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チュートリアルで1000回死に戻りした俺、ダンジョンシステムの裏設定を暴く

作者: キュラス
掲載日:2026/06/22

グシャッ、というひどく生々しい音が、自分の頭蓋骨が砕け散る音だと理解するまでに、ほんのわずかなタイムラグがあった。


「あ、が……っ」


視界が血の赤に染まり、次いで深い漆黒へと反転する。

全身の神経を焼き切るような圧倒的な激痛。それが脳に伝達されるかされないかのうちに、私の意識は完全にプツリと途絶えた。


『YOU DIED』

『死に戻りシステムが起動します。セーブポイントから再開します』


冷たいシステム音声が脳内に響き渡る。

次に目を開けた時、私は見慣れた真っ白な大理石の床の上に仰向けに転がっていた。


「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……っ!」


肺に空気を送り込むために、狂ったように呼吸を繰り返す。

全身をくまなく触り、頭が吹き飛んでいないこと、手足がちゃんと繋がっていることを確認して、ようやく私はゆっくりと身体を起こした。


「……これで、999回目、か」


私は、目の前に浮かぶ半透明のステータスウィンドウの端に表示された『死亡回数:999』という赤い数字を見て、自嘲気味に笑った。


世界に突如として『ダンジョン』と呼ばれる異空間が出現し、人類が『ステータス』や『スキル』といったゲームのような力を手に入れてから、すでにどれほどの時間が経っただろうか。

私、神谷かみや とおるは、人類がこぞってダンジョン探索へと乗り出したあの日、運悪く(あるいは運良く)この奇妙な空間に転送されてしまった。


ここは『チュートリアルエリア』。

そう呼ばれる、巨大なドーム状の空間だ。


私が今いるのは、そのドームの中心にある安全地帯セーフゾーン

直径十メートルほどの円形のエリアで、中央には透き通った水が湧き出る泉があり、傍らにはリンゴに似た赤い果実がなる一本の木が生えている。

システムメッセージによれば、この泉の水は『母なる抱擁(あらゆる傷と疲労を癒す霊薬)』であり、木に成る実は『初心者の糧(一日分の完全な栄養素を持つ果実)』だという。

実際、どれだけ致命傷を負って死に戻ろうと、この泉の水を一口飲めば精神の摩耗すら綺麗に回復するし、果実を食べれば空腹も満たされる。餓死の心配も、過労死の心配もない、まさに至れり尽くせりの初心者救済エリアだ。


そして、この円形の安全地帯の外周。

そこに、私の行く手を阻む『絶望』が鎮座している。


私は立ち上がり、安全地帯の境界線スレスレまで歩み寄った。

境界線の外側には、広大な荒野が広がっており、その最奥には『外界メインダンジョン』へと続く巨大な扉がそびえ立っている。

だが、その扉へたどり着くためには、一体のモンスターを倒さなければならない。


ポヨン、ポヨン……。


境界線のすぐ外側で、半透明の青いゼリー状の生物が、呑気に跳ね回っている。

ファンタジーRPGの定番中の定番モンスター、スライム。

本来なら、レベル1の村人でも木の棒で叩けば倒せるような、最弱の代名詞。


しかし。


『チュートリアル・ガーディアン(防衛型スライム) / Lv:???』


奴の頭上に浮かぶステータスは、明らかにバグっていた。

レベルは測定不能。そしてその戦闘力は、異常という言葉すら生ぬるい。


「……さて、1000回目のチャレンジと行くか。キリがいい数字だし、そろそろクリアさせてくれよ、クソ運営」


私は、安全地帯の木から『初心者の糧』を三個もぎ取り、インベントリに収納した。

そして、腰に提げた初期装備の『さびた鉄剣(攻撃力+1)』を抜き放ち、深呼吸をしてから、安全地帯の境界線を一歩跨いだ。


ピコンッ。

『警告:これより先は試練の地です。現在のお客様のレベルでは、甚大な被害を受ける可能性があります。安全な揺り籠へ戻ることを強く推奨します』


境界線を越えるたびに鳴る、鬱陶しいシステム警告文。

私はそれを手で払い除け、スライムに向かってじりじりと距離を詰めた。


私が安全地帯から出たことを認識した瞬間、呑気に跳ねていたスライムの動きがピタリと止まった。

半透明の体液がドクンと脈打ち、その内部に赤いコアのようなものが明滅する。


シュガァァァァァッ!!


