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その1(第1話)

◆イッツ ア 異世界トリップ導入編!


 夏休みに入って10日程経ち、早寝早起きの規則正しい生活がそろそろ本格的に崩れ始め、自堕落ライフも板についてきた、そんなような夏のある日。


 深夜まで思う存分夜更かしして本とマンガを読んで、寝汗にまみれて昼過ぎに起き出してきて、パジャマから着替えもせずに、お母さんがテーブルの上に残してくれていた昼ごはんの冷麦を啜っていると、


「良ちゃんがお見舞いに来てくれって言ってたわよ」


 目の前の窓の外にあるベランダで洗濯物を干しながら、お母さんがわたしに言った。


「うぃ?」


 おかずの野菜サラダに嫌いなトマトが入っていたので、噛まずに飲み込もうとしたところで、声をかけられたので、変な声が出る。


「午前中に電話があったよ、なんか渡したいものがあるんだって」

 お母さんはそう付け加えた。


 良ちゃんというのは誰かというと、それはわたしの従兄であるのだった。

 もう少し細かく説明すると、

 その「良ちゃん」はわたしより10歳ほど年上であり、家がすぐ近くにあったこともあって、わたしは赤ちゃんだったときから彼に結構可愛がってもらった。


 彼はいわゆるジュブナイルとか、ジュニア小説とか、ライトノベルといった類の小説を書く人であって、彼の部屋はいかにも小説家らしく、大量の本や雑誌やマンガやゲームやおもちゃやプラモデルやアイドル写真集や鉄道模型やパソコンやその部品で埋まっていて、わたしは、それらを目当てに彼の部屋にしょっちゅう入り浸っていたような間柄だったのだった。


 わたしが幼稚園に入ったくらいの頃から、母は働きに出たので、わたしが幼稚園から帰っても家には誰もいなかった。それでわたしは、幼稚園の送迎バスで自分の家ではなくて、良ちゃんの家に降ろしてもらい、良ちゃんの部屋に上がりこみ、ジュースを出してもらい、おやつを出してもらい、テレビゲームで遊び、マンガなど読んだりして、あまつさえ、勝手にベッドを借りて昼寝をしたりして時間を潰すのが常だった。実に図々しい子供だったと思う。


 もっとも私が高校生にもなったら当然、私は女で良ちゃんは男であるから、幼稚園や小学生の頃と同じようにとはいかなくなってきたのだけれど、今でも彼とはごく仲良しなのであって、というような人なのだ。


 それで私と仲良しであるところのその従兄の「良ちゃん」がお酒の飲みすぎで肝臓を悪くして、近所の病院に入院していて、その入院している本人からお見舞いの催促があったんだから、ひとつ顔を出してきなさい。


 と母はそのように述べているのだった。



 ベランダに通じる窓からは、辺り一面が白く染まりそうなくらいに強烈な日差しが照りつけていたし、蝉の声が大合唱だったし、夏休みのせいで子供の歓声が聞こえたし、正直、外に出るのはちょっとアレだったけれど、わたしは健気にも病院に向かって自転車を走らせたのだった。


 家を出たときには本当にまったくもってあんな、つまり、一大スペクタクル大河ロマンファンタジー大冒険というか、まあそんな様なことが待っているなどとは思いもよらなかったのだ。


 ごく軽い気持ちで、つまり、寝汗がエアコンの風で冷やされて、家の中にいるのも寒くなってきたなあとか、学校が無くなると体育の時間も無くなるから運動不足になるのでたまには自転車に乗るのも悪くないなあとか、お母さんが進物もののゼリーの箱を持たせてくれたので「ほれ」とかいって良ちゃんに渡してみたいなあとか、そんなことしか考えていなかったのだ。のんきなものだった。


 今じゃ、人生何があるか分からんもんだなあ。などと、まだ女子高生の身で思っちゃったりしてしまう。いや本当に。



 眩しさで思わず薄目になってしまうような日差しの中を、良ちゃんの入院している病院まで、溶けそうに熱くなったアスファルトの道路を自転車で20分も走ったら、えらい汗をかいてしまった。ロビーにある自販機でジュースでも買おうかと思ったけれど、ひょっとしたら病室に小型の冷蔵庫なんかあったりして、その中にお茶とかジュースとか入ってたりしたら飲ましてもらえるとかもと思って我慢したら、やっぱり良ちゃんのベッドの横に小型冷蔵庫があった。


