67_2 - 悪意
あれからエリスが落ち着くまで半刻ほど時間を要した。
いや、この場合は半刻ほどで落ち着くことができたといったほうがいいだろうか。
真っ赤に泣き腫らした目を伏せて、エリスは決然と宣言をした。少しだけかすれた声で。
「ママの野望を打ち砕く」
仇を打つとは言わない。手紙の内容をルーダが知ることはできないけれど、あの平和主義なラドがそれを望むとは思えない。むしろ復讐など考えるなと言いそうである。
エリスが息を吐く。シックの手を借り立ち上がり、ラドの消えた場所を無言で見据えながら。
いつの間にかオルフェの姿は消えていた。
居た堪れなくなったのか。先の宣言通りに一足早くあの女の命でも奪いに行ったのか。
そのほうがいいとルーダは思う。
奥に辿り着いたときにはすべてが終わっていたらいい。ラドのときと同様に女も亡骸をエリスにさらさずに消えていれはいい。強大な力を発揮するオルフェの手によって黄昏も消滅していればいい。
これ以上、誰かが泣くのは嫌だ。
ラドみたいに平和主義を気取るつもりはないけれど、これ以上は見たくなかった。エリスが泣くのも、自分が泣くのも。
エリスに寄り添うシックを見る。
彼は旅に出る前に大切な人を亡くした。直接的な原因は魔だという話だけれど、そもそもの根本原因は黄昏だ。そういう意味では彼もまた黄昏に泣かされた人間ということになる。
次いでシュキハを見る。
彼女の大切な人はつい先ごろ亡くなった。あの女の差し金で。恐らくはそこに黄昏の意思はないのだろうけれど、黄昏すらも利用しようとしている女の思惑がある。
視線を足元に落とす。
自分はどうだろうか。故郷を失ったのは帝国の強欲さゆえにだ。そこに黄昏の意思もあの女の意思も介在しない。女に洗脳された結果見た幻影に大泣きはしたけれど、沸き起こった感情は嬉しさだった。
理由がない。ルーダが皆と一緒に戦うべき理由が。自分ひとりだけ。
――ここにいていいのだろうか。
ふとそんな考えが浮かぶ。
自分は果たして必要なのだろうか? どうしてここにいるのだろうか?
始まりはエリスによる拉致だった。たまたま耳にしてしまった黄昏というキーワードに反応しただけの。
職を失い、住む場所も失い、やることも行くところもなかったから逃げ出すタイミングを逃してずるずるとここまで来てしまった。
そう。来てしまったのだ。
「――ルーダ?」
息を詰める。
怪訝そうに顔を覗き込んできているシュキハに、慌てて首を振る。
動悸が激しくなっていた。全身がじわりと汗ばんでいるのがわかる。
――なにを考えていた?
思考していた内容を思い浮かべてゾッとした。
今この状況で考えるべきことではない。
――……違う。
考えつけるような内容ではない。
「待った」
小さなつぶやきはエリスたちの注目を集めるのには十分だった。
「どうした?」
代表して問うてきたシックを無視して考えこむ。魔導師として思考している自分を強く意識した。
そう、魔導師だ。自分は魔導師なのだ。
この場にいる誰よりも冷静であらねばならない。この場にいる誰よりも深く思考しなければならない。この場にいる誰よりもあらゆる可能性を想定していなければならない。
『自分が魔導師だってこと忘れずに行動するっしょ』
ナルの忠告の意味が今ならちゃんと理解できる。
気づけば伏せていた目を開ける。不思議そうにこちらをうかがっていたエリスたちが、身構えるのが雰囲気でわかった。
「エリス、あの人が笛を持ってるのを知ってたってことは、昔あの笛の音を聞いたことがあるんだよね?」
「え? ……え、ええ。よく庭で吹いていたのを聞いたことがあるわ。窓を閉めても聞こえてくるし、その音から逃げたくてってのが家出の原因のひとつでもあるから」
「それがどうした?」
思考のスピードを上げる。実際意識して上げられるものではないので、そんなつもりになって思考する。
顔を見合わせるエリスらを見据え、思考リンクからパレニーの意見も聞きだす。情報量は多ければ多いほど思考の役に立つ。同時に迷宮も作り出すけれど。
「今」
また注目が集まる。
口を開いたはいいけれど、続きを口にするのはためらいが生じた。
「……今、この状況なのにおれはこの場から逃げたしたいと思った」
後ろめたさからつい早口になる。
たけど不思議なことに、シックらから責めるような言葉はおろか視線すら浴びせられなかった。
いや、と胸中でかぶりを振る。
シックもシュキハもそのことで責めるような人間ではない。ルーダのことを仲間だと、戦力のひとりだと認めながらも、彼らはルーダがただの一般人であることを忘れたりはしなかった。これまでの旅路の途中で、ルーダがもう嫌だと言えば引き止めたりはしなかっただろう。
それをルーダもわかっていた。わかっていて、それでも一緒にいることを選んだのだ。
奥歯を噛む。胃がムカムカした。
「100%そうだとは言い切れないけど、たぶんまだ笛の影響が残ってる。思考に悪意ある誘導がかかってるように感じるんだ」
「どういうこと?」
「この期に及んで逃げたいなんて思わないよ、さすがにさ。とっくに覚悟は決まってるんだよこっちは」
「つまり?」
「ムカつくー! おれはそんなにへたれじゃない!」
地団駄を踏んで声を張り上げる。これほど屈辱的なことがあろうか。
