れだったというわけでもないと勝手に思い込むことにする。


 片面を焼き終えた肉を裏返しながらルーダが不可解そうに顔をしかめた。

「夢喰い人って何?」

「言葉通りに受け取るなら夢を喰らう人物だろ。事あるごとに不幸になると脅してくる誰かを信じるならば、人の夢を喰いつぶし不幸を引き起こす人物といったところか」

 言いながらエリスに目を向けると、不機嫌そうに眉をしかめて顔を逸らされてしまった。


「夢を食べるって……バクみたいなってこと?」

「いや、黄昏が願いを叶える性質を持っていることを考えると、喰われるのは希望や願望」

 脅すつもりで言ったわけではなかったが、面白いようにルーダの表情が不安そうに歪んだ。

 助けを求めるようにエリスを見るルーダの視線を追ってシックもエリスに視線を向ける。

 頬杖を突いてそっぽを向いていたエリスが、2人の視線を受けて仕方がなさそうにため息をついた。


「夢喰い人は夢を喰う側じゃなくて喰われる側。この世でたったひとりだけ、黄昏に辿り着いても夢を叶えてもらえない人……それが夢喰い人」

「うわぁ……それが本当なら夢喰い人にだけは絶対になりたくないね」

 訂正を入れるエリスの言葉でホッとした表情を浮かべて、ルーダ。

 不安をなくしたルーダと同じく安心することはできず、難しそうにシックは眉根を寄せた。


「既に存在しているのか? その夢喰い人という存在は」

 エリスの目が逃げる。伏せられた目はまつ毛に隠されて見えなくなった。

 しかしそれも短い間だけ。瞬きを数回する頃にはエリスの顔には、人を挑発する笑みが張り付いていた。


「わ・た・し」


 明るく告白するエリスに、やはりと納得する。

 ぎょっとしているルーダをしり目にエリスに顔を近づけると、ふっとエリスの顔から笑みが消えた。逃げはしなかったが、拒絶の意志だけは読み取れる。

 近くで見据えるエリスの碧玉の瞳に動揺はなかった。

 その事実を告白することを、旅をする前にでも決めていたのだろうか。


「夢喰い人だから黄昏の在り処を知っていたわけだな」

「ええ」

「自ら望んで夢喰い人になったのか?」

「まさか」

 返答は短いが会話を終わらせようとする意志は見られない。

 少なからずシックは迷った。


 ――どこまで踏み込んでいい?

 男女の駆け引きにも似た感覚だ。下手を打てばエリスは立ち去るか、完全に心を閉ざすだろう。


「自分の夢が叶わないってわかってて他人のために案内人なんてできるの?」

 睨み合う――と見つめ合うの中間のような――2人に割って入ってルーダが純粋な問いを口にする。

 エリスの視線がルーダに向いたのを契機に、シックも一時体勢を整えるつもりでエリスに近づけていた顔を引いた。


「夢を捨てるつもりはないわ。あんたらを護衛に雇ってる今の状態は、私にとっても誰にとってもベストなの」

「で、でも夢喰い人の夢は叶わないって」

 そこまで口にしてから、言葉を詰まらせるようにしてルーダは黙った。

 エリスは言った。望んで夢喰い人になったわけではないと。その上で言う。夢を捨てるつもりはないのだと。誰にとってもベストなのだと。

 それらの言葉からシックは腑に落ちない気分しか味わえなかった。


「本当にそれで君は幸せか?」

 感情が疑問を紡ぐ。

「誰にとっても幸せなことよ」

「他人はどうでもいい。君が幸せなのかどうかを聞いてる。君が幸せになれないのならこの旅に意味はないだろ?」

「あら、私にとってもベストだって言ったの聞こえなかった?」

「ベストと幸せがイコールするとは思えない。君自身が言ったことだ。黄昏に近づけば不幸になる。鍵に近づいてもそうだと」

 言うシックの言葉を聞いてエリスが顔をしかめる。

「私が幸せになるかどうかなんてあんたには関係ないでしょ?」

 指摘されて気付く。


 確かにシックにとってみれば、エリスは黄昏に辿り着くためのただの案内人であって、彼女が幸せになろうが不幸になろうが関係のないことだ。自身が極度の女好きであることを踏まえれば多少気にかけることに不思議はないが、揚げ足を取るようにして詰め寄るほどのことではない。


「他人の夢を叶えるために危険な案内人なんてやる意味あるの?」

 黙り込んだシックの言葉を継ぐようにルーダが問いかける。

 エリスは不快そうに眉根を寄せた。


「意味がなきゃ行動しちゃいけないの? 夢喰い人になったのは私の意志じゃなかったけど、それ以外は全部私の意志よ。誰かに強制されてやってるわけじゃない」

「確かに君は命令されて動くタイプではない」

「わかってるじゃない。そうなの。始まりは不本意だったかもしれないけど、今ここに私がいることは私自身が望んだこと」

 自身の胸に手を当て断言するエリスの言葉に嘘はないように思えた。


 どこかしっくりこない妙なむず痒さを感じながらも、一応は納得できた証を提示するように先ほど取り上げたワインをエリスに返す。パッと弾かれたようにエリスの表情が明るくなった。

 慣れた手つきでワインの栓を抜くエリスの横顔を眺めながら、飲み惜しみをしていたグラスに残っていた銘酒『閻魔殺し』を一気にあおる。くらっとふらつく度数でありながら驚くほどに口当たりが良い。


「それが飲み終わったら今度はこっちよ。どんどん飲みなさい」

 名残惜しく空になったグラスを見つめていたシックに気付いたのか、栓を開けたばかりのワインが空のグラスに注がれる。

 紅が鮮やかな濃厚なロゼワインがグラスを満たす。バラの花のような甘くフルーティーな香りが、なんとも言えず食欲をそそった。


「俺を酔わせてどうするつもりだ? 夜の相手なら酔わせなくてもしてやれるが?」

「飲み比べで私に勝ってから言ってちょうだい」

「へぇ~、つまり飲み比べに勝てたら君を抱いてもいいわけか」

「あら、このエリス様に勝てるつもりでいるの?」

「もちろん」


 挑発的なエリスの眼差しを見返しにこりと微笑む。

 顔は笑っていながらも、両者の間に目に見えぬ火花が散っているのがわかった。

「ほどほどにしときなよー」

 呆れたルーダの声を契機に、シックとエリスの飲み比べ勝負が始まった。


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