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実験小説『イケベ大公爵家の日常』  作者: 西村紅茶
スケイロ・クライバレス編
20/24

その1

◆狙っていた女の子に逃げられた、スケイロ・クライバレスの話




 狙っていた女の子に逃げられてしまった。


 彼女に書いた手紙には、愛の告白とかそういう直接的なことは何も書いていなかったし、だからまだ僕のせいで逃げられたかどうかというところははっきりしないわけだけれども、唐突に大公爵様の乳母になってしまうという彼女の行動と、僕が彼女の外堀を埋めにかかっていたことをたぶん彼女も気付いていたはずでという事実とか、そこらへんを考え合わせると、どのように解釈すればよいか何とも悩ましいところではあるけれど、つまりそういうことなのだろうと思う。


 こうなると仕事ばかりして、そういう男女のことの経験が皆無なのが今さらながら悔やまれる。あたふたするばかりで、どう動けばいいのかがよく分からない。


 けれども狙うべき相手が先に決まってしまったら、余所で別の女の人を相手に恋愛の経験を積むわけにもいかないだろう。


 だからここは経験なしのぶっつけ本番であろうとも頑張るしか仕方がない。


 そもそもこうやって仕事ばかりしてきたのも彼女を手に入れるためだったのだから。



 僕が狙っていた彼女の名はアニという。ヴィーゼル副子爵家のお嬢様で、僕は普段アニお嬢様とお呼びしている。僕はそのアニお嬢様が好きで、結婚したいと思って色々と考えて、彼女の外堀を埋めるべく色々していたら、彼女は彼女の主家にあたる大公爵家の御当主様の乳母として奉公に出てしまった、とつまりそういうことなのだった。



 さてどうするか?


 もはや彼女は乳母の仕事を始めてしまったわけだ。


 乳母っていうのは休みもあんまり無く昼も夜も子供と一緒にいるのが仕事で、住み込みじゃなくて通いでもできるような、単なるメイドとはわけが違う。


 だからアニお嬢様は、少なくとも数年は大公爵様にべったり張り付くことになるだろうし、だから例えば、僕とすぐに結婚というのは無理だろう。


 それで、そういう仕事を選んだということをアニお嬢様への僕の働きかけに対する拒否の意思表示ととらえることはできるかもしれないが、お嬢様から、貴方とは金輪際おつきあいしたくないと面と向かって言われたわけではないし、というより何も言われていないし、つまりお嬢様の行動について厳密なとらえ方をすれば、少なくとも数年は結婚する気はありませんということに過ぎないわけだ。それはすなわち数年待てば可能性が無いわけではないかもよ? というようにも読み取れる。


 数年待てるかって言われれば、僕は今二十七歳だから……まあ待てるだろう。というか好きだとか何とか相手に言いもせずに、結婚の妄想をしていたってどうにもならない。



 ……とりあえず振られないうちから諦めるわけにはいかないわけだし、僕としては諦めたくはないし、そうするともちろん追いかけるしかないのだから。





 僕の家であるクライバレス家は、もともとから小規模ながら商家だったけれど、父の代で縁あって、アニお嬢様の家であるヴィーゼル副子爵家の御用商人にして頂き、そこから一気に発展した。


 貴族の家の御用商人ともなれば信用が付くし、信用があれば着実に堅実な取引ができる。それを注意深くヘマしないように繰り返していけば自然と商売は大きくなるものだ。もちろんそこからさらに一頭地を抜いて大きくなろうと思えば、なにがしかの工夫が必要になるのだが。



 とまれ、まあそんな感じで父はヴィーゼル副子爵家の皆様方とは懇意にさせていただき、ついでに息子の僕も懇意にさせて頂いた。


 父が副子爵様(僕は普段、ご領主様とお呼びしている)と商談に行くと、ついでに連れてこられて手持ち無沙汰な僕は、ご領主様のお嬢様、お坊ちゃま方のお相手を仕ることになる。アニお嬢様を筆頭に、下は零歳の赤ちゃんまで数人のお子様たちのお相手を務める。


 お馬さんごっこの馬の役、お姫様と騎士ごっこの騎士の役、冒険者と怪物ごっこの怪物の役、おままごとのお父さんの役、まあ色々あった。


 まあそんな感じで、僕はアニお嬢様のことを小さいころからよく知っていたし、アニお嬢様も僕のことはよく知っているという、そんな間柄ではあるのだった。でもそれは単なる親しい関係というだけのことで、僕が彼女に好意、つまり男女の関係で言う好意を持ち始めたのは、まあ徐々にそうなったのではあるけれど、強いて言えば印象に残っているきっかけとなる出来事があった。