逃げるつもりなら樹林で魔の王に襲撃――狂言だったけれど――された時点で逃げ出している。それ以後も逃げる機会は何度もあったのに、逃げるどころか強くなりたいとすら思っていたのだから、端から逃げる気はルーダになかったのだ。
だからこそ屈辱だ。こんなことを思わせるなんて。
ますます好戦的な気持ちになった。
確かに頼りない外見であることは認める。だけど外と中は違う。
はぁ、と深く息を吐いて背筋を伸ばす。腹立たしさを口にしたことで少しはすっきりしたような気がした。
「で、本題はここからなんだけど」
「前フリだったんだ」
憤りハッスルしていたルーダと若干距離を開けたエリスがぽそりとこぼす。引かれていたらしい。
そのことにちょっぴり傷付きつつ、ルーダは言葉を続けた。
「一回洗脳されただけのおれでも未だに影響があるのに、昔から笛を聞かされていたエリスに影響がないとは考えにくい。というか影響されてると断言する」
「へ?」
きょとんとするエリスの視線の高さに人差し指を立てる。
「そもそも疑問だったんだ。エリスが思い通りに動かないからって、なんでそれで死を偽装する必要があったのか」
指摘されて自身もまた疑問に思ったのか、シックとシュキハが眉をしかめた。エリスだけは意味が理解できないとばかりに口を尖らせる。
各々予想通りの反応である。
「エリス、なんで黄昏……トワイライト・ストーンを探そうと思ったの? その目的は?」
「なんでって、ママが亡くなってからそんなに日が経ってないのにパパが再婚するっていうから……」
「だから?」
「え? だ、から、えっと――」
明確な答えを出せないエリスを見て確信する。やはりな、と。
「エリスは笛に対してある程度耐性があるんだと思う。思い通りに動かなかったって話だし、これは間違いがないと思う」
「そう、ね」
「でももしエリスが心神喪失状態に陥ったら? ストレスが溜まっている人ほど体調を崩しやすいように、心的ストレスでまいっているときに思考誘導されたらきっと逆らえないんじゃないかな」
そこで初めて理解できたらしいエリスが口を押さえて絶句した。
「母親の死。父親の裏切り。それが重なったとき、黄昏を求めるという思考誘導がなされた。ああ、もしかしたら父親も思考誘導されてたのかもしれないね。再婚するように。父親に対する信頼感をなくさせることで頼れる人間を狭めようとした可能性も考えられる」
見る間にエリスの顔から血の気が失せていく。シックが支えていなければ倒れていてもおかしくはなかった。
これ以上続けるのは酷かもしれない。
そうは思いつつもルーダは話を続行させた。これは今話しておかなければ、理解しておいてもらわなければならないことだ。
「エリス、また質問をするよ。黄昏の鍵を探しに行くとき、どうして帝国の大佐………だっけ? それを当てにしたの?」
「それは前にも説明したじゃない。鍵の番人が――」
「どうしてそこで最大戦力を頼らなかったの?」
「戦力?」
「バーリハーか」
横からシックが口を挟む。それにルーダはうなずきを返した。
「確かにわざわざあの豚を頼る理由はないな。バーリハーを頼れない事情が仮にあったとしても、その前にもっと他に選択肢はあった」
きっかけを与えただけでシックもいろいろと事情が飲み込めてきたようだ。ルーダの言いたいことが理解できてきたらしい。
シックの言う通り、選択肢はいくらでもあった。
帝国の最高司令官である兄を頼るのでも、ルーダたちをそうしたように傭兵を雇っても良かった。あの私欲の塊のような豚大佐を頼る選択肢ははっきり言ってない。いくら取り繕ったとしても、あの欲深さと性格の悪さが隠し切れるとは思えないからだ。
「狙いは思いつくだけでも3つある」
「なに?」
「ひとつ、鍵の入手直後に裏切らせてエリスを絶望させ、人間不信に陥らせるため。ふたつ、それに伴ってエリスの心臓を鍵と入れ替えるため。心的ストレスを与えれば思考誘導がしやすくなるのは説明したとおり。鍵を寄生させるためにもエリスをちゃんと裏切ってくれるクズじゃなければ意味がなかった」
これにはすぐに納得できたのだろう。エリスがうなずく。
「みっつ、エリスとラドを引き離すため」
「私とラドを? どうして?」
「エリスの目がないうちに接触していろいろ小細工するため、かな。それと裏切られて人間不信に陥ってるエリスと再会させて絆を深めさせる目的もあったかもしれない」
「化け物に変貌したラドを前にしたときのエリスの絶望をより深めるためにか?」
「たぶん」
顔を強張らせたエリスの視線が彷徨う。行き着いたのはラドが消された場所だった。
「もちろん証拠は何もない。思考誘導を理由にすると納得できることが多いっていうだけ」
この旅を始めてからも、エリスに心的ストレスが溜まる度に不可解な行動をとることはままあった。
例えばティッケの祖父である賢者ロウアーニが殺されたとき。
例えば初めてヤマトの連中に襲われ死にかけたとき。
すべてがすべて笛の影響のせいとは言えないけれど、それで説明がついてしまうのもまた事実なのだ。
「今多大なるストレスを与えられたエリスが思考誘導されないとも限らない。気丈に振る舞っていても、身近な人の死はそんなに簡単に消化しきれるものじゃないよね?」
「そうね。今までのことを考えたら、抵抗しきれる自信はないわ」
表情を曇らせるエリスに、
「だからこそ魔導師は思考するんだよ、エリス」
ルーダは改心の笑みを浮かべてみせた。
きょとんとする一同を見渡してルーダは告げる。
悪巧みを。




