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(4)-3

「忘れてるならそれはそれで……いいよね」

「は? ちょ、いいって、なにが」

 深夜は麻妃の手を掴み取り、自分の頬にあてがう。

「触って」

 手の平に柔らかな感触が広がっていく。すべすべて柔らかい、女の子の肌。

 所詮、本能には抗うことなんて出来ないのだろうか。

 おままごとのような制度では、妹への想いなんてこんなにも簡単に覆されてしまうのだろうか。女の子な部分を感じただけで、揺れ動いてしまうものなんだろうか。

 だめだ、そんなの。

 逆らうことの出来ない本能とそれに抗おうとしている願い続けてきた家族への理想が、麻妃の中で全面戦争を繰り広げ始める。

「こうやってて平気でいられるのが、なによりの証拠なのに……」

 深夜は更に麻妃の手の平を自分の頬に強くあてがった。

 そしてそのまま、ことん、と麻妃の胸に頭を落とす。

「えっ!?」

 平らな自分の胸の上を枕にするかのように、ぺっとりくっついて身を預ける深夜。

「おい、深夜! おい! おーい! あ……あれ?」

 くっついたまま動こうともせず、心なしか重くなっていく。耳をすませば、すぅーすぅーと寝息が聞こえてきて、肩が小さく上下に揺れ動いていた。

「寝たのか? もしかして」

 もしかしなくとも深夜はそのまま眠りに入ってしまったのだった。

 まるで自分のお腹の上で眠る子猫のようで、可愛くて、愛しい。

 麻妃は子猫を愛でるかのように優しく撫で続けた。いつもつけている星のピンがたまにその邪魔をする。

 あ、いや、可愛いとか愛しいとかもちろん変な意味じゃないんだよ! 違うんだよ! 違うんだよ……ほんとなにやってんだろ、俺。

 麻妃はふるふるっと首を振って、邪念を吹き飛ばす。

 きっと気を張って疲れていたのだろう。もしかしたらこんな時間まで起きていて、自分と話す機会を窺っていたのかもしれない。

 それは麻妃の推測でしかないが、不器用ながら自分を想ってくれている、いや、想い続けてくれていた彼女ならありえるだろう。

 そんなに兄として慕われる才能が自分にあったとは思いもしなかったぜ。

「――わいってっ!」

 そんなことを思っていたら、ずしんと頭を石で殴られるような重い痛みと脳内をぐるぐる掻き混ぜられるような気持ちの悪い感覚が襲った。

「あたたたたた……!」

 孫悟空が頭につけている輪っかが自分にもつけられたかのような痛み。ずきん、ずきん、ずきん、と続く痛みに耐えながら麻妃は何かに気づく。

「あ」

 まるで水で濡らすと浮き出てくる文字のように、不確かで曖昧な何かが麻妃の脳裏に浮き出てきたのだ。

「もしかして、これって……」



 しきりに雨が地面を叩き付ける。その音は室内まで届いていた。

 そんな天気を気にすることもなく麻妃は早起きする。そしてシャツにネクタイ、セーターにチノパンといった着慣れない格好をしていた。

「卒業おめでとう、麻妃」

 屈んで目線をあわせ、優しく朗らかに笑うその女性は言った。

「これから一つ大人になる麻妃に……言わなければいけないことがあるの」

 躊躇いながらも力強く言って、麻妃の目を真っ直ぐに見つめる。

「今までお母さん一人できっと寂しい思いをさせたと思う。ごめんね」

「そんなことないよ!」

 母親を心配させまいと声を大にして言う麻妃に、弱々しく笑いかける。

「本当はね……本当は……」

 俯いて、苦しそうにその言葉を吐き出す。

「麻妃のお父さんは生きてるの。一緒には暮らせないだけで……」

「どうして一緒には暮らせないの?」

 麻妃は当然の疑問を投げかける。

「それは……お父さんは偉い人でお仕事が忙しいから……」

「それだけ?」

「…………」

 子供の台詞に深い意味はない。意味深に聞こえてしまうのは、大人の方にやましいことがあるからである。

「ごめんね……ごめんなさい……一緒に暮らせないお父さんを恨むか恨まないかはあなた次第だから」

「お母さんは恨んでるの?」

「いいえ、恨んでないわ。私が選んだことだから」

「お父さんは好き?」

「……もちろん」

「だったら僕にとってもお父さんは大好きなお父さんだよ」

