(4)兄妹のような友達のようなただの恋人未満
また自分は知らないうちに深夜の嫌がることを言ってしまったのだろうか。
翌日、登校中も授業中も考えてみたが思い当たる節がなく、麻妃は頭を悩ませていた。
筆談がなくなった分、少し心を開いてくれたようで嬉しい麻妃だったが、だからといって弾むように会話を交わしてくれるわけではない。昨日のこともあってか、心なし冷たいような気さえする。
道のりはやはり複雑で、茨の道だなあ……なんて麻妃は思っていた。
その日の放課後。
団欒部での活動第二弾に何をやるかを話し合うべく、いつもの空き教室へと向かっていた。
すっかり見慣れたサリーが一方的に深夜に話しかけ、引きずるようにして部室に連れて行く後ろ姿を眺めながらマイペースに男二人で歩く。
なんか子供同士遊ばせてるパパ友同士みたいじゃね? うちの子の方が圧倒的に優秀だけどな、愛想はないけど。
「で。次なにすんの?」
何も考えていない麻妃は思いつくまま、
「おままごと、とか? ほら、お父さんとお母さん二役はもちろん夕之助で」
なんて笑顔で答えたもんだから、夕之助の目尻にピシッという神秘的な聞いてはいけない音が聞こえた。
「もう一回聞いてやる。次はなにすんの?」
「ごめんなさい考えてません」
本当短気だなあ夕之助は……なんて決して口に出しては言えなかった麻妃である。
しかしまあこれだけ神に選ばれ、贔屓されて造られたかのような容姿をしているし、欠点の一つや二つないと神なんて存在は人間にとってただの悪にしかなりえない。むしろ夕之助を女の子にしなかった時点で神はもう悪認定していいかもしれない。
部室に着くなり、早速サリーが張り切ってイスを真ん中に運び始める。その隙を見て端っこに行こうとする深夜だったが、深夜の分もイスを運んだサリーが笑顔で呼び寄せるものだから断れずにいる様子だった。
「あーちゃんもでありんす!」
夕之助が後ろに固まって置かれている机に座った姿があまりにも絵になってかっこよかったので、真似しようと思った瞬間にサリーに呼び止められる。
「えー……夕之助はいいのか?」
「ゆーのすけは数に入れてないでありんすっ」
ふん、と鼻息を荒くして胸を張るサリー。張らなくても胸はあるんだから、無意味なおっぱい強調は目の行き場に困るので全く辞めて欲しいものだ、と心の中で呟きながらも麻妃の視線はサリーの胸の辺りを彷徨っている。
「おいおい、また喧嘩でもしたのか?」
「い―――――だっ!」
麻妃の問いに答えるよりも先に、サリーは夕之助に喧嘩をふっかける悪ガキのように歯をむき出しにした。
「あーちゃんとおのおのさんは喧嘩しないでありんすか?」
「え……」
聞く? それを今聞いちゃう? 昨日のアレが解決していない状況で聞いちゃうの?
麻妃は明後日の方向を見て「えっと……」と考えるふりをしてやり過ごそうとしたが、そんなものがサリーに通用するはずがなく。
「ねーねーおのおのさんも喧嘩するんでありんすか?」
麻妃が答えないと深夜に直接直球で聞き出した。
さすがの麻妃も慌てて、その質問を妨害するかのように「あーあーあー」と呻ってみるが、サリーごときに「うるさい」と一喝されてしまった。
「喧嘩っていうのは片方だけが怒っても成り立たないのよ」
「うんうん」
「だから喧嘩ではない、かな」
「うんうんうん、うんっ!」
「私が一方的に……って、なんでそんなに嬉しそうなの、あんた」
サリーは身を乗り出して、大仰に何度も首を縦に振って相槌を打っている。
「だってぇー! おのおのさんがいっぱい喋ってくれたんでありんす! 嬉しいっ!」
「話、聞いてないでしょ……」
真面目に喋ろうと思った私がバカだったわオーラ全開で、深夜が落胆していた。そんな姿を目にするのは今までで初めてなので、麻妃はなんだか流れ星でも見たような気分だった。
「で。次なにすんの? つーか、俺にまたこの台詞言わせんのかよてめえらマジいい加減にしろよコラ」
いらいらした口調で言う夕之助。いつの間にかくっつけた机の上に寝転がって寛いでいた。
「そうだなぁ。花見以外に春らしくて家族らしいこと、なんかないかな」
前回もそうだが“家族らしいこと”というお題自体が自分達にとって困難極まりないわけで。
サリーはまたママノートで検索を始め、他からはこれといった案が出ず、どうしたもんか……と明け暮れそうになっていた矢先に、スパイシーな出来事が突然訪れる。
コンコン。
四人は一斉に入口のドアを見た。紛れもなく、この教室のドアが何者かによってノックされたのである。
「あれぇー? お客さんでありんすか?」
サリーが誰に問うでもなく呟いた。
「誰だよ、こんな教室に来るバカは」
こんな教室って言うなよ! 俺らの教室だろ! 家みたいなもんじゃないか!