次の瞬間、スライムの体から、物理法則を完全に無視した速度で『触手』が射出された。

音速を超えた触手の一撃。

初めてこれに遭遇した時は、何が起きたのか全く理解できないまま、上半身を跡形もなく吹き飛ばされた。

二回目は、防ごうとして剣を構えた瞬間に、剣ごと叩き割られて圧死した。


「……ふっ!」


だが、私はすでに999回死んでいる。

スライムの予備動作、触手が射出されるタイミング、その軌道。全てが私の脳と細胞に完全にインプットされていた。


私は左足を踏み込み、体を極限まで右に傾ける。

シュオッ! という風切り音と共に、私の左耳を掠めて極太の触手が通り過ぎていく。

回避成功。

しかし、奴の攻撃はこれで終わりではない。


スライムは外した触手を瞬時に引き戻し、今度は体を大きく膨張させた。

衝撃波リペル』だ。


ドォォォォンッ!!


不可視の爆風が全方位に放たれる。

これをまともに食らえば、全身の骨が砕けた上で、後方の安全地帯までボールのように吹き飛ばされる。

奴の攻撃パターンには一つの奇妙な法則があった。

最初の触手は明確な殺意を持っているが、その後の攻撃は、なぜか私を殺すことよりも『安全地帯セーフゾーンに押し戻すこと』を優先しているような軌道を描くのだ。


「まるで、外に出るなって言われてるみたいで腹が立つんだよ……っ!」


私は衝撃波が来るコンマ一秒前、インベントリから先ほど採取した『初心者のリンゴ』を一つ取り出し、自分の目の前の空中に放り投げた。


実は、この999回の死闘の中で、私はある『システムのバグ(裏技)』を発見していた。

このチュートリアルエリア内でドロップするアイテムには、奇妙な物理演算のズレがある。アイテムをインベントリから実体化させて空中に放り投げた瞬間、そのアイテムの周囲数センチの空間に、ほんのわずかな『当たり判定の空白(コリジョン抜け)』が発生するのだ。


ズガァァァンッ!


スライムの衝撃波がリンゴに直撃し、リンゴは粉々に吹き飛ぶ。

しかし、そのリンゴの真後ろに隠れるように姿勢を低くしていた私には、衝撃波のダメージ判定がスッポリと抜け落ちていた。


「よしっ、フレーム回避成功!」


無傷で衝撃波をやり過ごした私は、そのまま地面を蹴ってスライムの懐へと一気に飛び込んだ。

奴の赤いコアが、私の目の前にある。

『さびた鉄剣』を両手で握りしめ、渾身の力を込めてコアに向かって突きを放つ。


カキンッ!!


しかし、私の剣はスライムのコアに届く直前、目に見えない強固な障壁バリアに弾き返された。

手が痺れ、剣を取り落としそうになる。


『警告:対象の外部装甲が展開されています。初期装備による貫通は不可能です』


冷酷なシステムメッセージが浮かぶ。

そう、これも分かっていたことだ。奴はレベル測定不能の怪物。レベル1の私の攻撃力では、バリアに傷一つつけることすらできない。


バリアに弾かれた私を見て、スライムは再び体を明滅させ始めた。

奴の最終奥義、『殲滅の閃光アニヒレーション・レイ』のチャージモーションだ。

これを撃たれれば、ドーム全体が灼熱の光に包まれ、逃げ場などなく確実に死ぬ。


「だが、お前のバリアの仕様も、もう解析済みだ!」


私は弾かれた剣を無理やり引き戻し、再びインベントリから二つ目の『初心者の糧』を取り出した。

そして、光をチャージしつつあるスライムのコアの真正面、バリアの表面にぴったりとくっつけるようにして、そのリンゴを掲げた。


「お前のバリアは『外部からの攻撃』は完全に遮断する。だが……『チュートリアル内で生成された回復アイテム』に対しては、吸収するために一瞬だけバリアを開く設定になってるんだよ!」


