(2)-1
昼休みになり、食堂に行くか購買部でパンでも買うか悩んでいるところでサリーが駆け寄ってきた。
せっかくおっぱいが頭から離れてくれたというのに、またおっぱいが走ってくる……。
「あーちゃん! 一緒にお昼食べよーでありんすぅ!」
「え? いいけど、夕之助は?」
「ゆーのすけみたいな悪はあちきが退治しといたでありんす!」
言っている側から夕之助が後ろから現れて、サリーの頭をバスケットボールでも掴むかのように鷲掴みする。
「俺は悪だからおまえの頭をこのまま割ってもいいんだよな?」
「ぎゃー! 復活したでありんす! おんみょうじおんみょうじたいさんたいさん!」
またおかしな日本語を発見した麻妃は、わざとらしく咳払いする。
「一応突っ込んどくけど、おんみょうじってのは呪文じゃなくて人だからな」
夕之助とサリーがいつものように喧嘩している隙に、麻妃は紙と睨めっこしている深夜に声をかけた。
「小野さんも一緒に食おうよ」
「…………っ!」
背後から声をかけられたのが意外だったのか、深夜は慌てて紙を裏返す。
「ああ、部活のやつ? 俺も決まってないんだよなあ。小野さん、何に入んの?」
「…………」
無言でぺろんと捲って紙を見せる深夜。
「あー……」
どう? という目つきで下から見上げる深夜。
その紙は名前以外何も書かれていない、綺麗な白紙だった。
「じゃあさ、飯食いながらみんなで考えようぜ」
みんな、というフレーズに反応した深夜は、麻妃のバックで口喧嘩を繰り広げている夕之助とサリーを見るなり、あからさまに嫌そうな顔をする。
「まあまあ、そんな顔せずに。変わってるけどイイ奴だと思うぜ、俺は」
「…………」
「夕之助は口悪いけど世話上手だし、サリーは、えっと、なんだ? 歩く……」
さすがに歩くおっぱいとは言えずに口を噤む麻妃。
その何かが深夜の癇に障ったようで、むすっとした顔で立ち上がり先に歩いて行ってしまう。
「あれ? 小野さん?」
また俺は何か地雷を……。
「あー! おのおのさん! ねーねーなに食べる? パン買う?」
離脱するように夕之助から逃れ、サリーは深夜の隣をキープする。
一見仲良し同士に見えるが、明らかにサリーが一方的に話しかけているだけの状況だ。それでも気にせず笑顔で話しかけ続けるサリーは、やっぱり純粋な良い子で純粋なアホの子なんだろうな、と麻妃は思った。
結局――
麻妃達は購買部でパンを購入し、教室で食べることにした。
深夜がパンを買って真っ先に購買部を後退ろうとしたからだ。追うようにして慌てたサリーもパンを買い、それを見た麻妃達もパンを買ってその後を追うことにする。
「つーか、どこ向かってんのこれ?」
「さあ……」
夕之助がしかめっ面で問う。空腹なのもあって、苛立ちが増しているのだろう。
麻妃はというとパンを大事そうに胸いっぱいに抱きしめて、それだけで満足そうにしていた。
「おまえ、どんだけパン好きなわけ?」
「だって選べるわけないだろ……綺麗系女子と可愛い系女子、どっちを抱くかぐらいの究極の選択だぜ? そして迷わずどっちも抱くのが男である」
「まだその思考回路治ってなかったのかよ」
いつもなら夕之助の素早い突っ込みに惚れ惚れするのだが、今の麻妃はパンに夢中である。
総菜パンも食べたい、菓子パンも食べたい、コロッケパン食べるならフィッシュパンも捨てがたい、そこで食べたくなるのが甘いチョコチップパン、そしてメロンパン……もうパンのことを考えるだけでも幸せだよ俺は。
パンをむぎゅむぎゅしながら歩いた先に待っていたのは、
「ん? 空き教室?」
見上げた先にはクラスも教室名も書いていない、真っ白なプレート。
そこに深夜が入っていき、
「あーちゃんたち、はやくはやくー! こっちでありんすぅ!」
教室の中からサリーの元気な呼び声が聞こえ、誘われるがままに入っていく。
「ふーん、空き教室か。またよく鍵がかかってないところを見つけたもんだな」
夕之助が全く感心していない口ぶりで言う。