 それは数年前、だからお嬢様が十六か十七歳頃のことだったと思うが、村で、ある宴会があった。宴会といっても、街の酒場に繰り出して大騒ぎするようなやつじゃなくて、まあそのへんの近所の皆さんが集まってするようなごく健全な宴会だったけれども、やっぱり酒が過ぎれば場が崩れ始める。


 それでそのうちに飲んでいたお爺さんのひとりが、おいオネエちゃん居らんのか、みたいなことを言いだした。


 酒場で宴会しているんじゃないんだから酒場女の人なんて居るわけないのだけれど、まあ酔っぱらってそういうことを言いだしたわけだった。


 それで手近にいた若い女の子が捕まって絡まれて、無理に酌をさせられているようなことになって、その女の子はまあ凄く嫌がってるというか青い顔をしていて非常に困った雰囲気になってしまった。


 周りの人達がなんとか刺激しないように止めようとしていたけど、その親爺はまあ実力者というか功労者というか長老的立場というか、その上うるさ型で短気という、つまり非常にモノが言いにくい人であったからうまくいかなかった。もちろん僕は単なる若造で、なんにもできなかった。



 そしてそこに助けに入ったのがアニお嬢様だったわけだ。


 お嬢様は、わたしにも注がせてくださいな、とかなんとか言いながらその親爺と女の子の間に割って入った。その親爺もその辺の女の子にはベタベタと絡めても、さすがにご領主様の御息女ともなればまあそういうわけにもいかない。そしてお嬢様は言葉巧みに、わたしがせっかく作ったのに飲んで下さらないの、とか何とか微妙に圧力もかけつつ、かなり濃い水割りをその親爺に何杯も飲まして、ついには昏倒させてしまった。お嬢様は倒れ伏した親爺の尻に一発だけケリを入れ、それからその絡まれていた女の子を物陰に連れていって慰めることをなさっていた。



 そういうアニお嬢様の姿はとても立派で、そのとき僕はお嬢様の行動に、なんだか感動して、こんな立派な子いますか!? と世界に向かって触れ回りたいような気分になっていた。なんにもできなかった僕や周りの人達が情けない分だけ、余計に彼女は美しかった。



 そうやって彼女のことが気になりだすともういけない。


 彼女が、弟妹達やメイドさんや護衛の人を引き連れて散歩に出ると、それを見つけてわらわらと集まってきた近所の小さな子達を彼女が抱きしめている姿とか、


 小さな子を泣かせている悪ガキを見つけて、良いところのお嬢様とは思えないような大声で怒鳴り、逃げ出した悪ガキを、護衛の人を置いてけぼりにするような猛ダッシュをかけて追いかけ、首根っこを掴んで引きずり倒して頭をはたいている姿とか、お嬢様は、深窓の御令嬢的お淑やかさにはいささか欠けるものの、その分だけ生気に溢れて美しく、僕は彼女に夢中……というのとはちょっとニュアンスが違うが、こんな立派で元気な人が、僕の奥さんになってくれたらいいな、とごく自然にそう思ったのだった。



 でも、アニお嬢様に僕の奥さんになっていただくには障害があって、それはもちろん身分の壁である。


 まず、お嬢様の身分がどういうものかというと、


 アニお嬢様のヴィーゼル副子爵家は、皇帝陛下の直臣たる帝国貴族であるイケベ大公爵家の領地内にあり、その領地うちの一部分の統治を委任されてイケベ大公爵家によって封ぜられた、つまりは陪臣になる。


 陪臣の爵位には、直臣のものと違って、爵位に“副”の接頭辞が付く。


 帝国の宮廷序列では、このヴィーゼル“副”子爵家のようないわゆる陪臣貴族は、直臣の貴族と比較して、一等だけ下として待遇される。ということはつまりヴィーゼル副子爵家は、帝国の宮廷序列で引き直せば、すなわち男爵家相当ということになる。