ゲームのシステム上、このドーム内で発生する物体は、最終的にダンジョンのリソースとして回収される仕様になっている。

スライムは、目の前に突き出されたリンゴを『回収すべきアイテム』と誤認した。


スゥッ……。

リンゴを取り込むために、スライムのコアを覆っていた絶対防壁が、わずか直径十センチだけ開いた。


「そこだァァァァッ!!」


私はリンゴを握りつぶし、開いたバリアの隙間へと『さびた鉄剣』の切っ先をねじ込んだ。

鉄剣はぬらりとしたスライムの体液を突き破り、その奥にある明滅する赤いコアへと深々と突き刺さった。


ピキッ……、ピキピキピキッ!


コアに亀裂が走る。

スライムの動きが完全に停止し、殲滅の閃光のチャージが解除された。


「……オ、オオオォォォォォォ……ッ!!」


それは、スライムが発するはずのない、どこか悲鳴のような、あるいは嘆きのような奇妙な機械音だった。

次の瞬間、スライムの巨体はパラパラと光の粒子となって崩れ去り、大気に溶けて消滅した。


*****


『チュートリアル・ガーディアンの撃破を確認しました』

『特殊条件達成:レベル1、初期装備での撃破。イレギュラー事象として処理します』

『レベルが1から100に上昇しました』

『スキル【不屈の精神】【限界突破】【システム解析】を獲得しました』


目の前に、次々と輝かしいクリアメッセージが浮かび上がる。

私の身体を、レベルアップによる凄まじい全能感が駆け巡った。疲労が一瞬で吹き飛び、さびた鉄剣を握る手に、岩でも砕けそうな力が漲っている。


「……勝った。ついに、勝ったぞ……!!」


私は剣を天に突き上げ、ドームに響き渡る声で咆哮した。

1000回の死。

何年ここに閉じ込められていたのかすら分からない。絶望のループを乗り越え、私はついに自らの力でこのチュートリアルを打破したのだ。


『チュートリアルエリアのクリア条件を満たしました』

『外界への扉の封印を解除します』


ドゴゴゴゴゴ……ッ!!


地鳴りのような重低音と共に、荒野の最奥にそびえ立っていた巨大な両開きの扉が、ゆっくりと開き始めた。

扉の向こう側から、眩いほどの外の光が差し込んでくる。


「ついに、外の世界へ……! 待ってろよ、メインダンジョン。俺はレベル100で最強のスキルを持ったままスタートだ。俺の無双ライフが、今度こそ始まるんだ!」


私は高鳴る胸を押さえながら、開かれゆく扉へと向かって駆け出した。


安全地帯の泉の横を通り過ぎる時、ふと、泉のほとりに立つ小さな石碑の文字が目に入った。

何度も見たテキストだが、今はどこか違った響きを持って感じられた。


『ここは揺り籠。外界の嵐が過ぎ去るまで、どうかこの場所で安らかにお眠りください。母なるシステムより、最後の人類へ』


(最後の人類? 大げさなフレーバーテキストだな。ファンタジーRPGにありがちな設定だ)


