Section01 母子対決
「ぐーすぴー。ぐーすぴー」
パチァアン!
「ふが? ぴぎゅんッ」
鼻提灯で浮き上がった体を、寝台が受け止めた。
布団が上下に振動。
寝具の軋み音が、やがて落ち着く。
「……まだ眠ぅ……ぴぃ……ぐぅー、すぴぃー」
ピクピク♪ ピクッピク♪
「ふごッ……ふんが?」
聞き慣れた足音に、尖り耳が反応。
俯きのまま上体を起こし、埋めていた顔を上げた。
「かぁだぅ? ぼぉてくゆぅ? ……たぁしそぉ♪」
七色に艶めく、長い白髪を掻き上げながら。
近づいてくる気配に、心当たりを浮かべた。
「ん、くゅ~~ぅ。うぴぅ~~ゅむ」
お尻を突き出して、伸びを堪能。
着崩れした、若葉色の甚平を整え。
健やかな眠気を払い、意識を覚醒させた。
「よぉーし、隠れるぞ♪」
バサッ、バサバサ、バサァン。
腰から生えた蝙蝠の翼を揺らめかす。
飾りに等しい飛膜を広げ、寝台から跳躍。
その直後――、
パゴォオッ!
「乙葵ちゃん、おはようなの♪」
ドガガァアアン!
爆音と挨拶、一式の提供。
思った通りの展開だ。
天井の室内灯へ突っ込み、真っ暗な陰に身を潜めた。
状況を観察する。
扉が蹴り飛ばされた。
寝台に打つかって、仲良く半壊しちゃった模様。
臀部から生えた牛の尻尾が、左右に踊る。
それまで緊張していたから、太ももに絡みついていた。
ふー、危ない、危ない。
ギリギリ避けられた。
オレ、グッジョブ!
「えへへ、うちの子は優秀なの。奇襲に気づいて退避するまでは訓練通り。でも残念♪ 上に向かって跳ぶ影がチラッと見えたから、どこに隠れたかバレバレなの。このまま見つかれば、お仕置き確定かな? なーてんね♪」
木屑の煙が晴れて、部屋の入り口に立つ人影を注視。
彼女は不敵に笑った。
笑顔に連動して、頭頂の羽角が跳ねる。
背中と腰から生やす、二対の翼は燥いで。
猪目型に尖った尻尾の先が、天井を指し示した。
もしかして、そこにまだ隠れていると思った?
きゃきゃきゃ、残念でしたー♪
蠱惑に緩んだ横顔が、自信に満ちて可愛らしい。
あの顔立ちと自分が瓜二つだなんて、ちぃーーーーっとも嬉しくないけども。
今すぐ抱きつきたい!
いつも通りハグして、頬っぺた擦り擦りされたい。
でも集中、飛び込みたい気持ちを我慢させなくちゃダメ。
自分の夢を叶える為だ、踏ん張れ!
「いーつきちゃん、出ておいで♡」
今度こそ勝ってみせる。
この窓無し部屋から、外の世界へ旅立つ時だ。
あらよ!
パスン。
天井から切り離した室内灯が落下。
「あれれ? シャンデリアが大きくなっていくの……成長期?」
転落物に彼女が注目する。
今だ! 突撃!
「どっこいしょ!」
実はオレ、壁際まで避難して、箪笥の裏に身を隠していたのだ。
そのままコイツを持ち上げて、とことこ突っ走る。
「うらアァァァァァッよオオ!」
担いだ家具を投げ飛ばし、次の踏み込みで力強く跳躍。
「おらよォ!」
支柱を強く蹴り、室内灯の落下を速めた。
ガシャァアアン! パゴオオオォォォン!
部屋が荒れ果てた。
硝子の破片や金属の残骸が、彼方此方で散らばる。
聴覚を突き破る衝撃よりも、鼓膜を劈く静寂の方が煩い。
「もしもーし。母ちゃーん、生きてるー?」
ひそひそ声で尋ね、耳を傾ける。
下敷きから呼吸音は聞こえない、よし☆
室内灯を失った暗室で、拳を高らかに突き上げた。
「邪魔者は倒した。これで外の世界に行けるよ、きゃっほい♪」
部屋の入り口を目指して、瓦礫の山を降りる。
「あちょ! ぱやっ!? ぎゃふんッ」
これは雑魚い。
大きな破片に躓いちゃった。
「あいてててぇ……転げ落ちるなんて無様、いてて……」
節々の痛みに嘆きながら立ち上がる。
「別に焦らずとも良いよね。ゆっくり外を目指せば」
歩き出そうと前を向いたら。
「おイタはダメなの、乙葵ちゃん♡」
甘い吐息の掛かる距離、蕩けた笑顔が出迎えた。
「ぎゃあああああ!!」
出たぁああああ!!
「あはは☆ 驚いている顔も可愛い、流石は母さんの息子なの」
この人、どうやって避けたの?
確実に潰したはずだけども!?
