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それから夕之助に責任持ってサリーの着替えをやれ、なんて言われてサリーを着替えさせるはめになる。
夕之助の奴……もっともなことを言ったふりをして、着替えめんどくさいだけだろ。
子供の着替えを手伝うのとはわけが違う。内容は同じだけど色々と違う。
例えば大きさ。何の大きさはあえて言わないが、アレの存在が服の通過を邪魔するし、男としての大事な何かを刺激し続けるし、着替えに必死なのはわかるがいちいち変な声を出すし、散々だった。もう心折れそう。
「あれを毎日こなしている夕之助ってなんなの? ホモなの?」
「なにおまえ、朝から殴られたいの? 蹴られたいの? 吊されたいの?」
思わず心の声が漏れてしまった麻妃には、ハードな選択肢が提示されてしまった。
「あ、いやいや! つーか、吊すってなんだよ!」
思わず屋上が思い浮かんで恐怖しただろうが!
「おまえが変なこと言うからだろーが」
「いやだってさ、毎日サリーを世話してると思うと……ねえ」
「へえ」
夕之助は不適な笑みを浮かべて、横目でちらりと麻妃に目をやる。
「な、なんだよ」
「おまえもあいつをそういう目で見てるんだなーって再確認?」
「べっ、別にそういう目で見ては……」
「いつもおっぱい見てるくせに」
「それはっ! ……否定出来ないけど」
見ない、気を取られない、そんなおまえが思春期としておかしいことに気付け!
姉だからかもしれないが、そういうのが一切ないのが凄い。いや、それが当然だろうし、自分もそうだったはずなんだが……。
教室に着き、麻妃は先に登校してとっくに席についていた深夜を見る。
そうだ、そういう目では一切見ないのが普通で、ここではそうあるべきなんだ。なのに、どうしてだろう。
ぽん、と夕之助が肩に手を置く。
「……俺は気にしないけど、一応ここではそういう決まりだからな」
麻妃の視線に気付いたのか、夕之助が意味深なことを告げる。
「どういう意味だよ」
「そういう意味だろ。ま、決まり事なんて破るためにあんだろーけどな」
夕之助はそれ以上何も言わず、席に着くなり慌ただしく荷物の準備をし出した。
なにをそんなに急いでるんだろう、と思ったら一限目は体育だった。体育は決まって女装してサリーの着替えの手伝い、そして自分の着替え、授業に直行というハードなスケジュールをこなしている夕之助である。
「愛がないと出来ないよな、まさに」
むしろ自分よりも夕之助のサリーに対する親心の方が普通じゃないようにも思える。
もちろん根本的にずれた生活を送ってきた俺達が“普通”とか“普通じゃない”とか判断出来るはずがないんだがな。
その日の昼休み。
部室と化した、空き教室で部員で昼食をとろうと思い向かったところ……。
「なんであんたがいるわけ?」
夕之助があからさまに嫌な顔をする。
部室の扉に寄りかかって、麻妃達を待っていたらしい女子生徒は気にも留めず、自分の述べたいことだけ述べる。
「やっと来たー! 遅かったね、待ってたんだから!」
「誰もあんたと待ち合わせしてねーだろ」
「あーもう、うるさいなあ。一言多くない? 女装くんはちょっと黙ってて」
「じょっ……!」
今にも殴りかかりそうな夕之助を麻妃が羽交い締めにして抑え込む。
「な、なにか用だった? 燕さん」
「燕さんとか他人行儀辞めてよー。昔と一緒の五月ちゃんでいいよ」
人懐っこい笑みを浮かべながら、きゃははっと笑う五月。
サリーとは種類の違う笑みだ。人懐っこいさに図々しさが足されているような感じである。
「いやさ、この間の……本当にごめんね。ごめんなさいっ」
それでも本当は悪い子ではない。勘違いされやすいかもしれないが、根は良い子なのだ。それは同級生だった麻妃がよく知っていた。
五月は頭を深々と下げて謝罪する。
「そんな、いいよもう。頭とか下げなくても」
「一生頭あげんなよ、このクソアマ」
麻妃が頭をあげるように促している横で茶々を入れる夕之助。どうも相性がよくないらしかった。
「もう、女装くんには話しかけてないの! ちょっと黙っててくれる?」
「だから誰がじょそっ……!」
「とりあえず二人とも落ち着けよ! 話進まないだろ!」
麻妃は牙を剥き出しにしている夕之助を再び羽交い締めにする。そんな夕之助に向かって、五月は舌を出して見せた。
「と、とにかく……もう気にしなくていいからさ。事実には変わりないし」
言って、麻妃は深夜の方をちらりと見る。
「そうなんだけどさ。私も悪かったと思ってて。だからここの部活に入ろうと思うの」
「………は?」
最初に反応したのは夕之助だった。