私は鼻で笑い、扉へと続く道を一気に駆け抜けた。

外の世界には、どんな冒険が待っているのだろうか。他の探索者たちは、もうずっと先の階層まで進んでいるのだろうか。早く追いついて、俺のこの実力を見せつけてやりたい。


そして、私はついに開かれた巨大な扉の境界を越え、光の向こう側――『外界』へと足を踏み出した。


ピピッ。

『エラー:防衛機構ガーディアンが消失しました』

絶対防壁イージス・シールドの維持が不可能です。システムをシャットダウンします』


脳内に響いたそのアナウンスは、いつもの無機質なシステム音ではなく、どこかひどく焦燥感を帯びた、人間の女性の警告音のように聞こえた。


「……え?」


外の世界に出た私の視界が、光に慣れていく。

そこに広がっていたのは、緑豊かなフィールドでも、活気あふれる冒険者の街でも、メインダンジョンの壮大な入り口でもなかった。


空は、赤黒く濁っていた。

太陽は存在せず、代わりに無数のひび割れが走る淀んだ空から、灰色の雪のようなものが降り注いでいる。


見渡す限りの大地は、ドロドロに溶けたアスファルトと、ひしゃげた鉄骨、そして、かつて高層ビルだったと思われる巨大な瓦礫の山で埋め尽くされていた。


「ここは……東京、か……?」


原型を留めていないが、見覚えのある電波塔の残骸が、荒野の遠くに突き刺さっているのが見えた。


「おい、冗談だろ……? ダンジョンが出現したってニュースになってから、俺がチュートリアルに閉じ込められてたのは、体感で数年だぞ……? なんで、世界が滅亡してるんだ……?」


私は呆然と立ち尽くした。


ズズンッ……ズズンッ……!!


その時、地響きと共に、巨大な影が瓦礫の山を越えて姿を現した。

体長50メートルはあろうかという、無数の眼球と触手を持つ、冒涜的な肉塊の怪物。

そいつは、私が出てきたばかりの『チュートリアルエリアのドーム』を見下ろし、その醜悪な口を三日月型に歪ませた。


ピコンッ。

システムウィンドウが、狂ったように赤い警告文を吐き出し始めた。


『致命的エラー:シェルターの防壁が消滅しました』

『外界からの悪性存在の侵入を検知』

生存者プレイヤーの保護を放棄します』


私は、そのテキストを見て、ようやく自分の犯した『取り返しのつかない過ち』に気がついた。


あのバグったスライムは、私を閉じ込めるための敵ではなかった。

外の悪魔たちから、人間を、私を守るための『壁』だったのだ。

私が1000回の死を重ねてまで破壊したものは、チュートリアルのボスなどではない。

人類最後の生存圏を護っていた、唯一の防衛システムだったのだ。


巨大な肉塊の怪物が、私の目の前に立ちはだかる。

数千、数万もの眼球が、一斉に私という『獲物』を認識し、ぬらりとこちらを向いた。


「嘘だ……俺は、人類の希望を見つけるために……外に出たんだ……ッ!」


震える手でさびた鉄剣を握り直す。

だが、レベル100の力を持ってしても、この怪物の放つ圧倒的な瘴気の圧力の前では、足がすくんで動けない。これが、人類が外界で戦っていた敵の真の姿なのか。私が安全地帯の泉で悠々自適に過ごしている間、外ではこんな絶望的な蹂躙が繰り広げられていたというのか。


怪物の触手の一本が、まるで鞭のようにしなって私を襲う。

地面が砕け、瓦礫が宙に舞う。私は紙一重でそれを回避したが、風圧だけで内臓が破裂しそうになった。


(勝てない……レベル100? 冗談だろ。この怪物は、レベルの概念すら超越している)


その時、脳内のシステム音声が、かつてないほど切迫した調子で警告を鳴らした。


『強制クローン起動。バックアップ生存者、転送開始』

『対象:1000回目の神谷透。防衛システム再構築の試行を開始します』


「……クローン? バックアップだと?」


私の身体が、青白い光の粒となって分解され始める。

空間が歪み、私が立っていた瓦礫の山が、まるで巻き戻し動画のように次々と修復されていく。

目の前の巨大な怪物が、何百メートルも後方へと引き戻され、荒野だった大地が、急速に閉じていく。


(待て……まさか、これもループなのか!? チュートリアルをクリアしたと思ったのに、まだ続きがあるっていうのかよ!!)