 男爵家相当。僕にとっては微妙なところだった。


 男爵家といえば下級貴族ではないが、中・上級の貴族の中では一番下の序列になる。


 だから、そこの家のお嬢様の結婚相手を探すとしたら、もちろん単なる一般人の男性では家格が釣り合わない。がしかし、必ずしも貴族の家の息子でなくても対象にはなる。


 例えば僕みたいな商家の息子でも対象になるということだ。


 ただし零細や中小の商家では駄目だ。豪商とまではいわずとも、それなりの規模を持った大商家でなければならない。


 翻って僕のクライバレス家はどうか、まあ中堅どころより少し大きいというくらいだった。つまりアニお嬢様をお嫁さんにするにはまだ少し足りない。



 だから僕は必死になった。社会的地位を上げなくてはいけない。それも早急に。


 アニお嬢様はもう十六歳にはなっていたから、まあ少し早いかもしれないが、どこかの家に嫁いでもおかしくない年齢ではあった。急がなければならなかった。



 僕は商家の独り息子として、十二歳の頃から、それこそ丁稚小僧の仕事からはじまって、そのときまで十年近く熱心にやってきた。クライバレス家の商売は恐らく自分が継ぐことになるとわかっていたからだ。


 でも僕は、そのときからさらに熱心になった。朝早くから夜遅くまで働いて、夜は夜で勉強し、商機を探して鵜の眼鷹の目。でもそれがそんなにつらくはなくて、むしろ夢中になっていた。やっぱり何であれ目標があると人間の動きは全然ちがってくる。


 それで結果として、クライバレスの商売はかなり大きくなったけれども、やっぱり望んだほど早くはそうできなかった。


 僕の思惑はどうあれ、商家というものは多数の雇い人を抱えていて、そうである以上、彼らの生活に責任を負っている。だから危険度の高い商売に手を出したり、過剰な借り入れを起こしたりとかはできないのだ。そして、そういう危ない橋を渡らない限り、資本や商売の太る速度には、ある一定の限界がある。


 だから僕が、もうこれで大丈夫だろうと思えたときには、六年もの時間が経ち、僕は二十七歳に、アニお嬢様は二十二歳になっていた。


 貴族の家の女性が十六歳で、それから六年間もの期間が経った場合、結婚しない可能性というのはほとんどない。それで、僕はアニお嬢様を誰かに取られてしまうんじゃないかと、焦りながら、やきもきしながら頑張っていたが、なんということでしょう! お嬢様は誰とも結婚しなかった!! 



 僕はそれでも、いやいや待て待て、誰とも結婚していないだけで実はもう誰かと婚約していたりとか、内々の縁談話があるかもしれないと考えて、逸る気持ちを抑えて、ご領主様の奥様に確認をしてみた。はたして奥様の仰るところによればアニお嬢様には浮いた話のひとつもないどころか、縁談話があってものらりくらりと躱すばかりで困っているので、全面的に応援するという僕にとっては満額以上の回答があった。


 なぜアニお嬢様が縁談話から逃げるのかはよく分からないが、いかなる天佑か、僕にとっては非常に都合がよかったわけだ。



 そこから先は僕、というよりは奥様のほうが積極的すぎるほど積極的に動いてくださった。もう奥様のハッスルぶり、前のめり加減はまことに失礼な形容のお許しを頂くとすれば、まさしく猛り立った馬車馬のごとくだった。


 だいたい、アニお嬢様に縁談話がないかどうかお尋ねするべく、奥様を内々に訪問しただけだったのに、何故か奥様に用件を聞いて頂いたその直後にその足で、僕はご領主様の執務室に場所を替えて、アニお嬢様との結婚をお許しいただきたいということを“奥様に付き添われて”ご領主様申し上げることになってしまった。


 今まで恋愛小説も幾つか読んだけれど、その中に、結婚の許可を貰うため花嫁の父に挨拶をする男になぜか花嫁の母が付き添っている、などというパターンはあっただろうか、などと頭の片隅で考えながら、奥様に急かされるまま、いわゆる花嫁の父への御挨拶を全く急な展開だったから準備も無かったのでモゴモゴと申し上げた。


 するとすかさず奥様が「いいですわよね、あなた?」みたいな感じでおっかぶせ、そうするとご領主様も「う、うむ、まあ特に反対する理由もないし……」と弱々しく同意するしかなかったのだった。



 それでまあ、アニお嬢様の御両親への挨拶だけが、予想外に早々と、というかデートも告白も、手を握ることも、キスも、何もかもしないうちから、というか花嫁(予定)のアニお嬢様本人が何も知らないうちから済んでしまったところで、ご領主様が「そういえばアニはどうなっとるんだ?」と至極当然の質問をし、僕は、アニお嬢様は何も知らないということを申し上げるしかなかった。



 今回の様なパターン、つまりお見合いなどしたい旨の手紙や釣書を相手の家に事前に送りつけて交際をはじめるのでなく、花嫁の両親のもとへ突然に結婚の許可願いがあるパターンの場合、それはいわゆる見合いから始まる関係ではなくて恋愛結婚であるはずだ。


