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ここ茶の間学園の校訓は他の学校とは大きく異なる。もう別世界だと思わないと常人には受け入れがたいだろう。
どの教室にも設置されている達筆な三つの語句が黒板の上から生徒達を見下ろしている。
『家族愛』『兄弟愛』『夫婦愛』
他にもっと学校では学び取ることがあるだろう、と他校の校長らが口を揃えていいそうだが、残念ながらそれがこの学園の存在意義であり、その教育こそがこの学園の一番重要視される部分なのだった。
おかしなのはなにも校訓だけではない。
麻妃は教室の前に着くとなくさないようにカードを生徒手帳に入れて鞄にしまう。
「妹かぁ、どんな子なんだろ」
この学園にある特殊な制度――兄弟制度。
どんなシステムで組まされるのかは謎だが、入学時に兄弟が設定される。その兄弟とは一年間一緒に過ごさなければならないパートナーであり、家族となるのだ。家族の絆を疑似的にだが体感し、普段得られないものを得ることを目的としている。
そんなままごとのような制度だが、団欒地区内では戸籍上の兄弟と同等の意味を持つのだ。
教室のドアを開けると既に男子がちらほらいるだけで、とっくに体操服に着替え終えている状況だった。
「えっと俺の席は……」
誰だおまえ、みたいな視線を受けながらもへこへこ頭を下げていると親切そうな男子生徒Aが声をかけてくれ、席を教えてくれた。
麻妃は礼を言って、これから授業という戦場を共に潜り抜けていく相棒に鞄を置く。
と、その時。
「あれ?」
丁度体操服に着替え終えたらしい隣の男子生徒を見て、違和感を覚える。
「おまえ……どっかで会わなかった?」
この違和感は見たことのある顔なのにどこで見たかを思い出せない、あのもやもや感に似ている。
「はぁ? 知らねえよ。つーか、3日も学校さぼっといて一発目の挨拶がそれかよ」
「ご、ごめん」
おかしいな……忘れるような顔じゃないんだけどな。
むかつくぐらい整った綺麗な顔立ちからは、想像もつかないやんちゃな口調が……て、あれ。やっぱりどこかで会ったことがあるようなないような。
「あのさ、もしかしてお姉ちゃんとかいる? 顔そっくりの。ついでに口調もそっくりの」
「おまえ、この学校きといて何聞いてんの? 入学の絶対条件忘れたわけ?」
入学の絶対条件――それは一人っ子であること。血の繋がった兄弟がいる場合、いくら一般試験に受かってもこの学園に入ることは出来ないのだ。
「い、いやぁ、そういうわけじゃないんだけどさ」
女子の主食にしかなりえない綺麗すぎるその顔は、まるで少女漫画から出てきた主人公の相手役、乙女ゲームの大人気ルート、アイドルでいうところのセンターポジション。
そんな乙女の理想を練り込んで造り上げたような彼は、唯一性格だけ乙女の理想をぶち破っているように思えた麻妃である。
「……ここでの姉ならいるけどな」
「そうなの? いいね、お姉ちゃん」
「はぁ? いいわけねえだろバカ。誕生月が遅いってだけで、なんで俺が弟になるんだよ。マジありえねえ」
うーん、なんで俺怒られてばっかりなんだろう。ご褒美のリバウンド?
麻妃は体操服に着替えながら、何か言うたびに三倍ぐらいになって怒られるという謎の対話を繰り広げていた。しかしご褒美の罰だと思って、黙って聞き入れていたのである。
「なにやってんだよ、早くしろ。もう行くぞ」
「え?」
気づくと教室は既に麻妃と男子生徒の二人だけだった。ちょ、やだ、こんな青春いらない!
「もしかして待っててくれたのか?」
「……おまえ、どーせ知らないだろ。今日の交流行事どこでやんのか」
呆れたように言うが、心底嫌な感じは全くしなかった。面倒見のいい兄のような面影さえ感じる。
「なんつーの? おまえ」
「え? なにが?」
「名前だよ、名前! わかんだろ! そんぐらい、空気で!」
そんな空気、今流れてましたっけ?
