70_3 - カーニバル3
魔導の光がぽわぽわと嫌がるように拡散する。白のマナチップを発動するたびに、マナチップは十分に威力を発揮することなく役目を放棄した。
回収されたパレニーの状態は良いとは言えない。
ルーダも経験したことだけれど、発動させた魔導がフィードバックすると、無防備な内部はずたずたに引き裂かれる。ましてやパレニーの制御力は、常に魔力を封印していなければならないほど安定していない。今も制御を失った魔力がパレニーの内部で暴れ回っているのが視てとれた。そのせいで白のマナチップも十分に効力を発揮できないでいた。
正直、生きているのが不思議なほどだ。
だけどこのまま放置していたら確実に死ぬ。パレニーという人間を構築する魔導回路が崩れかけていた。これが崩れたらラドと同じ、ヒトという形を保てなくなり、そして戻れずに暴走する。そうなったらもはや殺すしかなくなる。
なんとかしなくては。
だけどルーダにはどうすることもできなかった。他人が構築している魔導回路に介入する術など知るはずがない。
思考リンクを通してナルに呼びかけてみたけれど、通信がつながることはなかった。
ただ無為に白のマナチップだけを発動し続けるルーダの顔に影が差す。
顔を上げると、オルフェだった。
「う~ん……失敗したら液状化しちゃうけどぉ、オルフェやってみようか?」
「お願い」
考える間も開けずに即答する。
ルーダでは打てる手がないのだ。リスクがあったとしても、打てる手を持っている相手に任せなくては、パレニーが生き残る可能性はゼロのままそこから変動しない。
場を譲るために体をずらす。隣にしゃがみ込んだオルフェは、血の跡が残るパレニーの口元を指先で軽くなぞり、
「ぅひっ!?」
思わず変な声が出た。
オルフェがおもむろにパレニーの唇に自身のそれを重ねたものだから、それはもういきなりのことで目を逸らすのも遅れた。
――この状況で抵抗できない者にセクハラを働くなんて!
信頼を寄せ始めていただけに、その光景はあまりにもショッキングに過ぎた。
見損なった。やっぱりただの痴女ではないか。
「……あれ?」
気付く。
パレニーの体を構成している魔導回路が、ゆっくりとではあるけれど、安定の方向に落ち着こうとしているのが視えた。スライドパズルのように正しく組み替えられていく。
顔に熱が上ってくるのをルーダは感じた。
これは人工呼吸と同じだ。外部から干渉しても弾かれるから、口腔を通して内部へ干渉しているのだ。
それを早とちりしてセクハラだと思うなんて。オルフェはセクハラする生き物だという認識の下で彼女を見ていたということに気付いて、魔導師としても人間としても恥ずかしい。最低だ。
「うん、こんなところかなぁ」
体を起こしたオルフェが満足気に小首を傾げる。
でも、唇を離すときに口の周りを舐めとったのはセクハラだと思う。言い訳ができないほど純粋にセクハラだ。
性別を超えてすっかり枯れ果てているパレニーだろうと、誰彼所構わず色気を全面に押し出しているオルフェに唇を奪われたと知ったら、多少は何かしらの意識変化が起きるのではないだろうか、と思ったけれどパレニーだからないかな。
一回りした結論を導き出して、とりあえずルーダはこのことを黙っていることにした。ナルにはうっかりしゃべってしまうかもしれないけれど。うっかり。
それはともかくとして、パレニーはこれで安定した。発動した白のマナチップも正常に効力を発揮した。魔力回復の金平糖も口の中に突っ込んでおいたので、もう大丈夫だろう。
「ありがとう、オルフェ」
「んーん、オルフェもパル君気に入ってるから助けたかったもん」
「そっか」
これほど味方で頼もしい人はいないと改めて思う。
「でもでもぉ、邪魔だからポイしとこ。森林浴したらリフレッシュできるよね」
指が鳴らされると同時にパレニーの姿がかき消える。空間操作をしたのだろうとは思うけれど、いったいどこにポイされたのだろうか。
味方でもちょっとあれだ。ルーダはやっぱり少しだけ認識を改めた。
『エエエエエエエエエエエリリリリリリススススススススス』