 純粋無垢というのは、こういう笑顔をいうのだろう。麻妃は母親の言っていることの半分も理解していない。それでも麻妃なりにわかっていることがある。

 自分は母親が好きで、その母親が好きな父親なら自分の好きだということだ。

 子供だった。幼かった。だからこそそんな純粋な感情が抱けたのだろう。

「一番恨むべきはお母さんなの、きっと。いえ、絶対」

「どうして? 恨んだことなんてないよ!」

「だって……」

「話してくれて嬉しかったよ。ありがとう、お母さん」


「……お母さん?」

 麻妃は重い瞼を持ち上げる。

 夢というのは不思議なもので、今さっきまで見ていたのに全く記憶に残らない。どんな夢を見ていたかは覚えていないのに、余韻だけが体に染みついている。

 その証拠に目尻が心なしか湿っていた。

 なんとなく母親の夢を見ていたような気がする。もちろん気がするだけだ。

 深夜が自分の上で寝てしまい、最初は気持ちが落ち着かず悶々としていたが、気づいたら自分も寝てしまっていたらしい。

 隣からは寝息が聞こえた。自分の腕を抱き枕のようにしているのか、右腕に感覚がない。

「いや、待て。なんかおかしい」

 麻妃は天井を向いたまま、右腕に疑問を抱く。

 痺れて感覚がない右腕だったが、それでもわかってしまう“何か”がある。

 それを確かめるべく、麻妃はそっと隣で熟睡している彼女を起こさないように顔だけ右に向けた。

「!」

 隣にはあどけない顔で眠る彼女。

「ん……」

 吐息が鼻にかかり、くすぐったかったがそれどころではなかった。

 おかしい……どうしてこうなった……。

「んぅ……あ、おはようん」

 彼女は眠そうな目で麻妃の腕に顔を擦りつける。

「うん、おはよう。……じゃなくて! な、なんでここで寝てるんだよ、おまえ!」

 自分の記憶が確かなら、寝落ちする前まで深夜が隣にいたはずなのだ。それが何故かサリーに変わっている。やっぱり俺って重度な記憶障害なのかな……。

「あーちゃん、朝から声でかいでありんす」

「でかくもなるよ!」

「朝だからでかくなるのは仕方ないってママノートに書いてあったでありんすなぁ」

「それ絶対違う意味のでかいだろ! 違うから! 違わないけど違うから!」

 むぅ、とサリーが膨れっ面で麻妃を上目遣いで睨み付ける。

「なんでそんなに怒る……」

「あ、いや、別に怒ったわけじゃ」

 サリーはもう怒ったとでも言いたげな拗ねた顔で、腕にぎゅうっと強くしがみついた。

 しがみつくたびに、腕が二つの谷間に挟まれ、吸い込まれていく。俺の右腕はなんなの、なにおいしい思いしてんの。

「……って、なんて格好してんだよ!」

 あまりに柔らかい感触が右腕を弄ぶので、右腕の行方を目で追ったら……なんと右腕は赤ちゃんのようにおっぱいと戯れていた。

 かろうじて下着を身につけているのはサリーにしては褒めるべきところだろう。色々と大きすぎて、半分脱げているけれど。

 何故かサリーは下着姿で麻妃の隣に寝ていたのだ。

 この事実からわかることは一つ。

「いやまさか、ねえ」

 布団を捲るとパンツ一丁のなんとも情けない姿の自分が現れたのであった。

 ぱふん! 麻妃は光の速さで布団を元に戻す。

 おかしい。なんで俺はパンツしか身につけていないんだ……。

 シャワーを浴びて、確かに寝間着に着替えたはずである。と、気になってベットの下を見ると無造作に脱いだ寝間着の残骸が転がっていた。

「……サリー」

「んぅ?」

「こ、これは、一体……どういうことなんだ?」

「えっとぉ、あちきがあーちゃんを慰めたでありんす!」

「なんだってええええええええええ!」

 覚えてない……全く記憶がない……クソ! マジクズ過ぎる俺、クソ! こんだけの乳を堪能しといて記憶がないとかマジクソ! あ、いや、そうじゃなくてだね。

「し、深夜は? 深夜はいなかった?」

「おのおのさん? あちきがきた時には家にもいなかったでありんす」

 朝方起きて自分の部屋に戻ったのだろうか。

 それより問題はサリーがいつここにきて、いつ俺を慰めて、なにがどうなったかということなんだよ。

「あーちゃんっ!」

「わ! わわわ!」

 へへへ、と笑いながら子供がじゃれるかのごとく、サリーは麻妃に飛びついて首に腕を回す。

「ごめんなさいでありんす」

「な、なにが?」

