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次に鳴った笛の音は担任が吹いたもので、前に集まれという合図だった。
クラスごとに列を崩して担任の下へ集合する。
校庭に白い粉で描かれていくSという文字を横目に、なんとなく何をするかは想像出来た。だからこそそうだとは思えなかった。
まさかこの年齢になって、しかも男女で、そんなゲームを交流行事として果たして行うのか? という疑問が脳内を駆け回るからである。
「ん。見ての通り、知っての通りだ。今日はクラス対抗でSケンを行う」
びくう、と体を震わせ、いやいやいや知らねーよ! なんて顔をする麻妃の背中をつんつんと突き、
「なに一人で過剰反応してんだよ。みんな既に昨日説明されてんだって」
と、後ろにいた夕之助がめんどくさそうに教える。
「そ、そうなんだ」
通りでみんな対して驚かないわけだ。きょろきょろしているのは麻妃だけである。
「ルールはわかるか? 今更説明なんてねえぞ」
「まあ……なんとか。小学校の頃やったっきりだけど」
そんなことより夕之助に対して抱いている疑問の真実が気になって仕様がなかった。Sケンなんて一瞬で脳内から吹っ飛んだ麻妃である。
再び夕之助に声をかけようとして、担任の声に打ち消されてしまった。
「よし、優勝したら俺のおごりで交流会と称した打ち上げをやってやろう。頑張ってこいよ」
優男らしい笑みを浮かべた保苅先生が右手を大きく掲げると、みんなも右手を掲げて「おー」だとか「わー」だとか声をあげて盛り上がる。
熱血な暑苦しいおっさんが言うのと違い、まだ若く優しそうでさわやかな保苅先生が言うと生徒達も割と乗り気だった。
「ほら、行くぞ。ぼーっとしてんなよ」
夕之助に急かされて、麻妃は校庭に描かれたSの中へと入っていく。
誰かが円陣とか組んどく? みたいなことを言い出すが、
「んなめんどくせーことできっかよ」
あっさり夕之助が切り捨てる。不思議なことに彼が言うと「そうだよね……」みたいな雰囲気が漂っていた。あんな綺麗な顔にああいう言い方されたら迫力ありすぎて反論しづらいのだろう。しかし、
「え? なんで? せっかくだからやろうよ。これ交流行事なんだろ?」
交流を深めないでどうするんだ? というのが麻妃の見解だった。物怖じすることなく、あっさりと反論する。
「やりたい奴だけでやりゃいいだろ」
「なんだよ、そんな恥ずかしがるなって。せっかくだからみんなでやろうぜ」
「はっ……!」
図星だったのか顔を真っ赤にする夕之助に、
「ゆーのすけ顔まっかー! 恥ずかしがってるー! ぷぷぷ!」
サリーが笑いながら追い打ちをかける余計なことを言って、顔面を引っ張られる。
「やりゃいいんだろ、やりゃ」
「いたひ! いたひよ! ゆーのふけきらひ!」
晴れて円陣を組むことになり、クラスの団結力が深まったように感じた、が。
「あれー? おのおのさんは?」
深夜は一人だけ加わろうとしなかった。
「おのおのじゃなくて、おののだって。小野さんもおいでよ」
この状況ならもちろん、ペアなら余計に放っておけるわけがない。麻妃は努めて明るく声をかけたが、
「…………」
やはり返事は返ってこなかった。
麻妃は頬を掻いて困った顔をする。さすがに自分だけならまだしも、クラスを巻き込んでこの状況はいかがなものか。せっかくクラスがいい雰囲気になったというのに完全にぶち壊しである。
どうするの? もうよくない? 放っておこうぜ、なんていう空気が漂い出したところで審判の先生から早くするように言われ、その場は仕方なく深夜抜きで円陣を組んだ。
ほぼ同時に開始の笛が鳴って、ゲームという名の戦いが始まる。
小学生の頃よくやったものとは少しルールが異なり、S字の回りにはひまわりの花びらのような線が描かれている。その線の中をケンケンで進み、相手の陣地に乗り込まなければならないらしい。もちろん線から出たらアウトだ。
そして相手の陣地内にある宝物を奪うか、制限時間内に残った人数が多い方が勝ちというゲームである。もちろん敵同士邪魔する為にはとっくみあいになるし、小学校の頃と違って今では男女の力の差も大きい。
もちろん女子を本気で突き飛ばしたりはしないが、女子に本気で突き飛ばされていいんだろうか。ご褒美の再来?
