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放課後。
最下位だったにも関わらず、クラスの雰囲気がよくなったのを嬉しく思った担任が交流会を開いてくれることになった。
「自分の生徒から会費をとるわけにもいかんからな。喜べ、俺のおごりだ」
「大丈夫なんですか? 保苅先生。給料日前ですのに」
「……あ」
なんていうやりとりが担任と養護教諭の間で繰り広げられていたが、気にとめる生徒は誰もいなかった。
帰りのホームルームを終えるとそれぞれで指定された場所に集合することになる。
クラスメイトが続々教室を出ていく中で、
「おまえどうすんの? 交流会」
「え? 行くよ、もちろん!」
夕之助の問いに即答で応える麻妃。やっとクラスメイトの名前を覚えられる上に交流が持てるチャンスなのだ。出だしが遅れてしまったからには行かないわけにはいかないだろう。
「そ。なら早くしろよ」
悠々と鞄に教科書を詰めている姿を指しながら、むすっとした顔で言う夕之助。
素直に「じゃあ一緒行こうぜ。おまえまだ道よくわかんないだろ?」って言えばいいのに……と思いながら麻妃は空返事をして口を尖らせる。
悪い奴じゃないし、むしろ本当は良い奴なのに、なんていうか素直じゃないんだよな。顔と正反対で口悪いし。
「やはり神は人に完璧など与えんのだな……」
とかなんとか思っていたら、それが口から漏れていたようで、
「早くしろって言ってんだろーが」
鞄で頭上を叩かれる。
「ぷぷぷ。ゆーのすけにおこられてるー」
「他人事のように言ってんじゃねーよ、おまえもさっさとしろバカ」
麻妃の頭上を叩いた強さより、明らかに強く叩かれるサリー。
「なんでたたくの! バカになりんす!」
「安心しろ、それ以上ぜってーバカになんねえから。バカの中のバカでバカでいう天才だからな、おまえは」
しばし沈黙し、サリーはその言葉の意味を考えていたようで、閃いたかのように手の平を叩いて、
「あちきはどうやら天才のバカだったみたいでありんすぅ!」
自慢するかのように、どや顔で麻妃に話しかける。
アホだ……本当にアホだ、こいつ……。
巨乳は頭が弱いみたいなテンプレを全身全霊で表してくれているような子である。顔と胸は男として誰が見ても高級品なのに、喰ったら食あたり間違いなしで非常に残念だ。欲しかったブランドを大金出して買ったのに実はAランク偽物だった、みたいな際どいショックを受ける。
「言っておくが、こいつも一緒だからな」
おまえも手伝えよ、という裏の台詞が聞こえてくる。
夕之助の姉なので仕方がない。なによりこんなアホの子を一人で行かせるわけにはいかないだろう。
「あ、じゃあ俺も……」
麻妃は言いかけて、深夜に視線を向ける。
あの様子だときっと友達と一緒に、ということもないだろう。一人で行くなんて寂しいじゃないか。それこそ放っておくわけにはいかない。
「小野さーん」
鞄に教科書を詰め終えた深夜に声をかける。
「お、おーい、小野さーん」
最初はもちろん可憐に無視。絶対聞こえているのに無視。それでも麻妃はめげずに声をかけ続ける。
「おいってば! おーのーのーさーん!」
ガタン、と必要以上に大きく荒い音とたてて椅子から立ち上がった深夜を見て、麻妃は口元を緩める。やっぱり聞こえてんじゃんよ。
「小野さんも一緒に行こうよ」
「…………」
顔だけ麻妃達の方に向け、少し不機嫌そうな顔をする。
「そうしよー! おのおのさんも一緒にいこー! いくいくぅーでありんすぅ! あ、なんか最後ちょっとえっちになった、ね!」
「ね! じゃねーよ! おまえもう一生喋んな!」
笑顔で夕之助に同意を求め、また怒られるサリー。そんな二人は放っておいて、
「な、一緒行こうぜ」
もちろん深夜は一言も返さない。その代わりにメモ帳のようなものに何か書き始め、書き終えたかと思うとそのメモ紙をくしゃくしゃ丸めて、
「お?」
麻妃目がけて投げつけてきた。もちろん麻妃まで届かず床に落下してしまう。
やや歩み出て紙くずのように丸められてしまったメモ紙を拾い上げ、その場で開くと、
「帰る……え! 帰んの!?」
そこに書かれた「帰る」という二文字を読み上げて、そのまま声をあげてしまった。
