69 - 黄昏の戦争
それは現れた。
夕焼けを思わせる鮮やかな髪を腕に絡め、3対の黄金色の翼を広げ、悠然と。見る角度によって色を変える瞳は、ぎょろりと大きい。瞼を持たないのか、姿を見せてから一度も瞬きをしていなかった。
押し寄せてくる強烈な不快感に吐き気がした。
神王を名乗る不遜なる黄昏の一族――ヴェザ。
ヤマトの地でエリスの体を乗っ取ったとき以来の再会となる。これほどまったく心躍らない再会もない。
横目でパレニーの傍にエリスがいることを確認する。長い間戦うことはできないという話だが、エリスに降りかかる火の粉を振り払うくらいはしてくれるだろう。
抜き放った剣の切っ先をぴたりとヴェザに向ける。
「復活して早々悪いが、消えてくれるか?」
眼球が動いてこちらを向く。感情らしい感情の見えない双眸は、薄気味悪いほどに作り物めいていた。
エリスの体を乗っ取ったときとは随分と異なる。あのときは蠱惑的な妖しさがにじみ出ていたというのに。素体が異なるからか、もしくはこちらが本当のヴェザだというだけの話か。
広げられた3対の翼がぴくぴくと震える。まるで羽化したての蛾のようだった。
美しさと不気味さを内在させた破滅の種族。始まりの賢者とハスノミヤが封じることしかできなかった種族。
剣の柄を握る手にじっとりと汗が浮かぶ。
倒せるだろうか。
倒せなければ世界は終わりだ。
倒さなければエリスに平穏は一生訪れない。
ならば倒すだけだ。不可能だとしても可能にしてやる。それがシックの決意だ。
ぐっと眉間に力を込める――薄ら寒い静寂を保っていたヴェザが、まるでそれをきっかけにしたように動いた。
「吾、復活せり」
魔力が解放される。
圧倒的な力の奔流が暴威を振るう。ふよふよと漂っていた水泡のことごとくが弾け飛んだ。
エリスの体に降りたわけではない以上、100%の力が出せるわけではないはずだ。ルーダの作戦――パレニーとオルフェの策に乗っかっただけと言っていたが――に従って避難している間に、パレニーにはそう聞いた。
それでも魔力解放だけでこうだ。決して油断できない相手である。
下手をすれば吹き飛ばされそうな圧を、足を踏ん張って耐える。
早々に吹き飛ばされそうになっていたルーダは、乱暴にシュキハに引きずり倒されて転がっていた。片足を乗せて押さえつけられているため、苦しそうに唸っている。恐らくだが、騙された恨みの分、シュキハの足には体重が乗せられているに違いない。
エリスのために泥を被ってくれたルーダには悪いが、彼女の怒りの矛先がこちらに向いても厄介だ。彼には犠牲になってもらうことにした。
それはともかくとして、どうしたものかと考える。
叩きつけられる圧としては、途中からシュキハが参戦したエドゥのほうが強かった。あれはハスノミヤとルーダが魔力障壁を同時展開しなければならないほどだった。
対してヴェザの放つ圧は、足を踏ん張れば耐えられる程度だ。
だからと言って、自由に動き回れるほど弱くもない。
厄介なことこの上なかった。
状況を打破できないかとパレニーを振り返る。視線に気付いたパレニーは人差し指を立てて、それをそのまま横に倒した。
なんの合図かと疑問に思う間もなく、ぱちぱちとおざなりに手を叩く音が耳に届いた。と同時にあっさりと圧が和らいだ。
見れば、オルフェが気のない拍手を誰にともなく送っている。
「あ、パルくん。外やばいかも」
「だろうね。ナルたちに適当に対処するようには言ってあるよ」
「えー? 適当じゃどうにかできないよぉ?」
「正面衝突しなければそれなりに引っ掻き回せるよ。ゲリラ戦はナルの得意としているところだから」
「へぇ~」
間延びしたオルフェの声のせいで緊迫感はまるでないながらも、何かしら彼らにしかわからないことが起きているらしい。いつの間にこの2人が仲良くなったのかは知らないが。
