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(3)-1

 誰が見ても可愛いとしか形容しようがない見た目に、抜群のスタイルを兼ね備えた女の子と並んで歩いていく姿。

 それはただのカップルのように見えた。

 もちろん麻妃が圧倒的に地味でサリーの派手な容姿に圧されているが、そんなアンバランスはカップルなんて何処にでもいる。

 深夜は無意識にその後ろ姿を目で追っていた。

 それに気づいた夕之助は小さな溜息をつく。言うべきか、言わずにおくべきが、夕之助は一瞬迷ったのだ。しかし姿が見えなくなるまで目を離さない深夜が気にかかり、口を開くことにする。

「……私があそこにいるはずだったのに、って顔だな」

 深夜はその声ではっとなり、慌てて麻妃から目を反らす。

「んだよそれ。もしかして無意識なわけ?」

「…………」

「あ。俺、それ通用しねえから」

 無言を貫き通そうとする深夜に、素っ気なく言い放つ夕之助。

「で」

 そして横たわって、寛ぎながら問いかけた。

「あんた、いつまでそうしてんの?」

「…………」

 悪夢が終わるのを待つかのように、深夜は俯いて目をぎゅっと瞑った。

 夕之助はめんどくさそうに頭を掻き、しかし問い続ける。

「気づいてないのあいつ本人だけだと思うぜ? あんた見てりゃ嫌でもわかるって」

「……なんの、こと」

 開きたくない口も開かずにはいられなかった。

「あんたがあいつを見る目、の話」

 夕之助は起き上がり、胡座をかいて深夜と向き合う。

 突然人間に見つかった猫のように、深夜は驚いて体を硬直させる。夕之助のすべてを見透かすような、真摯な眼差しから逃れられなかったのだ。

「どっちの意味かは問わないでおいてやるよ」

 深夜は夕之助が思っていた以上の反応を示していた。

「で、元々知り合いなわけ?」

「知り合い……のようで知り合いじゃない、かもしれない」

 曖昧な言い方をする深夜。それは本人が一番わからなくて、一番知りたいことだったからだ。

「そ。で、その喋らないのはあいつのせいなわけ?」

「それは違う!」

 体を乗り出して全否定する深夜を見て、

「だったらもっと普通に喋ってやれよ、あいつと。別に俺とかクラスの奴らとかどーでもいいからさ」

 夕之助は強い口調で言い放つ。それは責めるというより、まるで懇願するかのようだった。

「一つ屋根の下で一緒に飯食って、寝て、同じ時間を過ごすんだろ? あんたには今、誰でもないあいつしかいねーだろうが」

 深夜は黙ってその言葉に耳を傾ける。

「ま、俺だってこんなおままごとみてーな制度ごめんだけどな。それでも仕方ねえんだよ。わかるだろ言ってること」

 深夜は黙って小さく頷いた。

 茶の間学園への入学の絶対条件は『一人っ子であること』だが、そこにもう一つ加わる見えない条件があると言われている。

 それは『家庭に問題があること』だ。

 もちろん問題といえど大きさは様々である。少なからず言えるのは、血の繋がった両親と共に食卓を囲むような温かい有り触れた家庭ではない、ということだ。

「寂しいだろ、独りなんて」

 夕之助はふて腐れるようにして再び寝転んだ。

「いーじゃん、別に。どうせごっこ遊びでもさ、それが埋まるなら。ここでまで独りになることないだろ」

 深夜は泣きたくなる気持ちを堪え、小さく何度も頷いた。


 一方コンビニに向かって歩き出した二人は、夕之助と深夜がそんな会話をしているとはいざ知らず、

「あーちゃんとふたりっきりー!」

 サリーは相変わらずご機嫌な様子で、

「そ、そうだな」

 麻妃はそんなサリーに振り回され、先行き不安になっていた。たったコンビニに行くだけでこのテンション……帰ってくる頃には疲れ果てた休日のお父さん化していそうで怖い。

 しかしサリーはいつものように走って先に行ってしまうことはなく、麻妃の歩幅に合わせて並んで歩いている。それだけでも有り難いことだった。

「ねーねーあーちゃん」

「ん?」

 おもちゃをねだる子供のような甘ったるい声を出すサリー。