ここまでくると本当に喋るのが嫌なんだな、と本気でショックを受ける麻妃だったが、それよりも先に帰ろうとしている深夜を引き留める作業の方が先だった。
「帰んのは自由だけどさ、さすがに初っぱなからそれはないんじゃねーの? 仮にもこいつが誘ってんのによ」
もっともなことを最初に口にしてくれた夕之助だったが、その表情からは「俺も帰りてえのに一人上手く逃げてんじゃねえぞコラ」という感情が読み取れて、ついじと目になってしまう麻妃。
「そうだそうだー! ソーダ! 一緒にいこうよ、おのおのさん。おのおのさんも一緒の方がずぅえーったいたのしーでありんすぅ」
アホのいいところは、アホゆえに発言に裏がないことだ。
そう、彼女は本気で一緒だと楽しいと思っているし、だからこそ本当に来て欲しいと心から思って言ってくれているのだ。
「ねー? 一緒にきて欲しんすぅ!」
「……っ!?」
深夜に歩み寄り、腕を掴んで引っ張っていこうとするサリー。そのフレンドリーで人懐っこいところは、きっと外国人の親から受け継いだのだろう。
「ちょ、ちょっと! 帰るっていってるでしょ!」
「えー? やだ」
でかいサリーの声と違って、深夜の声は麻妃達には全く聞こえない。しかし口がぱくぱく動いている様子は見てとれるので、やはり『喋れない』わけではなく『喋らない』のだと改めて気づかされる。
「やだって、ちょっとあん……」
「あー! おのおのさん喋ってるぅ!」
「!」
今更気づいたサリーがはっとして大声をあげる。無駄に大声だったので深夜は焦り、サリーの口を塞ごうとしてそのまま二人で床に倒れてしまった。
「いたいよぅ、おのおのさん」
「それはこっちのセリ……!」
と、言いかけたところで見上げると麻妃と夕之助が仁王立ちしており、深夜は息を飲む。
「おのおのさん、ずぅっと誰ともおはなししてなかったのにー!」
ぱぁっと煌びやかでおもちゃを見つけた子供のような表情をするサリーが嬉しそうに言うと、
「そうか? こいつ、故意的に男子とだけ喋らないようにしてんじゃねーの? 女子とは必要最低限の会話はしてるみたいだったけどな」
夕之助が相も変わらずトゲのあるような言い方をする。
「うーん、あちきは女子じゃないってことでありんす?」
「おまえは性別以前の問題だろ」
性別以前の問題ってなんだろう? と脳のキャパシティーを越えてしまっているサリーは唸りながら考え出すが、そんなものは放っておいて、
「ま、まあ……そこは今深く突っ込まないから、さ。とりあえず行こうぜ、一緒に」
麻妃は倒れ込んだ深夜に手を差し出すが、その手はまたしても宙に浮いたままだった。代わりに手の平をくすぐったさが襲う。
「……しつこい。しつこい?」
せめて水性サインペンで書いてくれればいいのに、何で油性ペンで書くんだ……しつこい勲章とか超いらないんですけど。
深夜は麻妃の差し出した手の平に「しつこい」とだけ書き込み、立ち上がって乱れたスカートを取り繕う。
「つまり一緒にいくってこと? 嬉しいでおすぅ」
サリーは馴れ馴れしく深夜の両手をとり、にこにこと満面の笑みを向ける。
「つまりかどうかは別として、さっさと行くぞ。いつまでぐだぐだやってんだよ」
うんうん、とサリーが頷き深夜の手を引っ張って先に教室を出ていく。
「よかったな、帰らずに済んで」
「ああ。でも……」
「でもなんだよ」
「いいんだろうか。あいつら先に行かせちまって……」
サリーさんに任せて、まず校内を出ることが出来るのか否。
集合場所、交流会開催予定地のカラオケ前にて。
ちらほらとクラスメイト達は集まっており、カラオケ前でそれぞれのグループやペアごとに固まって雑談している。
「集合場所ってここでいいんだよな? って、おいこのクソアマ! 動くな騒ぐな息するな!」
傍らの夕之助がクラスメイトに確認してくれたのはいいが、落ち着きのないサリーから目が離せない状態で完全に休日の子守り父親状態である。
「最後の息するなってなんだよ、おい」
あえて突っ込んでおく。何故ならサリーはアホの子なので、本当に息を止めて顔を真っ赤にしているからだ。
我が愛しの妹(何故か嫌われているみたいだが)は、そんなサリーを横目で見てげんなりしている。その反応と表情、正常な証だ。
担任と養護教諭が姿を現すと続々と店内に入っていく。
