11_1 - 折られた心
脱獄に成功した監獄の内部は、複雑に入り組んだ迷路のような造りになっていた。脱獄者を逃がさないため、あるいは侵入してきた者を奥へと進ませないためにこのような複雑な造りになっているのだろう。
道理はわかるが脱獄者側としてはうっとうしいだけだ。
「どこに向かってるの?」
勘に従って迷路を駆けるシックの背後から、ルーダの声が届く。
「イイ女のいるところかな」
「真面目な回答が欲しかった!」
場合が場合でなければもっとからかい倒して遊ぶところだったが、前方の角から看守の姿を現してしまってはそちらへの対応を優先せざるを得ない。
既に抜き放ち右手に下げていた剣を握り込み、駆ける速度をさらに加速させる。
ところどころに灯されたかがり火だけが照らし出す迷路の中、看守の顔はろくに確認もできない。逆にそれはシックにとって、そして恐らくはルーダにとっても都合が良かった。
看守が出会い頭に遭遇した脱獄者に驚いている間に、脇をすり抜け剣を横薙ぎに一閃する。裂けた脇腹に血がにじむのは、暗がりの中で鮮明に確認することはできなかった。ただ手元に返ってきた感触は確かだったので、軍服だけを切り裂いたということはないはずだ。
勢いあまって転倒した看守の眼前に剣先を突き付ける。
「さてここで君に選択肢を与えよう。俺たちをリドルの元へ連れていくか、この場で死ぬか。好きなほうを選ばせてやる」
斬られた脇腹を抑える看守の顔は、暗がりのせいなのかやけに青く見えた。
軍属の人間がこの程度の脅しでまさか怖気づいているのか、国は違えど同じ軍属のシックにはにわかに信じがたい反応だった。
「そ……そこの角を右にまっすぐ行ったところに……、二階へ続く階段がある。ど、どこかの独房から行ける拷問部屋に、たぃ……大佐はいる」
抵抗する気配を見せぬまま、看守が震える指先を看守がやってきた方角へと向ける。
真実を話しているのか、嘘を話しているのか。
女性との駆け引きは得意なシックだが、そのあたりのことを見抜く力はなかった。
確認するようにルーダを見る。血がにじんでいる姿は暗がりで見えなくても、血のにおいは嗅ぎ取れてしまったのか顔をそむけてうつむいていた。
騒がれる前にここで看守にとどめを刺しておきたかったが、一応は一般人にカテゴライズされるルーダの前でそれを平然と行うことはためらわれる。
「ルーダ、行くぞ」
甘い考えだとは思いつつも、シックは看守の命を奪わずにルーダを促した。
見逃してもらえたとホッとしている看守のこめかみを剣の柄で殴打する。騒がれる危険をこのまま放置しておくこともできないのだから、昏倒されておくのが一番いい。
先に駆け出した――状態としてはその場を逃げ出したと言ったほうが適当かもしれない――ルーダを追って駆け出す。
看守の言を完全に信用することはできないが、他に手掛かりがないのだからそれに縋るしかなかった。
「…………――ルーダ! 止まれ!!」
先ほどの看守の示した通りに角を曲がろうとしていたルーダを呼びとめる。慌てたように体に急制動をかけたルーダを追い越してシックは角の壁に張り付いた。
角から奥の様子をうかがう。
派手に脱獄したのだから今さら警戒したところで遅いだろうとは思いつつ、出会い頭に襲われることだけは最低限避けたかった。
「……階段があるのは確からしい」
「じゃあ早く――」
「看守が待ち構えてる」
「いっ――」
魔導の威力を込めた魔導弾を射出する魔銃を所持して待ち構えている看守の集団に、馬鹿正直に正面から突っ込んでいくのは愚かな極みだ。自分の腕に相当自信を持っていたとしても、さすがに魔導弾をすべて回避して看守を打ち倒すのは不可能だ。
不意を突ければいいのだが、階段に続く通路に身を隠せるような物陰はない。
となれば、頼らざるを得ないのはルーダの魔導だ。
今まで見た限りでは、ルーダの魔導はそれなりの広範囲に効果をもたらす攻撃的な性質を持っている。魔導弾を跳ね返すことまではできなくても、目くらましにぐらいはなってくれるはずだ。
問題はそれが今のルーダの精神状態で可能か否か。
目配せするようにしてルーダを一瞥する。
「―――……おれに任せてみて」
どうすべきかシックが口を開く前に、決意したようにルーダが先に口を開いた。
軽く目を開く。
腹の前で握り込んだルーダの手はかすかに震えていた。
「……任せても大丈夫か?」
「拷問部屋ってさっき言ってた。急がないとエリスが……だから、やってみる」
