野々花の今まで③
遅れました。
少しの間、土手を当てもなく歩いていると、川沿いの向こうに見慣れた後ろ姿があった。
思わず足が止まる。
——陽介だ。
こんな時間に、こんな場所で。
彼は何をしに来たのだろう。
散歩、気分転換、それとも……考え事だろうか。
気づかれないように距離を取っていたつもりだったのに、先に振り返ったのは彼の方だった。
「……あれ? 野々花?」
名前を呼ばれた瞬間、胸がきゅっと鳴る。
向こうから声をかけてくれた。その事実が、嬉しい。
でも同時に、今まで陽介から自分に声をかけてきたことなんて、ほとんどなかったな、と小さな寂しさも湧いてくる。
「わぁ、陽介くん。ここで会うのは……日曜日ぶり、かな?」
いかにも「今気づきました」という調子で答える。
ちゃんと笑えているか、少しだけ不安だった。
「そうだったっけ」
曖昧に首を傾げてから、ふと周囲を見渡す。
「そういや今日は犬いないけど……どうしたんだ?」
犬、というのは我が家の愛犬のことだ。
散歩しているところを何度か見られていたらしい。
意外とよく見ているんだな、と思うと、ほんの少しだけ嬉しくなる。
「外の空気吸ってから勉強しようかなって思って。気分転換みたいな感じ」
用意していた台本通りの答えを、笑顔と一緒に返す。
すると陽介は、少しだけ肩の力を抜いたように息を吐いた。
「あー……勉強。マジでめんどくせぇな」
その言い方があまりに素直で、思わず吹き出しそうになる。
無表情な彼から零れた本音が、妙におかしかった。
勢いで、つい口が滑る。
「……よかったら、教えてあげようか?」
「えっ?」
予想通りの反応。
その間に、頭をフル回転させて、ちゃんとした理由を並べる。
「陽介くんなら、教えたらすぐ伸びそうだし。
一人でやるより、二人のほうが楽しいでしょ?」
嘘は言っていない。
実際、陽介は飲み込みが早そうだし、独りで抱え込むより誰かとやった方がいい。
少し考えるように視線を逸らしてから、
「……考えとく」
短い返事。でも、拒絶ではない。
それだけで十分だった。
その後も、川の流れを眺めながら他愛のない話を続ける。
帰る前には、忘れないように勉強会の話をもう一度だけ持ち出した。
「はいはい」
軽い返事。
正直、あまり信用はできないけれど。
——そのときだった。
「にーちゃんのバカ!」
鋭い怒鳴り声が、空気を切り裂いた。
陽介の表情が一瞬で変わる。
聞き覚えがあるのだろう、言葉もなく走り出した。
野々花も反射的に後を追う。
少し先の土手の窪地で、二人の少年が向かい合っていた。
互いに怒鳴り合いながら、小石を投げ合っている。
ただし、相手に向かって、ではない。
二人とも、自分の足元に空いた“穴”に向かって石を投げ込んでいた。
何をしているのか理解できずに見ていると——
別の場所に開いたもう一つの穴から、小石が飛び出した。
理解した瞬間、背筋が冷える。
転移。
物を、瞬時に別の場所へ飛ばす能力。
理屈が分かったからこそ、ゾッとした。
そのとき。
弾丸のような速度で、小石が陽介の方へ飛んだ。
彼はまだ、気づいていない。
声を出そうとしても、間に合わない。
自分にできるのかも分からない。
それでも
——考えるより先に、体が動いた。
カキンッ!
腕に衝撃が走る。
自分の腕が、石を弾いていた。
『硬化』
陽介が目を見開いてこちらを見る。
驚きと、申し訳なさが混じった表情。
「だ、大丈夫……!?」
「いや……助かった。マジで……ありがとう」
その直後、陽介が何かを小さく呟いた。
すると、腕の感覚がすっと軽くなる。
「え? 能力……解いてないのに……」
下を見ると、少年たちも、そして周囲で見ていた野次馬たちも、皆困惑している。
陽介は少年たちの方へ歩み寄り、次に観戦していた人たちへ向き直って、もう一言。
——そこから先は、現実感が薄い。
何が起きたのか、細部は思い出せない。
ただ、確かなことが一つだけあった。
このままではいけないと思ったこと。
そして——
陽介に、説明を求めたこと。
こうして野々花は陽介の家で勉強会を開催することになったのだった。
これにて「野々花の今まで」は完結です。
思ったより長くなってしまった…。本当に申し訳ないm(_ _)m
ちなみにこの回は、セリフは合わせてあります。翔の会はしばしお待ちを。