「あちきはあーちゃんがだいすきでありんす」

「は!?」

 いきなり何を言ってるんだこいつは。

 立ち止まって動揺を隠せずにいる麻妃を現実に引き戻すかのように、

「む? あーちゃん、も? あーちゃんもだいすきでありんす!」

「難しいよな、日本語って……」

 そして日本語の破壊力って凄いよな、一文字で意味が異なっちゃうんだもん。

 決してがっかりしているわけではないが、一瞬でも浮ついてしまった自分が恥ずかしくなった麻妃である。

「あんまり誰にでもそういうの言うなよ」

「どうしてでありんすか?」

「どうしてでも!」

 たったそれだけでも勘違いする男はごまんといるのだ。ましてサリーのようにいつも笑顔で愛想がよくて積極的な女の子、なんて……何も知らない人からすれば、その向けられる笑顔が自分だけのものかのように錯覚してしまうだろう。

「だってぇ……ママノートに書いてあったでありんす」

「ママノート、か。ほんと好きなんだな、お母さんのこと」

 電灯の光がかすかに照らす人気のない道を歩きながら、二人の間に初めての沈黙が訪れる。

「……サリー?」

 サリーが口を閉ざしたことなど今まで一度もなかったのだ。夜の闇がサリーのかんかんと照らす太陽のような笑顔を奪い取っていく。

「ママはだいすきでありんす。それはゼッタイ。でも……本当はそれ以外の『すき』はよくわからない」

 不謹慎にもサリーがこんな大人びた表情をするのか、と麻妃は隣で魅入ってしまった。

「あーちゃんもすき、おのおのさんもすき、ゆーのすけは怒らない時はすき……みんなすきでありんす。でもママのいつも言う『すき』はきっと違う意味なんでありんす」

「違う意味?」

 サリーは俯いたまま、そっと麻妃の手を握り締めた。指先だけを掴んで、まるで誰かに助けを求める子供のようだ。

 麻妃はそんなサリーの手を包み込むように握り替えした。そうするべきだ、と本能が後押ししたからである。いつも無邪気で元気な彼女に、こんな表情をさせる何かが気になって、その何かが憎くて、出来ることならこのまま抱きしめてやりたい衝動に駆られる。

「ママはいっぱいのすきをもってて、いっぱいの男の人が入れ替わりで家にきてたでありんす。ママはあちきにもすきをくれて、でも男の人へのすきにはいつも敵わなかった」

 サリーはぎゅっと麻妃の手を握り締めた。

「ママノートがんばれば、いつか敵うと思ってたでありんす。でも……やっぱりだめでありんした」

 麻妃を見上げて苦笑するサリー。

 誰よりも一番大好きで、誰よりも一番に自分を認めて欲しい、そんな存在である母親にはいつだって他の一番がいる。敵わないその一番にいつも母親を奪われ、孤独感に襲われ、それでも母親の記したノートを守ればいつか自分を見てくれる、自分を認めてくれる、そう信じていたのだろう。

 麻妃は居たたまれない気持ちにさせられる。

 元気で明るくて可愛い彼女の笑顔の裏に、そんな闇が潜んでいるなんて一体誰が思うだろうか。

「あちきみたいに誰かがさびしくなるなら、そんな『すき』はいらないでありんす」

 幼い頃のサリーが垣間見れる気がした。麻妃は幼少時代のサリーを思い浮かべながら、黙ってサリーの頭を優しく撫でる。

「あーちゃん?」

「俺なんかどっちの『すき』もよくわかんないよ。だから大丈夫だって」

 麻妃は自嘲するかのように言って、不器用ながらサリーを元気づけようとした。

「どっちも? あーちゃんはあちききらいでありんすか?」

「いやそうじゃなくて。なんつーのかな……好きだけど、きっとまだ本当の好きじゃないみたいな?」

「よくわかんないでありんす」

「うん、俺も」

 言って、二人は笑いあった。その瞬間、サリーはやっぱり笑顔のままがいいな、と実感した麻妃である。

 自分でも言っている意味がよくわからない。でも言っていることに嘘はなかった。

 まともな家族愛を知らない自分には、人を好きになるということがいまいちよくわからないのだ。今までに実ったことはないけれど、それなりに好きな子はいたし、女の子に対して無頓着というわけではない。おっぱいだって大好きである。

