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10 - 枯れた大地

 ※ ※ ※ ※ ※


 茜色に染まるススキの穂先を、流れる風が揺らす。幾重にも折り重なった穂先の揺れる音は潮騒のように一面を音の洪水で包んだ。

 幼い頃は溺れるような感覚に陥ったこともある。今ではその音が心地良くすら感じられた。


 黄金色の海の中を兄と共に歩く。

 シックも兄も無言だった。

 突然弟から騎士団に入りたいから家出すると告白された兄の気持ちというのもなかなか想像付きがたいものではあるが、即座に反対するでもなく無言を貫く兄の反応を待つシックの気持ちは兄にもわからないだろう。


 どちらかと言えば口の軽すぎるシックに比べ、兄は寡黙の部類に入る。

 今さら兄の沈黙に居心地の悪さを感じることはないが、反対も賛成ももらえないのは不気味だった。

 兄の横顔を盗み見る。


「うん、そうだね」


 待ち望んだ念願の兄の言葉は、残念なことにまったく意味不明だった。

「こうしようか、シック」

「うん?」

 立ち止まった兄につられてシックも足を止める。

 前方を見据えていた兄の顔に柔らかい笑みが浮かんだ。


「僕も騎士団に入るよ」

「は?」

「家のことは兄さんたちに任せておけば大丈夫。あの2人は畑仕事も好きだし、お嫁さんになる恋人もいるしね」

「え? ……えぇ!?」

「実を言うと僕もシックと同じで畑仕事は嫌いなんだ。だからシックの計画に便乗して僕も騎士団に入団しようと思うんだけどどうかな?」

「どうかなって……え? は? 本気で?」


 突飛もない発言だった。

 兄に対して家出宣言をしたシックが言えることではないかもしれないが、兄の発言は予想もしていなかったとんでもない内容だった。

 唖然とするシックの目を覗きこんで、兄が穏やかな性格に相応しい笑顔を見せる。


「シックが自分自身をちゃんと守れるようになるまで、僕がシックを守るからね」


 燃える夕日を反射する兄の瞳に囚われたように、気付いたらシックはうなずいていた。

 冷静になって考えればわかることだ。口喧嘩もできないほどに優しい兄が騎士団に入ることを自ら望むはずがなかったのだということ。家族思いの兄が親に黙って家出などできるはずがないということ。


 兄の訃報を家族に伝えた日、あの時の兄の真意を長兄から聞いた。

 あの日からシックの後悔は続いている。


 ※ ※ ※ ※ ※




 高いところから落ちる感覚、あるいは階段を踏み外した時のあの感覚――つまりは浅い眠りのときにビクッと体が痙攣するあの症状でシックは目を覚ました。なんとなく損をしたような気分を味わいつつ体を起こす。

 頭ががんがんとうるさかった。まるで何度も何度も執拗に殴りつけられたかのように。


「あ、シック」


 額に当てていた手を離す。暗い室内の隅(と言っても距離は離れていない)で膝を抱えて座り込んでいるルーダの姿が確認できた。彼には失礼かもしれないが、その体勢はよく似合っている。哀愁を漂わせているあたりなんか特に。

 肩を回す。硬い床で寝たせいか体のあちこちが痛かった。

 そこではたと疑問が生まれる。


「俺はなんで」


 続きは口にしなかった。否、できなかったと言ったほうがいい。

 先ほどから頭ががんがんとうるさいとばかり思っていたが、うるさかったのは頭などではなかった。誰かが先ほどからひっきりなしに格子を叩いていたらしい。それががんがんとうるさかった。

 誰か。ラドだ。あのいかにも頼りなさそうな後ろ姿は間違いない。


(…………格子?)

 疑問は遅れてやってきた。


 首を左右に巡らせる。どう贔屓目に見てもそこは宿屋の一室には見えなかった。ついでに言えば、仕事でない限りは生涯訪れることはないだろうと思っていた場所だった。

 つまるところ。


「監獄だよ。帝国の」


 沈んだ声で、ルーダ。

 そこここに至って、ようやくシックは自分がむさ苦しい男2人と一緒に牢に詰め込まれていることを自覚した。そしてこんな状況に陥っている経緯も同時に思い出した。

 突如として酒場になだれ込んできた帝国兵に数の暴力を受けたのだ。エリスが気を失って倒れた直後に。抵抗したから必要以上に叩きのめされた記憶がある。あのときエリスに気を取られていなければ、なだれ込んでくる帝国兵に対してもう少しましな対処のひとつでもできたはずだ。結果は変わらなかっただろうが。