 挨拶をしたり病状を聞いたりしながら、お茶のペットボトルを冷蔵庫から1本貰って、その代わりに手土産のゼリーを箱から出して詰め込む。それからベッドの枕元に置いてあった果物の籠から林檎をとってウサギちゃんの形に剥くと、することが無くなったので、出して貰ったコップにお茶を注いで、啜りながら良ちゃんの顔を眺めた。


 意外とお見舞いというのは間が持たない。


 良ちゃんの外見には取り立てていうほどの特徴も無い。アジア的な細面に地味な一重の眼がくっついている。よくある痩せ型の顔だった。ただしアルコールで入院しているだけあって、頬の肉が削げ落ち、その分だけ頬骨が飛び出しているし、目玉も顔の色も全体的に黄色がかっている。


 タバコで若干色の着いた歯で、林檎のウサギちゃんを齧りながら、良ちゃんは、


「今日はよく来てくれたね」

ぽつりとそう云い、


「志穂ちゃんに来てもらったのは外でもない、頼みごとがあるんだ」

 さらに数秒間たってから、


「もう、頼みごとができるような親しい人もこの世界で僕には志穂ちゃんくらいしかいなくなってしまったんだよ」

とそう続けた。


 良ちゃんの喋り方はなんとなく書き言葉的だなと思った。友達も作らず部屋で本ばっかり読んでるからそんなことになるんだと思った。


 良ちゃんは私の目を見つめて言った。


「志穂ちゃんは僕の書いた本を大体読んでくれてたね」

「うん、全部読んでるよ」


 そう、良ちゃんは沢山の本を出す売れっ子作家だけれど、私はすべての作品を読んでいた。もちろん自分でお金を出して買ったのでは無くて、著者であるところの良ちゃんに、出版社から何冊か送られてくる本をタダで貰うのだ。


「じゃあ、その中でどの作品が一番好き?」

「そりゃあ、『西方帝国記』でしょー」


 私は、迷い無く答えた。

 「西方帝国記」とは、文庫本でなんと全35巻にも及ぶ良ちゃんの代表作だ。

 内容は、よくある西洋風ファンタジー小説なのだけれど、その辺のライトなファンタジーとは違って、架空世界の作りこみがかなり細かい。

 いわゆるハイ・ファンタジーというものになるんだろうけれど、作中の団体や国家や登場人物、日常生活など色々かなり細かく描かれていて、読んでいると、なんというか、エンターテイメント的なファンタジー小説を読んでいるというより、なんかの歴史小説や紀行文を読んでいるみたいな印象を受ける。


 良ちゃんはこのシリーズ以外にも色々な作品を書いてはいるけど、この「西方帝国記」に比べると、他は、まあ普通の小説でしかない。西方帝国記の想像力、空想力、妄想力の確かさ、細かさは他の作品とは段違いだ。


 私は小さな頃から良ちゃんの部屋に入り浸って、色々な小説や漫画やゲームを読んだりしたりしていたから、その影響で、そういうような、創作系の仕事がしたくて、小説家か漫画家あたりになれたらいいなとなんとなく思わないでもなかったけれど、この西方帝国記を読むと、やっぱり小説家や漫画家っていうのは、これくらい想像力が強いというか特殊な妄想力を持つ人でなければ、なれないのかなという気がして、どうも私は甘い夢から覚めて現実的になってしまうのだった。


 だから、良ちゃんが

「今日は、志穂ちゃんにあの作品の創作上の秘密を教えてあげよう」

といったときには、思わず食いついてしまった。


 「志穂ちゃんがね、前に言ってくれたことがあったね。『あの西方帝国記を読むと、架空の物事を実に細かくでっち上げるその妄想力、想像力がなんか普通じゃないのが分かる。やっぱりそこら辺が、良ちゃんは普通の人ではなくて小説家なんだと思う』って」

「うん」

「そう、確かにその部分こそが僕の創作上の秘密なんだよ」


 そう言って、良ちゃんはベッドの脇に立てかけてある鞄を持ち上げて、私の前に差し出した。ごく普通の黒いノートパソコン用バッグだった。

 私はその鞄の中に西方帝国記シリーズ最新刊の書きかけの原稿でも入っているのか、あるいはシリーズの設定集か何かをみせてもらえるのかと思って、心の中で大喜びしたが、良ちゃんは私の予想とは全く別のことを言い出したのだった。


「この中にはね、ノートパソコンが一台と手帳が一冊入っている。そしてパソコンを起動させたらデスクトップの一番左上にある『西方帝国記』っていう名前のアイコンをクリックしてほしい。