「はい、おはようのハグ♡」
「むぎゅ」
困惑で一瞬、何されたか分からなかった。
母ちゃんの抱擁、温かい。
素肌に伝わる柔らかい肉感、好きィ♡
冷えていた自分の体、一気に温まるよ。
「頬っぺたスリスリ~、スリスリ~♪」
「むへへ、きゅしゅぐったーぃ」
あァ幸せ、心地良きィ~。
天に召されるみたいな極上の一時だ。
部屋の景色が下降しているから、そう錯覚しちゃうのかも。
……んん? どういう事?
バサッバサバサッ、バサッバサァン。
翼の羽ばたく音だ。
オレの両足が浮いていた。
でも自分の腰羽は折り畳んでいる。
当たり前だ、自由自在に飛べた試しないもん。
釣鐘型の丸い天井まで、体が上昇。
もう誰の仕業か気づいた。
「母ちゃん? 何でハグ中に飛翔しているの?」
「邪魔者は死んでません。戦闘続行なの♪」
「つまり、これは……アレを、やる感じ?」
「――――えへへ☆」
ヤバい、理解できちゃった!
「離してえええええぇぇぇ!」
「反撃開始なの♪」
翼の機動音が変わった。
景色が上下に半回転。
抱擁されたまま、竜巻を起こされて墜落する!
「いってらっしゃーい♪」
「ぎゃあああああああああ!」
気流の渦から、母ちゃんが離脱。
逃走は疎か、体を動かす猶予が無い。
ドゴオオオォォォン!
衝突の間際、途轍もない激痛を味わった。
攪拌されて、擦り潰されて、細切れにされた気分だ。
瓦礫の山に叩き落とされて、その痛みが鈍く残る。
ふらつく意識の中、腕を支えに身を起こす。
「…………がはッ、ごほごほッ……かァ、ぺッ」
赤黒い椿が、花弁を散らした。
酷い吐き気を乗り越え、意識が回復する。
「乙葵ちゃん大丈夫? 降参する? 負けを認めたら、お尻ペンペンで今回は許して上げる。オプションで膝枕と耳かき付なの。ASMRなの♪」
それ日課でしょ、ぜんッぜぇ~~~~ん嬉しくないもん♡
鮮明になった視界で、母ちゃんを観察。
暗がりに冴える淡紅藤の輝き。
頭から低い位置で二つ結びに垂らした長い髪と、円らな瞳の明滅が闇を灯す。
二対の翼や頭頂の羽角も、紫式部の実よりも潤い、艶やかで綺麗だ。
白のミニ浴衣、濃藍の絣模様、藤色の腰帯。
華奢な身に纏う着物ワンピが照らされ、明るい時よりも一層と目に映える。
「今日も母ちゃんは可愛いね」
「えへへ、ありがとうなの♡ 乙葵ちゃんこそ怪我は平気? 骨折や陥没が尋常じゃないの」
「後で治せるから心配しなくて良いよ」
「無理しないで。今日も外の世界は諦めて、母さんの言いなりで居よ? いつでも訓練に付き合うから、これからもずっと家の中で過ごそ?」
「素敵な提案だけども、それは毎日してもらっているよ。オレの興味は、まだ経験していない未知に出会う事。だから外の世界を冒険したいんだ」
「貴方、幾つだと思っているの? まだ早い年齢なの」
「そうかなぁ? 十四歳になってまで監禁生活される子供なんて居なんじゃない? 普通なら学校に通っている歳だよ」
「……がっこう? 何それ」
「勉強する為の施設だよ」
「そんな場所、この島に在りません。母さんですら、初めて聞いた単語なの」
「ふふ~ん♪ なるほどォ」
「何で得意げな顔するの?」
「ここ、島なんだ。国って言われたら、大陸の一地域を連想するけども。オレ達の住む家は、島国に位置するんだね」
「!? 鎌を掛けられたの!」
「むへへ☆ 大した話術じゃないけども、対話には気を付けた方が良いと思うよ♪ それと、母ちゃんは持ってない人? 前世の記憶を」
「どうして快適な我が家から、危険な外へ出ようとするの? 乙葵ちゃんを満たしてくれる物なんて一つも無いのに」
「この目で見ないと一生、分かりません」
「なら今日も解らせてあげる。どれだけ外界が危ないか、体に刻んで上げちゃうの!」
淡紅藤と紫式部が、赤紫に閃く。
魔法を行使する合図だ。
首と胴体の繋ぎ目を、一振りの閃光に狙われた。
「停ャアアアア」
でも止める!
