鉄拳制裁、セイギマン!
この国には、正義がある。
正義は三人いる。赤、青、黄。名を、セイギマンという。
◇
午後十一時。赤坂の高級料亭「松風」の奥座敷で、衆議院議員・黒須源五郎は菓子折りを受け取っていた。
菓子折りは重かった。中身が菓子ではなかったからである。
「先生、例の公共事業の件、どうかよしなに」
「うむ。悪いようにはせん」
黒須は笑った。絵に描いたような悪い笑みだった。実際、黒須は悪い政治家だった。裏金、談合、口利き。疑惑の数は、本人も正確には把握していない。
そのとき、襖が吹き飛んだ。
蹴破られたのではない。襖そのものが、内側から自発的に吹き飛んだのである。
「な、なんだ!?」
護衛の男たちが一斉に立ち上がる。煙の向こうに、三つの人影があった。
「燃える正義の拳! セイギレッド!」
赤いスーツの男が拳を突き出した。赤井である。
「冷徹なる正義の理論! セイギブルー!」
青いスーツの男が眼鏡を押し上げた。眼鏡はスーツと一体化しているため、押し上げる必要はない。青江である。
「拡散する正義の声! セイギイエロー!」
黄色いスーツの男がスマートフォンを掲げた。黄島である。
三人は同時に叫んだ。
「「「鉄拳制裁! セイギマン!!!」」」
背後で、何も置かれていないはずの床から色付きの煙が三本立ち上った。
黒須は箸を落とした。
「……な、なんだ、貴様らは。ここは貸し切りだぞ」
「黒須源五郎!」
赤井が指を突きつけた。
「物価は上がる! 給料は上がらない!」
青江が続く。
「税金は取られる! 社会保険料も取られる! 真面目に働く者ほど、手元に何も残らない!」
黄島がスマートフォンを掲げた。
「汗水流して働く人間が報われず! 裏でこそこそ金を動かす奴らが笑っている!」
「なのに!」
赤井が拳を握り締める。
「お前たちは裏金を作り!」
「談合で私腹を肥やし!」
「国民の声には耳を貸さない!」
三人の背後で、正義の炎が燃え上がった。
「それだけならまだしも!」
赤井が叫ぶ。
「秘書の終電がなくなるのも!」
「駅前の信号が長いのも!」
「明日の天気が雨なのも!」
三人は同時に黒須を指さした。
「「「全てお前が悪い!!!」」」
座敷が静まり返った。
黒須はしばらく口を開けたまま固まっていた。それから、おそるおそる言った。
「……前半はともかく、後半は私ではないだろう」
「認めたな」
青江が静かに言った。
「前半を認めた。ならば後半も認めたのと同じだ」
「どういう理屈だ!?」
「《セイギロジック》!」
青江の眼鏡が光った。
「悪を一つ認めた者は、全ての悪を認めたものとみなす!」
「そんな法律はない!」
「今できた」
黄島がスマートフォンを高々と掲げた。
「《セイギバズ》! ハッシュタグ『黒須を許すな』、トレンド一位! 投稿数二百万件突破!」
「まだ五分も経っていないぞ!?」
「正義の拡散速度は光速を超える!」
物理学的には誤りである。だが、この日に限って、物理学のほうが黙った。
護衛たちが三人に飛びかかった。そして一人残らず、なぜか自分から畳に転んだ。畳が正義に味方したのである。
赤井が右の拳を引いた。拳が赤く輝き始める。
「待て! 話し合おう! 私にも弁明の機会を——」
「《セイギキャノン》!!!」
光が座敷を満たした。
料亭「松風」は、翌朝には更地になっていた。
駆けつけた警察は、瓦礫の中から黒須議員を救出し、その場で逮捕した。容疑は「器物損壊の被害者となったこと」である。担当の警部補は、自分でもなぜその容疑で逮捕したのか説明できなかったが、書類は不思議とすらすら書けた。
三人は瓦礫の上で並んで立った。
「悪は滅びた!」
「論理的に完全な勝利だ!」
「いいねが止まらない!」
その日の夕方、国会で「セイギマン活動支援特別措置法」が全会一致で可決された。反対票を投じる予定だった議員は、その日に限って全員が腹痛で欠席していた。
◇
翌朝。
町内会館の二階、「セイギマン秘密基地」と手書きされた貼り紙のある部屋で、三人はテレビを見ていた。
朝の報道番組『モーニング・トゥルース』。メインキャスターの白川沙織が、落ち着いた声で原稿を読んでいる。
