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12 - チョコレートの弾丸で貫け

今さらだけど、タイトルは割と適当です

 髪先から滴り落ちた雫が水面に波紋を広げる。水面に映り込んだ自分の顔は、時に自分でも呆れるほどに自信に満ちた表情を作っていた。もう少しくらい謙虚に生きたほうが他人からの好感度は上がるかもしれないが、自然にしてしまう表情を意識して変えるのも難しいものだ。

 水面をかき混ぜて映り込んだ顔を消す。


 空を覆っていた雲は未だ空を隠したまま、陰気な空模様を見せていた。

 昨晩、監獄を脱した後、帝国のホバーを失敬していたラドと合流して無事に帝国の軍人から逃れることができた。国境の村へと戻ることもできなかったため、ラドの案内でルーンスポットでもあるオアシスに辿り着いたのは東の空が白み始めてきた頃だ。それから一睡もしていない。

 体に疲労は溜まっている。しかし頭が冴えて脳が眠ってくれない。


 頭を振って水滴を払う。完全に払いきれなかった水滴が首筋を伝って服の中へと浸透してきた。気持ち悪いがそのうち乾くだろう。

 振り返る。火の消えた焚き火の近くで、ラドと並んで眠っているエリスが目に留まった。


 彼女はいったいなんだろう。


 監獄内で考えたことを再び考える。

 エリスはいったいなんなのだろう。

 答えの得られない疑問は解決するどころか、ますます謎を深めていくばかりだった。


 謎と言えばそうだ。なぜエリスはあのとき魔が攻め入ってくるとわかったのだろう。エリス救出に神経を集中させていたからとはいえ、シックでもその気配に気づかなかったというのに。

(一筋縄ではいかないか)

 胸中で嘆いて体を砂の上に投げ出す。

 問い詰めるにしても、今は避けたほうがいいだろう。リドルからあれだけの拷問を受けた後だ。精神的に追い詰められている女性をなじるようなやり方をシックは好まなかった。仮にやろうと思ってもラドとルーダに妨害されることは目に見えている。


「惚れさせるのが一番の近道だな」

 極論を口にしてから手を突いて立ち上がる。


 未だ眠りの淵から目覚めないエリスの寝顔を見下ろして、無意識からシックは舌を打っていた。腹の底にわだかまるもやもやを処理しきれない苛立ちがある。

 我ながら『らしくない』と思う。

 焦っているのだ。自覚はある。

 シックは苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべて頭をかいた。


 砂の上に横たわるエリスの傍へと近づき膝を折る。ラドがいろいろとしてくれたのか、汚れや血は付着していなかった。剥き出しの肌に見える青あざまではどうすることもできなかったようだが、昨夜の状態よりはよっぽどましだった。

 指の背でエリスの頬を撫でる。

 反応はない。どうやら深い眠りの中にあるらしい。

 失礼、と小さく口にしてからエリスの膝裏と背中に手を差し込み抱き上げる。昨夜も思ったが、驚くほどにエリスは軽かった。


 周囲を見渡しホバーを探す。

 帝国のシンボルマークが側面に描かれたホバーにいい印象は抱けなかったが、今はそれしか移動手段がないのだから我慢しなければならない。さすがにエリスを抱えたまま砂漠を縦断する気力と体力はなかった。


 ホバーの中に移動させたエリスの顔を見下ろしまた頬を撫でる。

 やはり反応はなかった。

 何か言えばすぐに反応してきたエリスを思うと、物足りなさが湧いた。

 触れようとすれば逐一手を叩き落とされていたのに、今はこんなにも簡単に触れられてしまう。

 シックは大きくため息を吐いた。


「ルーダ、起きろ。出発するぞ」

 抱いた不満を発散するようにルーダを蹴転がす。

 むにゃむにゃと言葉になりきっていない寝言を口にしながらも、意外にもすんなりとルーダが体を起こした。目は開いていなかったが意識は浮上しているようだ。


「んー……」

 瞼をこすりながらのそりと起き上がったルーダが大きくあくびを漏らす。

 不本意ではあるが、出発の準備はシックひとりでやるしかないらしい。ルーダの目が完全に覚めるまで悠長に待っている時間は――帝国の軍人が探しに来ないとは限らないのだ――なかった。