「よぉーし。あちきが宝をとってくるでありんすぅ!」
「おまえはこっから動くなよ。一歩も動くなよ。動いたら泣かす、むしろ意識飛ばす」
「またゆーのすけはそんないじわるでえっちなこと言うー」
「はぁ? 今のどこにえっちな言葉があったのか三行で言え、三行で! しかもまたってなんだよ、またって!」
相変わらずの言い合いを余所に、ゲームが始まってからも麻妃は深夜のことが気になって仕様がなかった。
見るからにクラスメイトと壁を作っているようだし、むしろ喋ろうとすらしない。
「なぁ、なんであんな態度とるんだ?」
宝の前で突っ立ったままゲームに参加する意欲を全く見せない深夜に、麻妃は恐る恐る声をかける。
見上げるようにして麻妃に視線を送り、
「…………」
やはり無言を返す、深夜。
さすがにいらっとした麻妃は、
「あのさ、初対面でその態度はないだろ。仮にも今日から一緒に生活するパートナーになるんだぜ? おにーちゃんになるんだぞ?」
その一言がよっぽど癪に障ったのだろう。今まで微動だにしなかった深夜が動き、涼しい顔が苛立った感情にまみれ、
「いッ!」
爪先を思いっきり踏みつけた。
だからといって感情を言葉にしてくれるわけでもなく、無言のまま、また棒のように突っ立つ。
「おまえなぁ!」
下手に出てりゃこの女……と、文句の一つでも言ってやろうとしたら、
「なに身内で揉めてんだよバカ。状況を見ろ、状況を」
おまえにだけは言われたくねーよ! と言い返す間もなく、敵が陣地に押し寄せてきた。もちろん敵のお目当ては宝で、それを取られた時点でゲーム終了である。
「よぉーし。あちきが宝を守るでありんすぅ!」
「そうだな、こんな時ぐらい体張って人様の役に立ってこい」
「ひゃあああっ!」
夕之助はサリーの背中を押し、宝へと迫り来る敵に体当たりさせる。
「おまえ、鬼畜だな……」
「はぁ? 敵にとっちゃご褒美なんじゃねえの?」
確かにあのふくよかな二つの果実を盛大に揺らしながら自分に突撃してくるなんて、男にとっちゃご褒美以外のなにものでもない。
端から見てもご褒美としか思えなかった。敵は皆優しくサリーを抱きとめているし、そんなことで異性を意識したり恥ずかしがるような頭のないサリーは「助けてくれてありがとうございんす!」なんて敵にぺこぺこしている。アホだ……アホがおる……。
多少それで敵を誘惑出来たものの、女子にはそんな攻撃は通用しないどころか反感を買うだけで、なんだか火に油を注いだ展開になっていた。
と、宝の前の深夜が敵の女子に突き飛ばされ――
「……っぶね」
大げさかもしれないが、心臓が止まるかと思った。
咄嗟に出した手で深夜の腕を掴み取り、そのまま力任せに自分の方へ引き寄せる。おかげで深夜の転倒だけは防ぐことが出来た。
「大丈夫か?」
「…………」
それでも喋ってはくれない、か。
深夜は麻妃の手を払いのけ、乱れた体操服を取り繕う。
「大丈夫じゃねえだろバカ。なにやってんだよ」
途端、夕之助の苦しそうな声がして敵が宝を狙って押し寄せてくる。
宝の前に深夜がいたことで男子は多少躊躇っていたのだろう。その深夜が動いたことで一斉に攻め込み始めたのだ。
「やれー! いけー! もう少しー! いえいいえいおー!」
「てめえどっちの味方なんだよ、このクソアマ。帰ったらみとけよ」
段々、夕之助が哀れになってきた麻妃である。
夕之助に挑むのはやたら女子生徒が多かった。夕之助に触りたい一心なのだろう。しかし男子生徒もやたら嬉しそうに絡んでいくから不思議だ。やはり自分の予想は外れていないのかもしれない。
助けを求める夕之助を放っておくわけにもいかず、麻妃は助太刀参戦する。押し寄せてくる敵と押し合いになりながらも自分なりに必死に立ち向かった麻妃だったが、視線の片隅に映し出される深夜の姿に気を取られて戦況は最悪だった。
どうして喋ってくれないんだろう。
麻妃の頭の中は今そのことでいっぱいだった。
恥ずかしがり屋? 人見知り? そんなレベルではない。一体自分の何がいけないんだろう。
少なからず、自ら望んでこの学校に来ていない生徒だっているだろうし、そういう人にとっては兄弟制度なんてものは馬鹿げているだろう。ふざけているかもしれない。
「だからって! 一言も! 喋って! くれない! なんて! あんまり! だッ!」
敵を外に押しやりながら訴えるように叫ぶ。
「わけわかんねーこと言ってねえで、もっと押せって!」
相変わらずマークされている夕之助は一人で大変そうで。
――結局。
三組は学年最下位という残念な結果に終わった。
敗因は決してチームワークが悪かったせいではない。きっとクラスに一人はいるであろうジャイアン的秀でた力落ちがいないということと、夕之助の存在が何故か相手チームのモチベーションをあげ、潜在能力を最大限に引き出していたということだろう。
「俺はおまえが原因だと思うぞ」
「はぁ? 意味わかんねーこと言ってなよバカ」
麻妃が本音を口にすると夕之助がしかめっ面で応える。
いやだって地下アイドルに触る為に迫り狂うオタクみたいな勢いだったぞ、あいつら。きっと夕之助がCDを出せば、握手券の為に三桁余裕で購入しちゅう勢い。
結果は覆しようがないのでどうしようもないが、一致団結して頑張ったという過程はきちんと彼らの中に残っていた。目で見て分かるほどにクラスメイト同士の交流は深まっている。
まだほとんど喋っていなかった生徒と会話を交わしたり、結果を知ってもなお盛り上がって賑わう姿は実に初々しく輝かしい。
「…………」
そんな時でも誰と喜びや悔しさを分かち合うことなく、一人でむすっとしている深夜がいて。
麻妃は頭痛がする思いだった。