 そうするとIDとパスワードを入力する画面が出てくるから、今度は鞄から手帳を出して、最初のページに書いてあるとおりに打ち込むんだ。そうすると、何と『西方帝国記』の世界に行けるんだよ。まあいうなればオンラインゲームをやるような感じで捉えてくれればいいんだけれど……でもねその世界は架空の世界なんかではなくて、この世界と同じように人間や動物がいる別の世界なんだよ。だからどうせゲームの中の話だと思って、その世界の中の人を傷つけたり、物を壊したり……例えば、勝手に他人の家に侵入して箪笥を開けたり、壺を壊して中からアイテムを回収しようとしたりしちゃだめだよ。この世界と、あちらの世界とでは時間の流れ方が違うから、あちらの世界に行っている間は、こちらの世界では時間はほとんど経たない。逆にこちらの世界にいる間はあちらの世界では時間は僅かしか経たない。つまりそれは……そういうわけで、あ、あとそれから……で、つまりというわけだから……ああいうことになっていて…………というわけなんだよ……であるから……かくかくしかじかうまうまうんぬんかんぬん」



 良ちゃんの小説に書かれてある文章は簡潔で明快だけれど、良ちゃんの喋ることは時々理解しにくいことがある。 

 良ちゃんの書く文章は、読者にも分かりやすいように、ちゃんと順を追って、説明して描写して上手に話をすすめていくけれど、良ちゃんと会話をすると、そんなような気遣いが抜け落ちて、話している相手に理解させるために説明しようとするのではなくて、自分の考えをそのまま漏らしているような話し方になることがある。


 もちろん良ちゃんは小説家だから書くのにくらべて話すのは苦手なのだろうけれど。


 良ちゃんは創作上の秘密を教えてくれると言ったけれど、突然目の前で良ちゃんの口から電波の様に漏れてきた話は、小説の創作についての話というよりも、オンラインゲームか何かの話をしているように聞こえた。


 それに、説明の不足というよりも、どこかおかしいような感じがした。良ちゃんの言う言葉が端々でゲームの世界と現実の世界をごっちゃにしているように聞こえたのだ。


 あるいは、こんなふうに妄想みたいに架空の世界に入り込んで考えることが作品を書く上で必要なことなのだろうか。……あまり、考えたくないことだけれども、アルコールの飲みすぎで入院しているわけだから、そのせいで精神が異常な状態になっている可能性もあるのかもしれない。


 それで、良ちゃんの話を一通りで聞いたあと、わたしは少し警戒しながら、理解できないところを質問しようと口を開きかけた。


 その瞬間、良ちゃんは私の顔を見て、にやりと笑い、

「うんうん、そうだよね。志穂ちゃんが、コイツついに小説の書きすぎで脳味噌がおかしくなってしまったか、この病院、精神科ってあったっけ。そう思うのもわかるよ。でもね、それはこのパソコンを家に持って帰ってそのデスクトップにあるアイコンをクリックしてからでも遅くない」


 ……そう言われては、言われたとおりにやるより、仕方がないではないか。


 というわけで、わたしは、なるべく振動を与えないように注意しながら、病院から自転車で良ちゃんのノートパソコンを持ち帰って、自室の机の上に置き、鞄から取り出した手帳を片手にして電源を入れたのだった。


 パソコンが起動すると、黒一色のデスクトップ画面があって、画面の左上隅に、『西方帝国記』.exeという名前のアイコンがひとつだけあった。他には「マイコンピューター」も「ごみ箱」もなんにもない。ちなみにOSはXPだった。


 アイコンの画像は、百科事典みたいな本の絵だった。


 アイコンをクリックしたらデスクトップにログイン画面みたいなものが出てきたので、鞄の中から取り出した手帳に書いてあるとおりに、IDとパスワードを打ち込む。


手帳にIDとパスワードがボールペンで書いてあって、その下の行には、


重要!!:現実世界への帰り方 → 最初にでてきた台の上に乗ること


と書いてあった。


「現実世界への帰り方……ねえ」

 思わず独り言が漏れてしまう。

 IDとパスワードを打ち込む画面が出てきたんだから、良ちゃんの言っていたことは、オンラインゲームの話だったんだと分かる。そうすると、現実世界に帰るというのはログアウトするということだろうと思うけれど。