 ホバーの中に無造作に転がされている水筒を手にオアシスに向かう。砂漠で水を失うことほど恐ろしいことはない。


「あれ? 2人は?」

 顔を洗ったルーダがまだ眠そうな顔を周囲に巡らせる。

「エリスはホバーに移動させた。ラドはまだそこで寝ている」

 水筒にオアシスの水を汲みながら答える。


 ぱちくりと目を瞬かせてルーダが驚いた表情を見せた。その反応はシックの予想していたものとは異なる。逆に怪訝気にルーダから視線を外すと、先ほどまでそこに転がっていたはずのラドの姿がなくなっていた。

 ぎょっとして周囲に視線を這わせる。ラドの姿はホバーの中にあった。エリスの横。

 見上げた忠誠心、というかむしろ忠犬ではないか。逆に怖くなってくる。


「すぐに出発するぞ」

「わ、あ、待って」


 ラドのことには触れずにホバーに引き返すシックを追ってルーダが駆け寄ってくる。

 水を汲んだ水筒をホバーの中に乗せ、ルーダが乗り込んだのを確認してからシックもホバーに乗り込んだ。

 日差しからエリスを守りたいのか、何やら頑張って影を作ろうとしているラドを横目に見つつホバーの操縦桿を握る。ホバーはジスターデ国の騎士団には導入されていない乗り物なので細かい操作法はわからないが、ただ動かすだけならばなんとかなるだろうと楽観的に考える。こういうことは悩んでいても仕方がない。


 操縦桿に魔力を注ぎ込む。

 ピーっと音が鳴った。


「うわ」

「な、何?」

 いきなり鳴り響いた高音にルーダも驚きの声を上げた。

「なんだこれ。どうなってるんだ?」

「何やったの?」

「普通に魔力を注いだだけだ」

「ちょっ、これエリス起きちゃうって」

「なら止めてくれ」

「ホバーの操作法なんて知らないよ!」

 一向に鳴りやまない機械音に、シックよりもルーダのほうがパニックを起こしかけていた。


 昨日のラドと同じ方法を取ったはずだったのに何が問題だったというのだろうか。

 腑に落ちない気持ちで操作パネル――何が起こるかわからないのであまり触りたくないのだが――に触れる。親切なガイダンスがあるわけでもなく、意味があるのかないのかわからない点灯をするパネルを見下ろすだけに終わった。

 覗き込んでいるルーダがわたわたとしている動きが気になってしまうのは、本能的に現実逃避したがっているせいか。

 腕を組んで考え込むシックの腕が後ろから押された。


「……――ユーザ認証に失敗してるのよ。軍用ホバーは特殊だから。ちょっとどいて」


 背後から伸びてきた手が操作パネルの上を滑る。音はほどなくして止まった。

 安堵の息を吐く気にもなれずに振り返る。


「エリス!」


 派手なバンダナ、覗く金糸の髪――いつも通りの姿のエリスだ。シックとルーダの間に立ってホバーの操作パネルに指を躍らせていた。

 驚きと喜びが織り交ざった声をルーダが上げる。

 先ほどはエリスが起きるとかなんとか騒いでいたのに、その辺りの切り替えは早いものだ。単にエリスが目を覚ましたことが嬉しいという感情が優先されただけなのかもしれない。

