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その3(第6話)


◆異世界にトリップしてはみたものの、一夜明けて、ひょっとして帰れなくなってたらどうしようとか急に不安になりだして、とりあえず、いったん現実世界に帰ってみた池部志穂のターン




 あの石の板の上に乗ったら、目の前が陽炎みたいにゆらいで、それから目の前が真っ白になって、さらに視界が暗転すると、目の前に「Just moment please …count 60 sec」と赤い文字で文章が浮かんだ。


 ひとつずつ数字が減っていって、最後に「LOGOUT」の表示が出て、気が付くと目の前にパソコンのディスプレーがあった。


 良ちゃんから借りたパソコンだ。



 それを見て、ああ、良ちゃんから借りたパソコンだと思った瞬間、妙な感覚に捉われた。なんて言えばいいのか、記憶が二重になるような感覚があった。



 わたしは昨日から今まで自分が何をしたのか覚えていた。



 昨日は、夏休みだから昼まで寝て、冷やし中華を食べて、それからヒマだったから近所の古本屋に行って夜までドカベンを一気読みして、それから家に帰って晩御飯のトンカツを食べながらドラえもんを見て、それからネットして、古本屋で買ってきたDVDボックスの中身を観てたら頭が痛くなってきたから寝たのだった。それから今日も昼過ぎに起きて、冷麦食べて、それから良ちゃんの見舞いに行って、良ちゃんからノートパソコンを借りてきたのだった。



 でも、その記憶とは別に『あの世界』での記憶もある。



 昨日は、良ちゃんから借りてきたパソコンの、アイコンをクリックしてログインボタンを押したら、なんか異世界にトリップして、そしたら自分がエルフの女の赤ちゃんになってて、目の前にメイドさんが立ってて、それで一晩過ごして、家に帰るって言ったらそのメイドさんに泣かれて、もう一度あの世界に行くって約束させられて、それで帰ってきたわけだ。



 その二つの記憶がどちらも“昨日から今日にかけて”の記憶であるとはっきり分かる。


 昨日の晩御飯がトンカツだと分かって大喜びしたのをはっきり“昨日”のことだと覚えているのに、わたしが異世界に行ってエルフの女の赤ちゃんになったのも“昨日”のことだとはっきり覚えている。


 わたしには“昨日”が二つある。いや昨日というより“昨日から今にかけて”の記憶が二つある。


 今、わたしは自分の部屋にいて、エアコンの風で冷やされつつあるけれど、良ちゃんの病院にお見舞いに行くのに真夏の炎天下を自転車で往復した時の熱が、まだわたしの体にある。わたしは今さっきまで異世界で過ごしてきたというのに。



 むむむむむ……とうなってはみたものの全く分かりにくい。



 ということで、とりあえずパソコンの電源を落として、階段を降りて玄関で靴を履いた。


「あら、どこ行くの?」


「良ちゃんの病院!」


 母が台所から首だけ出して、聞いてきたのでそう叫び返す。


「あんた今行ってきたんじゃなかったの?」


「うん! もういっぺん!」


 玄関の扉が閉まる音を背後に聞きながら、自転車を引っ張り出して飛び乗った。


 辺り一面が白く染まりそうなくらいに強烈な日差しや、蝉の声が大合唱。夏休みで遊んでいる子供の歓声のなかを、必死でこぐ。


 “さっき”も炎天下のなか自転車をこいで病院から帰ってきたばかりだから、まだ体が熱くてしんどい。それでも必死にこぐ。



 さっきの半分くらいの時間で病院に着くと、病院のエレベーターを待っている時間が惜しくて、階段で良ちゃんの病室まで駆け上る。



 汗まみれになりながら、病室の扉を開くと、良ちゃんがベッドに身を起こして、にやにやしながらこちらを見ていた。わたしは何かを言おうとしたけれど言葉が出てこない。


「あっちの世界はどうだった?」


 良ちゃんが笑みを含んだ声で聞いてきた。



 ……わたしは目を瞑り、それから息を吐いた。


 つまり、私の“もう一つの昨日”の記憶は夢でも幻でもないことが、いま確認できたのだ。


「……あれはいったい何なの?」


「異世界だよ。それであのパソコンは異世界にトリップするための道具」



 わたしがさらに浮かんでくる疑問や聞きたいことを言い募ろうと口を開いた瞬間、良ちゃんが被せるように言った。


「今ここで色々と解説してもいいけど、多分時間ばかりかかって非効率的だと思うよ。あの世界のことは、大体僕の書いた『西方帝国記』に書いてあるし、志穂ちゃんはそれを全巻読んでる。だから必要な予備知識はほとんどあるし、まずは体験してみることをお薦めするよ」


