(5)-3
帰り道。毒素が抜けたような、詰まっていたものが抜けたような、そんな印象を受ける深夜がいた。
小さな手が自分の指先を握っている。
なんかもうそれだけで充分可愛い。守ってやりたくなるような、母性本能を擽られるような。いや、俺男だけど。
「な、なに?」
一人で悶えている麻妃を不思議そうに、そして照れくさそうに見る深夜。
「あ、いや」
麻妃は笑ってごまかした。
深夜は確かに可愛いし、愛しいし、この二本の腕にかけて守り抜いてやりたい。困ったことがあれば全力で。
「うーん……」
なんだろう、この変な感じ。
自宅マンションのドアの前に辿り着いた時、麻妃は深夜と手を離す。
「あ、あれ? 俺のカードどこいった!?」
麻妃はポケットや鞄を捜す素振りをし続ける。
「まさかカードなくしたなんて言わないわよね」
深夜は目を細めて、取り出した自分のカードを差し込んだ。そして重いドアを手前に引っ張り――
ぱんっ! ぱんぱんっ!
「わっ!?」
人を驚かせるのには充分な騒がしい音が二人を出迎えた。正確には“深夜を”出迎えた。
「な、なっ……」
音に驚き、そして次に自分の家にいるはずのない人物達がいることに驚く深夜。
頭に被った紙テープを取りながら、状況を把握しようとする。
「ぱぁ――――んっ!」
「てっ! あのなぁ、クラッカーは投げるもんじゃありません!」
クラッカーの使い方がわからなかったらしいサリーが口で音を発しながら、麻妃に向かってクラッカーを投げ付ける。
「あれぇ? なんで紙がひらひらしないんでありんすか?」
「思いっきり額に投げないと弾けないんだよ、それ」
「しれっと嘘教えるな! 嘘を!」
麻妃は夕之助に突っ込み、落ちたクラッカーを拾い上げてひもを引っ張った。
「誕生日おめでとう、深夜」
麻妃が言うと、それにみんなも続く。
「ねーねーこんなところにいないで、早く中に入りなよ! ねっ?」
「おまえの家じゃないだろーが」
すっかり犬猿の仲の五月と夕之助が睨み合いながらリビングに入っていき、
「二人とも早くいこうでありんす!」
サリーが急かすように二人の手を引っ張った。
「これは……」
小学生のようで簡易的ではあったが、リビングには手作りで飾り付けが施されていた。
テーブルには料理とケーキも並んでいる。
「ケーキね、ゆーのすけが作ったの! おのおのさんおめでとうするでありんす!」
サリーが深夜の手を引っ張りながら、テーブルの前まで連れて行く。
「おまえらもっといちゃいちゃしてこいよバカ。早いんだよ、帰ってくんの。予め作っておいてマジ正解」
「こんな時まで文句言わないでいいじゃないの。ほんと顔だけだよね、坂本くんって」
まぁまぁ、と麻妃が間に入って宥め、深夜に目をくれる。
最初にクラッカーが鳴った時と同じ顔をしており、驚きと、どうしていいかわからないといった不安と、嬉しさが入り交じったような複雑な表情をしていた。
「今日は深夜の誕生日だろ?」
「なんで? 私でも忘れてたのに……なんで?」
深夜は本当に忘れていたようで、すっかり面食らっていた。
深夜と目があった夕之助は顎をしゃくって麻妃を指し、その隣でサリーがうんうんを笑顔で頷いている。
「起田くん発案なの!」
もちろん五月は空気が読めなかった。
「あーちゃん……?」
麻妃は頬掻きながら目を逸らす。赤らむ顔を抑えることは出来なかった。
「ん、ま、まあ。思い出したんだ、誕生日だって」
「記憶が戻ったの?」
目を丸くする深夜に、麻妃は首を横に振って申し訳なさそうに付け足す。
「断片的に、というか。閃きに近いんだよな。あ! 今日深夜の誕生日じゃん! みたいな感じで、思い出したんだ。それと……」
麻妃は深夜の髪を撫でるようにして、それに触れる。
「これあげた時の事も少しだけ」
初めて自分で選んだ、初めて人にあげたプレゼント――深夜がいつも肌身離さずつけている星のピンは、自分があげたものだ。深夜が引っ越す日、そう誕生日の日にあげたもの。
おめでとうとまたいつか会えますように、そう願ってプレゼントしたものだ。
そこに辿り着くまでの記憶はない。でも幼いながらに深夜の誕生日を祝おう、喜んでもらおう、と思っていた気持ちだけは鮮明に感じ取ることが出来たのだった。
「何回目か覚えてなくて申し訳ないんだけどさ。一緒に祝うの二度目ってことで、どうかな」
すべて失ったわけじゃない。それだけで深夜は嬉しかった。
と、突然電気が消える。
「辛気くさい話はなしなし。誕生日会なんだから、早くお祝いしようよ!」
電気を消したのは五月だった。
「電気消すのはロウソクつけてからにしろよバカ!」
「そんなの坂本くんがなんとかすればいいじゃん! バーカバーカ!」
「おまえら暗闇でまで喧嘩すんなよ……」
呆れ気味に言う麻妃。
しかし本当に真っ暗で何も見えなかった。
小さな手が右手を掴んでくる。帰り道も繋いでいたので、それに関しては特に何も思わなかった麻妃だが……。
左手も繋がれているのはなんでだ?
