調査*3
「こちらです」
ランヴァルドとネールは、アンネリエに案内されて書庫に立ち入った。
王城の書庫というだけあって、かなり広い。……それでも、ここの名称は『第三書庫』である。つまり少なくとも他に第二と第一があることになる。
ランヴァルドは『なんて面倒な』と思いつつも、広い広い書庫を進んでいき……そして。
「ここのことは、くれぐれもご内密に。……開きますよ」
アンネリエが、そっと本棚の1つに触れて、本の内の一冊をそっと押し込んだ。
……途端、カチリ、と音がして、本棚がそっと動く。どうやら隠し扉になっていたようだ。
「……ああ、うん。ネール、びっくりしたな。うん」
この隠し扉に、ネールは大層驚いていた。ランヴァルドの脚にしがみ付きながら目を円くしていたかと思えば、本棚の近くでうろうろしながら興奮気味に目を輝かせている。
……お気に召したのかもしれない。
ランヴァルドは、思った。『ジレネロストを奪還してネールの家を建てることがあったら、こういう隠し扉を設計してやるか……』と。
ネールはさておき、資料だ。
ランヴァルドは早速、隠し扉の奥の書庫……『閲覧禁止資料室』の中に踏み入ると、早速、お目当ての資料を探し始める。
「ネールさんとランヴァルドさんはジレネロストに関する資料の閲覧のみ許可されておりますので、他の資料にはくれぐれもお手を触れぬようよろしくお願いします」
「ええ、勿論」
アンネリエへは神妙な顔で返事をしておきつつ、ランヴァルドは製本された背表紙のタイトルだけは見ていく。……幾らか気になる情報を見つけた。いつか盗み見てやりたいものだ、と思いつつ、今はアンネリエの目もあるのでそれらは心に刻むのみとする。
「ジレネロスト関係は……このあたりですか」
「ええ。ああ、その隣もそうですね」
早速、ジレネロストの3年前の災害についての資料を見つけると、それらを棚から抜き取って、書見台へ運ぶ。持ち出し禁止の資料故、この場で読んでいけということらしい。だが書見台には埃が溜まっていないので、『閲覧禁止』とはいえ、ここを利用する者はそれなりに居るのだろう。
「えーと……うん、これは結構時間がかかりそうだな……」
ジレネロスト関連の資料は、分厚い。あれだけの災害だったのだ。それだけ多くの者が関わったのだろうし、報告も多数上がっていたのだろうし、まあ、当然といえば当然である。
「すまないが、ネール。こっちは結構時間がかかりそうだ。庭か何かで遊んできてもいいぞ」
これは一日がかりだな、と踏んだランヴァルドはそうネールに告げる。するとネールは少し困ったような顔をした。まあ、まだまだ不慣れな王城に1人で居るのは不安なのだろう。
「ああ、そういうことでしたら、私がネールさんに付き添いますよ」
だが、ここで救いの手が差し伸べられた。アンネリエはにっこり笑ってネールの手を握っている。……彼女は中々にネールを気に入っているようだ。
「本当ですか!いやあ、ありがとうございます!……ってことで、ネール。アンネリエさんと一緒に居るといい。よかったな」
ランヴァルドはこれ幸いとばかり、ネールにそう言ってやる。するとネールは少々困ったような顔をしていたが、アンネリエが笑いかけるのを見て気を取り直したらしい。こくん、と大人しく頷くと、手を握ったアンネリエに笑い返していた。
実に聞き分けのいいことである。ランヴァルドは書庫からネールとアンネリエが消えていくのを見送って……さて、と本棚を見る。
監視が無い今なら、ここにある他の資料も読めるだろうが……と迷ったランヴァルドであったが、やはり、それらには手を触れず、書見台へ向かうことにした。
……アンネリエがネールの世話を申し出てここを去っていったのは罠かもしれない。ランヴァルドが信用できる人間かどうかを試すためにわざわざそうしたのかもしれないのだ。ならばランヴァルドも、わざわざ信用を損なうようなことをすべきではない。
全ては、信用をしっかり得てからでも遅くない。どうせ、ネールが居る限り、王城に来る機会は多くなりそうだ。