「リっちゃんも見たい?」
矛先がエリスに向いた。
だが、彼らの会話は特に聞いてもいなかったのだろう。「へ?」と間抜けな声を出してきょとんとしていた。
「外の様子。とぉってもすごいよ?」
小首を傾げて甘えた声を出すオルフェに、その言葉を理解するまでの時間をエリスは瞬きで埋めた。
答えあぐねているエリスをよそに、パレニーが右手を上げる。
耳をつんざく騒音が辺り一面に鳴り響いた。
「なっ――!?」
驚愕から体の向きを戻す。
翼を広げたヴェザが、音波状の衝撃波を放っているただなかだった。パレニーはこの攻撃を防いだのだろう。
質量を持った音波が、展開された魔力障壁に散弾のように降り注ぐ。まるで不協和音に体内から魔力を搾り取られるようだった。
「ああ、これはキツイかな。オルフェ、変わってくれる?」
「いいよぉ」
この2人にはいまいち緊迫感を作り出すことはできないらしい。
魔力障壁の維持がパレニーからオルフェへと切り替わると同時に、不協和音も耳に届かなくなった。
「黄昏を無視して雑談に興じるのは少し危険だね」
「少しなんだ」
呆れたように――むしろ悟ったように――ぽつりとこぼしたルーダのつぶやきは、当然のように無視された。
「簡潔に説明すると、あれの復活と同時に黄昏の一族も復活した。数は多くないけど、各地を攻撃し始めたようだね」
「は、……はあ?! ちょっ、それ大問題じゃない!」
「そうだね」
慌てるエリスとは対照的に、どこまでもパレニーは落ち着き払っていた。
「ナルと侍君、それと王を引き返させて対応させている。勝ち目はないけど」
「えぇー……パレニー様、どうしてそんなに冷静なの?」
「もちろん、ちゃんと対策をとっているからだよ」
「対策?」
にこりとパレニーが笑う。オルフェもニコニコと楽しそうだった。
とりあえず話す気はないらしい。そして聞き出している時間もないらしい。
「パルくん、後1分」
何をと問う者はいない。
大きな音を立てて魔力障壁に大きくヒビが入った。
「5分引き延ばして」
「えぇ~? はぁ~い」
やはり緊張感はない。
ふわふわと前に進み出たオルフェの、身の内からにじみ出る魔力は、それでもなんとかやる気を感じられた。あくまでなんとかレベルではあるが。
「みんな集まってくれるかな」
魔力障壁の外に出ずにヒビ割れた空間を撫でているオルフェの動向を見守りつつ、パレニーの召集に応じる。シュキハに首根っこをつかまれて運ばれているルーダが、小さく文句を言っている声が微妙に聞こえてくる。
いつの間に呼び出したのか、パレニーはモコモコした生物らしき物体に寄りかかって座っていた。エリスもその横にちょこんと座っている。
どうでもいいことだが、エリスを侍らせているような構図でありながら、少しも腹立たしさは湧かない。パレニーが中性的な顔立ちをしているから、という理由以上に性欲が枯れ果てたような顔をしているせいだろう。
などと状況にそぐわない阿呆なことを考えている間にも、パレニーは淡々と説明を始めていた。
「ここにマナチップがある」
言ってパレニーが取り出したのは、5枚のカードだった。
無地に鳥の絵が描かれたカードだ。焔をまとった鳥は細部にまでこだわりぬいて描かれており、5枚をきれいに並べることで1枚の絵として完成する形態だった。
記憶に引っかかりを覚える。どこかで見たことがある絵柄だった。
「それって、私の家の家紋? 鳳凰、よね? これ」
なるほど、と納得した。
確かにこれは、エリスの小太刀に描かれていた鳥に酷似している。細部にまで妥協しない細やかさとか。
こくりとパレニーがうなずく。正解だったらしい。
「賢者の卵くんに協力してもらって、禁呪の力を封印したマナチップだよ」
