(1)家族のような友達のようなただのクラスメイト
そんな浮かれポンチだったからこそ、起田麻妃ははりきりすぎて間違ってしまったのだ。
大事な大事な、今日という日を。
核家族が増え、親の都合による片親が増え、あらゆる事情から一人っ子が増え……他人同士どころか家族関係自体も希薄になってきたのは、なにも最近のことではない。
ニュースで嫌でも耳にしてしまう子が親を危めてしまう事件、またその逆の事件、どうしてこのような悲劇が繰り返されてしまうのか。
団欒地区――それがそんなあらゆる問題を抱えた世の中を改善する為に立ち上げられた試験区域だった。
一つの街そのものが団欒地区とされ、茶の間学園と呼ばれる高校を中心部におき、都心部からやや離れた埋め立て地に設立されている。
麻妃の住んでいる自宅マンションから電車で乗り継いで40分ほど。団欒地区エリア入口には認証システムがあり、必ずそこを通過しなければならないので誰でも気軽に入れる区域ではないのだ。
主に学生区域なので学生は学生証による本人認証を終え、晴れて団欒地区へと足を踏み入れることが許される。
が、そんな喜びにふける余裕もなく、
「嘘だろ、マジで! 嘘だと言ってくれええええええええええ!」
慌てた様子で本人認証を終えた麻妃は走ってゲートを越えて、道行く同じ制服の生徒達を掻き分けて団欒地区中心部にそびえたつ茶の間学園へと突っ走る。
何故こんなにも麻妃が慌てているかというと決して寝坊して遅刻しそうだから、ではない。
入学式の日を間違えたから、である。
「俺としたことが……なんという失態……」
麻妃は肩で息をしながら茶の間学園の門前で嘆く。
おかしい。こんなはずじゃなかった。この学園にある特殊な制度が楽しみすぎて眠れない日々を過ごしていたことは認めよう。しかしだからといって事も有ろうに入学式の日を間違えるなんて……なんてこったい!
たった3日、されど3日。この入学式含めた3日間が非常に大事な時だというのに。
それでもどんなに悔やんでも時間が巻き戻るわけではない。
「……よし」
麻妃は瞳を閉じて小さく気合いを入れると校内に立ち入る。
まずは謝ろう。もしもう決まっていたとすれば寂しい想いをさせてしまったかもしれない。
校内は思った以上に綺麗で設備も整っており、さすがといったところだ。
きっと普通の私立なら家柄のよい者達だけが通えるような所だろう。もちろん普通の私立なら、だが。
既にペアが出来上がっている光景を目の当たりにしながら、とりあえず確認事項が多すぎるので一先ず職員室に向かうことした。
「あのクソアマふざけやがってええええええええええ!」
と、朝の自分のような悲痛の叫びが廊下に響き渡り、その声の主が自分に近づいてき……たというか突進してくる。
「え? ちょ、なに!」
怒りに身を任せていたらしい声の主は加速したまま麻妃と衝突し、押し倒すようにして揃って廊下に倒れ込む。
うわぁ、目の前に☆がいっぱい飛んで……、
「おい」
衝撃でくらくらする頭と意識の中で、目の前の☆がひよこに変わる光景を眺めていると、
「おい、おまえ。どこだ」
「え! なにが!?」
なんで俺ってばいきなり女子生徒に押し倒されて胸ぐら掴まれてガン飛ばされてるの? なんのご褒美?
しかも瞬きを忘れてしまうような美少女だった。もはや芸術といって過言ではない。その顔立ちは神が自らお造りになられたとしか思えない、いやむしろ彼女が神なのではないかと思ってしまうほど。まさにヴィーナス。
「どこにあるんだ、女子更衣室」
「は?」
なんでそんなことを自分に聞くのだろう。いかにも女子更衣室行きつけの変態みたいな扱いしないでよね!
「どこにあるんだって聞いてんだよ。急いでんだからさっさと案内しろ」
「案内しろと言われましても」
せっかく綺麗な顔してるのに言葉とか態度ががさつな女の子だなぁ……なんて思っていたら、
「だ―――もう! 俺は気が短いんだよ! 同じことを何度も言わせんな! 行くぞ、ほら!」
「え! あ、はい! ええっ!?」
胸ぐらを掴まれたまま無理矢理立たされて、前方に突き出される。だからこれ一体なんなの? なんのご褒美?