頭上から黄昏色に色付いた不定形の闇が降ってくる。怨嗟の声と共に。
身構えるよりも先に、オルフェが魔力障壁を展開させた。やけに分厚いのを幾重にも。
なぜ、と思ったのは一瞬だけ。すぐに耳は障壁が砕かれる魔力の音を捉えた。それもひとつふたつではない。
「やぁん、激しい。もっと優しくしてぇ」
訪れる浮遊感。
発言がなんかもう普通にエロいオルフェによって、全員がその場から移動していた。
元いた場所を振り返れば、広がった闇に根こそぎ飲み込まれている。あの場に留まっていたら、あの召喚獣と同じ運命を辿っていたことだろう。
ゾッとしない。
右腕を上げて照準を定める。幸いにして闇は広がりきった状態だ。
「クロスライトニング!」
雷光が迸る。余計なフェイントもなく一直線に伸びた雷は、狙いから大きく外れることもなく闇を切り裂いた。
『ギニャァアアアァアアァアアア!』
悲鳴が響き渡る。思わず耳を塞いでしまうほどの大きさと激しさだ。
もがくように闇が蠢く。
『アアアアツイ! アツイイイイイィィィィ! アアアエリスエリスエリス!!』
効いている。効いてはいるのだけれど。
ちらといちべつを向ける。顔色をなくしたエリスが小さく震えているのが見えた。
これはエリスにはキツすぎる。
さりとてパレニーと同じように別の場所に送還するわけにもいかない。あの闇の狙いはエリスひとりだけなのだ。最大戦力と言ってもまだ足りないほど強力なオルフェの傍から引き離すのは自殺行為と言える。
このままやるしかない。
「オルフェ、あれもやっぱりオルフェの魔導が効かないの?」
「効くんならとっくに消してるよぉ?」
期待はしていなかった――いや、ほんの少しはしてたけど。ほんの少し。ほんの少しだけ――けれど、返ってきた答えはルーダをガッカリさせるには十分だった。
「刃物通ると思う?」
「あは、まっさかぁ」
これまたあっさりと希望を砕かれる。
うぅ、と短く唸れば、顔を覗き込んできたオルフェがにっこりと笑った。
「今この場であれに有効な攻撃をできるのはあなただけだよ?」
そんな気はしていた。
誰が想像できただろうか。数日前まで――そう、たったの数日でしかない――はお金持ちの屋敷の小間使いだったルーダが、こんな大役を任されるなんてこと。
ぶるりと体を震わせる。武者震いだ。ということにしておく。
「オルフェ」
「なぁに?」
「エリスを連れて逃げ回ってくれる?」
「いつまで?」
「準備が整うまで」
答えは聞かず、金平糖を4、5粒一気に口に含んで集中する。
傍からオルフェとエリス、2人分の気配がかき消えた。それに伴い、闇の矛先もまたこちらから外れた。
心配はしない。あのオルフェが逃げ切れないのならば、この場にいる誰であろうと逃げ切れるはずがない。それにあのオルフェが誰に対してであろうと遅れを取るとは思えなかった。
舌で転がしていた金平糖を噛み砕く。この身に満ちる魔力があふれそうなほどに回復したのがわかった。
というかあふれる。やばい。調子に乗って金平糖食べ過ぎた。
制御の手から逃れようとする魔力を逃がすまいと、我先にあふれそうになっている魔力を優先して魔導構成に組み込んでいく。ルーダの魔力とまだ馴染んでいない魔力を土台にしたせいか、魔導構成は組んだ傍から崩れて瓦解した。
いけない。焦ってはダメだ。
「ねぇ、シック」
「ん?」
「もしエリスに断られたらどうするの?」
ポカンとされた。
自分の焦りを抑えるためにどうでもいい話を振ってみたけれど、我ながら突飛なトピックを選んでしまったと思った。もっと選べる話題はあったはずなのに。
それでもシックはルーダよりもずっと大人だ。軽く肩をすくめると話に乗ってくれた。
「そうだな――」
「ぎゃっ! ちょ、や、め、きゃー!」
なんか上からエリスの悲鳴が途切れ途切れに聞こえてくる。
確認はしない。どうせオルフェの仕業だ。
シュキハがハラハラした様子で見守っているので、惨事の詳細は後になってから聞こうと思う。
ちらとそちらを見上げたシックも同じような結論に辿り着いたのか、すぐに視線を戻してきた。