 なんにしろ立つ姿は安定しているし顔色も良い。身体的には回復しているようだった。

 問題は心のほうだが、そこは安易に触れていいものかどうか判断に迷う。


「もう大丈夫なの?」

「ええ、いつまでも情けない姿を晒してるほどエリス様はプライドが低くないのよ。それにここよりも休める場所を知ってるの」

「それは帝国国内か?」

「そうよ。でも帝国の奴らは知らない場所よ」


 受け答えは普通だ。変に緊張している様子もないし、いつも通りに振る舞おうと無理をしている様子もない。ごく自然に対応している。

 一時的に昨日の出来事を忘れているのか。

 試しに肩に伸ばそうとした手は、しかしそう思っただけでくたりと垂れた。


「あ、そうだ。ねぇ、どっちでもいいから宵待ちの花一輪摘んできてくれる」

「宵待ちの花? ……って、そういえば前に話してたルーンスポットの近くに咲く花のことだよね?」

「そう」


 話を聞きながらオアシスに目を向ける。以前に樹林で教えてもらった花は、水辺の近くで咲いているのをすぐに見つけることができた。

 ホバーを降りて見つけた花を一輪摘む。

 引き返してエリスに差しだすと、操作パネルの上にちょこりと飾るように置かれた。


「飾るため?」

 シックも疑問に思ったことをルーダが問う。エリスは苦笑した。

「違うわよ。砂漠は魔が多いからこれがあると便利なの」

「花と魔と何か関係が?」

「魔を遠ざけてくれるの。効果は長続きしないけど」

「そんな便利なものなの!?」

 ルーダの目が丸くなる。大げさに驚くルーダほどではないにしろ、その事実にはシックも驚いていた。


「ルーンスポットに生える花は特殊なの。でもこれは冒険家の間だけの秘密」

「なんで? それがホントならどれだけの人が魔の脅威から身を守れるかわからないのに」

 操作パネルの上を滑っていたエリスの指が止まる。顔に浮かんでいたのは苦笑だった。

「一般人に知られると根こそぎ摘まれそうだからさ。宵待ちの花はルーンスポットへの道しるべ。それがなくなったら辿り着けずに魔の餌食になる冒険家が増えるかもしれない」

 複雑そうにルーダの表情が曇った。


 エリスが口にしたことは冒険家共通の懸念事項なのだろう。

 純粋に魔から身を守りたいという考えの者ばかりではないのだ。欲深い者ならば宵待ちの花で金儲けをしようと考えても不思議ではない。

 うつむくルーダの頭をエリスが優しく撫でた。


「ルーダには優しくするのに俺には同じように接してくれないのか?」

 ひがみというよりは常々不思議に思っていた疑問が言葉を形作って声になる。

 視線もくれずにエリスは肩をすくめた。

「どうして私があんたに優しくしなきゃいけないのよ」

 素っ気なく答えるエリスの調子は以前にもまして素っ気なかった。その代わり映えのない対応に思わず笑みが漏れてしまう。


「監獄の中では素直で可愛かったのに」

 震えるようにしてエリスの表情が強張った。

 非難するようにルーダが睨んできたが、言ってしまった言葉を引っ込めることはできない。いつもの軽口として監獄の話題に触れてしまっただけで、シック自身もそのことを口にする気はなかった。

 多少の罪悪感を覚えつつもエリスの様子をうかがう。剣呑に瞼を半分下ろしたエリスがぎろりとシックを睨んだ。


「…………どこまで知った?」


 ハリネズミだと思った。全方向に針を突きだして、外敵が自分に触れるのを防ぐように。

 しかし残念ながらシックはその手の女性に対してもどう接したらいいのか知っている。伊達に女と見たらナンパして回っているわけではない。


「いろいろ、かな。どれから話して欲しい?」

 針を突きだして己を守るのならば、自ら針を引いてもらうだけ。

 泳いだエリスの目はシックを映すことを拒絶するように別の方向に向いた。

 これも防衛反応のひとつ。殻に閉じこもられるよりはマシな反応だ。


「……私と大佐の関係。…………半年前の出来事」

「ラドが口を割ってくれた範囲内だからたいしたことは知らない。……君が起きたのにラドは静かなんだな」

「私が起きたの見て安心して寝たみたい。起こさないであげてね」

 振り返ると、確かに体を丸くさせて眠りこけている。昨夜は苦く歪んでいた表情も和らいでいた。


「彼は随分と君にご執心なんだな。全身全霊で君を護ろうとしていた」

「元々私のとこの使用人だから。……あ」

 うっかり口を滑らせたとばかりに慌てたようにエリスが口を塞ぐ。その反応にシックは苦笑した。


「エリシアナ・バードランド。あのバードランド家の一人娘だそうだな。ラドから聞いたよ」

「……そう」

 短く言ってエリスが操縦桿を握る。

 魔力を得たホバーがゆっくりと浮上した。


 むっつりと黙り込むエリスの、操縦桿を握るその手に自身の手を重ねる。

 予想に違わずエリスの反応は激しかった。いや、それは拒絶と言ってもいい。今までにない強さで弾かれた手がジンジンと痛んだ。

 それでもシックは気にした様子も見せずにエリスに笑いかける。シックを見るエリスの双眸には拒絶と共に怯えの色も見えた。他人への、とりわけ男に対する怯えだ。


 ――だからどうした。


「君がどこの何者だろうと、俺は君を口説くのをやめない」


 真っ直ぐに目を見て告げる。

 怯えに歪んでいたエリスの眼が――半眼になった。


「いい加減諦めなさいよ」


 いつもの冷たさが戻った。


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