可愛かった
最近投稿するべき話数が溜まってきています。毎回言っている気がするのですが、申し訳ない。
美味しい昼食を終えた翔と野々花は、再び机に向かった。
午後の勉強――のはずだったが、どちらも、どうにも集中できていなかった。
翔は問題集を開き、シャーペンを走らせている。
けれど、視線は文字を追っているはずなのに、内容がまったく頭に入ってこない。
(……絶対、さっきのせいだよな)
意識は、どうしても昼休憩の出来事へ引き戻されてしまう。
扉を開けてしまった瞬間の、野々花のあの表情。
驚きと焦りが一気に押し寄せたみたいに目を見開き、慌てて扉を閉めて――
『ち、違うの! あの、今のは、その……!』
何も聞いていないのに、必死に言い訳を重ねる姿が、頭から離れなかった。
(……あれ、反則だろ)
普段は落ち着いていて、どこか大人びている野々花が、あんなふうに取り乱すのは珍しい。
しかも、耳まで赤くして、視線を泳がせながら弁解する様子が――
正直、かなり可愛かった。
それを思い出しただけで、翔は無意識にシャーペンを止めてしまう。
一方の野々花も、同じように集中できずにいた。
ノートにペンを走らせてはいるものの、何度も同じ行をなぞってしまう。
(……見られてない、よね?
翔くん、見てないって言ってたし……大丈夫、だよね……?)
自分に言い聞かせるように、心の中で何度も繰り返す。
それでも、胸の奥に残った小さな不安は、なかなか消えてくれなかった。
そんな状態だから、当然、勉強の効率は落ちる。
いつもなら次から次へと質問を投げてくる翔も、今日は妙に静かだ。
分からないところがないわけじゃない。
ただ、声をかけるタイミングを逃しているだけだった。
「……翔くん?」
野々花の声に、翔ははっとして顔を上げる。
「あ、えっと、ごめん。今の問題……もう一回見てた」
「そ、そう? ならいいけど……」
そう言いながらも、野々花の様子はどこか落ち着かない。
ノートに視線を落としつつ、時々ちらりと翔の方をうかがってくる。
(……やっぱ、気にしてるよな。あのこと)
翔が見たのは一瞬だった。
それでも、写真立ての中に誰かが写っていたことと、野々花がそれを見られたくなさそうにしていたことは、はっきり覚えている。
(でも、聞かないって言ったし。言ったからには――)
翔は自分のノートに視線を戻し、意識的に問題へ集中しようとした。
結果、いつもならすぐに質問する場面でも、今日は黙り込んでしまう。
「……ここ、合ってる?」
久しぶりに口を開いて聞くと、
「う、うん。そこはそれで合ってるよ」
野々花の返答も、どこかぎこちない。
二人の間に流れる空気は、昼前までの自然なものとは少し違っていた。
そのまま会話らしい会話もないまま、時間だけが静かに過ぎていき――
気づけば、窓の外は夕暮れ色に染まり始めていた。
「……今日は、ここまでにしよっか」
野々花のその一言に、翔は小さく息を吐く。
「うん、そうだね」
屋敷の玄関前で、二人は向かい合った。
「今日は……ありがとう。来てくれて」
「いや、こっちこそ。色々世話になったし」
一瞬、沈黙。
野々花は何か言いたげに唇を動かしかけて、けれど結局、にこっと笑った。
「明日も、勉強しよ。次は……もっと集中できると思うから」
「……だな」
その笑顔を見て、翔は胸の奥が、少しだけ温かくなるのを感じた。
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翔は家に帰るとシャワーを浴び、夕食をとった。
野々花に「一緒にどう?」と誘われた食事は断ったが、今思えば少し惜しかったかもしれない、なんて考えてしまう。
ベッドに横になると、自然と今日一日のことが頭を巡った。
野々花の家の広さ。
昼食の豪華さ。
そして、あの慌てた表情。
(……なんで、あんなに必死だったんだろ)
そんなことを考えながら、翔はいつの間にか眠りに落ちていった。