 それでも何か大事なものが欠落しているような、人として大事な感情的何かが抜けてしまっているような、そんな気がしてならない。

「でもでもっ、今は寂しくないの。ゆーのすけは怒ってばっかだけど、ちゃんと家には帰ってくるでありんす」

 へへへ、と嬉しそうに笑うサリー。思わずまた頭を撫でてやりたくなったが自重した麻妃である。

 喧嘩ばかりしている二人だが、それは心を開き合っている仲だからこそ出来ることなのだろう。

「……俺らもそうなれるといいんだけどな」

 麻妃が独り言のように漏らし、サリーはきょとんとした顔で目をぱちくりさせる。

 その時、丁度民家にひっそりとあるコンビニの光が見えてきた。短い二人の時間に終止符を打つかのように、そこで電灯の明かりが終わる。

 無事コンビニに到着し、二人を出迎える入店音が静まりかえった夜道に鳴り響いた。


 買い出しが終わり、二人が戻る頃には先ほどよりも人が増えて賑わっている様子だった。

「遅かったな」

 すっかり待ちくたびれたといった感じで、寝転んでいる休日のお父さんこと夕之助。

「悪い悪い。はいよ、飲み物とお菓子」

 弁当の横にコンビニ袋を置いて座る麻妃。一方、サリーはというと背を向けたままなかなか来ようとはせず、

「おい、サリー。なにやってんだ?」

 じと目で見つめる夕之助の視線と声にびくつく。

 麻妃はフォローしようと思ったが、なんと言えばいいかわからず、考えている間にも夕之助がサリーの首根っこを掴みに行ってしまった。

「何食ってんだ? あ?」

「あ、あいすくりーむ……」

「食事の前に誰がアイス食っていいって言ったんだ? ん?」

 まさに怒られている理由が子供すぎて庇いようがなかった。麻妃はどうしようもなく、その場でトホホ笑い。

 現在進行形で怒られているサリーはというと、ちらちらと麻妃に視線を向け、口をもごもごさせる。

「おい、誰が食っていいって言ったんだって聞いてんだよバカ!」

「あ、あーちゃんでありんす!」

「ええ!? 俺かよ!」

 突然のとばっちりに、素晴らしい反射神経で反応する麻妃。

 確かにアイスを買ってやったのは誰でもない自分である。サリーにねだられて買ってやったのだ。女の子にアイスをねだられて断るほどケチじゃない。ちゅーちゅーしたいんでありんすぅ、とか言われてアイスを買わずにいられるほど理性に忠実ではない。

 麻妃がなんやかんや言い訳を考えていると夕之助が姑のような目でキッと睨み付け、

「おまえは甘いんだよバカ」

 はぁ、と盛大な溜息をつかれてしまった。

 なんだよ! アイス買ってやったのそんなに悪かったのかよう!

「どーせ『ちゅーちゅーしたいんでありんすぅー! 買って買ってー!』って甘えられてまんまと買ってやったんだろ」

「う……」

 図星すぎて反論出来ない。

 母親がいらんおもちゃを買ってやった父親に向けるような呆れ顔で、夕之助は再び深い溜息をついて頭を抱えた。

「だいじょーぶ! ちゃんとご飯も入るでありんす!」

 麻妃を励ますようにお腹をぽんぽん叩きながら言うサリー。いやいや、元凶はきみだからね!