夕之助が体を起こし、興味深く入口を見つめて胡座をかいた。
深夜は何も言わずに麻妃に視線を送り、その視線を受けた麻妃は息を飲んで口を開く。
「……どうぞ?」
がらっ、と戸が開いて、隙間から顔を出してきたのは一人の女子生徒だった。
「うわー殺風景だね」
第一声がそれである。
教室内とそこにいる部員を交互に見て、ふーんとかへーとか何やら勝手に解釈して納得している様子だった。
「なんか用ですか?」
「えー? 用がないと来ちゃだめだった?」
ごめんごめん、と笑いながら言う女子生徒は、上履きの色を見る限りでは同じ学年らしかった。
明るく染められた髪は肩の上で切り揃えられており、綺麗に内巻きになっている。いわゆるボブヘアーというやつで、見るからにオシャレで今風感が漂っている。ボブが似合う子は可愛いと誰かが言っていたが、本当にその通りだと麻妃は思う。
動物で例えるなら、深夜は子猫、サリーは犬、この子はうさぎといったところだろうか。みんな違って、みんないい。
猫は警戒心が強いせいか、見知らぬ人間を威嚇することがある。まさにそれと同じように深夜がその女子生徒を威嚇していた。その表情からは嫌悪感さえ伺える。
用件も言わず部活の時間に割り込んでくる、そんな不躾な女子生徒に苛立ちを覚えるのは理解出来るが、それだけとは思えぬ表情だった。
女子生徒は一歩、また一歩、と図々しく部室に入り込んで、一通り見て満足したのか視線を麻妃に戻す。
「ほらー! やっぱりー!」
そして誰かに同意を求めるかのように、女子生徒は麻妃を指して声をあげた。
「え? えええ? お、俺!?」
犯人はおまえだッ! と言わんばかりにびしっと指差されて、何がなんだかわからず混乱する麻妃。
自分を差して「俺? 俺なの?」と周囲に視線で問うが、その場にいる誰もが状況が飲み込めていなかった。
「起田くんじゃーん! マジ懐かしすぎー!」
タタタ、と駆け寄って麻妃の両肩に手を置き、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる。
「え? 懐かしい? な、なにが?」
「あ。そっか……そうだよね、ごめんごめん」
女子生徒ははっとした顔をして、手を合わせて謝りだす。勝手に騒ぎ、勝手にしゅんとする、人騒がせな女子生徒だ。
「えっとさー、ほら、なんていうか、うーん……やっぱり覚えてない?」
「いやあだから、なにが?」
肝心な部分を伏せるようにして、しどろもどろに女子生徒は麻妃に問いかける。
「ひぇっ!?」
女子生徒はきょとんとしている麻妃の顔を両手で掴んで、
「この顔だよ、この、か・お!」
吐息のかかる距離まで引き寄せる。
長い睫毛がぱさぱさと上下に揺れ、真っ黒で大きな瞳に自分の顔が映っていて……女の子特有の甘い香りが鼻を擽った。
「な、なっ……」
ちょっと間違いが起きれば、そのままぶちゅっとしてしまいそうな距離である。さすがの麻妃も慌てて、顔を朱色に染めて動揺を隠しきれずにいた。
「!」
それを見た深夜は目をくわっと見開き、戦慄いて勢いよく立ち上がる。ガタン、と乱暴な音をたててイスが後ろに倒れた。
サリーもまた面白くないといった様子で、膨れっ面で二人のやりとりを伺っている。
そんなことは目にも入っていない様子の女子生徒は続けた。
「ほら、この口元のほくろとか! チャームポイントなんだけどなー」
言われて見ずにはいられず、視界に入ってくる女子生徒の口元。グロスが塗られている桜色の唇は艶やかで、ふっくらしていて……と、麻妃はほくろどころではなくなっていた。
「もう、ほら! ちゃんとよく見て!」
「わ、わかったから……これ以上、顔を引っ張んないで」
わざとやっているのかと問いたくなるぐらい、顔を寄せ付けてくる女子生徒。
このままでは正気が保てなくなるかもしれない。麻妃はとにかくほくろとやらを見ようと口元に再度視線を送る。
「あ」
「思い出した!?」
「いや……」
口角の上あたりに小さな黒い点が一つ、確かに確認出来た。しかしせっかく色っぽい位置にあるのに、このテンションですべて台無しである。