追いつめられての決断と似ていたが、自棄になっての決断ではないと感じた。
不安がないと言えばうそになる。
それでも考える時間がもったいないとばかりに、シックは言葉もなくうなずいてルーダに答えた。どの道ルーダに頼るつもりだったのだ、説得の時間が減ったと思えばいい。
ゆっくりと深呼吸したルーダが角から躍り出る。
「トールハウリング!!」
雷鳴、と呼ぶにはあまりにも猛々しい轟音が鳴り響く。
千に砕けるように広がった雷が周囲の壁や天井、床に大きな亀裂を生じさせながら、階段の前で待ち構えていた看守たちを襲った。
しかし腐っても訓練を受けた軍人であることは変わりない。それだけで壊滅してくれるはずがない。
頃合いを見計らってシックは飛び出した。
「怯むなっ! 撃て! 撃てぇ!!」
通路はひどい状態を晒していたが、まだ原型は保っていた。壁も崩れているが穴が開いているわけではないので囚人が逃げ出すこともないだろう。
ルーダの放った雷撃によって戦闘不能に陥った看守の数は3人だった。5人中3人なのだからこれは驚くべき撃墜率だ。ルーダの力が思っていた以上に高かったのか、それとも看守たちの力が低かったのか。
指揮を執っている1人を除けば魔銃を構えている看守の数は1。十分に切り抜けられる数だった。
赤い尾を引いて――恐らくは炎の魔導が込められた魔導弾なのだろう――迫る魔導弾を、半身を捻って避ける。左腕に熱を感じたので完全には避けきれなかったのだろうが、今はその程度のことで立ち止まって相手に体勢を立て直す時間を与えるべきではない。シックは止まらずに通路を駆け抜けた。
魔銃での対応は間に合わないと見てとったのか、魔銃を構えていた看守が軍刀を引き抜く。
「クロスライトニング!」
駆けるシックの背後から迸った雷電が軍刀を構えた看守の体を貫いた。
ルーダが援護射撃をしてくれたらしい。
ふっと口角を上げて笑い、駆けるスピードを殺さずにシックは指揮を執っていた看守にタックルを喰らわせた。抵抗すらできずに――ルーダの魔導によって部下が次々に倒されたことで混乱でもしていたのだろうか――吹き飛んだ看守を組み敷いて、先ほどと同じ要領でシックは看守に剣先を突き付けて笑いかけた。
「拷問部屋の場所、知っているか? 教えてくれたら君の命を保障しよう」
「ぐっ……」
屈辱的な脅しに看守が悔しそうな呻き声を上げる。追い付いてきたルーダの顔を見ると、なお一層表情は悔しそうに歪んだ。どう贔屓目に見てもルーダは強そうに見えないのだからその反応も当然と思える。
だが今はのん気に観察をしている場合でもない。
シックは剣先を少しだけ前進させた。喉元に突き付けていた剣先がぷつりと看守の肌に傷を付ける。
一転、看守の顔が引きつった。
「に、二階を南に向かって突きあたりを左に折れた独房! そこが拷問部屋に繋がってる!」
「その言葉、本当だろうな?」
「う、嘘は言わない! 本当だ!!」
この程度の尋問であっさりと白状する看守を疑わしく思いながらも、先ほどの看守のことも踏まえて考えると、保身のためならば平気で口を割るのが彼らのやり方なのかもしれないとシックは思うことにした。深く考えるのも面倒くさい。
「辿りついたとしても、女は既に心が死んでるがな」
わずかに剣先が離れたことで看守も油断したのかもしれない。
嘲笑を含んだ言葉を吐いた看守に、シック自身ほとんど無意識のうちに看守の腹を力強く踏みつけていた。その行動に気付いたのは看守が悲鳴にも似た声を上げたからだ。
意識になかった己の行動に驚いてすぐに足を引いたが、感情が理由を補足すると再びシックは看守の腹を踏みつけていた。ただし、先ほどよりソフトに。
「俺が見る限り、あの子は早々に折れるほど弱い心の持ち主ではない」
笑いながら告げるも、トレジャーハンターとは言えただの女でしかないエリスが拷問に耐えられるほどの精神力を持っているとは思えないでいた。
「そ、そんなこと知るか! だがあの女は大佐の前ではただ怯えて震えてるだけだった。あんなつまらない女、鍵を持ってなければなんの価値もないだろう!」
「なっ!」
吐き捨てる看守の言葉に気色ばんだのはルーダのほうだった。
「勝手な都合で女性を拉致監禁したお前たちに彼女の価値がどうこう言う権利なんてない!!」
普段からあまり大きな声を出すことがないルーダだけに、怒鳴るようなその声には鬼気迫るものを感じた。
