Section03 催眠遊戯
「あ、あれ……?」
「雨里ちゃん、どうかした? 大丈夫?」
「……いえ、何とも有りません」
褐色の童女が、一瞬ふらついた。
目を擦り、ぱちくり瞬きしている。
きゃきゃきゃ♪
効果が現れたみたいだね。
「雨里ちゃん、お願い。この腕に巻かれた鎖と足枷を外してくれる?」
「ふぇっ……シージャが、二人?」
うんうん♪
恐らく、オレが分身して視えているだろう。
声は二重、三重と響いているに違いない。
急激な眠気に苦しんでいるはずだけども。
頭を振って、体調の違和感と闘っている、健気な娘だ。
「いけません。千百合様のご命令に反します」
「むへへ、強がっていられる猶予も今の内だよ♪」
「どういう、意味です、か?」
飲酒して、酔っているかのように。
あるいは、媚薬を盛られたみたいに。
可愛らしい顔が、桃色の微熱に火照り。
橙色の垂れ目、その角膜が幽かな赤紫色を帯びる。
「君の視界、少しずつ牡丹色に染まっているでしょ? クラクラしてボーッとしちゃってさ。壁でも布団でも良いから、体を埋めたくて堪らないんじゃない?」
「……雨里、に。何か、したんですか?」
「君自身の招いた結果だよ。衣服の汚れは綺麗に取れたとしても、肌に接触した返り血までは洗い流せない。すぐ体内へ侵入して、皮膚から消えちゃうもん。初体験だろうから、その体に何が起きたか説明してあげるね」
わざと小さな声量で話した。
近寄ってくれると期待して。
彼女は、その通りに動いた。
ぴくぴく揺らす虎耳を、オレの綻んだ口元へ。
後は簡単、囁き声を添えるだけ。
「眠くなァ~れ♪」
「!? ――――」
どさっ。
彼女がオレに凭れ掛かった。
か細い寝息を当てられる。
意識は、ぐっすり夢の中。
「さぁて、雨里ちゃん。君の主人は誰かな~?」
むっくり。
項垂れた顔で起き上がる。
虚ろな瞳は光を宿さない。
「チユリ、アヤー……どうして、ここに? シージャは?」
「乙葵ちゃんなら、お庭を散歩中なの。良い天気だから、お外で遊ばなきゃ勿体ないの」
霞んでいるだろう視界に、映る人影を誤認してもらう。
顔立ちが、母ちゃんと瓜二つで良かった。
変声期の到来までは、声真似も容易い。
えへへ☆ 上手く騙せそうなの♪
「命令と、違い、ます。……あの日を境に、外の世界へ、出さない。そう、お決めになった、はずです」
「それより雨里ちゃん、遊びの続きやろうなの」
「つづ、き?」
「囚人と看守ごっこ♪ 最初は千百合が捕えられて尋問を受けたでしょ? 今度は役割を切り替えて遊ぶの」
「……なるほど、そうでしたね。ワカヤビタン」
しめしめ☆
鎖と足枷からの解放。
凝り固まった肩を解して、猫みたいに背伸びする。
後ろ足も交互に伸ばして、解れていく快感に浸った。
自由って最高だね♡
「チユリアヤー。そろそろ」
「ん? ……あ、ごめんなの。今、縛り付けて上げるの♪」
ジャリリン。スチャラタン。チャンジャラリン。
ガチャン、ガチョン。
これで良し☆
今度は雨里が囚人役だ。
後ろ手に両腕を上げたまま縛られ、女の子座りさせられて。
滑稽で可愛くて、ムラムラするなー。
むへへ、母ちゃんって馬鹿だよね。
自分より警戒心ない子を見張り役にしちゃってさ。
オレにとって外の世界を知る為の情報源でしかないんだもん。
催眠も効きやすいみたいだし、このまま洗脳して手下にしちゃいたい♪
夢魔の血には、ご用心だよ♡
「ではでは、雨里ちゃん。先ずは、この世界について教えてなの」
「ワカヤビタン。一つ、お尋ねしても宜しいですか?」
こくり、と笑顔で頷いてあげる。
「チユリアヤーは前世の記憶を、お持ちでしょうか?」
「お! その質問するって事は、雨里ちゃんも生まれ変わった人なの?」
「世界の理を知る内の一人です」
縦にも横にも首を振らず、童女は答えた。
「どれほどの割合か、掌握でき兼ねますが、大体の者が『地球』と呼ばれる星から転生されたそうです」
「ちきゅう?」
「はい。球体に近い地表の上で、人々が暮らしていたとされる、旧世界の一端です」
単純な由来だね。
でも、前世の記憶には無かった情報だ。
いや、単に覚えていないだけかも?
「この世界は何て名前なの?」
「『龍球』と、お呼びします」
「りゅう、きゅう……?」
「龍を、ご存知ですか? 転生者の言葉で表すなら、伝説上の生き物です」
「蜥蜴とか、蛇に似た、空を飛ぶ巨大な生き物?」
「龍門なる滝を登り切った、鯉の成長した御姿。そう譬えた方が視像に近いです」
「ふむふむ? それで『きゅう』と合わせて、どんな由来なの?」
「球体化した龍の姿、という意味になります」
「……ふぇ!? じゃあオレ達、生き物の上に乗って生活しているんだ!?」
話の流れから、推察した言葉を、つい口走る。
牛の尻尾が床を叩き始めた。
「地面は? 海は? この世界に存在する!?」
「はい、ほぼ地球と変わりないかと」
「えっ、え? 全然、理解できない! だって生き物の上に立っているんでしょ? 大地って呼べる場所なくない? 人で言うところの皮膚――あ、鯉だから魚鱗か! 煩ァアい!」
床を飛び跳ねる牛の尻尾が、オレの頬を叩いてきた。
質問している場合じゃない、早く外に出て確かめなきゃ!
そう訴えてくる痒みに堪えられず、筆先を掴もうにも掴めない。
「龍の鱗って人々が暮らしていける程度には固いの? 構造上、体ぎっしり詰め込まれているはずだけども、海なんて発生できるの? がぶ! んんんんんッ!?」
尻尾に齧り付いてやったけど痛ぎゃい!
取れ立ての魚よろしく、ピチピチ動いて喧しい。
額に生えた漆黒の牛角へ、ぐるぐる巻きに固定する。
でも今度は、腰羽が燥いだぞ。
オレの体に寄生虫でも居るのか?
もう良い、雨里の答えに集中する!
「龍の肉体は死んでおります。地面も、海も、死骸の一部が変化した物です」
「……へ?」
間抜けな声を漏らした。
蝙蝠の翼が、落ち着きを取り戻す。
「この世界における龍とは、唯一無二の存在。生物の始祖にして、我らが大いなる母様です。彼の者を『六大原主』が一柱『ワンガーウカミ』と称えます」
雨里は語り始めた。
世界の成り立ちについて。