「実は部活まだ決めてなくて担任にしつこく言われててさ。一石二鳥かなーって」
手の平を合わせて、にっこり笑って見せる五月。
「おい、なに言ってんだおまえ。どう解釈したらそうなるんだよ」
「だからぁ、悪いと思ってるの! そんで部活入って仲良くしようよーってこと!」
さすがの夕之助も返答が思いつかなかったらしい。言葉に詰まっていた。
「起田くんだって悪い気はしないでしょ? 昔の好きな子が同じ部活なんて」
首を可愛く捻って言うが、その仕草を可愛いと思ったのはきっとこの場で麻妃だけだろう。何故か誰もが険しい表情をしていた。
「なに? おまえこういうの好きだったの? マジ見損なったんだけど」
「こういうのって言い方ひどくない? じょそ……」
さすがに三度目は口を抑えて麻妃が阻止した。
「……昔のことでしょ」
呪詛を吐くような声で深夜が呟く。
「んーまあそうだけどさ。また仲良く出来たらいいかなって。よろしくね!」
向けられたその挨拶を麻妃が交わすことなんて出来るわけがなく、苦笑するしかなかった。
と、そのとき。
五月が麻妃に手を差し伸べた時だ。廊下を複数人が駆ける足音が響く。
「なんだなんだ?」
律儀に差し伸べられた手を握りながら廊下を見る麻妃。
なにやら気にくわないらしいサリーがその隙を見て、手にチョップを入れて切り離す。
「あた、なにすんだよサー……」
言いかけたところで足音は次第に増えて、声が聞こえて騒がしくなってきた。
「もしかして」
気付いたのは五月だけじゃなかったらしい。
「早速かよ、アホらし」
夕之助はめんどくさそうに机に腰掛け、胡座をかいた。
「なんだよ、二人はなんか知ってんのか?」
「大丈夫でありんす、あーちゃん! あちきもわかんない!」
おまえは最初から数に入れてねーよ、とは言わずにおいた俺超優しい。
深夜に目をやるとなんだか不機嫌さが増しているような気がした。朝も一言もなく登校してしまうし、昨日の深夜はどこへいってしまったのだろう。
「おまえらな、ただでさえ普通じゃない学校なんだから校則ぐらい頭入れとけよバカ」
置いてきぼりにされた二人を見ながら、深い溜息をつく夕之助。一日何回溜息つくんだろう、彼。
「見に行ってみる? 見に行った方が早いと思うし」
五月が部室のドアを開けて促す。
たった一人、深夜は気乗りしない顔をしていたが、それに麻妃が気付くことはなかった。
廊下に出ると人の流れでその根源がどこにあるのかがすくに分かる。
一年生の階、中央階段の付近に設置された掲示板だ。まるでタイムセールを狙ってやってきた主婦かのように、そこに人が群がっていた。
「なんだありゃ……」
その異常な光景に思わずたじろぐ麻妃。
「うーん、おいしいもの売ってるでありんすか?」
人差し指を口元に当てて言うサリーの後頭部を夕之助が殴りながら言う。
「まあ、見てみりゃわかんだろ」
言われるがまま人混みに近づいていくと、
「……あ、あれ?」
麻妃の存在に気付いたらしい生徒達が掲示板までの道を次々と空ける。海が真っ二つに割れて道が出来るぐらい異様な光景だった。
「起田くんって偉い人かなにかだったの?」
五月がその光景に感心しながら言うが、もちろん麻妃に心当たりはない。
麻妃を見て急に声を潜める生徒達を夕之助が睨み付ける。しかしその視線は麻妃だけに注がれているものではなかった。
「ふぅん、そういうことか」
「なに一人で納得してんだよ。どういうことだ、これ」
夕之助は空けられた道をずけずけ進み、先にそれを確認した。そして遅れて向かう麻妃を呼ぶようにして告げる。
「見ろよこれ」
言われるがまま掲示板を見ると、そこには一枚の紙が真ん中に堂々と張り出されていた。
「家族会議における兄弟喧嘩通知?」
真っ白な紙に黒字で印刷されたシンプルなその紙には確かにそう書いてある。
「一年二組高山涼平により一年三組小野深夜を奪取申請。よって家族評議会による家族会議の元申請を受理。小野深夜が兄、同クラス起田麻妃と高山涼平の兄弟喧嘩をここに命ずる……って、なんだこれ」
読み上げながらも事態が全く飲み込めていない麻妃が、その答えを求めるかのように夕之助を見る。そしてそこに名が書かれてある深夜にも目を向けた。
「なんだこれってそのままの意味だよー? なに言ってんの起田くん!」
パシッ、とにこやかに背中を叩く五月。
「いやそのままの意味って言われても……ねえ」
半ばパニック状態で、自分を叩いた五月の方を振り返る。
「いいか、説明してやる」
五月に説明を求めようとしている麻妃に、腕組みした夕之助が険しい表情で答えた。