「よく考えてみろ、ルーダ」
「うん?」
「断られるわけがないだろ?」
その自信がどこから来るのかパレニーなら調べてくれるだろうか。いや、魔力が絡んでいないからダメか。あの人魔導関係にしか興味を持っていないようだし。
半眼になったルーダに向けられるシックの笑顔は憎らしいくらい余裕たっぷりだった。吠え面かけばいいのにと思ってしまうことくらい許されるはずだ。
だけどおかげで焦っていた気持ちは落ち着いた。なぜか腹立たしさが新しく湧いてしまったけれど。なぜだろう。不思議。
深呼吸ひとつ。初めからこれだけをしていれば良かった。
(大丈夫。大丈夫。できる。絶対できる)
目を大きく開く。
あふれ出てしまった魔力は諦める。また補充すればいい。
それよりも大切なのは、この膨大な魔力を自身の魔力として完全に取り込むこと。丁寧に、丹念に、だけど迅速に、自身の魔力として馴染ませていく。下地をちゃんと整えなければうまくいくものもうまくいかなくなる。
「おっにさんこっちら~てっのなっるほぉ~へ」
「ちょっ! 挑発とかやめなさいよ!」
上空からは相変わらず楽しげな――楽しげだ。間違いない――声が聞こえてくる。不思議と羨ましいとは思わない。思えない。
十分に馴染ませた魔力で魔導構成を編み始める。それはかぎ針でレース編みをする心境に似ていた。
今までこんなに丁寧にかつ精緻に構成を組んだことはない。幼い頃から母の真似をして構成を編んでいたせいだろう、構成を編むという行為自体にあまり意識を向けることがなかった。
この歳になって初めて魔導構成の複雑さと奥深さを知ったような気がする。シックやシュキハが魔導を使えない理由がなんとなくわかった。これはルーダのように子供のころから慣れ親しんでいるか、よっぽど細かい作業が得意でなければ習得できる技術ではない。
魔導師に変人が多い――特に研究者――のも、これに向き合える性格だからだと今ならわかる。
「やぁん、リッちゃん腰ほそーい」
「ちょっ、と、やめなさっ」
「お胸は残念だねぇ」
「オルフェ! それは俺の特権だ!」
「違うわよ!!」
細かい作業の合間に聞こえてくる会話はひたすらカオスだった。
シックはおとなげない。女同士なのだから別にいいではないか。エリス本人はものすごく嫌がっているけれど。
「貴様ら! 破廉恥だぞ! 女性に気安く触るな!」
「えぇ~? 考え方古臭~い」
「そうだぞ、シュキハ。エリスに触れなかったら俺は死ぬ病気だからな」
「なに?! そ、そうだったのか……」
「信じんじゃないわよバカ!」
いいな、楽しそうで。
ひとり除け者にされたような気持ちを噛み締める。混ざりたいとは欠片も思わないけれど、蚊帳の外に置かれている状況もさみしい。
かと言ってそんなくだらない理由で作業を雑に進めるわけにはいかない。極力会話を耳に入れないようにして、ルーダは着々と魔導構成の完成を目指した。
体感時間としてはさほど要していない。実際どれだけ時間が経過したのかは知らない。
集中のために閉ざしていた瞼を開く。目に映る光景は変わるはずもないけれど、自身が紡いだ魔導構成が自身を中心にして展開されているのがよく視えた。
「シック、シュキハ」
上空のオルフェと共に騒ぐ2人に呼びかける。
「十分に引きつけてから、おれとエリスを抱えてここから遠ざかって」
「リョーカイ」
「承知」
詳しい作戦の説明もしていないのに、2人からは即座に了承の答えが返ってきた。信頼してくれているのだ、ルーダのすることを。先ほどはちょっとシュキハを騙したけれど、それは作戦なのだから仕方がない。
上空を見上げる。
エリスの体をまさぐってセクハラを楽しみながらも、オルフェはひょいひょいと闇をおちょくるように逃げ回っていた。怨嗟の声を振りまく闇を意識させないためのセクハラ行為だとしたら大したものだけど、あの艶々した満面の笑顔は絶対に純粋にセクハラを楽しんでいる。
彼女の指使いの巧みさを思い出して、思わず肌が粟立った。思い出しただけで寒気がする。
それはそれとして。
気を取り直してルーダは息を吸った。