 そうであれば、経験が無いのであんまりよく分からないが、まあ大体、最初には、会ってほしい方がいるの、みたいな話が娘さんの方からご両親にあって、それでご両親が心の準備をしたところで娘が男に連絡を入れ、男が挨拶にやってくる。それで母親と娘の見守るなか、花嫁の父はしぶしぶ結婚を許す、みたいなのが、まあ様式だろう。


 しかし、この場にはアニお嬢様が居らず、というかそんな話があることも知らず、奥様はなぜか僕に付き添っている。まあご領主様にしてみれば、なかなかに不可解な状況ではある。


 それで、ご領主様は僕に問いを発するように、僕に向かって片眉をお上げになった。


 こっそりと奥様にお話を聞いて頂くだけの予定だったのに、奥様が馬車馬のようにハッスルなさってこんなことになってしまったんです、などと奥様ご本人の前で言うわけにもいかないから、僕は万感の思いを込めてご領主様の眼をみつめ、それから奥様の方へご領主様の視線をいざなう様にして目配せをした。


 ご領主様は、僕の視線に誘われるようにして、嬉しそうに上気した奥様のお顔を暫しご覧になり、それから苦笑交じりに、ふっと息を抜くと、よく分からんが大体分かったような気がする、という答えがこもった目配せを返して下さったのだった。



 その言葉によらない目配せのみの伝達が、僕とご領主様の間で成立した瞬間、僕はご領主さまがお義父様になっても、うまくやっていけるような気がするなあと思ったのだった。



 まあそれはいいとして、アニお嬢様は僕の恋情について何も知らないということになるわけで、いくら結婚には家同士の結びつきという部分もあるにしたって、やっぱり幸福な結婚生活を送るためには、本人同士の気持ちが大事なのは当たり前のことである。


 帝国の母にして主権者また守護者たる、いとも偉大にして慈悲深き皇帝陛下の欽定なさった帝国法典にも斯くの如くある。すなわち『婚姻は両性の合意によって成立する』と。


 つまりは、奥様の表現をお借りしていうならば、


「スケイロちゃん、あなたはあの子を何とかして落とさなければならないわ!」ということになる。


 ということで『アニお嬢様のハートを射止める対策会議』が結成された。議長はもちろん奥様である。


 それでアニお嬢様の傾向と対策が話し合われた。


 傾向と対策といっても、まあ結局のところ砕けるにせよ成功するにせよ、取り敢えずは当たってみないことには話が進まないわけで、アニお嬢様に逃げられてしまった今となっては、とにかく正面からぶつかってみればよかったと思うけれど、僕は初恋が成就するかどうかの状況で臆病になってしまったのだった。


 人は自分に自信がなくて臆病になってしまうと、取りあえず情報を集めてそれに頼ろうとしがちで、それで僕は、奥様が教えてくださるアニお嬢様の傾向と対策に頼ってしまったのだった。


「あの子はね、何だか結婚というものに拒否感があるのね。でもそれはなんだか他人と暮らすのは面倒くさそうだとか、あるいは何とはない不安感みたいな単に食わず嫌いというだけのことで、なにか心に決めた身分違いの男性がいるとかそんなはっきりした理由があるんじゃないと思うわ。あの子に男性の影はないもの。だからねスケイロちゃん。あんまり結婚がどうとか直線的に攻めてはダメよ。ちょっとずつ、ちょっとずつ距離を縮めていくのが良策よ。そうしたらスケイロちゃんなら気心も知れてて、ほとんど身内みたいなものだし、不安になることだって無いでしょう? あなたですらダメならあの子は他の誰とだって結婚できないわ!」


 というのが奥様の言である。



 それでまあ、そんなものなのかなと思ったから、お嬢様のお屋敷にご機嫌伺いをする回数を増やしたり、手紙を書いたりして、距離を縮めるべく努力していたわけだけれど、お嬢様はお逃げになってしまわれた。



 奥様は色々と便宜をはかって下さったけれども、結局のところ、お嬢様当人を置き去りにして話を進めてしまっても、うまくいかないのは当たり前だったわけだ。


 まあでも希望はある。お嬢様が御奉公にでて、僕とは結婚できない状況になったということは、裏を返せば他のだれであっても結婚できない状況であるわけで、ということは、その間に状況を何とかすればよいわけだ。



 僕はとりあえず、帝都に出て宝石店に行き、婚約指輪を買った。


 アニお嬢様に好意を伝えて、この指輪を彼女が乳母の仕事をしているうちに、他の男が現れてこないうちに何とかして受け取ってもらわなければならない。



 つまりここからが僕の一世一代の勝負なのだった。


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