「ほんとは……裸になるつもりだったでありんす。でも今度裸になったらおっぱい引っ張ってびよんびよーんにするって夕之助が怒るから……」

「は?」

 言っている意味がよくわからなかった。聞き取れたのはおっぱい引っ張ってびよんびよーんという謎の語句だけである。

「あーちゃん、元気だしてっ」

 サリーは生暖かくてすべすべの柔らかい肌を絡めながら、弱々しい声で何度も繰り返す。

「サリー……」

「あーちゃんがどうすれば元気になるかわかんないでありんす……でも、でもっ、元気になって欲しいの」

 直球しか投げることが出来ない。それがサリーのいいところであり、悪いところでもある。

 しかし今は全く悪い気はしなかった。

 むしろ一生懸命になって自分を励まそうとしている姿が可愛くて、また愛しく思えた。お、おっぱいで何割増しとかじゃないよ! 本当だよ!

「ありがとう。もう大丈夫だから」

「ほんと……?」

「うん。まあ、記憶は戻ってないけどな。でも大丈夫」

 サリーは返事の代わりに人懐っこい笑みを浮かべた。

 やっぱりこの笑顔が可愛いんだよなあ、とか、黙ってれば本当に可愛いし魅力的で破壊的な体型だし、色々と申し分ないんだよなあ、とか異性的な目でサリーを見てしまっている自分がいて。

 いやいやっ、と首を振って煩悩を払いのけた。

「どうしたでありんすか?」

「いや……なんていうか、サリーは笑ってる方が可愛いなぁって思っただけ、かな?」

「かわいい?」

 小首を傾げる姿が、妖精かと錯覚すらしてしまう。下着姿が神秘さを加速させ、ハーフ特有の整った顔ときめ細やかな白い肌が人間のものとは思えなかったからだ。

「えっと、まあ、その、かわい……」


「お取り込み中悪いんだけど」


 二人じゃない誰かの声が入口のドアからして、一気に現実に引き戻される。

 ある意味、助かったかもしれない。

 俺、妖精とか見えてて頭アレになりそうだったし。うん、よかったよ。よかったって。よかったんだよ……。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! これは! その! 起きたら何故か……って、そうじゃなくて!」

 麻妃は慌てて体を起こし、この現状を全否定する。

「なに慌ててんだよバカ。わかってるっての」

 ずけずけと部屋に入り込んできて、夕之助が言った。

「どうせ慰めるとかいってベットに潜ったんだろ、こいつが」

 サリーは口を尖らせて、

「むー! ちゃんと下着つけてるでありんす! 全裸じゃないっ!」

 悪いことはしてないとでも言いたげに、頬をむうっと膨らませた。

「じゃなんでこいつ脱いでんの?」

 麻妃を指しながら夕之助がサリーに問う。

「あーちゃんだけ服着てるのへんだと思ったでありんす。だからあちきが脱がせた!」

「なんで!?」

 自分脱いだし相手も脱がなきゃね、っていう発想はどう考えてもふしだらだろ!

 そんな展開は慣れっこの夕之助は、深い溜息をついて頭を抱えた。

「だってぇ……」

 サリーはしゅんとした顔で麻妃を見つめる。

 きっとサリーは自分を元気づけようとしてくれたのだ。それはもちろんわかっているし、その気持ちも凄く嬉しい。しかしそんな格好で見られても、ただ誘っているとしか思えないわけで。

「ま、まあ。気持ちは伝わってるから、さ。嬉しかったよ、ありがとう」

 麻妃はサリーから顔を逸らして、照れくさそうに礼を述べる。

 それを聞いたサリーは瞬時に元の明るい表情に戻り、麻妃に抱きつこうとするが、それよりも先に、

「それはちゃんと顔見て言ってやった方がいいんじゃね?」

 夕之助がにやにやしながら言う台詞の方が先だった。

「うん! あーちゃん、こっち見るでありんす!」

「あ、いや……」

 夕之助の奴、絶対わかっててわざと言ってるだろ! そっち向けばあるんだぞ、楽園が!

「ほらほらぁ、どうしたのかな? まさかこっちを見れない理由があんのかな?」

「夕之助、おまえぇ……!」

 くくく、と悪戯に笑う夕之助の声が耳に入る。

「あーちゃん?」

「わかったよ、もう! サリー嬉しかったよありがと!」

 言って、サリーの方を向いた瞬間、飛びついて抱きつかれてそのまま押し倒されてしまった。

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