「オルフェ!」
「はぁい」
呼びかけに対する返事は変わらず間延びしていた。だけど行動は実に迅速だった。
最初にエリスの姿が掻き消えた。出現先はルーダらがいる場所の少し上。急な落下感に短い悲鳴を上げるエリスを、危なげなくシックが受け止める。
次にオルフェの姿が掻き消えた。出現先は――わからない。見える範囲にはいなかった。オルフェのことだからなんの心配もしていないけれど、目に見える範囲にいないと何かされるのではないかという逆の不安が湧いてくるから不思議だ。
『アアアアアアアアエエエエエエリリリリリリススススススウウウウウウウウウウウ!』
闇がさらに広がった。
頭上が曇る。押し寄せる波のように降りくる闇を睨むように見据え、ルーダは展開させた魔導構成に魔力を点火させるタイミングをただじっと待った。シュキハの肩に担がれている最中でもただじっと。エリスとルーダを担ぐ人逆じゃないかと思わないでもないけれど。
……3……2……1……
シックとシュキハが同時に地面を蹴る。
闇はルーダが展開させた魔導構成に頭から――頭があるかどうかは知らないけれどなんかそれっぽい――突っ込んだ。
「雷迎!」
魔力を点火させる。
展開させていた魔導構成が一斉に色を持って空間に浮かび上がった。
「抱け太陽の風――プリズムプラズマ!」
悲鳴が轟いた。
魔導構成から発生した虹色の熱が闇を捕食する。貪欲に魔力を喰らい、そしてそれを放電という形で放ち対象を焼く。膨大な熱エネルギーに闇が抵抗できるはずもなく、激しく蠢き悶える闇は確実にその存在をゼロへと向かわされていた。
『ア゛ア゛ア゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ァ゛!!』
闇の断末魔が響き渡る。逃げようともがく闇を、ルーダが生み出した魔導は逃がさない。
オルフェの空間断絶による存在否定には及ばないながらも、ルーダが編み出した存在抹消の魔導。
発動の瞬間に体内からごっそりと魔力が抜けていったのがわかった。生体を維持する魔力が辛うじてこびりついている程度しか残っていない。担ぎ上げられたシュキハの肩の上で、ルーダは指先すらピクリとも動かすことができなくなっていた。
『エ゛リ゛ス゛ウ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛! ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛! ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!』
落ちそうになる意識の中、鼓膜を震わせるのは闇の声だけだった。
――もういい。
――もう黙れ。
魔力を。この後に及んでまだエリスを苛むあれを黙らせるだけの魔力を。
動かない指先を、手のひらを、腕を、動かしてシュキハの背中に爪を立てる。ぎりぎりと噛み締めた奥歯が耳の奥で不快な軋み音を上げた。
魔力を。生体を維持する魔力を。
「おやすみなさい、ママ」
虹色に放電する闇の中にポッと火が灯る。
それはルーダの魔導がまだ及んでいなかった闇を焼いた。ゆらゆらと淡く。
全身から力が抜けていく。薄れる意識に逆らわずに目を閉じながら、ルーダの口元に浮かんだのは苦笑だった。
――そうだった。ただおとなしく守られているだけの人ではなかった。
旅を始めたのが彼女なら、その旅を終わらせられるのも彼女であるべきだ。
(良かった。これで、おれも……)
体が重い。意識が黒く塗りつぶされていく。
遠くからシュキハが自分を呼ぶ声が聞こえてきたけれど、ルーダの意識が再浮上することはなかった。
夢の中で聞こえてくる。
誰かが歌う鎮魂歌が。
「ばいばい、シアちゃん。オルフェも一緒に行きたかったけど、あなたのエスコートをどうしてもしたいって男の子がいたから譲ってあげたよ。先に行ってシアちゃんを待ってるはずだから。
だからね、シアちゃん。
――――おやすみなさい」
ついに決着。
次回、エピローグ。