 良ちゃんはそう言って、口を閉ざした。


 色々聞いてみたいことはあったような気もしたけれど、あんまり非現実的な体験をしたせいで、結局何が聞きたいのかあんまり纏まっていなかったので、良ちゃんの言うとおりにすることにした。


 でも絶対に聞いとかなきゃいけないことがひとつ。


「……あの世界から帰ってこれなくなるとかそういうことはないの?」


「うん、それは無い」


 良ちゃんは明確に答えた。


「どうしてそう言えるの?」


「うーん、説明は難しいけど、あの世界は現実世界を基盤として、演算されて実体化している世界なので、あの世界に、こちらの世界から入ったとしても、この世界の実体が失われるわけではなくて、この世界の極微時間をあの世界で引き伸ばしているのだから、あの世界に存在している間にも、この世界の実体は存在している。そしてその関係は、あの世界から見たこの世界にもあてはまる。故に例えば万に一つもないことだけれどもあの世界そのものがたとえ失われるとしても、あの世界にいた者はこの世界に意識を取り戻すだけ……って言っても分からないだろう?」


「うん、全然分かんない」


「じゃあ、やっぱり考えるのは後回しにして、先に体験した方がいいよ」


「……うーん、でもほら、パソコンってたまにフリーズしたり突然消えたりするじゃない。だから何か不安!」


「あのパソコンが壊れていれば、異世界に行くことはできない。異世界に行ったらその間この世界では見かけ上時間は経過しない。故にパソコンは壊れない。それにそもそもパソコンは異世界に行くための道具であって、帰ってくるのには関係がない。……OK?」


「う……ん、多分わかった、と思う」


「あー、でもね。あのパソコンは貴重なものだからなるべくなら壊さないでね」


「異世界に行けなくなるから?」


「うんにゃ、異世界に行くためのデバイスはまだ幾つかあるんだけどねー。まともなのはあれだけなんだよ。あのパソコン以外の他のデバイスはねー……」


 良ちゃんは何故かそこで言葉を切り、唾を飲み込んでから続けた。


「……トラックのかたちしてるんだ」


「……トラック? って道を走ってるやつ?」


「うん、そうそう、お引越しとか宅配便とかの」


 良ちゃんは、ふと遠くを見る目をすると、窓の外に視線を移しながらわたしに聞いた。


「……トラックでどうやって異世界に行くと思う?」


 良ちゃんが聞いてきた。


「え、トラックで異世界って……そのトラックを運転して時速100km超えると異世界トリップ、とか?」


「ぶー、ハズレ。正解はね」


 良ちゃんはそこで急に言葉を切ると、目の焦点が合わなくなり、急に顔を強張らせて、頭を抱え、細かく震えだした。


「ちょ、ちょっと、大丈夫!?」


 ひどく顔色が悪くて、表情も、くしゃくしゃになっているので慌ててベッドに寄る。


 良ちゃんは震える手を伸ばしてベッドサイドにおいてあった吸い飲みを取り、水を一口あおる。


「あ、ああ、大丈夫……そのデバイスが起動すると、異世界に行く人には、白い子猫の幻覚が見えるんだ。そしてそれを追いかけていると横合いからそのトラックでハネられる。そうするとその人は異世界にトリップできる」


「な、なにそれ……なんでそんな……それ体験したことあるの?」


「うん、もうトラウマなんだよ。だからね、あのパソコンは大事にしてね?」


「う、うん、分かった」


 それで会話は終わり、さよならの挨拶をしてわたしは病院から帰った。



 わたしはその日の晩、あのパソコンで、マリエさんとの約束を果たすために、もう一度異世界に旅立ったのだった。


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