+
ネールは王城の庭の片隅で、雪を触って遊んでいた。
ここはドラクスローガのように雪まみれではないけれど、それでもやっぱり雪が積もる。
芝の上に積もった雪を集め、ころん、と転がせば、ころころ、とどんどん雪玉が大きくなっていく。それがなんとなく楽しくて、ネールは特に意味もなく雪玉をこしらえているのであった。
「大きいのができましたね」
アンネリエはそんなネールを見てにっこり笑いかけてくれる。尚、アンネリエが作った雪玉はネールが作ったものより大分控えめである。……ネールは、『ランヴァルドが作ったらもっと大きくなる気がする』と思った。今度、ランヴァルドとも一緒に雪を丸めてみたい。
「それにしても、ネールさんはお強いのですね。ジレネロストの魔物を、1日程度で50近くも倒すとは……」
そうして雪を丸めていたら、ふと、アンネリエがそんな話を始めた。
「……辛くはありませんか?」
尋ねられて、ネールはきょとん、としつつ首を傾げた。『辛い?何が?』と。
「戦うのが恐ろしくなることはないのですか?」
アンネリエは心配そうにネールを見ている。……彼女はいい人なのだろうな、とネールは思う。ただ、自分とは違う考え方を持っているというだけだ。
戦うのは、怖くない。ネールは狩人だ。ネールの父がそうだったように、ネールもまた、そうなのだ。それだけのことで……その仕事を、怖いだとか、煩わしいだとか、そういう風に思ったことは無い。
ネールはきっと、狩りが上手な方だ。ランヴァルドが褒めてくれることだし。
……父や母には、あまりいい顔をされなかったが、それはきっと母が言っていた『女の子なのだから狩りよりもお料理を先に覚えた方がいいんじゃないかしら』という奴だったのだろうとネールは思っている。
「ネールさんの故郷はジレネロストなのでしたね。やはり、故郷を取り戻すために戦っているのですか?」
ただ……『当たり前』に狩りをするネールであるが、やはり、故郷を取り戻せるかもしれない、という希望もまた、ネールの中で強いのだ。
ランヴァルドがそうしてくれたのだということは、ネールにも分かる。ランヴァルドはすごい。ランヴァルドはネールが本当にやりたいことや叶えたいことをネールよりもよく知っていて、それを実現させてくれるのだ!
「成程……ジレネロストを取り戻せる日はそう遠くないことでしょう。ね?」
アンネリエが微笑んでくれるので、ネールもまた、笑顔で頷く。
……ネールは戦おうと思う。
ネールは狩人だから、当たり前に戦う。
それから、故郷を取り戻すためにも戦う。
それで……ランヴァルドの為に、戦いたい。
役に立ちたい。ネールは、ランヴァルドの役に立ちたい。
……そうして静かに意気込むネールを見て、アンネリアは静かに微笑んでいた。
+
ランヴァルドはひたすら、書見台に向かっている。
……だが、その眉間には皺が寄っていた。何せ、閲覧している資料が資料だ。
ランヴァルドは悪徳商人であるというのに、『ひどいもんだ』と思う。
……それほどまでに、ジレネロストについて記した資料は酷いものだった。
3年前に起きたジレネロストの災害について。
概要は、至極簡単である。『魔物が大量に湧き出て、多くの人間が死んだ。』それだけだ。
ついでに記すならば、山が削れ、道が塞がったことも挙げられるだろうか。尤も、山に挟まれ、谷に町と街道が生まれたジレネロストにおいては、土砂崩れは然程珍しい災害ではない。
だが、規模が規模、それに有事のことであったので……人が多く死んだ。道が絶たれたことで、一部地域の民衆の避難が遅れ、そこに魔物が追い付いたらしい。
……そうして、ジレネロストの民の、およそ半分。それだけの人間が死んだのである。
半分か、と、ランヴァルドはため息を吐く。ネールの両親は恐らく、その半分の中に居たのだろう、と。
同時に、そんな状況のジレネロストで、よくネールは生き延びたものだな、とも思った。当時からネールはあの強さだったのだろうか。だとしたらいっそ恐ろしいような気もする。