ルーダの腹の中では激情が渦巻いているのだろうか。
反するように、シックの腹の中は妙に冷えていた。
「……なら、情報を吐いたお前にもう用はない、価値のないただのごみくずと同じ」
看守と目が合った。
引きつっていた顔が見る間に青くなっていく。
引き上げた剣を、シックは勢いをつけて突きだした。
「ぎゃあ!!!」
看守が最後に悲鳴を上げた。
石畳の床に突き刺さった剣を引き抜いて、シックは前方に続く階段を見上げた。灯りのない階段は暗く不気味で、不吉を笑っているように見える。
泡を吹いて昏倒した看守をそのままに駆け出すと、すぐにルーダが追いかけてきた。
「本当に刺したかと思った」
小さくつぶいたルーダには答えなかった。
看守の発言には確かに腹が立つものが含まれていたが、シック自身もエリスのことは黄昏の在り処をなぜか知っている案内人としか思っていなかった。だから彼女にいなくなられては困るし、横からさらわれたのならば取り返す。
そう、そのはずである。
――純粋にエリスを心配して助けたいと思っているのだろうか。
自問しても冷え切った腹の中には明確なYESが見つけられない。
それでも感情は看守の発言を許してはいけないと言っていた。だからそれに従った。
無言で階段を駆け上りながらかぶりを振る。
階段を上りきった先にある二階は、迷路のような造りになっていた一階とは違い整然と独房が並んでいた。かがり火すらも焚かれていないそこはただ闇の中に沈んでいるようでもある。
そこには看守の姿どころか気配もなかった。静寂と闇だけが威圧するように広がっている。
照明となるものはないかと周囲を見渡してみても、それらしいものはどこにもなかった。
「スパークサークル」
バチバチっと何かが弾ける音が背後から聞こえて振り返る。
かざしたルーダの両の手の間に、手の平大のボールのような形状の雷球が不安定に浮いていた。
バチバチとうるさい上に触れたら火傷だけで済まなさそうではあるが、明かり代わりにするにはちょうど良い。
「ずいぶんと便利な力だな」
「一度放出したものを維持するのって結構大変なんだよ」
素直な感想を漏らすシックに不満そうにルーダの眉がハの字を描く。
苦笑するシックを横目に、先行させるようにしてルーダは雷球を前方に飛ばした。
「エリス、大丈夫かな」
駆け出すと同時、沈んだ声でルーダが呟く。
答えを求めるような響きを伴ってはいなかったが、シックはそのつぶきに返していた。
「帝国が求めているのは鍵だ。鍵の場所さえ吐かなければしばらくは生かされるさ」
「ひどいことされてないかな」
今度は答えなかった。
何も手を出されていない、と思えるほど楽観的ではない。それほど時間は経っていないので、そこまでひどい目には遭っていないだろうと祈ることしかできなかった。
エリスは強い女だ。少なくとも、この2日間接してきたエリスは弱みらしい弱みを見せなかった。それが強さとは一概に言えないが、弱みを見せまいと無理をしているようには見えなかった。
ただ時折、不安定なところは見せていた。
その不安定の原因がリドル大佐だとすれば、精神的にも肉体的にもエリスはぎりぎりなのかもしれない。
考えながら走っている間に突きあたりに出くわした。看守の話ではここを左に折れてすぐにある独房に拷問部屋へと繋がるドアがあるはずだ。
ちらりとルーダに目配せして、シックは独房のドアを蹴破った。
通路と同じく闇に閉ざされた独房内は、それでも揺れるろうそくの明かりのおかげで完全な闇には沈んでいなかった。あえかなろうそくの火がさして広くもない室内を不気味に照らし出す。
独房内は無人ではなかった。
「よくもまぁここまで侵入したものだ。褒めてやる」
抜き身の軍刀を左手に下げたリドルが部屋の中央に仁王立っていた。尊大に言葉を吐いて嘲笑を向けてくる。
リドルの背後に鉄扉が見えた。
罠でなければ、その奥にエリスが囚われているはずだ。
シックの視線が鉄扉に向いていることに気付いたのか、リドルの口元がさらにいやらしく弧を描いた。
「女はこの奥にいる。残念ながらまだ息はある」
怒りが再燃した気配が後ろから感じられた。
「返してもらおうか」
「ふん、今行ったところであの女に意識などないぞ。先ほどまで痛めつけていたからな」
「……それがどうした?」
会話をしながら考える。
腐っても帝国軍の大佐を務める男だ。ただの一騎士でしかないシックに勝ち目はあるだろうか。
思索するシックを嘲笑うように、リドルは続けた。