「起田麻妃、だけど」
麻妃はちょっと拗ねたように名乗った。
「そ。俺は坂本夕之助。つーか、おまえ女みたいな名前だな」
顔に似合わず和風な名前のおまえに言われたかねえよ、と言ってやりたかったが、このままここに置き去りにされても困るので辞めておいた麻妃である。
「ほら、行くぞ」
さっさと教室を出ようとする夕之助だったが、何度も後ろにいる麻妃を確認する辺り悪い奴じゃないことは確かだ。
そんな不器用な優しさに甘えて、麻妃はその背中を追った。
ただでさえ青春の一ページで出遅れてしまった麻妃にとって、この交流行事はクラスメイトに自分という存在を知らしめる絶好のチャンスといえる。
しかし目立つ容姿でも飛び抜けて何か秀でているわけでもコミュ力抜群のクラスの人気者タイプでもない麻妃にとって、三日間の空白はでかい……のだが、
「おい、なにぼけっとしてんだよ」
既に一年生が集まっている校庭に出て、立ち止まってしまった麻妃を急かす夕之助。
「ご、ごめんごめん。今行く」
まるでステージに現れた人気絶頂アイドルかのように、校庭に出ただけで男女の視線を独占する。もちろん麻妃ではなく夕之助が、だ。
自分に注がれたものではないが、それでもその視線の数には思わず足が竦んでしまった。
「凄いな、おまえって」
「はぁ? なにが?」
「なにがって……注目度ナンバーワンだろ、これって。みんなおまえ見てるじゃんよ」
「しらねーよ、そんなの。誰が自分のこと見てるかなんて気にしたことねえしな」
だめだこいつ……女子にきゃーきゃー言われても微動だにしない典型的イケメンだ……。
そんな奴の隣にいれば嫌でも目に入る。つまりおこぼれ的な意味であれ「ああ、坂本の隣にいる奴ね」という感じで存在は認識してもらえるはずだ。
麻妃は三日間の空白はそれで手っ取り早く埋めることにした。
しかし気になるのは、女子だけでなく男子までもが艶っぽい視線を夕之助に送っていることだった。まさかここ……こういう学校じゃないよね?
「なに周囲を警戒してんだよ。さっきから忙しい奴だな」
「いやほら、貞操は守りたいかなって」
夕之助は大きくため息をつくと、
「わけわかんねーこと言ってないで、ほらあっち。名前順だってさ」
既に並んでいる列の前方を指す。どうやらそこが3組の列らしかった。
「おお、サンキュー。じゃまた後で」
軽く手を振って男子列と女子列の間を通り、自分の出席番号の場所に並ぶ。
隣に並んでいるのがうちのクラスの女子であり、兄弟制度において姉や妹に設定されている子達だ。もちろん麻妃の妹になる女子生徒もその中にいる。
そう思うと興奮を抑えきれず、麻妃は女子生徒達を横目で舐めるように見ていく。
「!」
いた。
思っていたより見つけるまでに時間は要しなかった。
少し考えればわかることだ。この列は名前順で並んでいるわけで、同じあ行お段である小野深夜の場所はさほど遠くはないはず。
麻妃は生唾を飲み込み、眼球だけを動かして隣を見る。
やはり立体ホログラムは所詮立体な画像だ。生身には適わない。その小柄な容姿は生で見た方が実感出来たし、顔については生の方が断然可愛らしさを発揮していた。偏に可愛いといっても彼女の可愛さの中には芯の強さのようなものを感じる。
もちろん麻妃の第一印象に過ぎないのだが、その横顔は凛としていてただの可愛らしい女子高生ではないような、そんな気がしたのだった。
そんなことを思いながら視線を送っていたからか、深夜がその視線に気づき、キッと麻妃をきつく睨み付ける。
あれ、なんでそんな怖い顔するのかな……俺ってばなんかした?
