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70_2 - カーニバル2

 振り下ろされた戟が地面に線を走らせる。刃が直接地面につけた跡ではない、風圧だけでこれだ。槍で受けた時に叩き壊されなかったことが逆に不思議なくらい。

 身を翻して繰り出した突きは、戟に受け流された。

 今一歩踏み出したいところだが、すぐにでも足を引いて後退する。立っていた場所を翼が穿った。

 予想はしていたことだが、ヴェザにとっては翼もまた武器のひとつなのだろう。人間を相手にするのと同じ感覚で当たっていては、思わぬところから致命傷を与えられかねない。

 やりにくい相手だ。

 だが、シュキハも伊達に長年傭兵稼業を続けていたわけではない。


 分裂したヴェザの個体数は幸いなことに2体だけ。そのうちの1体がシュキハが相手をしているこいつだ。もう1体はシックが相手をしていた。

「どちらが本物だ?」

「どちらもだ」

 ただのひとり言にヴェザが返す。さもありなんとシュキハは受け入れた。

 ラスボスは変身するものだ、という概念がヤマトにはある。第二形態は当然のことながら、第三形態まであるのが普通で、分身・分裂は謂わば第二形態に多い。変身の浪漫は巨大化にある。

 などと語ったところで同意してくれるのは恐らく兄であるトウナだけだ。彼は昔から変身ヒーロー物が大好きだった。シュキハはどちらかと言えば、戦隊もののほうが好きだったが、それが原因でよく殴り合いの喧嘩をしたものだ。


 閑話休題。


 放たれた熱光線が、オルフェが展開してくれた魔力障壁によって霧散する。障壁が防いでもなお伝わってくる熱で、皮膚がじっとりと汗ばんだ。

 完全に霧散しきったのを確認して再度飛び込む。待ち受けていたヴェザの戟の長柄と、クロスさせた槍とがせめぎ合う。

「暁の民、うぬらはなぜ生きる?」

 拮抗した睨み合いの最中にヴェザが問うてくる。

 馬鹿らしい問いだった。

 槍に体重をかけ、均衡を崩さんとするシュキハの鼻から息が抜けるようにして笑いがもれる。

「それが生物の本能だからだ」

 互いの武器を挟んだ睨み合い。今度鼻で笑ったのはヴェザのほうだった。

「うぬらが繁殖すれば繁殖するほどに、世界には歪みがあふれていく。安定は崩れていく」

「だから滅びよと?」

「理由付けがうぬらには必要なのだろう?」

 押し負けたヴェザが後ろに下がる。翼を広げられて追撃は諦めた。

 唾を吐く。

 並べられた御託に意味はないのだろう。ヴェザ本人がそう言ったように、単にこちらに合わせてそれらしい御託を用意してみた。ただそれだけだ。


「生きることがうぬらの本能ならば、終焉をもたらすことが吾が本能」

「なら、殺し合うしかないな」

 短絡的に結論に達する。ヴェザにしてもそれに異論はないようだった。

 生存本能と破壊本能。両者が相容れることは一生ない。

 突っ込んできたヴェザの、振り上げられた戟を体を反らして避けながら視線を滑らせる。

 分裂体のもう一方と戦っているシックに、この位置からわかるような目立った外傷はない。シュキハと同じく、一進一退の攻防を繰り返しているのだろう。

 ルーダは攻めあぐねていた。シックもシュキハも近接近戦をしているため、加勢できないでいるのだろうか。ルーダの魔導は基本的に規模が大きい。


 反撃に右の槍を振り回す。脇腹を狙ったそれは、一翼によって受け止められた。

 振り上がった戟が逆再生のごとく振り下ろされる。一歩踏み込み左の槍を頭上に掲げることで、シュキハはこれを防いだ。

「うぬらは生きるために生きる。短いサイクルの中で何度も何度も」

 引いた右槍を突き出す。

「作っては朽ち、造っては朽ちる」

 半身を引いたヴェザの脇を右槍が通過する。

「不毛な繰り返し。吾が終わらせてやろう」

 ヴェザの左手が右槍をつかんだ。

 とっさに右槍を手放し後ろに跳躍する。

「ィギッ!」

 胸に痛みが走った。

 横に払われた戟。刃は確かに避けられた。風圧――いや、灼熱の痛みから恐らくは熱刃――までは避けきれなかった。

 空いた右手で胸を押さえる。

 右脇から左脇にかけて横一線、焼き切られた傷が走っていた。皮膚が焼けたからだろう、血はあふれてきてはいない。代わりに、切り傷がじくじくと腐り始めていた。

 自己治癒が追いつかない。


 体を地面に投げ出す。突き出された戟が地面を穿った。

 そのまま地面を転がる。

 立て直す時間を、ヴェザは与えてくれなかった。

 強く踏み抜いたヴェザの足がシュキハの左足首を踏み砕いた。頭の奥でごぎりと音が響く。悲鳴だけは上げなかった。

 勝利宣言などはない。

 戟を振り下ろすヴェザの動きがひどくゆっくりに見えた。


 わかる。これは避けられない。

 ――避ける必要もない。


 宙を泳ぐ蛇がヴェザの戟に巻き付く。

「トールハウリング!」

 蛇、もとい、鞭を通して電流が戟を襲う。

 振り回した左腕は、焼き切られた戟を遠くへと吹き飛ばした。

「そぉれぇ~」

 戦いの場には似つかわしくない気の抜けたかけ声と共に、シュキハの体が地面から吹き飛ばされる。一瞬にして高高度まで到達したシュキハを待っていたのは、布の塊を乗せたふわもこな珍妙生物だった。