「あの生意気な女が怯える姿は最高だったぞ?」
ひゅんと空気を裂く音が聞こえた。
感情を煽るような言葉を投げるリドルに堪忍袋の緒が切れた音かとも思ったが、音を発した本体はシックのことなど無視したようにリドルの足元でぴしりと弾けた。
縄――いや、鞭だ。鞭の元を辿るとルーダがいた。
「ここは引き受ける。シックは早くエリスのところに」
しなやかに波打つ鞭を引き寄せてルーダが言う。
一体今までどこに隠し持っていたのか、ルーダが手にする鞭は暗がりではよく見えないがルーダの手に馴染んでいるように見えた。
「くくっ……言っても半死人が待ってるだけだ。枷を外すことも、鎖を外すこともできまい」
「クロスライトニング!」
嘲るリドルの声にルーダの怒号が応える。
迸った雷撃はリドルの背後の鉄扉を焦がした。
「シック!!」
駆け出したシックの邪魔をリドルはしなかった。横を通り過ぎるときにも何もなかった。
鉄扉の取っ手に手を駆ける。鍵がかかっているかもと危惧したが、鉄扉は意外にも呆気なく手前に動いた。ギッと鈍い音を立てて鉄扉が開く。
鞭が放つ風切り音が背後から聞こえてきた。
振り返らずに鉄扉の隙間から身を滑り込ませる。
闇に支配された室内に、あえかな光が差し込んでいた。
じゃらり、と不協和音が聞こえてくる。誰かが動いたのが気配でわかった。
「エリ――」
「鍵は、…渡さない……」
かすれて震える声を聞いて――そこここに至って初めてシックの腹の底に熱いしこりが沈んだ。
意図せず指先が震える。
「………あんたに…、二度も、殺されて、やらない……」
腹の中の臓器がじわりと熱を帯びる感覚に吐き気すら覚えた。
闇に慣れてきた目が、床に転がされた肢体のおぼろげな輪郭を捉える。
シックは足の裏から冷気がじわじわと這い上ってくるのを感じた。
駆けだしたいのに駆けだせない。縫いとめられた足がすくむ。激しい感情が爆発するのを恐れているのだと自覚していた。
はっと息を吐く。
どうしようもなく息苦しかった。
引きずるようにして右足を前に出す。一歩を進むのすら精神力を総動員しなければならなかった。
「……大丈夫だ。殺させはしない」
いつの間にか乾いていた口腔内を唾で湿らせ言葉を紡ぐ。
足先が何かを蹴飛ばした。カランと軽い音を立てて何かが転がっていく。
「やめて……もう、やめて……」
すすり泣く声が聞こえてくる。
『あんたに手に入れられる?』『魔は私を傷つけないけど』『なんの価値もない』
今までの言葉が頭の中で弾けた。
衝動が、シックの体を動かす。
垂直に振り下ろした剣は、エリスの手を拘束する鎖を両断した。散った火花が一瞬だけエリスの顔を照らす。ひどくやつれた生気のない表情だった。
「やだ……もうやだ…死にたくない………」
固く閉ざされた目からぽろぽろと涙があふれ出す。自分を守るように身を縮こませるエリスの姿はいかにも頼りなかった。
これがあのエリスだろうか。
あっけらかんとした様子で笑い、飄々とした態度で疑惑をかわし、時に不安定な感情をのぞかせていた、あの。
剣を持つ手が震えた。
全身をかきむしりたくなるような衝動が身を内側から突き破ろうとしている。
下卑た欲を隠す気もないリドルなどに心を折られてしまったエリスの姿は、見ているだけでも耐えがたかった。
「エリス、君を迎えにきた。もう怯える必要はない」
今にも壊れそうなエリスの肩に触れる。びくりと震えた後に固まったエリスの体を、思い切ってシックは抱き起した。
「やっ――!」
反射的に身を捻って暴れ出そうとするエリスの体を抱く。痛くない程度に力強く。
「大丈夫。俺が君を守るから」
涙で濡れた碧色の瞳の中にシックの姿が映り込む。
シックは安心させるように微笑みかけた。
強張っていたエリスの肩から力が抜けていく。
「にぃ…さ、ま……?」
「……あたり」
あえて否定せずにおどけるようにシックが答えると、震えるエリスの手がシックの服をつかんだ。
「……――――魔が、来る」
ずるりとエリスの手が落ちる。エリスの首が頭を支えることを放棄したようにかくっと垂れた。
慌てて口元に耳を近づけると、かすかにだが息遣いが聞こえてくる。
どうやら張りつめていた気を緩めたことで意識を失ってしまったらしい。
シックは苦笑した。
抜き身の剣を鞘に納め、エリスを横抱きに持ち上げる。
わずかに開いた鉄扉の向こう側から誰かの悲鳴が聞こえてきたのはそのときだった。