もちろん今日来たばかりの麻妃に女子更衣室の場所なんてわかるわけがなく、しかし空気に流されて一緒に廊下を全力疾走する。で、どこ向かってるのこれ……。
「た、多分……あの変じゃないかな」
「どのへんだよ」
「あ、あそこ! あの女子がいっぱい体操服で集まってるところ!」
言ってて悲しくなるようなフレーズだった。俺は決して女子の体操服を拝みにこの学校へ来たワケじゃないんだぜ……見れるもんは有り難く見るけどさ。
まだ知り合って間もないクラスメイト同士、体操服できゃっきゃ言っている姿は実に新鮮だ。これを見て心躍らない男子なんていないだろう。もちろん自分もその一人なのだが、
「あのクソアマどんだけ迷惑かきゃ気がすむんだよ、クソが」
美少女が執拗にクソなんて言っているのを目の当たりにしてしまっては、心も萎んでしまうというもの。
その女子生徒は綺麗な顔を歪めて、女子更衣室らしき教室へとずかずかと歩み寄る。
「なんだったんだ、一体」
麻妃はこれがなんのご褒美だったのかわからないまま、頬を掻きながらその光景を眺めていた。
このままここで体操服女子を眺めているのも悪くないが、早く自分のクラスとペアを確認しに行かなければならないわけで。
いい加減、職員室に向かうべく踵を返そうとして、
「おいこのクソアマ! そんな格好で外に出るんじゃねえ!」
「ふぇーん、またおこるーいじめるー」
聞き覚えのある怒声と騒がしくなった女子更衣室ともしかしたらあるかもしれないポロリが気になって、足を止めて振り返ってしまったのが間違いだった。
「え? ちょ、デジャブ!?」
女の子がもの凄い勢いで麻妃に突進し、雪崩れ込むように揃って廊下に倒れ込む。今日は一生分のご褒美を頂いた気分だなあ、おい。
「いたいよう……うぅ……」
麻妃はまた☆が出そうになったが、痛がる可愛らしい声が聞こえたので意識を無理矢理現実に引き戻す。
「あいたたたた、大丈夫? てか、えーっと……色々と大丈夫、ですかそれ」
「うー?」
麻妃の上に乗っかっている女子生徒は色々と大丈夫じゃない状態だった。このままでは自分も大丈夫じゃない状態に変貌してしまう恐れがなきにしもあらず。飼っている珍獣が狂暴化しちゃっても誰も文句言えない状況だぞ、これは。
どうやったらそんな体操服の着方が出来るのだろう。今時幼稚園児でもこんなおかしなことにはならないはずだ。
ハーフパンツは片足突っ込んだだけ、上着は前と後ろが反対で片方腕が出ていない状態だった。下着という下着が大公開されており、豊満すぎるソレを目の前にして言わずにはいられない。……ご馳走様です。
「いい加減にしろよ、サリー」
さっきの美少女が般若のような顔で見下ろしてくる。相当お怒りの様子だった。
「だってぇ……」
「だってぇじゃねえ! 着替えすら出来ねえくせに勝手に一人でいなくなってんじゃねえよ!」
「あちきも着替えぐらいできるもん!」
「ほう。じゃあやってみろよ、このクソアマが」
言われた通りにサリーと呼ばれていた女子生徒は体操服の生着替えに取りかかる。で、なんで乗っかったまま着替えが再開されるんですかね……こんなにご褒美貰ってもお返し仕切れませんよって。
驚くことにサリーは本当に着替えすら出来ず、
「あれぇ……真っ暗だよう。ここどこー?」
体操服と体が絡まって芋虫のようにその場でうねうねしていた。
周囲の生徒達から好奇の視線が注がれる。いやいやいや、一番疑問に満ちているのは俺だからね?