 布の塊が構えた白のカードが、シュキハに癒しの力を発揮する。どういうわけか、胸の傷にだけは効かなかったが、腐敗の進行だけはそれで止めることができた。

 布の塊が今度は緑のカードを掲げる。

「負けないで、シュキハ」

 隣の小柄なほうの布の塊に首肯を返す。


 発動された緑のカードは、空中で体勢を変えたシュキハの背に追い風となった。

 オルフェと組んでルーダが交戦するヴェザから、視線はもう一方へ。風の進路はそちらに向いていた。

 落下の中で槍を構える。

 ヴェザとシックが飛び退いた中間点に槍は突き刺さった。

「シュキハ」

「一気に畳む」

「オーケー」

 突き刺した槍を引き抜き足元を払う。戟を振り下ろそうとしていたヴェザは、それによって後退を余儀なくされた。

 立ち上がり距離をとる。入れ替わるようにしてシックが前に出た。

 剣戟の音を聞きながらヴェザの背後へと回り込む。広げられた翼が、別の生き物のようにおどろおどろしく蠢いた。いったいどういう仕組みだ。

 伸びきた一翼を槍で弾く。一翼を失い三翼になっていることで、翼は逆に非対称に動いた。

 やりにくくはあるが、シックに対して翼による攻撃を繰り出せないよう引きつけておくのがシュキハの役目だ。

 打ち合わせをしたわけではない。ただ戦の最中に己ができる最善を自然と行っただけ。

 前進も後退もできず、魔導を使っても即座にオルフェに――ルーダのサポートをしながら同時進行でこちらにも手を出せることに驚きを隠せない――相殺される。

 天秤は確実にこちらに傾きつつあった。


「ぐっ――!」

 呻き声と共に一翼が宙を舞う。

 にわかにバランスを崩したヴェザの脇腹に、シックの白い剣がめり込んだ。

「終わりだ」

 剣は腹を横断する。

 追い討ちをかけるべく手首に捻りを加えて突き出した槍は、翼の根元の奥深くにまで到達し、そのまま突き抜けた。一本釣りの要領で引き上げる。

 下腹部と切り離された上半身は、地面に叩きつけられたタイミングで腐って消えた。


 脇をシックが駆け抜ける。

来雷(らいらい)! 弾けろウェザイス・デウス!」

 白い雷光が網膜を焼く。

 焼かれた視界の向こうで、空間がけたたましく切り裂かれる音が轟いた。


 光の洪水が収まった世界で瞬きを繰り返す。

 とっさに目を庇ったおかげだろう、そう時間をかけずに視界は元の状態に落ち着いた。

 周囲を見渡す。

 ヴェザの姿はどこにもなかった。

 破裂したはずの水泡がふわふわと数を増やし、あたり一面を再び幻想的な光景へと変貌させていく。足元を見れば、薄く水が張られたように波打っていた。ただし足裏から水気はまったく伝わってこない。

 遠くから水滴が跳ねる音が聞こえてくる。

「…………終わった……の、か?」

 訪れた静寂の中にシュキハのつぶやきが反響する。

 あれほど満ちていた歪な魔力は、清涼な空気の中に溶け消えてしまったかのようだ。


 ずきりと痛みを感じて胸を押さえる。今ごろ気付いたが、横一線に切られたせいで大変際どい胸元になっていた。サラシを巻いていなかったらまるっきり痴女である。皮膚細胞が腐敗し黒ずんでいるため、欲情する者などいないだろうが。

 これは治るのだろうか。

 ふと心配になる。

 今まで小さな傷はもちろん、割と大きな傷も自己治癒力の高さからほとんど痕も残さず癒えてきたが、この傷は細胞を壊死させている。壊死した細胞はさすがに自己治癒だけで再生できるものではなかった。