 IDとパスワードに間違いがないことを確認して、LANケーブルをパソコンに挿してから、OKボタンをクリックした。





 ボタンをクリックした瞬間、目の前が真っ暗になった。


 真っ暗になったというのは、パソコンのディスプレイが真っ暗になったのではなくて、視界全体が真っ暗になったのだ。

 なんか適当なゲームの開始画面が現れると思っていたのに、突然なにも見えなくなったのでおどろいて、わあ、と声を上げると、目の前の暗闇に、


 「Just moment please …count 60 sec」と赤い文字で文章が浮かんだ。


 その文章は映画館のスクリーンに浮かんでいるような感じで、視界いっぱいに大きく浮かんでいたので、その文章が、明らかにさっきまで目の前にあったノートパソコンのディスプレイに浮かんでいるのではないことが分かった。


 てっきりパソコンゲームのことだと思っていた良ちゃんの話が、突然、非日常的な展開になったので、え、なに、え、!? え~~~っ などと騒いでいるうちに、count 60 secという文字列の数字はどんどん減ってゆき、最後にLOGIN の表示が出て、今度は視界が真っ白になった。





 最初に感じたのは音だった。


 何というか、自分自身の体の感触がなく、何も見えず、真っ暗で、その真っ暗な中に耳だけが浮いていて、音を聞いているような、自分の体がどこかへいってしまった様な感じがした。


 耳からは、空港で聞くジェット機のエンジン音のようなキーーーンという甲高い音が聞こえた。それが物凄くうるさかったので、思わず顔をしかめて目元にぎゅっと力が入った。そうすると、その力の入った目元を中心にして、自分の体の感触が戻ってくるのが分かった。


 目元から、顔、頭、首、肩、胸、お腹、手足、皮膚、どこかにいってしまっていた自分の体が戻ってくるのが分かった。


 自分が目を閉じていることが分かったので、目をそろそろと開ける。


 今度は大きな木が見えた。種類はよく分からないが、南方系に見える大きな葉っぱをつけた木が、自分の上に覆いかぶさるように生えていて、そのさらに上にガラスのような透明なものが見えた。なんとなく温室のようなイメージだった。


 たぶん三分ぐらいは、呆然としてきょろきょろしていた。


 するとそのうちに、鼻がむずむずしてきて、三回ほどくしゃみをした。

 くちゅん、くちゅん、というやたらと可愛らしい音がした。


 そうすると突然、自分が呼吸する音が聞こえて、現実感が戻ってきた。

 良ちゃんのあの話って、ほんとにほんとのことだったんだ。というか何よ、この展開、ていうか私正気?みたいな感じでまた三分くらい混乱して、ほっぺたを思い切りつねったらものすごく痛かった。


 痛みのせいで混乱が収まると、

「……あーっ、あーっ!!」

と叫んでみた。叫ぶと自分の声が聞こえて、どっかに行ってしまいそうになる現実感を捕まえておける気がしたのだ。


 わたしの周りには、実際に行ったことはないけれど、ハワイとかサイパンとかグアムとか、南の島なんかに生えていたりしそうな葉っぱの大きな木や草がいっぱい茂っていた。 ハイビスカスみたいな、大きな派手な花が咲いていた。


 その木々や花の向こう側は、鉄の枠にガラスかアクリルとか透明なものを嵌めた温室の壁面のようになっていて、上を向くと、その壁面がそのまま湾曲してドーム状になり屋根になっていた。

 透明な屋根からは柔らかい日差しが差し込んでいて、それが私の上に差しかけるようにして生えている葉っぱの大きな木々に当たって、影を作っていた。

 何となく、植物園みたいだなと思った。つまり私は植物園の巨大な温室のようなところにいるわけだ。


(そうか、そうか、ここは植物園とかそういうとこなのね)


 と自分に納得させて、さらにきょろきょろすると、視界の端っこに何かが引っかかったので、そちらを向くと、マホガニーとかそんなような木で作ったような猫脚のいかにも高級そうな、背の高い小さなテーブルがあって、その上に、金色のハンドベルのようなものと、それで抑えるようにして紙片が置いてあるのが見えた。そちらに近づくために歩き出すと、足もとがさだまらずにふらふらした。というかすぐに転んでしまってろくに歩けない。


よろけながら紙片の載っている机に近づく。机に近づくと天板が目線より少し下にきた。なんか机としては高さがおかしい気がしたが、足もとがふらついて定まらないので、机の脚につかまって、めいっぱい手を伸ばして、紙片とベルを取る。


 紙片には何かが書いてあったので、それを手に取ると、アルファベットの飾り文字みたいな字で何かが書いてあったけれど、見たことのない文字だった。どうも外国語らしくて、読めないじゃん、と思ったら、その瞬間、その外国語の文字の下側に突然、浮き出るように日本語の字幕が出た。


「わあっ!?」


と驚いて手に持ったものを放り出してしまう。


 これは、夢か?