掃除の時のように後ろに積み上げられた机がいくつかある。使わなくなった机の保管場所なのか、それともここ自体が使わなくなった教室なのか。
どちらにせよ、今機能を果たしていないのは確かだ。
まだ創立して間もない学園なので教室自体は綺麗だったが、人気がないせいか殺風景で温かみを全く感じない場所だった。
「おのおのさん、いつもここでお昼食べてるのー?」
深夜が答える前に、
「そういえば昼休み教室にいないよな」
夕之助が話にのっかる。
「え? そうなの?」
交流行事の時、確かに深夜は昼休みいなかった。空白の時間がある麻妃にとって、それが毎回だとは思ってもいなかったのだ。
「…………」
深夜は答えず、放置された椅子に座る。
それを見たサリーがにこにこしながら椅子を持ってきて隣に座り、麻妃と夕之助も椅子を運んで向かい側に座った。
「よぉーし。右手に左手をそえて二つあわせたらこーそくで擦り合わせていいかんじになったところで、いただきまーすっ」
え、なにそのお色気いただきます……そう感じてしまう自分の頭が今だにおっぱい病なの?
麻妃は真実を求めるかのように夕之助に視線を送るが、
「無視」
その一言で終わった。
これはもうメロンパンから食うしかあるまい、とくだらないことを考えながら麻妃はメロンパンの袋を破る。
「ねーねーおのおのさんはなんで男の子とはお話しないのー?」
ハムスターがひまわりの種をかじるかのようにチョコチップパンをちょこちょこ食べる深夜に、サリーが練乳パンの袋を開けながら問う。
「…………」
無言で終わるかと思いきや、三人の視線が重かったのか、メモ帳を取り出して何やら書き始める。
そしてサリーに手渡した。
「おとこのこがきらいだから? おのおのさん、男の子嫌いなのー?」
頷く代わりに瞳を閉じる深夜。そしてまたなにやら書き始めて、サリーに手渡す。
「きたならしい? ばっちーってこと? なんだぁ、ゆーのすけのことでありんす」
余計な一言をつけたサリーが悪かったのだ。容赦ない夕之助は飲み干した後のコーヒー牛乳の瓶をサリーの顔面に投げ付けた。
「あだ! いたひ! もぉーゆーのすけきらい!」
「嫌いで結構、そしてしね」
パックもあるのに瓶を選んで買ったのは、もしかしてこういう自体に備えてではないだろうか、と麻妃はしみじみ思う。
「汚いってのは衛生的にって意味?」
深夜は強く否定するかのように、首を横に振る。
衛生的にではないなら、どういう汚いなんだろうか。穢らわしいという意味なんだろうか。
そんなことを考え、改めて問おうとしたが深夜の瞳に宿るひっそりとした闇に気づき、それ以上問うことは出来なかった。
伏せていた目があまりにも悲しそうな目をしていたから。唇の代わりに噛みしめるかのようにパンをかじっていたから。
聞いてはいけない、と麻妃は思ったのだった。
きっと男の子を嫌うようなよっぽどの出来事があったのだろう。男の子と話したくなくなるぐらい、憎むような出来事があったのかもしれない。
そんな彼女の心を自分は開くことが出来るのだろうか。
少しでも手助けしてやれることはあるのだろうか。
深夜のそんな表情を目の当たりにして、麻妃はやるせない気持ちにさせられた。
「んなことより、部活。部活どうすんだよ」
重苦しくなる一歩手前の空気を感じ取ったのか、夕之助が落ちた瓶を律儀に拾いながら言う。手元に瓶を持ってくるあたり、きっとまた投げるためだろうな。
「そ、そうだった。部活、部活ね。どうしようかね」
努めて動揺しないように振る舞うが、声が浮ついてしまう麻妃。
「あちきはみんなと一緒ならなんでもいいでありんす」
「むしろおまえを一人で部活なんか入らせらんねーだろ。存在が人様に多大な迷惑かけてんだからな」
「まあまあ、その通りかもしれないけど落ちつけって」
麻妃は苦笑しながら瓶を握り締めている手を抑え込む。
確かにサリーのこのアホ加減を理解した上で、世話出来る人が側にいないと大変なことになるのは目に見えている。あれ? そんなの夕之助しかいなくね?