広いパーティールームに案内され、各でソファーに座る。丸いテーブルとソファーがいくつもあり、席を自由に動けるだけのスペースも数もあった。
「なに飲む?」
「俺はコーラにしようかな。二人はなに飲……」
「はいはーい! あちきはカルピスソーダのカルピス多め!」
サリーが小学生のように元気よく手をあげて言うが、
「却下」
夕之助が即答する。
「むぅ。じゃあカルピス原液にする」
「ちょ、どんだけカルピス好きなんだよ!」
相手にすらしなくなった夕之助の代わりに突っ込んであげる麻妃であった。
「小野さんはなんにする?」
「…………」
視線はくれるものの、やはり喋ってくれる気配はない。
麻妃は小さくため息をつき、仕方なくサリーに小声で、
「悪い、小野さんになに飲むか聞いてもらえる?」
とお願いしたところ、笑顔で大きな胸を揺らしながら頷き、快く引き受けてくれたが、
「悪い、小野さんはなに飲むか聞いてもらえる? って、これが言ってるー」
「ちょ!」
頼む相手を間違えたことに即座気がつくことになる。
サリーは麻妃を指しながらオウム返しすると、任務達成したと言わんばかりに満足げな顔をした。可愛い顔でそんな顔されては怒る気も失せるというもの。
確かに名乗っていないので仕方ないが「これ」はないだろう「これ」は。日本語間違ってるよ!
「うーん? うんうん、おのおのさんもあちきと一緒のカルピス原液でいいでありんす」
「よくねえよ!」
いくら答えてもらえなかったからって勝手に答えるなよ!
そんなやりとりを見かねたのか、深夜が麻妃にゴミのように丸めたメモ紙を再び投げつける。
「メロンフロート?」
「ソフトドリンクで一番高いのじゃねーかよ。ちゃっかりしてんな」
言って、夕之助は他のクラスメイトのところにいってしまう。恐らくまとめて注文するのだろう。文句ばっかり言ってるわりに世話焼きタイプなんだよなあ、とその後ろ姿を見てつくづく思うのだった。
「よぉーし、歌ってくるでありんすぅ!」
夕之助の目が離れた途端、自由を得たと言わんばかりにサリーはマイクを持ってどこかへいってしまう。室内にいる限り目は行き届くし、なんとかなるだろうと麻妃もそれを止めはしなかった。
結果として、深夜と二人っきりになってしまった。
もちろん室内にクラスメイトが散乱しているし、密室に二人っきりというわけではない。それでも隣同士並んで座っていると、空間としては二人っきりのようなものだ。
さて、どうしたものか。
喋ってくれない彼女とどうすればコミュニケーションがとれるのだろう。
「カ、カラオケとかよく行くのか?」
「…………」
ごめん、ごめんって。こういう場にはあまり縁がなさそうなことぐらい空気で察してたよ。ただ会話の一貫としてだな……。
「俺もあんまり行かないからさ。ましてこんな大人数とか初めてだし」
「…………」
あと、あとなんだ……なにか会話の種はないのか! 落ちてないのか!
「あ! そ、それ! その星のピン! 可愛いし、よく似合ってるよな」
「…………っ!」
食いついた!
麻妃は見逃さなかった。一瞬、深夜の目が大きく見開かれたのを。
やはり深夜も女の子なのだ。自分の容姿やセンスを褒められれば嬉しいに決まっている。それにそのピンは本当によく似合っていたのだ。
「あれだろ、それ。すわろふすきーってやつだろ。キラキラしててマジ可愛いと思う、うんうん」
「…………そう思う?」
喋った! 初めて喋ってくれた!
麻妃はここでの押しが大事だと考えた。言葉は慎重に選ばなくてはならない。
「思う! 超思う! そういうの本当に似合う子ってなかなかいないと思うぜ。それ選んで買った小野さんはセンスがずば抜けてるっつーか……」
なにがいけなかったのだろう。
このたった一言で、すべてが崩壊してしまう音が遠くから聞こえてくるのだ。
「…………」
何か気に障るようなことを言ったつもりは全くない。しかし深夜は殺意を込めた視線を麻妃に送りつけるのだった。
目がうっすら光って見えたのは、室内を照らしているカラフルライトのせいなのか、涙の膜なのか、わからなかった。唯一わかったのは、一番言ってはならぬことを言ってしまったのだろう、という突き刺さる凍った空気。
それ以降、何を話しかけても答えてもらえず、メモ紙さえも貰えることはなかった。