「まずこの学園には“家族評議会”というものが存在する。いわゆる生徒会みたいなもんだな。話し合う権限、決定権を持っている組織だ。それが行う話し合いをここでは“家族会議”を呼ぶ。その家族評議会による家族会議での決定事項が、今ここに張り出されたということだ。ここまではわかるな?」
「な、なんとか……」
「そこで出されたその決定事項ってのが“兄弟喧嘩”だ」
説明している矢先、五月が隣で深夜に話しかける。
「小野さん、なにか知ってるんじゃないのー? 心当たりあるでしょ?」
「…………」
深夜は答える代わりに俯いた。
その様子を横目で見ながら夕之助は続ける。
「兄弟を奪い合う、それが兄弟喧嘩。つまりこの高山って奴がそいつを妹にしたいか、または……」
「または?」
夕之助は問いに答えず深夜に視線を送った、その時だ。
人混みを掻き分けて、二人の生徒が歩み寄ってくる。麻妃は気配を感じ、視線をそちらに移した。
「きみとは初めまして、かな」
絵に描いたような優男が女の子を傍らにつけて立っていた。もちろん麻妃に見覚えはない。
「何か用ですか?」
パニック状態の麻妃は素っ気なく言い放つ。こんな時になんだよ、とでも言いたげだ。
「高山涼平、って言えばわかってもらえると思うけど」
あくまで優しく微笑む高山に、あからさまにムッとした顔をする麻妃。
「……全く状況が飲み込めないんだけど。つまりどういうことなんだよ」
高山は掲示板に近づき、掲示板をとんとん、と拳で叩いて見せた。
「ここに書いてある通りだよ」
そしてまた微笑む。なんだよこいつずっと微笑んでんのかよ。
「悪いな、俺その兄弟喧嘩ってやらもいまいち分かってないんだわ」
高山の隣に秘書のごとく立っていた黒髪ショートカットのボーイッシュな女の子が、
「しらじらしい」
唾でも吐くかのように言い捨てた。
「紫乃ちゃん!」
高山が強くその名を呼ぶと、紫乃と呼ばれた女の子はしゅんとして口を噤んだ。
「ごめんね。紫乃ちゃん、口は悪いけど悪い子じゃないんだ」
「はぁ。で、つまりどういうことなんだ?」
高山は張り出された紙を指でなぞり、その人差し指を日時のところで止めた。
「兄妹で付き合ってはいけない、という決まりは知ってるかな?」
「それは一応。この団欒地区では本当の兄妹になるからだろ?」
「そう。じゃあ、どうすれば妹と付き合えるか。きみはわかるかな?」
麻妃にはわからなかった。優しく教える高山の前で疑問符を飛ばしている。
「やだ、マジ? ちょっとー起田くんわかんないの? 簡単じゃない。絶縁すればいいの」
五月が口を挟み、高山の代わりに答えた。
「絶縁……だと?」
「そうだよ。兄と妹で付き合うことは許されないけど、関係を断ってしまえば大丈夫じゃん」
トイレ行けばいいじゃん、ぐらいの軽いノリで言ってんじゃねえよ!
「なんだよそれ。それってつまり……」
「深夜を妹にして、その女との縁を切る。そうすれば堂々と付き合うことが出来る。そういうことだろうな」
最初から分かっていたかのような口ぶりで夕之助が言った。
「ふざけんなよ……深夜をてめえらの為に利用するってのか?」
高山は違う違う、と手を振ってそれを否定する。
「同意の上だよ。ね?」
高山が深夜に同意を求めた。深夜はぐっと拳を握り締めたまま、床と睨めっこしたままだった。
「そうなのか? 深夜」
「…………」
深夜は答えない。
もしそうだというなら、自分と兄妹の縁が切れてもいいと思っていることになる。
「……深夜?」
麻妃は怖かった。その答えを聞くことが。
それでも答えを聞かずにはいられなくて、もう一度その名を呼ぶ。
「…………」
頷いた。
深夜は小さく頷いて、そして意を決するように顔をあげ、恐る恐る麻妃の顔を見た。
「今朝、それについては同意を得てるはずなんだ。僕としても無理強いはしたくないし、無駄な争いはしたくないからね」
高山のそれを聞いて、麻妃ははっとする。
「だから……朝早く登校したのか、深夜」
深夜は顔を逸らして、また小さく頷く。
「なんで」
その問いには答えず、首も振らなかった。
「なんだよそれ! なんでだよ! なんか不満があるなら言ってくれればっ……」
「落ち着けバカ」
興奮した麻妃を夕之助が取り押さえる。
「まだ決定事項じゃないんだって。その“兄弟喧嘩”の結果次第なんだよ」
高山は興奮している麻妃を見て訝しみ、深夜に小声で問いかける。声を小さくしたのは、空気を察して深夜に配慮したからだ。
「……話が伝わっていないようだけど、いいんだね?」
深夜には今にも泣きそうな顔をしている麻妃を見ることは出来なかった。視線を感じても目を見ることすら出来ない。それでも叶えたい、自分の願いの為に――深夜は頷く。
頷いたのを確認し、高山は紫乃に目配せして踵を返す。
「じゃあね起田くん。明日の放課後、体育館にて。お互いの健闘を祈ろう」