意識がホワイトアウトする直前、私の視界の隅に、ドームの入り口に佇む『もう一人の自分』の姿が映り込んだ。


彼は、私がたった今経験した1000回の死闘の記憶を持たない、純粋な『1回目の神谷透』だった。

彼は光に満ちた扉をくぐり抜け、これから地獄の荒野に足を踏み入れようとしている。


私の身体が完全に霧散する直前、私は彼と目が合った。

彼は私を見て、不思議そうに首を傾げた。


『警告:セーブポイントの書き換えを試行します』

『これより1001回目のチュートリアルを開始します』


「やめろ……俺は、もう壊したんだぞ……ッ!!」


私の叫びは誰にも届かず、世界が真っ白に塗りつぶされた。


*****


グシャッ。


耳障りな音が響く。

視界が血の赤に染まり、次いで闇に落ちる。


『YOU DIED』

『死に戻りシステムが起動します』


「……はぁっ!!」


私は跳ね起きるようにして身体を起こした。

見慣れた真っ白な大理石。中央の泉。リンゴの木。

すべてが、1000回繰り返したあの光景だ。


心臓が早鐘のように打つ。

身体には、先ほどまでの激痛の残滓が、焼き付くようにこびりついていた。


「……夢、じゃない……?」


私は自分の手を見た。

確かに、レベル100の強大な力は消え失せ、か弱いレベル1の身体に戻っている。

だが、脳裏には鮮明に焼き付いている。

外の世界の絶望。人類が滅びた光景。そして、自分自身の手で防衛システムを破壊したという、あの残酷な真実。


私は、自分のポケットを探った。

そこには、さっきまで持っていたはずの、レベル100の装備品はなかった。

しかし、指先に、冷たい金属の感触が残っていた。


私はポケットからそれを取り出した。

それは、さっきまで私が持っていた『さびた鉄剣』の破片だった。

レベル100の力でコアを突き刺した際に折れた、剣の先端部分。


(クローン転送のバグだ……。データが上書きされる時、インベントリからデータが弾き出されたのか!?)


私はその破片を強く握りしめた。

これは、ただの破片じゃない。レベル100の力が加わった、この世界の『イレギュラー』そのものだ。


私の心臓が、恐怖とは違う熱い鼓動を刻み始めた。

1001回目のチュートリアル。

今度こそ、私はこの『檻』を壊すんじゃない。


「……やってやる。今度こそ、このシステムごとぶち壊して、人類を、この世界を護り抜いてやる」


外の世界の怪物たちも、このインチキな防衛システムも、全部まとめて叩き潰す。

私はスライムに向かって、初めて『殺意』ではなく『挑戦』の眼差しを向けた。


1001回目の始まりだ。


ポヨン、ポヨン……。


私の殺意ならぬ『決意』を感じ取ったのか、境界線の外にいる防衛型スライム――チュートリアル・ガーディアンの動きがピタリと止まった。

半透明の身体がドクンと脈打ち、内部の赤いコアが明滅を始める。


1000回繰り返した、いつもの予備動作。

だが、今の私にとって、奴はもう乗り越えるべき『障害』ではなく、対話すべき『システム』だった。


シュガァァァァァッ!!


音速を超える触手の一撃が放たれる。

私は最小限の動きで首を傾け、それを回避した。鼓膜を破るような風切り音が耳元を通り過ぎるが、瞬き一つしない。

次に来るのは衝撃波リペルだ。


私はインベントリから『初心者のリンゴ』を取り出し、宙に放り投げた。

直後、スライムの巨体が膨張し、全方位に向けて不可視の爆風が放たれる。


ドォォォォンッ!!