 いや、私は良ちゃんから借りたパソコンを使っていたはずで、寝てたわけじゃない。


 私は、自分が本当に良ちゃんのいうところの「別の世界」に来てしまったんだろうか?


 もう一度紙を拾って、よく見てみると、また日本語の字幕が出た。おっ、やった、と思ったけど何か見え方が変なので、日本語の字幕の部分を指でなぞったら、指が文字の後ろ側に見えた。つまり、この字幕は紙に浮かび上がったのではなくて、視界に直接映りこんでいるみたいだった。


 まあ、それはともかくとして、日本語字幕には、


「ベルを鳴らしてください」


 と書いてあった。

 取り敢えずベルを鳴らしてみる。


 ハンドベルにしてはかなり大きくて重いので一生懸命振ると、ちりん、ちりん、ちりんと結構でっかい音がした。


 しばらく、待ったけれども反応がない。今度は段々と肌寒くなってくる。へくちっ、へくちっ、とくしゃみが出た。鳥肌も立ってきたので、寒いんだよう、何も起きないじゃんよう。このっ、という思いを込めてちりんちりんちりん、ちりんちりんちりんとしつこくベルを鳴らす。


 すると、


「ま、まさかっ、は~~い、は~~い、は~~い、いい今行きますぅっ!」


という、たぶん若い女の人の声が聞こえてきた。この声は日本語ではなかった、みたいだけれど、意味は何故かはっきり分かった。


 ダダダダダッ、という、人が走るような足音がしたかと思うと、「あうぃっ!!」という叫び声が聞こえて、それから、どんがらがっしゃんっ、という陶器類をぶちまけたような破壊音が続いた。

 それから今度は、「うう~~っ、う~~っ」といううめき声が聞こえてきた。

 なぜか、ドジッ娘、という単語が思い浮かんだ。


 うめき声は、しばらくするとやんで、また足音がしたかと思うと、がさがさという音が斜め後ろからした。

 振り返るとそこには、メイドさんの様な格好をした女の人が、椰子の木のような木の陰から出てくるところだった。若い女の人で中学生位にも見えた。黒髪黒目だけれど、顔立ちは日本人のものとは違っていて、西洋っぽかった。いわゆるブルネットというやつだろう。


 ゲームのキャラクターで純アジア系の顔立ちって、侍や武道家系除くとあんまりいないもんねーとか考えていたら、メイドの彼女は私の顔を見るなり、青褪めて、そして世にも悲しそうな顔をした。


 わたし、何かまずいことしたっけ?と思っていると、彼女は、


「失礼ですが、お歳は?」

と聞いてきた。


 これも明らかに日本語でない発音だったけれど、なぜか意味ははっきり分かった。

 やっぱ、あれかね。ゲームするからには名前と年齢くらい、入力しないとイカンのかね。


 つまりこの人は、ゲームの登録というかチュートリアル的なものをやってくれる人なんだろうか? 何というかゲーム開始時点の、例えば「はじまりの村」とかなんとかそんな感じの村にある冒険者ギルドの受付のお姉さんみたいな、とか思いつつ、十五歳と答えかけて、こないだ十六歳になったのを思い出して、


「十……六しゃいでちゅ」


と答えた。なんか噛んでしまった。


 そうすると、なぜかその人は、ものすごく驚いた顔をした。

 ちょっとムッときた。そりゃ、ちょっと幼児体形だとは思うけれど、そんなおおげさに驚くほどのもんでもないはずだ。それとも外人さんから見ればそんなに幼く見えるのだろうか?


「……お名前は何と仰いますか?」

「え、名前?……池部志穂……でしゅけど?」


わたしはそう答えた。また噛んでしまった。


というか、ゲームのキャラクター名の設定なんだから本名言ってどうすんだと心の中で自分に突っ込んで、何かもっと中二病的かっこいい名前に替えてもらおうかと考えていたら、


彼女は、わたしの答えを聞いて目を見開き、


「イケベ……シホ……様」


とつぶやいた。


 彼女はしばらく黙って、それから私をしげしげと穴があくほど見つめて、それから挨拶をするように、わたしに向かってスカートの裾をつまみ、膝を折った。


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