「エリス……エリスは?」

 牢の中を見ても彼女のトレードマークである派手なバンダナはどこにもない。

 ルーダを見る。どこか言いにくそうに表情を歪めるルーダのその態度だけで状況は容易に予想がついた。


「向かいの牢に入れられたけど、シックが起きる少し前に連れて行かれたんだ」

「……それで、ずっとあれなのか?」

「あ、うん。一応止めたんだけど」

 エンドレスに格子を叩き続けるラドを振り仰ぐ。今の会話が聞こえていなかったはずもないのに、反応のひとつも見せていない。


 手足を軽く払って痣以外の異常がないことを確認。立ち上がる。短くもない距離、左右の足を交互に一回ずつ前に出せばラドの背後に到達することができた。

 手を伸ばし、ラドの手首をつかむ。先ほどから何度も何度も格子に叩きつけている右手。赤く腫れ上がり実に痛々しい。血すら滲んでいた。


「落ち着け」

 告げる。ラドは即座に振り返ってきた。シックを睨むために。


「エリスさんが連れて行かれたのに落ち着いてなんかいられないよ!」

「だからと言って格子を叩き続けても意味はない。それで壊れるのは格子じゃない、キミの手だ。残念ながらね」

「手なんか壊れてもいい! エリスさんを助けられるなら!」

「それは立派な男気だが、ここで体力を消耗して後で困るのはキミだ。追い詰められたときにこそ冷静になれ」


 反論はなかった。

 こちらを睨んでいたラドの目から火が消える。手首をつかんでいた手を離せば、力なく落ちた。これでしばらくは無茶なことをしないだろう。またなんのきっかけで感情に沿って暴走するかはわからないが、とりあえずは落ち着いた。

 ラドの肩を叩く。格子を背に、その場に座ってくれた。

 その隣にシックも腰を下ろす。


「ルーダ」

「ん?」

「この格子に魔導的な仕掛けはあるか?」

「ないと思うよ。魔力は感じないから」

 確認するために近づいてくるでもなく、やけにあっさりと断言してくる。いつもは頼りなさが前面に押し出されているが、魔導に関してはそれなりに頼りにしてもいいらしい。完全に信頼してもいいかどうかはまだまだ未知数ではあるが。


 手の甲で軽く格子を叩いてみる。金属特有の感触が返ってくるのみ。

「……帝国ならそういったところにも手をかけているものと思ってたが、そうでもないのか」

「たぶん逃げ出しても困らないからじゃないかな」

「うん?」

「ほら、酒場で話に出たでしょ。砂漠の中にある軍事施設。それがここだったんだ」

「ん? ……ああ、砂漠と魔を利用した金と人のかからない警備システム、か。なるほど」


 些細な疑問がひとつ解消されたことにたいした満足感は得られなかった。どうでもいいことだ。ただの格子だと判明しただけで十分だった。

 ルーダを手招く。きょとんとはされたが、問いを発するでもなく近づいてきてくれた。

「これをキミの力で破壊してくれ」

 コン、と鉄格子を叩く。言われた意味が理解できなかったのか、ルーダの沈黙は長く続いた。

 再起動したのはそれからしばらくしてから。


「いや、ムリだって」

 賛成してくれるとは思っていなかったが案の定。嘆息してかぶりを振る。


「やる前から決めつけるのはキミの悪い癖だ。何事も挑戦しなくては人生つまらない」

「決めつけてるとかじゃなくて。看守に気付かれずに壊すのはムリだって話だよ。壊すこと自体は簡単にできると思う」

 指を鳴らす。ルーダの鼻先に指を突き付けると、困惑するようにたじろがれた。

「派手にやらなくては意味がない。騒ぎを起こすんだよ、ルーダ」

 事もなげに告げた言葉に、ますます困惑するようにルーダは柳眉を下げた。助けを求めるようにラドに目を向けるも、膝を抱えて座り込んでいるラドがルーダの視線に気づくことはなかった。


「シックはもっとスマートな人だと思ってた」

「何を言ってる。俺はこんなにもスリムだぞ」

「体型の話じゃなくて」

 じと目で睨んでくるルーダに向けるのはあくまでもにこやかな笑顔。折れたのはやはりルーダのほうだった。

 肩を落としたルーダが何かもういろいろ諦めた表情をして格子に触れる。金属的な冷たさを感じながら、さて何を考えているのやら。


 立ち上がる。

 剣を取り上げられた剣帯に軽く触れ、ルーダの(恐らくやけくその)魔導に巻き込まれないように距離を取る。


「ラド」

 ふと思い出したように名を呼ぶ。膝を抱えて座り込んでいたはずなのに、いつの間にか牢の奥にいたのは気にしないことにして。


「エリスは何者だ? 帝国の軍人にいきなり連行されるような犯罪者とは言わないよな?」

「…………エリスさんは……――」

 前置きもなく投げた質問に、あからさまに迷惑そうにラドが顔を歪めた。困惑ではないところを見ると、尋ねられることは予想していたのだろう。できれば聞かれたくなかったのだろうけれど。