「だから言わんこっちゃねえ」
額をおさえて深くため息をつく美少女。麻妃はその光景を見ていると昔教育番組であっていた子供がパジャマを一人で着るコーナーを思い出した。
美少女は文句をぐちぐち言いながらもまるで姉のような素振りでサリーの着替えを手伝い、
「いいか、おまえ一応女なんだから気を遣え。いいな、わかったか?」
大きすぎるソレを突きながら、もっともなことを言い放つ。
「……はーい」
一方で反省はしているようだが、事態を理解出来ているのかは不明のサリーが口を尖らせて返事をする。
あんな文句ばかり言っていても仲は良いんだろうな、というのが麻妃の感想だった。本当に嫌いだったら、あんな急いで女子更衣室に向かわないだろうし、着替えを手伝ったりなんかしないだろう。
「そういえば……」
思い出したかのように美少女が麻妃に視線を落とす。いたの? みたいな目で見られても困るんですが。
「おまえ、誰?」
「今更!?」
結局わけがわからないまま流されて巻き込まれて、だからといって職員室に案内してくれることもなく。麻妃は一人広い校内を探索しながら、ようやく職員室に辿り着いたのだった。
唯一さっきの女子生徒二人からわかったことは、今日は朝のホームルームがなく、朝から新入生交流行事が行われるということ。ゆえに体操服に着替えていたとのことだった。
ならば、尚更急がねばならない。自分のクラスすらわからない状態じゃ先にも進めないわけで。
「おまえか、起田麻妃。なかなか来ないから心配してたんだぞ。一応連絡はしてたんだが」
「あはは、すいません。知らない番号には出ないようにしてるもんで」
職員室で案内された先にいたのは見るからに優男な感じの人だった。怒るどころか心配してくれていた辺り好印象である。
「改めまして、俺は担任の保苅恭。起田はうちのクラス、一年三組だ。一年間よろしくな。ではさっそくだが急ぐぞ」
担任は鍵が厳重にかけられた引き出しからICカードのようなものを取り出して見せる。
「先生、それは?」
「ん。これはこれから過ごす家の鍵にもなるキーカードだ。そして……」
特殊な機械にカードを翳し、担任のみが所持している暗唱番号を入力するとそこから立体ホログラムとして女子生徒の姿が表示される。
「先生、これはもしかして……!」
「ん、察しの通りだ。3日遅れだが、今日からおまえの、えっと、妹になる小野深夜。同じクラスだからすぐ会うことは出来るだろう。今後一緒に生活を共にするわけだが、ちゃんと互いに協力しあ……て、おい起田、ちゃんと話聞いてるか?」
麻妃は目の前に現れた女子生徒に釘付けになっていた。今まで欲しかったおもちゃを手に入れた子供のようなキラキラと輝く純粋な目つきをして、その立体ホログラムから目が離せずにいる。
「これが俺の……」
同じ高校一年生とは思えないほどコンパクトな身なりをしている。顔も幼いし体も幼い。さっき会った二人の女子生徒と比べたら残念なことに子供にしか思えないような容姿をしていた。それでも秀でた可愛らしさは損なわれておらず、可愛い系に分類すれば上位ランク間違いなしだ。
そんな子が今日から自分の家族になるのだ。
高鳴る胸を、ふつふつと沸き上がる興奮を、麻妃は抑えられずにいた。
「よっしゃああああああああああッ!」
喜びを全身で露わにする生徒を担任は子を見守るような笑顔で見つめ、ため息を漏らす。
そして歓喜の舞いを踊る麻妃を横目に、書類の束の中から一枚の書類を取り出して特殊な機械な中へと入れ込んだ。すると立体ホログラムの中に文字が浮かび上がり、続いて麻妃の名前も浮かび上がる。
「うわ、なんだこれ! 俺の名前が動いてんすけど!」
「ちなみに今機械に入れたのはおまえの住民票な。ここで書き換えを行って晴れて団欒地区の住民になれる。このカードは家の鍵であると共に団欒地区での戸籍の役割を果たすわけだ。この学園と団欒地区において、おまえと小野が兄妹であるという証明にもなる。なくさないようにな」
言って、担任は処理が終わったカードを麻妃に手渡す。
「すげえ大事なものってことっすね……」
「そうだ。もうとっくにみんな入学式に処理を終えてるんだがな。さ、行った行った。早く着替えないと交流行事にも遅れることになるぞ」
「は、はい!」
本当に急げという意味なのか余韻に浸るまもなく、追い払われるように職員室を追い出された。空気の読める男でありたい麻妃は、急ぐべく自分の教室へ向かって走っ……ていたら怒られたので、出来る限りの全力を出し切って早歩きで向かった。