調査*1
ネールは今も覚えている。
畑の柵も、家の壁も壊されていって、そこにいつの間にか火が付いて、何もかもが燃えて消えていく様子。
家の中から窓の外を見ていたネールは、あの日、自分が居た村が消えていくのを確かに見ていたのだ。
そして……逃げ惑う、両親の姿も。
第四章:薄っぺらい約束
ランヴァルドとネール、そして国王が派遣してくれた兵士達は、旧ジレネロスト領へやってきている。
そして、その最西端……『立ち入り禁止』の区画の一番端にあった小さな村の跡地が、今、皆で立っている場所だ。
「あー、ネール。ここはお前が住んでいた場所か?……ああ、違うのか。まあ、町は幾つもあるわけだからな……順番に探していこう」
尚、ここはネールが住んでいた場所ではないらしい。ランヴァルドは『目印になるものがあるでもないのに、分かるもんか?』と若干心配だったのだが……ネールはちゃんと、村を流れる小川や井戸の位置を見て首を傾げているので、まあ、恐らく、ネールなりにきちんと村の『跡地』から情報を得て判断しているようだ。
「……まあ、酷いもんだな、ここも」
ランヴァルドは顔を顰める。村が焼けた跡など、見ていて気分のいいものではない。ましてや、その被害者がここに居るのだから、尚更暗い気持にもなろう。
とはいえ……。
「ああ、ネール。そっちからもう1匹来るぞ」
ランヴァルドは、沈んでばかりも居られない。何せ、ここは旧ジレネロスト領。……今は魔物の巣窟と化した、いわくつきの土地なのだから!
ということで、ネールはまた一匹、魔物を倒した。……恐ろしいことに、ネールが倒したのは金剛羆である。ランヴァルドが魔獣の森でネールに救われた時のあの魔物と同種である。
同種であるが……大きい!
「やれやれ。これまた立派な奴だな」
ランヴァルドはネールと一緒に金剛羆の皮を剥ぎながらため息を吐いた。
流石、魔物が突如として大量に発生し、滅びた領地のことだけはある。魔物の数は多く、更には大きかったり凶暴であったり……非常に厄介なのだ!
「ま、金にはなりそうだ。ここに数日居るだけで、数年は金に困らないかもな……」
とはいえ、魔物などネールの前には塵も同然である。そしてランヴァルドの前では金も同然なのだ。ランヴァルドは『やれやれ』とため息を吐きつつも、頭の中で金勘定をしてはにんまり笑っている。この金剛羆の毛皮も、売ればいい値段がつくだろう。
「おお、金剛羆をあのように……」
「なんという力だ。まるで神話を実際に見ているみたいだ……」
……一方、こんな魔物や、魔物を倒すネールに慣れていない王城の兵士達は、ジレネロストに来てから数日が経過した今も尚、ネールの手際の良さに感嘆している。……新鮮な反応だ。ランヴァルドは彼らを見て、『俺もこの感覚を忘れちゃいけないな……』と思う。
「ああ、あんたらも手伝ってくれ。多分、また次の魔物が来るから……ほら来た」
とはいえ、兵士達を気遣ってやるつもりはない。彼らがここに居る名目は、『ネレイア・リンドの護衛』であるが……ネールには護衛など必要ない。
つまり……彼らは、獲物の皮を剥いだり運んだりする、雑用係だ!
「よし、ネール。あっちも頼むぞ」
……そうして、次々に獲物が狩られ、その処理はそれなりに人数の居る兵士達に任せることができ……ランヴァルドは大いに満足した。
これは儲かるぞ、と!
