その2(第5話)
◆イッツ ア 異世界トリップ導入編! その2
目の前にいる、黒髪のチュートリアル担当のメイドさんは、自分のことをマリエという名前であると名乗って、跪いていた体と顔をあげるとこちらに近寄ってきた。
そうすると、何か見え方がおかしいことに気がついた。目の前にいるメイドのマリエさんは、周りにおいてある植木とか調度品の大きさと比較して、中学生くらいの小さい女の子だと思っていた。
それが、わたしの方に近づいてくると、マリエさんはどんどん大きくなった。わたしのすぐ前に来たときには、身長が見上げるぐらいになった。もうわたしは上をむいてあんぐりと口をあけた。
私だって背は高くないけれど、それでも身長は百五十センチくらいはある。じゃあこのマリエさんはいったいどんな巨人かと。巨人メイドなどというジャンルはあっただろうか?
巨人な彼女は、わたしの目の前まで来ると、身に着けていた白い大きなエプロンを外して、失礼します、と言うと、そのエプロンをわたしにくるくると巻きつけてわたしを、ひょいと抱き上げた。抱き上げられて目が合うと、彼女はにっこり微笑う。
そうされて始めて、わたしは自分が服を着ていないことに気づいた。ついでに、抱き上げられた時に視界に入った自分の足をみて、それが小さな赤ちゃんの足みたいに見えたので、それはつまり……マリエさんが巨人なのではなくて、自分が子供になっているのであって――
「――――ん、ん、んなーッ!?」
「!?どうかされましたか?」
わたしが突然叫んだせいで、驚いたマリエさんに取り落とされそうになったけれど……よく考えれば、ゲームのプレイヤーキャラクターとプレイしている本人の容姿が違うのは当たり前であって、と思い直す。
「い、いえ、なんでもありまちぇん……」
このキャラは幼児だけあって微妙に舌足らずだ。てゆうか初期状態で幼児で裸ってどうなのよと思う。普通は「戦士」とかが「ひのきのぼう」と「ぬののふく」と「なべのふた」くらいは持っているのが常識ではなかろうか。
それから、わたしはマリエさんにエプロンに包まれて抱っこされたまま運ばれて、マリエさんの上司らしき人のところに連れて行かれた。その人が指示を出すと服が用意されて、それは赤ちゃん用のおくるみだった。
服を着終わると(というか巻かれ終わると)マリエさんにまた抱っこされて、今度は応接室みたいなところに運ばれた。応接室といっても床にはペルシャ絨毯みたいなのが敷いてあって、その上に猫脚の高そうな椅子や机があって、観葉植物がちらほらあって、高い高い天井いっぱいに、なにやら神話的な光景がフレスコ画みたいに描かれているというような、なんか王侯貴族でも出てきそうなそんな部屋だった。
そして、その部屋にあるテーブルの片側に三人の男女が立っていて、わたしが抱っこされて部屋に入ると、彼らは頭を下げた。
マリエさんはわたしを立っている人達の向かい側にひとつだけ置かれている椅子の上に座らせると、わたしの座っている椅子の斜め後ろに立った。
そうするとわたしの向かい側で立っていた人達も椅子に座った。
「さて、ご挨拶がまだでしたな」
向かって右側に座っているりっぱなヒゲの年配の男性が口を話し始めた。
「わたしはアスラウ・ライオネル、このイケベ大公爵家で家令を務めております。こちらは執事のデイライト・クロースと家政婦のマーサ・ドレッドです」
そういうとでっぷり太ったおじさんと、メイド服で腰に鍵束を吊るしたおばさまが紹介される順に頭を下げた。
「貴女のお名前はイケベ・シホ様で間違いありませんな?」
わたしが視線を戻すと、アスラウさんが話しかける。
なんでこの人はわたしの名前を知ってるんだろうと若干警戒しながら「……あい」と答える。
「それでは、私どもの主人であって、あなた様のご親戚にあたるイケベ・リョウ様から、あなた様が本当にイケベ・シホ様であるかどうかの確認のための質問を用意していただいております。ではお答えください。」
それから、わたしは『あなたの母方のお祖母さまの名前は』とかそんなような質問を二十くらいされた。なんかネットの通販サイトとかでパスワードを忘れたときのために設定しておく本人確認用の秘密の暗号みたいな意図で聞いているものらしかった。
全部の質問に答え終わると、彼らは目配せしてうなずきあってから、ヒゲの人のアスラウさんが
「結構です、ではこの手紙をお読みください」
そう言って一通の手紙を差し出してきた。封を開けると数枚の便箋が出てきたけれど、その便箋は日本語で書かれていた。異世界文字の下側に自動的に浮き上がる字幕の日本語ではなくて、紙の上に直接日本語が書いてあった。
◆
親愛なる志穂ちゃんへ
お元気ですか、といっても僕は志穂ちゃんに病院で会っている予定なのでわざわざ聞く意味は無いのですが。むしろ僕のほうが入院しているくらいで元気がありません。
突然ですが僕は旅に出ようと思っています。もちろん志穂ちゃんが今いるこの世界ではなくて、僕達にとっての現実世界である地球を旅するのです。二年か三年かけて世界各国をまわってくるつもりです。