『昨夜の料亭襲撃事件についてです。黒須議員には複数の疑惑があり、捜査は当然必要です。しかし、正体不明の三人組による私的な制裁を正義と呼ぶことはできません。法治国家においては——』
赤井が湯呑みを置いた。
「なんだと」
『また、三人組は議員に対し「明日の天気が雨なのもお前が悪い」と述べたと報じられていますが、天候は政治家の責任ではありません』
部屋が静かになった。
青江が腕を組み、じっと画面を見つめていた。
「……天候は、政治家の責任ではない」
「青江?」
「一理ある」
黄島がスマートフォンを取り落とした。
「青江が……人の話を聞いた……!」
赤井も目を見開いている。青江は眼鏡を押し上げた。押し上げる必要はない。
「彼女の指摘は正しい。天候を管理しているのは政治家ではない」
「では、誰が」
「気象庁だ」
「そういうことか!」
赤井が膝を打った。黄島が素早くメモを取る。「気象庁 要注意」。
キャスターの正論は、こうして三人の手で受け入れられ、より悪い方向に修正された。
「だが」
赤井が立ち上がった。
「あのキャスターは我々を批判したぞ」
「うむ」
青江が頷く。
「報道の自由は尊重すべきだ」
「そうなのか?」
「もちろんだ。ただし、誤った報道は別だ」
「どこが誤っていたんだ?」
「我々を批判した部分だ」
「なるほど!」
黄島がスマートフォンを拾い上げた。
「《セイギバズ》! ハッシュタグ『モーニング・トゥルースを許すな』、トレンド一位! 炎上率百パーセント!」
「百パーセントというのは、どういう指標なんだ」
「燃えていない部分がないということだ!」
三人は出動した。
◇
生放送中のスタジオに、三人は天井から降ってきた。照明が三つ落ちたが、なぜか誰にも当たらなかった。
白川キャスターは、驚くほど冷静だった。
「……生放送中です。ご用件は」
「貴様は我々を批判した!」
赤井が指を突きつける。白川は眉一つ動かさなかった。
「批判しました。私刑は違法です。証拠も手続きもなく人を罰すれば、次に罰されるのは無実の誰かかもしれません」
「《セイギロジック》!」
青江の眼鏡が光る。
「無実の者が罰されるはずがない。罰された者は、罰された時点で有罪だからだ!」
「それは循環論法です」
「循環しているということは、どこから見ても正しいということだ!」
白川は小さく息を吐いた。それから、カメラに向かって静かに語り始めた。
「視聴者の皆さん。正義とは、誰かが一方的に宣言するものではありません。異なる意見を聞き、検証し、間違いを認める——その積み重ねの中にしか、正義は存在しないのです」
完璧な正論だった。スタジオのスタッフ数名が、思わず小さく頷いた。
黄島のスマートフォンが、けたたましく鳴り始めた。
「大変だ! キャスターの正論度、上昇中! 八十……九十……測定不能!」
「測定不能だと!?」
「つまり!」
赤井が拳を握る。
「悪の度合いも、測定不能ということだ!」
「なぜそうなるんですか」
白川の声に、初めてわずかな困惑が混じった。
赤井の拳が輝き始めた。昨夜よりも明らかに大きく、明らかに赤い。正論が強ければ強いほど、制裁の威力は増す。セイギマンの拳は、そういう仕組みになっている。誰が決めたのかは分からない。
「最後に一つだけ」
白川が言った。
「あなたたちが間違っている可能性について、考えたことはありますか」
三人は顔を見合わせた。
そして、同時に首を傾げた。
質問の意味が、分からなかったのである。
「《セイギキャノン》!!!」
光がスタジオを満たした。
テレビ局の本社ビルは、上から七階分がきれいになくなった。
ただし放送は途切れなかった。瓦礫の中で奇跡的に生き残ったカメラが、三人の勝利のポーズを全国に中継し続けたからである。
この放送は、同局史上最高の視聴率を記録した。
翌日、白川キャスターは番組を降板した。最後の出演で彼女が何を言ったのかは、誰も覚えていない。その時間帯、全国の受信機に偶然ノイズが走ったからである。
◇
一か月が過ぎた。