「…………」
もちろんそんなやりとりに一切関与しない深夜。
そんな様子を見て麻妃は考える。サリーの言う通り、みんなで同じ部活に入ってしまえば心強いかもしれない。
サリーは夕之助がいないと駄目だろうし、自分と深夜がいざ二人で同じ部活に入ったからといって、さっきみたいな重苦しい空気になりかけたら中和してくれる第三者が必要だ。その点では夕之助が最適だと思われる。
それになんだかんだでサリーみたいに、どんなに嫌な顔をされても気にせず構うような女の子が深夜には必要ではないだろうか。同性の友達が全くいないなんて悲しい。
「俺もみんなで一緒の部活に入るってのはいいと思う。つーか、そうしようぜ」
考えていたらなんだか不思議と楽しくなってきた。中学では部活に入っていなかったし、人より遅れて入学したのもあって決して友達が多いとも言えなかった。
だからだろうか? こういうのも悪くない、と思ったのだった。
もちろん強制じゃなければ、部活なんて入らず家族優先な生活を送りたいわけだが。
「それは別にいいけど、何の部活に入るわけ? この四人で」
「うっ……」
早速、難題が降りかかる。
夕之助の言う通り、一番問題なのは何の部活に入るかだ。運動部だと同じ部活に入っても練習で別になるだろうし、そうなると文化部しかないわけだが、放課後仲良く本読んだり(会話がない)、仲良く絵を描いたり(これも会話がない)、仲良く演奏したり(無理がある)、仲良く茶を振る舞う(これも無理がある)、というわけで明日が見えない。
「一般的な部活は無理じゃねーの」
思案を駆け巡らせた結果同じ結論に辿り着いたであろう麻妃に、夕之助が破壊力抜群な一言を言い放つ。
じゃあ一体どうすれば……。
「あちき達で作ればいいでありんす!」
はいはーいと発表したがりな小学生のように手をあげて発言するサリー。
「作る?」
「うん! ないなら作ればいいんでありんす! あちきが読んでる本はみーんなぶかつを作ってせーしゅんしてた!」
「すげえな、サリーが本読んでることの方がすげえ」
そして本読んでなおその頭であることは表彰してもいい。
「ライトノベルだけどな」
そしてことあるごとに解説するのは俺だけどな、と突っ込む夕之助。本の世話までしなきゃなのか……大変だな……。
「あちきもせーしゅんしたいでありんす。ね、おのおのさん!」
「…………私は別に」
小声で返答する深夜に、
「えー? だってせーしゅんは男の子と女の子がそろわないとだめなんだよー? ぱんちらしたり、おっぱい出したり、男の子と女の子でらぶこめして、さいごに仲良くちゅーして、みんなに爆発されなきゃだめでありんすぅ」
珍しく真面目に語るサリーだったが、もはやなんのことかわけがわからない。
それは深夜も同じだったようで「は?」と言いたげな顔をしていたが、
「あちき、ゆーのすけきらいだから、あーちゃんとらぶこめするでありんす。だからおのおのさんにはゆーのすけあげる!」
「いらない!」
ガタン、と椅子が倒れる。そして訪れる静けさ。
わざわざ立ち上がって、しかもずっと口を閉ざしていた深夜が大声で否定したので、その場にいる誰もが目を丸くした。
「こいつの発言を真に受けてんじゃねえよバカ」
凍り付くような無言の空気を突き破ったのは夕之助で、いつもの調子で突っ込みを入れ、
「おのおのさん怒ってる……?」
サリーが怒られた後の子犬のようにしゅんとなって、申し訳なさそうに深夜に問いかける。
「怒ってない、別に」
深夜は何か言いたげだったが、それ以上は何も言わなかった。