暗闇に目が慣れてきて、左隣を見るとサリーが麻妃の手を握っていた。
「おのおのさんだけずるいでありんすぅ……」
むう、と頬を膨らませて、変な対抗心を燃やしている様子だった。
その間にも夕之助がロウソクに火を灯してくれ、テーブルを中心にほのかに明るくなる。
「なにおまえ子守りでもすんの?」
二人と手を繋いでいるおかしな状況を目にした夕之助が、当然の突っ込みを入れた。
「わーずるい! じゃあ私は腕にしちゃおっかなー」
言って、五月までくっついてくるので、
「なしなし、みんななし! ほら、早く祝おうぜ!」
麻妃は右手も左手も振り払った。
拗ねる女の子達を余所に、歌い出す麻妃に合わせて周囲も歌い出した。
恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にしてもじもじしていた主役も覚悟を決めたのが、最後にロウソクを吹き消し、
「おめでとう、深夜!」「おのおのさん、おめでとーでありんす!」「おめでとう」「小野さん、おめでとー!」
一斉に放たれたそれぞれの祝いの言葉が重なった。
お礼を述べたいのに述べれず、口をもごもごさせている深夜に、麻妃が小さな箱を差し出す。
「深夜に。みんなからプレゼント」
「つっても俺らは金払っただけで、選んだのは麻妃だけどな」
深夜は受け取りながら、その箱をじっと見つめる。
「あー! 会費いくらだっけ? 私、プレゼント代もまだ払ってないんだけど」
「今言うな今! そもそもおまえは数に入ってなかったからな!」
「それって払わなくていいってこと? さすがにそれはないよ。払うってぇ」
「……ケーキ食ってしね」
まともに言い争える相手じゃないと判断した夕之助は、溜息と共に五月を相手にするのを辞めた。
「ま、まあ、放っておいていいから。あけてみなよ」
深夜は言われるがまま、包みを丁寧にはぎ取って、中から出てきた小さな箱の蓋を外す。
「これって……」
「そ、新しいやつ。今度は新しいのつけてくれると嬉しいかなって」
箱から出てきたのは似たような星のピンだったが、更にシンプルになったピンだった。
「それ選んだの、麻妃だからー」
後ろでにやにやしながら強調する夕之助に突っ込みを入れている間に、深夜は新しいピンに付け替えていた。
「あ、ありがと。も、もちろん……みんな」
ぺこっと頭を上げる深夜にその場にいるみんなが温かい視線を送った。
ちゃんと会費払って下さいね、燕さん。
夕之助がケーキを切り分け、個々に食べ物を取り皿に取って好きに食べる。
その後は食って喋ってだらだらする、そんなぐだぐな流れだったが、急遽行ったにしてはいい出来だろう。
「あーちゃんはあちきの誕生日も祝ってくれる……?」
何故かサリーが不安そうに聞くので、
「え? ああ、もちろん。つーか、なんでそんなこと聞くんだ?」
麻妃が不思議そうに問い返す。
「だってぇ……」
「?」
首を傾げる麻妃に向かって、五月も同じようなことを言う。
「私も私もー! 祝ってくれる? 祝って欲しいな!」
「あ、ああ、まあ……そりゃ祝うけど、なんで? 俺って誕生日係なの?」
それを横目で見ていた深夜があからさまに不機嫌な顔をして、麻妃にロウソクを投げ付ける。
「わ! なに投げてんだよ、深夜!」
俺にSMの性癖はねえよ!
ふんっ、とそっぽ向いてしまう深夜に、麻妃はわけがわからなかった。
「つーか、おまえこんな時間までいて兄弟心配しないわけ?」
夕之助が時計を見ながら五月に忠告する。出来れば帰って欲しいんだけど、という意を含めて。
「ん? うん。あれー? 言ってなかったっけ? 大丈夫、大丈夫。むしろ遅くなった方がいいぐらいだから」
「遅くなった方がいいぐらいって?」
麻妃が興味本位で問い返す。
「うちね、三兄弟制なの」
「は?」
聞き慣れない言葉に反応したのは、麻妃とサリーだけだった。
「もーやっぱり知らないんだ。原則としては家族制度はペアなんだけど、稀に三人兄弟があるんだよ。例えば一人退学すれば、奇数になっちゃうから必ずどこかが三人になるの。そんな感じ?」
五月はむしゃむしゃケーキを食べながら、軽いノリで解説した。
「で、うちはその稀な三兄弟制。別に私がいようがいまいが関係ないってわけ」
「関係ないって、そんな……」
せっかくの制度もそれじゃ意味がないじゃないか。
自分と夕之助の所ぐらいしか知らない麻妃にとって、それはやや衝撃的だった。きっと五月の所のように、色んなペア同士の関係性があるのだろう。
「そんな顔しないでよー! 今楽しいし、帰る気もないもん!」
更に二個目のケーキをフォークでさし、指についたクリーム舐めながら言った。
こんだけ食い気があれば、大丈夫……だよな。