「ティッケの?」
「そう。黄昏を倒すために必要な力、と言えばわかりやすいかな」
カードから視線を外して後ろを振り返る。
オルフェとヴェザの攻防は、地味ながらも激しさを増しているようだった。
魔力障壁を打ち砕かんとヴェザが魔力を放てば、走ったヒビをオルフェが即座に修復する。両者共にあふれんばかりの魔力があって初めて成立する攻防だった。
「オルフェでは倒せないのか?」
湧いた疑問をそのまま口にする。
すべての尻拭いをオルフェひとりに押し付けるつもりはないが、あの攻防の中に自分たちが入り込めるとは思えなかった。
「残念ながら、それは無理なんだ。」
「ムリ? あのオルフェが?」
「うーん、詳しく説明すると長くなるからしないけど、魔力の相性が良すぎて互いに効かないんだよ。今もほら、すごく地味な戦い方してるでしょ? あれ、裏では互いに自分の魔力の性質を変化させてぶつけてるから、地味に見えてすごく魔力消耗してるんだよ」
言われて目を凝らしてみても、地味な綱引きゲームをしているようにしか見えない。
ルーダをいちべつする。冷や汗を垂らしているからわかったのだろう。
「オルフェが押されているように見えるが」
魔導素人のシックにわかるのはその程度だ。
「先手を取られたからね」
肩をすくめるパレニーをいちべつして、改めてカードに視線を落とす。
「話を戻すよ。君たちが勝てるかどうかだけど、勝ってもらわないと困るから勝って」
「身もふたもない言い方を……勝てるんですか?」
「勝てるよ。だって君たちにはエリスくんがいるから」
「へ? 私?」
ぎょっとエリスが目を剥く。自分に振られると思っていなかったのだろう。
そんなエリスにいっそ酷薄と感じるような笑みを向けて、パレニーは続けた。
「よく考えてごらん。エリスくんはとても非力で、使いこなせる魔力もちっぽけで、なんの力にもならない。けど、君たちが負けたらエリスくんは死ぬよりも最低なことになる。だから君たちには、勝つ以外の選択肢はない」
ひゅっ、と喉の奥で空気が抜ける音がした。
耳の奥で血管が脈打つ音がうるさい。心臓が嫌な軋み音を上げたような気がした。
考えてみれば当然のことだ。
復活したとはいえ、降りた先はエリスの体ではない。100%の力を出せない不自由な器に、黙って収まっているような存在だろうか、黄昏という存在は。
きっと、ヤドカリが殻を移動するような気軽さでエリスに降り直すに違いない。
そしてその体を使って、世界を破滅へと導くのだ。
意識が残るかどうかはわからないが、最低以下の何物でもない。
そんなことが許せるはずもない。
ルーダとシュキハと目配せをし合う。自分の表情を鏡なしにうかがうことはできないが、なんとなくわかった。ルーダやシュキハと同じような表情をしているのだろうと。
鼻から息を抜くようにして笑う。
「君はいい性格をしているな」
「そうかな?」
空惚けるパレニーから視線を横にずらす。
眉根を寄せて不安そうにしているエリスの耳元に、シックは唇を寄せた。
「すぐに終わらせてくる。俺の勇姿に見惚れながら、返事を考えておいてくれ」
目を見開くエリスの頬を手の甲で撫でる。
そこでようやくエリスも笑ってくれた。苦笑ではあったが、固い表情を浮かべているよりはずっといい。
「私もオルフェも最大限にサポートするよ」
言いながらパレニーがマナチップを広げる。飛び立つ鳳凰が描かれたマナチップは、発動の瞬間を待ち望むように淡い輝きを発した。
振り返り、右手に提げた片手剣を掲げる。
「終わりにしようか、黄昏」
とうとう魔力障壁が砕け散った。
前方に布陣していたオルフェが空間を転移して戻ってくる。
背後で詠うようにパレニーが呪を紡ぐのを背に、シックは地を蹴った。