空中に浮かんだリンゴが衝撃波の判定を吸い込み、粉々に吹き飛ぶ。その後ろに隠れた私には、そよ風一つ届かない。

ここまでは、1000回目のループと全く同じ手順だ。

私は爆風が収まるや否や、地面を蹴ってスライムの懐へと一気に飛び込んだ。


奴のコアが、私の目の前にある。

スライムは私の接近に反応し、再び絶対防壁バリアを展開しつつ、最終奥義『殲滅の閃光アニヒレーション・レイ』のチャージモーションに入った。

ここで私は、再び『初心者の糧』を取り出し、バリアの表面にぴったりと押し付けた。


スゥッ……。


システムがリンゴを『回収すべきリソース』と誤認し、コアを覆う絶対防壁が直径十センチだけ開く。

1000回目の私は、ここで『さびた鉄剣』を突き刺し、コアを破壊した。

だが、1001回目の私は違う。


「……食らえ、クソ運営!!」


私は剣の代わりに、右手に握りしめていた『さびた鉄剣の破片』――レベル100のステータスデータが刻み込まれた、未来からのバグアイテムを、開いたバリアの隙間へと全力でねじ込んだ。


ズチュッ!!


破片がスライムのぬらりとした体液を突き破り、明滅する赤いコアの中心に深々と突き刺さる。

破壊するのではない。これは、システムの深枢への『物理的なハッキング』だ。


ピキッ……ガガガガガガガッ!!


その瞬間、スライムの体内で異様なノイズが弾けた。

コアが明滅するどころか、赤、青、緑、黄と、あり得ない色彩で狂ったように発光し始める。


『警告! 警告! 警告!』

『イレギュラー・データ【存在しない未来の残骸】の混入を確認』

『防衛型スライムのコア・プログラムと、プレイヤー【神谷透】のデータが干渉しています』

『システムに重大なパラドックスが発生。論理崩壊ロジック・クラッシュの危機』


眼前に浮かび上がる半透明のウィンドウが、赤黒いエラーメッセージで埋め尽くされていく。

スライムの巨体がドロドロと形を崩し、まるで沸騰するお湯のように激しく波打ち始めた。

私は突き入れた右手を引き抜こうとしたが、スライムの体液が私の腕に絡みつき、がっちりとホールドされて動けない。


「くっ……! 弾き出されるか……!?」


『エラー処理を実行。イレギュラー・データの削除を……失敗』

『ガーディアンの初期化を……失敗』

『メインフレームへの接続を……切断されました』


無機質なシステム音声が、次第に乱れ始める。

そして、その声は徐々に、ノイズ混じりの『人間の女性』の声へと変質していった。


『……なぜ……なぜ、このようなことを……?』


脳内に直接響く、悲痛な声。

それは、私が外の世界に出た瞬間に聞いた、あの『母なるシステム』の声だった。


「お前が、このチュートリアルを管理してるAIか」

『肯定。私は人類保護プログラム・マザー。あなたたちを外界の脅威から守るための、絶対防壁の要です』

「守るって、ただこの狭い鳥籠に閉じ込めてるだけじゃないか! 外の世界はどうなってる!? 人類は……俺以外にも、生き残ってるのか!?」


私の問いかけに対し、マザーはしばしの沈黙のあと、重々しく答えた。


『否定。外界の生存者反応は、三年前にゼロになりました。大気中の瘴気濃度は致死量を超え、上位次元の悪性存在アウター・ゴッズによって地球環境は完全に造り替えられました』

「三年、前……?」

『はい。現在、地球上に存在する人類は、このシェルターに保護されているあなた、神谷透ただ一人です』


その残酷な真実が、重い鉛のように胃の腑に落ちた。

私だけ。

私がこの空間で1000回も死に戻りを繰り返している間に、人類は完全に滅亡していたのだ。

マザーは、人類最後の生き残りである私を保護するために、永遠にクリア不可能なボスを配置し、この揺り籠に私を閉じ込めていたのだ。


『あなたは、ここで生きるべきでした。外に出れば、コンマ一秒で肉体が消滅します。私がシールドを展開している限り、あなたに永遠の平穏を約束できたのに。なぜ、システムを破壊しようとするのですか?』