セイギマンを批判する者は、この国から一人もいなくなった。
新聞は三人を称え、ワイドショーは三人を称え、小学校の道徳の教科書には三人の写真が載った。インターネットの掲示板では、批判的な書き込みをしようとした者のキーボードが、なぜか「セ」「イ」「ギ」の三つのキーしか反応しなくなった。
秋晴れの午後。三人は国会議事堂前の大通りで、凱旋パレードのオープンカーに乗っていた。沿道は人で埋め尽くされている。誰もが笑顔で、誰もが小旗を振っていた。
小旗を振らない者は、一人もいなかった。
「支持率百パーセント!」
黄島がスマートフォンを掲げる。
「違法行為ゼロ!」
青江が手元の資料を確認する。セイギマンの行為はすべて合法化されたため、統計上、違法行為は存在しない。
「世界は平和になった!」
赤井が拳を突き上げた。
沿道から割れんばかりの拍手が起こった。拍手は鳴り止まなかった。止める理由のある者が、もういなかったからである。
そのとき、オープンカーのラジオから天気予報が流れた。
『——気象庁によりますと、本日は午後から次第に雲が広がり、関東地方の広い範囲で雨となる見込みです』
ぽつり、と。
赤井の頬に、冷たいものが落ちた。
ぽつり、ぽつり。
青い空が、みるみる灰色に変わっていく。沿道の人々が、小旗を振りながら空を見上げた。
雨だった。
赤井は、ゆっくりと空を見上げた。
「雨が降っているぞ!」
青江が、眼鏡を押し上げた。押し上げる必要はない。
「気象庁の責任だ」
黄島のスマートフォンが、かつてない勢いで震え始めた。
「国民の怒りが爆発してる!」
沿道の人々は、笑顔のまま小旗を振り続けていた。
赤井が、オープンカーの上に立ち上がった。
「よし! 出動だ!」
三人は雨の中に並び、同時に叫んだ。
「「「鉄拳制裁! セイギマン!!!」」」
――こうして今日も、日本の平和は守られた。
「……自己満足、だと?」
青江が眼鏡を押し上げた。
「赤井。黄島。重大な問題が発生した」
「どうした、青江!」
「我々の生みの親が、我々の活動を『完全自己満足』と評した」
「なんだと!?」
赤井の拳が赤く輝き始めた。
「待て、赤井。まずは論理的に検証する」
青江は六法全書を開いた。
「自己満足とは、自己が満足することである」
「そのとおりだ!」
「我々は正義である」
「間違いない!」
「したがって、我々が満足することは、正義が満足することを意味する」
「なるほど!」
「正義が満足するということは、社会全体が満足するということだ」
「完璧な理屈だ!」
黄島がスマートフォンを掲げた。
「《セイギバズ》! 『セイギマンは自己満足ではなく国民満足』、トレンド一位! 支持率百パーセント!」
「《セイギロジック》!」
青江の眼鏡が光った。
「本日より、セイギマンに対する自己満足という評価は、国家に対する侮辱とみなす!」
赤井が拳を握った。
「つまり、作者は悪なのか!?」
「いや」
青江は静かに首を振った。
「作者は我々を生み出した存在だ」
「ならば神ではないか!」
「そのとおりだ」
「では、制裁できないな!」
「いや」
青江が眼鏡を押し上げた。押し上げる必要はない。
「神であっても、正義の上には立てない」
三人は顔を見合わせた。
黄島のスマートフォンが震えた。
「速報! 作者の制裁に賛成、百パーセント!」
赤井の拳が輝き始めた。
「よし! 作者を制裁するぞ!」
「待て!」
青江が手を上げた。
「作者が消滅すれば、我々の物語も終わってしまう」
「なんだと!?」
「つまり、作者の存在は正義の継続に不可欠だ」
「では、どうする!?」
青江は六法全書を閉じた。
「作者には、我々の物語を書き続ける義務がある」
「なるほど!」
「《セイギロジック》! 作者の執筆活動を義務化する!」
黄島がスマートフォンを掲げた。
「《セイギバズ》! 続編希望、百パーセント!」
赤井が天に拳を突き上げた。
「作者よ! 次の話を書けぇぇぇ!!」
三人は声を揃えた。
「「「鉄拳制裁! セイギマン!!!」」」
――こうして今日も、作者の自由は守られた。
ただし、執筆しない自由は含まれていなかった。