「エリスさんはバードランド家の一人娘だよ」


「ん?」

 頭上に疑問符が浮かぶ。

 何を告白されても驚かない覚悟はできていたはずなのに、ラドが口にした内容はすんなりと頭に入ってくることはなかった。この状況で今晩の献立を告げられていたほうが頭も理解のために働いたのだろうか。

 疑問符の数だけを増やすシックとは逆に、普通に驚いていたのはルーダだった。


「バードランドってあのバードランド? ジスターデ国でも有数の資産家の?」

「うん。かごの鳥は飽きたって言って家出してるけどエリスさんは間違いなくバードランド家の一人娘だよ。あ、エリスは愛称でフルネームはエリシアナ・バードランド」

「うそぉ!? ぅえ、だ、えっ、ぜ、全然違うよ? 前に勤めてたお屋敷で開かれた夜会に来てた人と全然違うよ?」

「エリスさん、化粧して着飾ると別人になるんだ」


 トレジャーハンターとしてのエリスしか知らないためにわかには信じがたいことだが、ラドがこの状況下で嘘をつくとも思えない。それにシック自身もバードランドの名には覚えがあった。

 バードランド家はジスターデ国内に留まらず世界的にも有名な資産家のひとつだ。以前に議員の警護で夜会の警備に付いたときに、最優先警護人物としてリストの中に入っていたことがある。結局何かしらの事情で出席していなかったのでそのときは姿を見ることができなかったが。


 正直なところ、まさか、という思いのほうが強かった。

 確かに金髪碧眼は一昔前の貴族の特徴ではあるが、一見して冒険家とわかる服装に身を包み、ときにさばさばしていると思える性格の彼女がどうして『お嬢様』に見えるだろうか。

 ――が。


 ひとしきり混乱しているルーダを手で制する。驚くのは後ででもできる。

「なかなか信じがたいことだが、それが真実だとしたらなおさら理解できない。なぜ他国の軍人に狙われている? 黄昏が関係していたとしても、良家の子女を捕えるなど帝国にとってもリスクの高いことのように思えるが」

「それは……知らないんだ。帝国の名を出すとエリスさん、すごくおびえるから。でも酒場に来てた軍人は確かリドルって人だと思う。帝国の大佐だって前にエリスさんに一度だけ紹介されたことがある」


 ふむ、と顎に手をやって考える。彼女が帝国を必要以上に警戒していることは、酒場でのやり取りである程度分かっていたことではある。が、おびえていたかと言えば、そこまでの反応は見られなかった。実際に軍人――リドルと言うらしい――を見たときには即座に失神していたので、確かにおびえてはいたのだろうが。


「以前からそうなのか?」

「ううん。少なくとも半年前までは普通だったと思う。帝国軍の総司令官と仲良いし」

「は?」

「あ、そうだ、ヨーヒ様に連絡すればいいんだ。そうすればエリスさんを助けられる!」

「ちょ、ちょっと待て。ラド、待て」


 急に目を輝かせ出したラドの首根っこをつかむ。まだ破壊活動を開始していないルーダがポカーンとアホ面をさらしている横で、再び格子を叩きだそうとし始めたラドを引きずって元の場所まで戻る。

 スイッチのオンオフが前触れもなく切り替わる人間はまったく困る。

 ――いや、そっちではなく。

 情報処理に苦慮する頭を軽く叩く。予想外の情報が予告もなしに飛び出しすぎて理解が追い付かなかった。


「エリスと帝国の総司令官は知り合いなのか?」

「うん。兄妹みたいな関係って言ったほうが正しいかな。エリスさんが兄様兄様うるさくてヨーヒ様なんて滅べばいいのにって前から思ってた」

 さりげなく悪意が込められた後半は聞き流す。なんとなくそれだけで3人の関係が知れたような気がしないでもない。


「予想していなかった情報ばかり与えられてうまく整理できそうにない。まぁいい。とにかく一度脱出しよう。エリスと総司令官とやらが知り合いだとしても、今の俺たちの状態では何もできない」

「じゃあ、とりあえず壊すね」

 嘆息して理解する作業から離脱する。


 エリスはなんなのだろう。

 格子に手をかざすルーダの姿を見据えながら浮かんだのは、変わらずその疑問だった。その疑問以外は生まれてこなかった。



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