もし、ネールが当時からあの強さだったのなら……ネールの両親もまた、ネール同様に強かったのだろうか。だが、だとしたら生き残っていてもよさそうなものである。特に、ネールが『古代人』だというのなら、その両親もまた、同じようなものだろうに。
「……ネールだけ、だったのかもな」
そう呟いて、ランヴァルドは苦い表情を浮かべる。
『ネールだけが強く、両親は普通の人間だった』とするならば、今、ネールが孤児になってしまっている事情にも納得がいく。
だが、だとしたらネールは……ネールの両親にとっては、あまりに異質な子供だったのではないだろうか。
そんなことを考えてしまったランヴァルドは一度思考を打ち切って、改めて資料を読み進めていく。
ジレネロストの災害について記した『概要』は読み進めた通りであったが、その災害が一段落したところで改めて行われた調査の報告はまた、奇妙なものだったのだ。
最初に当たったのは、当時のジレネロスト領主が出した報告書だ。
魔物が突如として発生した原因は、『土地の魔力の急激な増加』であると記されている。だが、『では何故土地の魔力が急激に増加したのか』については不明とされていた。
土地の魔力の急増の原因といえば、『他所から来た強力な魔物がそこで死んだことにより魔物が持っていた魔力が土地に流れ出した』というものが多い。ドラゴンが死んだ跡地が魔力の強い土地になることはよく知られている。
だが、ジレネロストにおいては、事前には何の兆候も無かったらしい。強い魔物が目撃されたわけでもなく。土砂崩れなどで魔石が急に採掘されたわけでもなく……。
だが、次の調査書ではまた別のことが記されている。
こちらはジレネロスト領主ではなく、外部機関……王城の特使達による調査書であるらしい。
そしてそこには、『ジレネロスト領主が行っていた魔術研究』についていくらか記されていたのである。
「……きな臭いな」
一通り調査書を読み終えたランヴァルドは、眉間を揉みつつため息を吐く。
……資料にあったのは、数々の魔術的な研究の痕跡であった。
元々、ジレネロスト領は魔術研究が盛んであった場所である。古代遺跡からの出土品などを研究する施設があるのもジレネロストであったので、ランヴァルドもかつて、古代遺跡由来の産物……と見せかけたガラクタをジレネロストで売ったことがある。あれは中々いい稼ぎだった。
稼ぎはさておき、当時のジレネロストで何が研究されていたのかといえば、主に『古代に失われた魔法の解析』であったと記憶している。実際、国へ上がっていた報告や発表されていた論文はその手のものだ。
だが、その裏ではどうも、別の研究を進めていたようである。
「魔物の人造、か……魅力的だが、人の手には余るだろうな」
その1つが、『人の手で魔物を生み出す』というものであったらしい。
魔物は魔力の多い土地で生まれるが、それにも2通りある。
1つは、クマや蛇といった生き物が魔力を得て魔物へと変異すると考えられているもの。もう1つは魔力から純粋に生まれ出るドラゴンのようなものだ。
まあ、それを考えれば、『動物に魔力を浴びせれば魔物になるのでは?』『濃い魔力を用いれば魔物を生み出せるのでは?』となるのも当然である。
そして、人工的に魔物を生み出せるのであれば、それは間違いなく莫大な利益を生むだろう。魔物の中には、毛皮や牙が非常に高値で売れるものも多い。そうしたものを比較的安全に、かつ際限なく入手できるというのならば、それはあまりにも有用であろう。
「……魅力的だが。そんなことができるなら、とてつもなく、儲かるだろうが。ああ……ジレネロストが滅びたのは、惜しいな……」
……ランヴァルドもかつて存在した儲け話に目が眩みつつ、深々とため息を吐く。
まあ、儲け話が1つ失われているらしいことは惜しいが……この話が興味深いものであることには変わりがない。
どうも、魔物の人造に関する研究は、『地下の古代遺跡』の魔力を用いて行われていたらしいので。