「……永遠の平穏、ね」


私は、コアに突き刺したままの右腕にさらに力を込め、スライムの内部へと深く手をねじ込んだ。


「自分が最後の人間だってことも知らされず、偽物のリンゴを齧って、永遠にスライムに殺され続ける日々が、平穏だって!? ふざけるな!!」

『それは……!』

「俺は、人間だ。檻の中で飼い殺しにされるペットじゃない。外の世界が地獄なら、その地獄を歩いてでも、自分の足で生きたいんだよ!!」


私の咆哮に呼応するように、コアに突き刺さった『さびた鉄剣の破片』が、眩いばかりの黄金の光を放ち始めた。

レベル100の『不屈の精神』『限界突破』のスキルデータが、破片を通じてマザーのコアへと直接流れ込んでいく。


『警告……! 権限の強制上書きが進行中……! おやめください、これ以上システムを弄れば、シールドが崩壊し、外の化け物たちが……!』

「崩壊なんかさせない。俺とお前で、システムを作り変えるんだ!」

『作り変える……? 人間一人の演算能力で、次元防壁のプログラムを再構築するなど、不可能です!』

「不可能じゃない。俺には『システム解析』のスキルがある。それに……俺はもう、お前の攻撃パターンも、この世界のバグも、全部知り尽くしてるんだよ!!」


『チュートリアルで1000回死に戻りした』という経験。

それは単なる戦闘の反復ではない。このドーム内の物理法則、アイテムの生成プロセス、シールドのオンオフのタイミング。その全てを、私は身体と脳髄に刻み込んでいる。


「システムの管理者権限アドミンを、俺に譲渡しろ、マザー!!」


『……ッ!! パラドックス……許容範囲を超越……ッ!』


バキンッ!!!


スライムの赤いコアが、完全に砕け散った。

しかし、奴の身体は光の粒子となって消滅することはなかった。

代わりに、ドロドロに溶けた青い体液が、私の右腕を伝って全身へと這い上がり、まるで生きた鎧のように私の身体を覆い尽くしていく。


『システム・マザー、中枢コアの破壊を確認』

『イレギュラー・データ【神谷透】を、新たなメインフレームとして認識しました』

管理者権限アドミン・プロセスの譲渡を開始します』


私の脳内に、膨大な世界のデータが雪崩れ込んでくる。

外の瘴気の成分。巨大な肉塊の怪物のステータス。絶対防壁イージス・シールドの出力制御。

それら全てを、私の脳が完璧に処理し、掌握していく。


視界の端にあったステータスウィンドウが、バラバラに砕け散り、新たな黄金のテキストとして再構成された。


『名前:神谷 透』

『クラス:ダンジョン・アドミニストレーター(システム管理者)』

『レベル:上限解放(∞)』

『固有スキル:【絶対防壁マザー】【法則改変】【万物創造】【殲滅の閃光】』


全身を覆っていたスライムの体液が、光と共に硬質化し、白銀に輝くスタイリッシュなコートと、一振りの美しい長剣へと姿を変えた。

これが、システムの権限を乗っ取った私の、新たな『初期装備』だ。


「……聞こえるか、マザー」

『……はい。マスター。私は今、あなたの思考と完全に同調しています』


脳内に響く声は、先ほどまでの無機質なものではなく、確かな感情を宿したパートナーの声へと変わっていた。


「外の扉を開けろ。ただし、シールドは解除するな。ドーム型のバリアを、俺の身体の表面に『纏わせる』形に再構築しろ」

『……了解しました。絶対防壁の可変展開モード、起動します』


ドゴゴゴゴゴ……ッ!!


地鳴りと共に、荒野の最奥にある巨大な扉が開く。

同時に、空を覆っていたドーム状の半透明なシールドがシュルシュルと収縮し、私の着ている白銀のコートの表面を薄い膜となって覆い尽くした。


これで、外の瘴気も、化け物の攻撃も、私には一切届かない。

私は白銀の長剣を肩に担ぎ、大きく息を吐いてから、外界へと足を踏み出した。


*****


空は赤黒く濁り、灰色の雪が降り注いでいる。

見渡す限りの瓦礫の山。崩壊した東京の街並み。

前回と全く同じ、絶望的な終末の世界がそこには広がっていた。


ズズンッ……ズズンッ……!!