……だが。
「う……やっぱりちょっとばかり、魔力が濃すぎる」
ランヴァルドは眩暈と吐き気を覚えてその場に蹲る。魔力酔いの類だ。
やはり、ジレネロストは魔力が濃い。これだけ魔物が出るのだから当たり前と言えば当たり前だが。
……そのおかげで、兵士達の中にも何人か、時折体調の優れない様子を見せる者が居る。魔力酔いするのは、『若干、魔法を使える』という程度の者であることが多い。全く魔法を使えない者や、ネールのように突き抜けて魔力の多い者は魔力酔いしないのだ。
ランヴァルドが蹲っていると、ネールが慌ててやってきて、心配そうにランヴァルドの周りをくるくる回る。……やはり、ネールは魔力酔いの類は一切無いようである。羨ましいことだ。
「さっさと慣れればいいんだが……ああ、大丈夫だ、ネール。少し休めば良くなる」
……ランヴァルドは緩い眩暈と吐き気とに耐えつつ、思う。
まあ、これくらいは耐えられる。何せ、金のためなので……。
そうして、夕方前にはジレネロストを出て、ランヴァルド達は最寄の宿場へと引き返した。
……というのも、ジレネロストで野営するのはあまりにも危険だからである。ひっきりなしに襲い掛かってくる魔物相手に、夜通し警戒し続けることはできない。特にネールは、夜には眠くなる子供なので!
それに、手に入れた毛皮など魔物の素材を一度、運搬してしまいたい。特に、皮は生ものだ。できることならさっさと売ってしまいたいのだ。
「この数の毛皮となると、それなりの値が付くだろうな。売るならハイゼルが近いが……いや、それよりは南へ持っていった方がいいか?」
ランヴァルドは独り言ちながら考える。
……ここ、旧ジレネロスト領は中部の東側、やや南寄りに位置している。
北西へ向かえばハイゼルがあるし、南西へ向かえばもう王都だ。そして王都の先には更に、南部の豊かな土地が広がっているというわけだ。元々、このジレネロストが南部と中部、そして北部を繋ぐ交易路であったことからも分かる通り、近隣にはそれなりに大きな市場がある。
山の合間、谷を整備して作られた交易路と、その交易路上に生まれたいくつもの町や村。山が多いために産業は然程発展しなかったものの、交易の地として十分すぎるほどの富を築き上げたのが、このジレネロスト。
……いずれ、ジレネロストが復活することになったならば、と思わずにはいられない。
その時には、凄まじい富が生まれることだろう。幸い、近場のハイゼル領の領主様からの覚えは良いランヴァルドだ。先々のことまで考えると、やはりここは、近隣の領地に少しずつ魔物の素材を売っていき、ジレネロストとの金のやり取りを増やしていくべきだろう。
今のジレネロストは、魔物の素材や薬草、魔石といった資源が大量に手に入る場所である。そして同時に、開拓していくにあたって、建設資材も人材も大いに必要とする場所でもある。
だから、金も物品も人も、少しずつでも流れるようにしていかなければならない。ランヴァルドはそこまで考え……ため息を吐く。
「……まあ、まずはハイゼルか。その後は南の方にも……値崩れは防がないとな。うん。だが、ジレネロスト復活の兆し、ってのはある程度知らしめておきたいところで……」
……やることが多い。これは、当分苦労させられそうである。
夜には、ハイゼル領の南東、エルバに到着した。エルバはハイゼルの玄関口だ。南部と接する町であるので、それなりに栄えている。
……そこで一泊したランヴァルドは、毛皮の類をさっさと売り払ってしまって、そしてまた、ジレネロストへと戻っていく。
「……境界が少しばかり、奥に行ったかもな」
ジレネロストへ突入する際、ランヴァルドはこの地を覆う魔力の膜のようなものを感じ取っていた。
ジレネロストは魔物が出るだけあり、魔力の多い土地である。『急に魔力が多くなった』土地であるのだが……とにかく、その魔力の濃さは、一般的な他の土地とは段違いなのである。