しかし睨んだかと思えば表情は一変し、その桜の花びらのような小さな口を開いて目を大きく見開く。
「え? 顔になんかついてる?」
今度は驚いたような顔をされたので、麻妃は自分に何かおかしな点があるのではないかと顔を触ってみたり、体を見回してみたりする。
「…………」
そしてまた睨むようなきつい視線を送りつけ、無言のまま深夜は視線を前方に戻した。
友好的とは全く思えないその態度に、麻妃は早くも心が折れてお手上げ寸前だった。
兄妹というものはもっと近い存在であり、きゃっきゃっうふふに近いものだと思っていたが現実はそうでもないらしい。もちろん今日が初対面であり「俺がおまえの兄になる人だよー」と言ったところで、昨日までは見ず知らずの他人だった存在だ。きっとそう簡単にいくわけがないし、信頼関係を築き上げるまでには時間がかかるのだろう。
と、自分に言い聞かせることにした麻妃である。
泣きたい気持ちになったところで、深夜に話しかける間もなく学年主任の話が始まった。
入学式時に一年の教師はすべて自己紹介があっているのだろうが、入学式に参加していない麻妃にとっては前で喋っているおっさんが誰なのかもわからない状態だ。
話は適当に聞き流し、名前など詳しいことはあとで夕之助さんにでも聞くとしよう。きっと「はぁ? んなもんなんで俺が教えなきゃなんないわけ?」とか言いながらも親切に教えてくれるに違いない。
そんなことを考えていたら、笛の音が鳴って号令がかけられる。どうやら準備体操らしかった。
体操服に着替えている時点で、交流行事は体を動かす行事だということはわかる。しかし何をするかまでは、適当に話を聞き流していた麻妃にはわかっていなかった。
「――各自、ペアになって」
号令と共にジャージを着た担任が両手をメガホン代わりにして叫ぶ。
一斉に動き出す生徒達にもみくちゃにされながら、麻妃は周囲を見渡して状況を判断することにした。
男女で組んでいるところもあれば、同性同士で組んでいるところもあって、普通はクラスメイト同士で組むものなんだろうが、他のクラスともお構いなくペアを組んでいる。そこから察するに恐らくペアというのは兄弟のことを指すのだろう。
麻妃は微動だにしない隣の可愛い妹になる彼女を見た。
さっきの今で当然声はかけづらい。しかしこれから衣食住を共にする相手に気まずさを感じていても始まらないし、そんな気まずさも本当の家族というのはすぐに取っ払ってしまうものだと信じている。
ゆえに、麻妃は勇気を振り絞って、
「え、えっと、遅くなったけど……初めまして、俺は起田麻妃。これからどうぞよろしく」
友好的に出来る限りの笑顔で手を差し伸べた。
「…………」
もちろんわかっていたさ、上手くいかないことぐらいさっきの流れで。
麻妃が差し出した手は宙に浮いたまま、握られることはなかった。
深夜は無言で麻妃の足先から頭の天辺までを眺め、無表情で一拍おいてから、また睨み付ける。
なんかした!? 俺、なんかしたの!? どうしてそんな親の敵のように睨まれなくちゃなんないの?
また心が折れそうになる、が、そんなことで怯むような麻妃ではない。
今までずっと独りだったのだ。そんな自分に出来る初めての家族。例えそれが偽りであろうと疑似的であろうとも、この団欒地区では本物となる。
ならば、引き下がるわけにはいかない。何度粉砕しようとも真っ正面でぶつかり、早く打ち解けたい。
その一心で麻妃は再び声をかける。
「とりあえず、さ。準備運動しようぜ」
突っ立ったままではどうしようもない。
周囲を見渡せば、ペアで仲良く準備運動を始めているわけで。
「ふぇーん、またおこるーいじめるー! ゆーのすけきらい! だいっきらい!」
「はっ。嫌いで結構。誰もてめえなんかに好かれたかねえよ、このクソアマ。いいからさっさとやれよバカ!」
……どうやらみんなが仲良しこよしなわけではないようだった。その騒がしく聞き覚えのある声に反応し、視線を向けると、
「いッ! て、てめえ……誰か体重全部かけて勢いよく乗っかれって言った?」
「だってぇ、じゅうなんうんどーって背中を強く押すってゆーのすけ言ったもん。だからがんばって体使って押したんだもん」
凄い剣幕で怒る夕之助とそれに負けじと劣らず可愛らしい声で言い訳を繰り広げる女子生徒の姿があった。
「あれ? あれは確か……」
あの日本人離れした顔つきは忘れもしない、自分に乗っかって生着替えを行った、もっともアホという二文字が似合いそうなサリーという女子生徒である。日本人と異国の地が混ざって失敗するとああなってしまうのだろうか。いや、そんなことはないよね。
サリーを怒鳴り散らしながらも世話を焼く姿は、あの神の造形した美少女そのものである。
「――――」
なんだろう、さっきまでのもやもや感が一気に晴れたこの感覚。なにかが麻妃の中で一致したのである。
しかし夕之助に姉なんているはずがないし、他人の空似にしては見た目もキャラも似すぎていた。
つまり性別以外がそっくりそのまま、ということだ。それはつまり……。
「うーん……」
そんな漫画みたいな展開が本当に行われているとしたら反応に困るわけだが、その答えしか麻妃の脳みそでは導き出せなかった。
そんなことをやっているうちに準備体操の時間が終わってしまい、
「え! ちょ、なにもやってねえ!」
終了の合図と再び並べという号令がし、何も出来ないまま終わってしまった麻妃はがっくり肩を落とす。
そこで何か突っ込んでくれればいいものの、突っ立ったままの深夜は相も変わらず無言で自分の場所に並び直していた。
初対面の挨拶も、会話も、まして準備体操さえも出来ず。
新生活は前途多難だらけのような、そんな予感しかしなかった。