書きかけの小説は全部終わらせましたし、パスポートも取ったし、外国語の勉強もしたし、準備は万全です。
なぜ唐突にそんなことを思い立ったかというと、まあ、いわゆる自分探しがしたくなったということです。さらに突っ込んで、じゃあなぜ自分探しをするかというと、自分の人生とか生活とかそういうものに必ずしも満足していないというか限界を感じたからです。
志穂ちゃんには、僕の書いている小説の創作上の秘密を教えてあげるといったはずですが、秘密というのは志穂ちゃんが今いるこの世界がそうです。
僕は、この世界、つまり僕らの現実から見れば現実とは別の異世界ということになりますが、僕はこの異世界を自分の小説の世界観を作るベースにして、ここで体験した事柄を多少脚色して小説化していたわけです。その作業はずいぶん楽しかったし、それで大きなお金も稼ぎました。
でも、僕はもうそういうことをやめるつもりです。
なんでかと言えば、僕はもうそういう作業を楽しめなくなってきたからです。いや楽しめないだけでなく、それをするべきでは無いとさえ思うようになりました。それをしている時間があるならば、僕はもっと別のことをするべきだと思うようになったのです。
なぜそう思うのか。それをはっきりと分かる言葉にして言い表すことは難しいので、僕にはできません。それがもしできるのならば、僕は偉い哲学者とか、人生相談の回答者とか、新興宗教の教祖とか、若者に行くべき道を指し示すカウンセラーとかになれてしまうでしょう。
ともかく僕はこの世界には、何か緊急の用事でもできない限り、もう来ない予定にしています。
この世界は夢でも幻でもゲームの世界でもなく、僕達のいる日本のある世界からみれば、外国のような別の現実世界です。そこには人格を持った生き物――こう書くのは人間以外の人格を持った種族、例えば各種の動物に変化できる獣人とか森族と呼ばれる日本のアニメやゲームに出てくるエルフに酷似した種族や、蜥蜴族と呼ばれるリザードマンぽい種族、コボルトに相当する二足歩行の犬である犬人族、ドワーフに相当する土鬼族、などがいるからです――たちがいる世界で、僕はそこで、驚くまいことか、二百数十年暮らしてきました。
こちらの世界で長い時間を過ごしても、僕らの現実世界ではほとんど時間は経たず、逆に僕らが現実世界で時間を過ごしている間は、こちらの世界ではほとんど時間は経ちません。からそういうことができるのです。
だから僕はこの世界で色々なことを行うことができました。商売、建築、政治、戦争、芸術、日常生活その他諸々です。
でもしなかったことが二つだけ。すなわち結婚と子供を作ることです。
多分これは、この世界、つまり志穂ちゃんが今いるその世界を捨て去ろうとしている今日のような日を僕はずっと前から心の奥底で予期していたからかもしれません。つまり決定的な仕方でこの世界に責任が残ってしまうことを避けたのです。
この世界で僕はかなり目立った立場にいました。この世界に残しているものもたくさんあります。それらを全て忘れさってもいいのですが、それも寂しいような気がしますし、幾ばくかの不安もあります。それで誰かに僕の代わりに見守っていてほしい気がしました。
僕が病院の病室で志穂ちゃんに言った頼みごとというのはこのことです。
すなわち、志穂ちゃんには僕のこの世界での事柄を、記念として見守ってくれる相続人になってほしいということです。
相続人といっても、そんなに難しいことはありません。事業とか所領とか面倒な諸々は、処分できるものは処分し、処分できないものについては人に頼んであります。だから、志穂ちゃんが僕に頼みを聞いてくれるのが難しいようであれば、そのまま地球のもとの世界に帰ってきてください。それでも困らないようには一応してあります。
元の世界への帰り方は、最初にこの世界に出てきた石の板の上に乗って『帰りたい』と念じることだけです。
まあでも嫌でなければ、この世界を、海外旅行でもするような気分で楽しみながら見ていてくれれば嬉しいです。
多分志穂ちゃんはこの世界を、楽しんでくれると僕は思います。そして僕の周りにいる人の中では、志穂ちゃんが一番この世界を理解して愛してくれると思います。志穂ちゃんが僕の書いた小説をずっと愛してくれたので、僕はそのように言えるのです。
色々な経験や考えを積み重ねた結果、僕にとっては、この世界は捨てるべきものになりましたが、志穂ちゃんにとっては、この世界はまだ楽しめるものだと思います。この世界を、惰性や逃避ではなく建設的なしかたで楽しめるならば、この世界は素晴らしく貴重なものだと思うからです。
この世界では西方帝国の宮廷大公爵にして天竜騎士伯爵たる
リョウ・イケベであるところの 池部 良
追伸:日本語に翻訳して書くとかなり恥ずかしい称号ですね。思わず悶えてしまいます。まあ元々小説家なんていう恥ずかしい職業に就いているのでいまさら気にする必要もないわけですが。