 後でパレニーに相談するしかなさそうだ。

 これをトウナに見せたら、派手に悲鳴のひとつでも上げて騒ぐかもしれない。女がどうのこうの言いながら。それを見られるのならば悪くはない。

 思わず頬が緩んだ。


 ――だから油断していた。


 感じたのは、左腕を引っ張り上げられる強い力。

 次いで、抜けた感覚。

 下方から突き抜けた衝撃は、シュキハの体を容易に引きずり倒すことができた。

 動かした目玉が捉える。

 腐り溶けいく左腕。

「――!」

 声にならない悲鳴が喉の奥で弾けた。

「シュキハ!?」

 腐敗が腕を伝う。引き千切られた腕の先から。

 痛みも感じられない。

「クロスライトニング!」

 今度こそシュキハの体に激痛が走った。

 腐敗に侵食されていた腕が、雷を受けて灼熱の疼きを神経に伝達させる。駆け巡る激痛に、堪らずシュキハは悲鳴にも似た呻き声を上げた。

 かと思えば温かな光が千切れられた腕を補うように包み込む。

 180度異なる感覚を休みなく与えられ、脳がパニックを起こした。


『オノレ……オノレ……オノレ……』

 不規則に揺れる音。鼓膜を震わせる。

 振り仰げば黄昏色の、闇。

 ドロドロのアメーバ状の闇が、とめどなく溢れ出す怨嗟の音を撒き散らしながら蠢く。

 蠢く闇が地面を、大気を、腐食する。

「立てっ!」

 誰かが後ろからシュキハの右腕を引っ張り上げる。無理やり立たされて、そのまま引きずられながらその場から遠ざけられた。


 じくじくと痛む。左腕が痛む。

「シュキハ!」

 ルーダが駆け寄ってくる。腕を包む光の強さが増した。

「ごめん! でも腐敗の進行を食い止めるにはあれしか方法がなくて」

 腐敗。口の中で繰り返して、そこでようやくシュキハは己の置かれた立場に気が付いた。

 右手で左腕に触れる――あるべき場所に腕はなく、右手は空を切った。

 二の腕の辺りから、腕がない。視線を走らせても千切られた腕は見つけられなかった。ただ記憶には残っている。千切れ飛んだ腕が腐り、溶け、そして消えて行ったのを。

 遠い先祖に切断されたのとは訳が違う。もはや左腕は永遠に失われた。

 ヤマトの英雄スオウが遺した桜華二槍流は二度と使えない。

 エドゥに斬られたときにはそんなこと、考えもしなかったのに。左腕を失ったことなど些事でしかなかった。むしろアドレナリンが過剰分泌されるほどに戦闘を楽しんでいた。


 ――何が違う?

 自問する。

 ――敵だ。敵が違う。

 自答する。


『ユルサン……ユルサヌゾ……オノレ……オノレ……!』

 不安定に揺れる音は怨嗟の言葉を紡ぎ続ける。

 黄昏色の闇が、幽鬼のようにユラユラと揺れながら肥大化した。

「なんだ、あれは?」

 ただおぞましい。そうとしか表現できなかった。

「この世で最も美しく歪んだ欲望の成れの果て」

「ヴェザではないのか?」

「うーん、ヴェザちゃんの力を取り込んだ…………ううん、呑み込まれたシアちゃんの怨念かな」

 オルフェとシックの会話を聞きながら、妙に納得している自分がいた。

 あの女ならば、さもありなん。


「やめて!」

 上空から声。

 エリスのものだった。

「ママ! もうやめてよ! お願いだから!」

『アアア……エエエエリス……ススス……エリ……エエリ……アアア……』

 闇がさらに肥大化する。

 ヒトの形すら取ることもできず、闇は蠢く。

『エリス……エリス……ワタシノエリス』

「逃げろ!」


 闇が跳ねた。

 上空にいるエリスに向かって一直線に。放たれた大砲のように。

 布のすべてを脱ぎ捨てたパレニーが、飛びくる闇に魔力を向ける。魔力を得た封印の属性は、ただちにその効力を発揮した。

 不定形の闇が小さなガラス玉へと呑み込まれる。白い光沢を発するガラス玉は、しかし、数秒ともたずにヒビ割れた。

「逆流した――!」

 ガラス玉が割れる。

 距離があるというのに、パレニーが血を吐くのがはっきりと視認できた。

 封印から抜け出た闇がパレニーをはねる。魔力障壁のひとつも張れずにまともに喰らい、パレニーの体は宙へと投げ出された。

「パレニー様!」

 闇が広がる。おどろおどろしく。

『アアア……エリス……』

「エリス!」

 召喚獣ごと、闇はエリスを呑み込んだ。


「だいじょうぶ!」

 声は横から。

 見れば、オルフェに抱きかかえられたエリスの姿があった。

 間一髪のところでオルフェが空間操作してくれたらしい。

「オルフェこっちもお願い!」

「わかった!」

 ほっと息を吐いたのも束の間、ルーダからの要請が飛ぶ。オルフェは即座に落下していたパレニーも同じく手元へと呼び寄せた。

 金属を傷つけたような甲高い悲鳴が耳をつんざく。ただ一匹闇に呑まれた召喚獣の上げる断末魔の悲鳴だった。

『エエエエエエエエエエエリリリリリリススススススススス』

 もはやそれは妄執としか言えなかった。

 左腕に――短くなった左腕に触れ、右手で槍を構える。

 闇は蠢き、急降下を始めた。


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