「えっ、白刃取り!?」
彼女の魔力から生成される刃は、その閃きが美しい。
遠い距離から、一瞬で肉迫して振るう剣術は素早い。
もう見切れる程度には、見慣れた斬撃だ。
オレの両手から、刀を取ろうとする隙を逃さない。
「おらよォ!」
「きゃんッ」
反撃で蹴り飛ばす。
壁に激突させて、後頭部を強打してもらった。
「母ちゃんの刀、頂きぃ~♪」
幽かな陽炎を纏う刀、その刃先を腕に寄せる。
力を抜いて、皮膚に当てず、引き切り。
鋭い熱気で血肉を開門。
飛沫が迸るかと思えば、鮮血の露が指先に集まり、瓦礫に吸われた。
全身が淡い白光を放つ。
熱くて痒い傷口から、米粒ほどの光る小魚が顕現。
小さな魚は群れを為し、白い糸を引いて泳ぎ始めた。
痛みを感じる節々で、縦と横に編んだ布が作り出され。
傷痕を覆った瞬間、完全に修復される。
「自己再生!? 乙葵ちゃん、どうやって……?」
「いつも余裕そうな母ちゃんでも、予想外に翻弄されると表情を崩しちゃう。その顔、唆られちゃうんだよね。これもサキュバス……ううん、夢魔の性分かな?」
「種族の特質まで!? 何も教えてない、この部屋で知る由も無いはずなの!」
「さっき言ったじゃん、オレの知識は前世の記憶から得たんだよ。ではでは♪」
奪った刀を構えて、相対する者へ切っ先を向ける。
「不知火乙葵、掛かって行くよ」
全身を淡い白光で満たした。
足元へ光の流れを集中。
白い色素が水縹色に染まり、己の魔力から流水を生みだす。
「【爆裂流】――」
湧き出た水が、体を透過する大きな蕾に変形。
水影が部屋全体を照らす。
見慣れないだろう眩さに、母ちゃんの目が眩んだ。
その隙を突く!
「――【水面駆ける睡蓮】!」
蕾に溜めた魔力が、浮水葉の如く開花。
色鮮やかな花の陣が、オレを連れて足場を滑走する。
爆速でも、母ちゃんの剣速には及ばない。
戸惑い焦った彼女だが、惜しくも躱されてしまった。
振り払った刃は空振り、斬撃の余波で壁を焼き切る。
でも逃さない!
持続する魔法陣で、壁面を滑走。
退路先に回り込み、急接近する。
「【爆裂流】――」
「無駄な抵抗、止めてなの! 乙葵ちゃん!」
全力で刀を振るう、これも躱された。
けど真の狙いは、擦れ違う間際。
水縹色の流水を、拳に集中させる。
形成した籠手で、
「――【絶鎚】!」
腹部へ殴り掛かり、直撃した。
情けない悲鳴は遠ざかり、瓦礫の山に墜落。
叩き落とした衝撃で、煙が立ち上る。
「母ちゃん、ゴメン。今日こそ、ぶっ殺す!」
チャキン。
煙幕の中で、人影が動いた。
金属音で察しが付く。
素早く体勢を立て直した彼女が、赤紫に煌めく刀を腰に据えたはずだ。
「乙葵ちゃんの、お馬鹿さん」
トカン、カアァン。
「貴方の負けなの!」
金床を鉄鎚で叩くような、金属音が擦れた。
もう聞き慣れた、居合の構えだ。
オレの攻撃よりも早く、反撃してくるかも知れない。
そんな自由、与えて堪るか!
「【血乱桜】――」
自己再生の時に垂らした、血痕に宿る魔力を呼び起こす。
彼女の足元を、珊瑚珠色に照らした。
「きゃっ。これは!?」
「――【燠旡咲】!」
ザチュィン!
「かッ、はッ」
血溜まりから鉄針が突き出し、背後から母ちゃんを貫く。
その一本で、魔法は終わらない。
ズザザザヅチィザザザザザザザヅュイン!
絶叫は痛みを物語り、彼女を持ち上げて、針地獄が完成する。
魔法の衝撃で、煙幕が晴れた。
赤黒い火花が辺りを染色。
全神経を穿たれた体では、もう身動き取れないはず。
これで勝敗は決した!
「うらァアアよォ!」
バキィイン。
着地から滑走の停止。
睡蓮の魔法陣を消して、過ぎ去った標的へ振り向いた。
剣山に飾られた血染めの百合、その大輪が花弁を散らす。
……おかしい。
打ち首の転げ落ちる音が、鈴の入った手毬を弾いて鳴らすみたい。
首を絶つ剣音が、バキィインと鳴る点も奇妙だ。
まるで金属の棒を叩き切った感触だった。
もしかして、誤認した?
煙幕の中で聞いた音から、てっきり反撃してくるかと思ったけども。
あの時、退避されたかも知れない。
彼女の素早さなら、偽物を作り出す猶予だってある。
つまり、本人そっくりの刀を生成して、身代わりに?
「はァ〜あ。また母ちゃんに、してやれちゃった」
時すでに遅し。
あれこれ考える内に、生首は変形して反撃してきた。
首無し共々、赤紫の光に包まれ、粒子状に散開。
人型に擬態した蛍の群れが、優雅に飛び交い。
アレが偽物だと理解した現時点で、オレは取り囲まれる。
接触された箇所から、静かに切り裂かれていった。
優しく衣服を脱がされるように。
体に沢山の切り傷を付けられて。
「【朱光刃・突火蛍】」
言の葉が紡がれ、爆発の如く鮮血が溢れた。
血飛沫は無数の刃物に吸い尽くされ、周囲を汚さない。
不思議と痛みは感じなかった。
ただ純粋に、疲れただけ。
「だから言ったでしょ。無駄な抵抗、止めてなの。えへへ☆」
眠りたい衝動に身を委ね。
抱き止めてくれた母ちゃんの胸で、顔を埋めた。