「紛らわしいなあもう。やっぱりだめかあ……」
残念そうに女子生徒は手を離し、麻妃の顔を開放した。
「まあ、まともに顔あわせるのは小学校ぶりだしね」
「…………え?」
驚いた顔のまま制止する麻妃に言い聞かせるかのように、女子生徒はソレを口にする。
「私だよ、燕五月。小学校5、6年生の頃同じクラスだった燕五月」
覚えてないのも仕方ないよね、と付け加えて溜息を漏らす五月。
麻妃は睨むように五月を凝視したのち、まるでびりびりに破かれた紙くずのような記憶のページから、彼女の記憶を必死で探してみる。それは既に修復不可能になった紙くずの破片を掻き集めるぐらい困難極めたが、その中からでも見つけ出すことが出来るぐらい、当時彼女は特別な存在だった。
「燕五月……つばめ……つばめ……あああああっ!」
今度は逆に麻妃が五月を指した。
「思い出した!? 思い出したの!?」
「あれだろ、学級委員やってた燕五月だろ? 黒髪ストレートの」
髪型も違えば、あの綺麗だった黒髪もすっかり茶色なんぞに染め上げられている。俗世は彼女から清楚感を奪い去り、今時の女子高生なんかに仕立て上げてしまったのだ。顔立ちもかなり大人になっており、わかるはずがなかった。
しかしよく見るとその面影は失われておらず、喋ると一言以上に多くて人を不愉快にさせることもあるが、笑うとそれが帳消しになってしまう程に可愛い……あの燕五月がそこにいた。
「そうそう! そうだよー! なんだ、覚えててくれたんじゃーん!」
五月はきゃっきゃ言いながら、麻妃に抱きついた。
「わわわ!」
突然抱きつかれ、どう対応していいかわからない麻妃は体を預けたまま、抱き返すわけにもいかず腕が浮遊していた。
「まさかさーこんなところで再会出来るなんて思ってなかったよ。もちろん小野さんも」
五月は麻妃から体を離して、にやにやしながら今度は深夜の方に向き直す。
「なになに、もしかして二人で一緒に入学しちゃったとか?」
「…………」
深夜はあからさまに嫌な顔をした。今にも牙を剥きだしにして噛みつきそうなぐらいに。
「はぁ? なんで深夜が一緒に入学するんだよ。深夜とはここで出会ったんだ。ちなみに俺の妹ね」
麻妃が自慢げに深夜を紹介すると、五月は笑いながら麻妃の肩を叩いた。
「なに言ってんのもう。小野さんも同じクラスだったじゃーん」
ばしばしっ、と肩を叩く音だけが部室内に響き渡り、そこにいる誰もが笑っていない。
「は? な、なに言ってんだよ……」
麻妃はバカじゃねえのとでも言いたげな顔をして、しかしどこか自分に自信がなくて、ただただ五月の次の台詞に恐怖した。
「え? ちょっと、なに言っちゃってるの? もしかして……」
五月は深夜と麻妃を何度も交互に見て、口元に手をあてる。
「覚えてないの? 小野さんのこと」
「――――――」
真っ白になった。
麻妃はこの真っ白になってしまう感覚を知っている。脳内が白に染まり、すべての記憶がまるで修正液をぶっかけられたかのように塗りつぶされていくのだ。それを止めることも、抗うことも出来ず、まるで何もなかったことにするかのように消し去ってしまうのだ。
五月の決定的な一言に対して、麻妃は二の句が継げなかった。
絶望という闇が自分を飲み込むために忍び寄っている、という事実だけが今はっきりとわかる。
今にも崩れ落ちてしまいそうな顔で、麻妃は深夜に目をやった。
その顔は自分よりも絶望に近いところにあるような、そんな気さえした。泣きたいのに泣けない、それぐらいショックなんだと言葉にせずとも伝わるぐらいに。
血が滲み出るほどに唇を噛みしめて、深夜は俯いた。怒りや悲しみや渦巻く感情をぶつけるかのように、拳を強く握り締める。
ぴりぴりと張り詰めた空気を肌で感じ、その光景をおろおろしながら見ていた五月は、決して悪気があって言ったわけではない。彼女なりにフォローするつもりで言ったのだ。しかしそれが結果としてその場に混乱を招き、事態を悪化させることになる。