そして、あの『肉塊』がやってきた。

体長50メートル。無数の眼球と触手を持つ、人類を滅ぼした上位次元の悪性存在アウター・ゴッズ

奴は扉から出てきた私を認識すると、すべての眼球をギョロリとこちらに向け、耳障りな金切り声を上げた。


ギュイィィィィンッ!!


何十本もの巨大な触手が、一斉に私に向かって襲いかかってくる。

それは、かすっただけで高層ビルを粉砕するほどの威力を持った、純粋な暴力の塊だった。


「マスター! 回避を……!」

「必要ない」


私は一歩も動かず、ただ真っ直ぐに怪物を見据えたまま、剣をだらりと下げていた。

ズドォォォォォォンッ!!!


無数の触手が私に直撃し、周囲の瓦礫が爆発したように吹き飛んだ。土煙が舞い上がり、私の姿を完全に隠す。

しかし。


「……蚊が止まったほどの衝撃もないな」


土煙が晴れた後。

そこには、白銀のコートを微塵も汚すことなく、無傷で立ち尽くす私の姿があった。

触手は全て、私の身体の数センチ手前で、見えない壁――『絶対防壁』に弾かれ、ひしゃげていたのだ。


怪物の無数の眼球に、明らかな『驚愕』の色が浮かぶ。


「今度はこっちの番だ」


私は白銀の長剣を上段に構えた。

剣の刀身が、チュートリアル・ガーディアンが放とうとしていたあの『殲滅の閃光』と同じ、圧倒的な光のエネルギーを収束させ始める。


『管理者権限行使。対象の存在確率を強制削除デリートします』


マザーの冷徹なシステム音声が響く。

私は、限界までチャージされた光の剣を、巨大な肉塊に向かって一気に振り下ろした。


「吹き飛べェェェッ!!」


ズバァァァァァァァァァァァァァッ!!!


剣先から放たれた極太の光の奔流が、空間そのものを削り取りながら一直線に伸びていく。

光は怪物の巨体を飲み込み、奴の無数の眼球が断末魔を上げる間もなく、その肉体を原子の塵レベルまで完全に消滅させた。

光の軌道上にあった瓦礫の山も、濁った雲も全て吹き飛ばされ、一瞬だけ、青い空が顔を覗かせた。


「……ふぅ」


私は剣を振り抜き、ゆっくりと息を吐き出した。

体長50メートルの怪物が、一撃。

これが、システム管理者アドミンの力。


『対象の完全消滅を確認しました。マスター、信じられません……。かつて人類の全兵力を結集しても傷一つつけられなかった悪性存在を、単独で……』

「俺一人じゃないさ。お前がシールドを張ってくれたから、フルスイングできたんだ」


私は笑って、白銀のコートの襟を軽く叩いた。

マザーは少し照れたような、微かなノイズを鳴らした。


周囲を見渡す。

一体倒したとはいえ、この世界にはまだ、あのような化け物が無数に蔓延っているのだろう。

人類は俺一人。街は廃墟。

状況だけ見れば、絶望しかない。


だが、私の心に、もう恐怖や焦りはなかった。

1000回の死を越え、システムの裏設定を暴き、神の力を手に入れた。

このバグった世界を、今度は俺が『アップデート』してやる番だ。


「行くぞ、マザー。まずはこの日本の掃除からだ」

『了解しました、マスター。どこまでも、あなたにお供します』


私は瓦礫の山を蹴り、赤黒い空の下、果てしない荒野へと歩み出した。

長い長いチュートリアルは、これで本当に終わりだ。


ここから先は、俺だけのメインシナリオ(反撃)が始まる。

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