 そんなやりとりに一切関与しない深夜は、黙って弁当箱の蓋を開けていく。

「そうそう、弁当! 弁当食おうぜ!」

 それを見た麻妃がしらじらしく話を逸らすように乗っかって、おにぎりを包んだアルミホイルをはがし、各自にペットボトルを渡していく。

「あちきは米食系女子らしくおにぎりー!」

 弁当の蓋を開けた途端、サリーが勢いよくおにぎりを二つ掴みとる。

「米食系女子ってなんだよ、米食系女子って」

 米に夢中で麻妃の声など聞いちゃいない。サリーは小さな口に大きなおにぎりを押し込むようにして食べる、食べる食べる。口の端っこにご飯粒をつけては夕之助に「行儀悪いんだよバカ! 米に謝れ、このクソアマ!」と叱られ、おにぎりに謝りながら口の中へ放り込むという異様な光景が出来上がってしまった。

 さすがにこの流れにも慣れてきた麻妃である。それは深夜も同じようで、見て見ぬふりをして紙皿におにぎりをとり、箸で割りながらちびちび口に運んでいた。

「しかしよく食うな、サリー。あの米はどこにいくんだ……」

 麻妃は深夜の前ではあえて口にはしなかった。きっとあの米はおっぱい栄養分になるに違いない、と。

 それに感づいていたらしい夕之助が、

「確かめてみたらいんじゃね? ほら、アレでも揉んでみりゃわかんだろ」

 卵焼きを食しながら悪戯に笑って言う。

「バ、バカ! 俺は何も言ってなっ……!」

「そ? 目線がソレしか捉えてなかったぜ?」

 珍しく生き生きした口調で言う夕之助。そしてそのやりとりを横目で見ている深夜に気づき、にやりといやらしく微笑んだ。

「あ。こっちの小さい方も揉んでやったら? 平等にしないと拗ねちゃうだろ」

「!」

 深夜が驚愕のあまり、紙皿をひっくり返してしまった。小さな食べかけのおにぎりがころころと転がる。

「あー! おむすびころりんでありんすなぁ!」

 転がったおにぎりを見て興奮しているサリーは、転がっていったおにぎりが動かなくなったのを見てしゅんとしていた。「いつ穴に落ちるでありんすか?」と言った瞬間、その転がったおにぎりは夕之助の手によってサリーの上の穴に放り込まれたのであった。

 そんな悪ふざけも含めて、みんなで食事をするというのは楽しく有意義なものだった。それが桜の木の下なのだから、また格別である。

 いつも一人で食事していた麻妃にとって、それは特別な時間にさえ思えた。同じ食べ物を食べていても、こんなにも味が違うのかと痛感させられる。きっと世間ではこれを友人同士の交流の一種にしか捉えないのだろうが、麻妃にとっては食卓と言っても過言ではなかった。

 食卓、と言いたかっただけかもしれない。

 食事を囲んで、みんなでわいわい言いながら、同じものを食べる。そこには必ずみんなの笑顔が溢れていて、それが何よりの調味料となる。

「……いて」

 急に太ももを捻られて、鈍い痛みが走る。するとそこには一枚のメモ紙が差し出された。

「なに泣きそうな顔してるの、って? え? 俺泣きそうな顔してた?」

 メモ紙を差し出してきた深夜に問いかけると、不可解な顔をして小さく頷く。

「うーん、この瞬間がなんか嬉しかったからかな」

 ははは、と頭を掻きながら恥ずかしそうに笑うと深夜は首を傾げた。

 不思議だった。どうしてそこで『懐かしい』という感情まで沸き上がってきてしまうのか。麻妃は自分のことながらそれが理解出来ず、しかし嫌な気はしなかった。

 そんなことを思いながらライトアップされて神秘的に輝く桜の木を眺めてると、突然深夜が立ち上がる。

「おのおのさん、どうしたでありんすか?」

「…………」

 深夜は何も言わずに靴を履こうとする。

「ねーねー! おのおのさん!」

「トイレだろ、トイレ」

 答えない深夜の代わりに夕之助が答えた。

「あちきも一緒に……」

 と、言った瞬間に深夜は威嚇する猫のような顔をして首を左右に振った。

「えぇー」

「トイレぐらいゆっくりしたいんだろ。おまえは原っぱでこれにでもしとけよ」

 言って、夕之助はコンビニ袋から紙コップを取り出す。

「あー! これ知ってるでありんすぅ!」

「いや違うから! しなくていいから! 検尿じゃないからッ!」

 サリーの場合は言ったら本当にやりかねない。自分が止めると分かっていて、面白がってやってるな夕之助の奴……!

 そうしてる間にも深夜は靴を掃き終えていて、行ってしまおうとしていた。

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