そして、魔力が濃いが故に、何も無い土地からジレネロストの立ち入り禁止区画へ入ると、『ああ、魔力が濃くなったな』と明確に分かるのだ。それはまるで、膜を潜り抜けて『向こう側』へ行くかのような感覚である。
……そしてその『膜』のような境界は、昨日より幾分、奥まったように感じられた。
昨日、散々魔物を狩ったわけだが、そのおかげでこのジレネロストの魔力がほんの僅かに減ったのかもしれない。全体を見れば微々たる変化なのだろうが、ランヴァルドとしては大きな一歩だ。
「よし。この調子で頑張れば、ジレネロストを取り戻せる日も近い。頑張るんだぞ、ネール」
ランヴァルドはネールにそう告げると、ネールが満面の笑みで頷き返すのを見て『いい子だ』と笑い返してやるのだった。
ジレネロストの、かつて街道であったのであろう箇所を進んでいく。荒れたとはいえ、一度整備された道だ。やはりかなり歩きやすいのでありがたい。ところどころ、倒木や落石で塞がった個所は昨日の内にある程度撤去してある。こういう時にも王城から派遣されている兵士達は役に立つのだ。
「やっぱり魔力で変質した生き物が多いな」
そんな道を歩きながら、ランヴァルドはふと、呟く。
すると、その呟きを聞いたネールが、きょとん、としながらランヴァルドに首を傾げて見せてくる。
「ん?ああ……魔力の多いところに住んでいた動物は、魔力の濃さに中てられて魔物になるんだよ。金剛羆は元々、熊が魔力で変質したものだ」
ランヴァルドが説明してやると、ネールは『そうなのか』というように、こくこく、と頷いた。……このくらいはネールあたりでも知っていてもおかしくない知識なのだが初耳らしい。
「魔力が多い奴ほど、当たり前に魔法を……えーと、身体強化とか、爪だの牙だのの鋼鉄化だとか、そういう魔法を使ってくるからとにかく強い。だが、魔力が多い毛皮や爪や牙はいい素材になる。だから高値で売れる。そういうわけだ」
ネールが当たり前に狩っている魔物達だが、これらは普通の人間には狩ることが難しい生き物なのである。
皮膚が硬く、凶暴で、ありえない程の強さで爪を繰り出し、ありえない程の速さで地を駆る。……魔物は魔力が多いが故に、身体が魔力で強化されているのだ。
「ま、ここらの魔物は俺なんかよりもずっと魔力が多いんだろうな。だから勉強するでも鍛錬を積むでもなく、魔法が使えるんだ」
少々やさぐれたような気分になりつつ、ランヴァルドはそう言ってため息を吐く。ランヴァルドは生まれ持ったものが少なかったせいで、鍛錬しても鍛錬しても、魔法が上達しなかったクチである。無意識にだろうが、魔法を使う魔物達を見ていると、少々嫉妬めいたものを感じないでもない。バカらしいとは思うが。
「もしかしたら、古代人もそうだったのかもな。魔力が多けりゃ、訓練無しに魔法が使えるって話だし、古代人達は魔法によって文明を築き上げてきたわけだし……」
ついでに魔物ではなく古代人の話を考えてしまうのは、やはり、ドラクスローガで聞いたことがずっと気になっているからだ。
「……ま、お前も相当に魔力が多いもんな。ネール」
ネールはランヴァルドの言葉と視線を受けて、こくん、と頷いた。
……ネール自身もまた、ネールのことを知りたがっている。
「ま、お前の故郷の村が見つかれば、お前のことも分かるかもしれない。……結構かかりそうだけどな」
さて。ランヴァルドはまた、目の前の景色に意識を戻してため息を吐いた。
何せ……森の奥からはまた、魔物がのそりと現れているのだから!
「おお、やる気だな、ネール。いいぞ。その調子だ」
そしてネールはやる気いっぱいにナイフを携えて駆け出していった。ランヴァルドはそれを見送って……さて、と思う。
……ジレネロストの開拓に、どれくらい時間がかかるだろうか、と……。
「この土地の魔力を減らせれば、新たな魔物の発生を防ぐことができるかもしれない。というか、新たな魔物の発生を防がない限り、ジレネロストを取り戻すのは無理だ!」
昼頃、ランヴァルドは戦うネールの横で早速、考え始める。
……何せ、朝から今までの間にネールが狩った魔物の数は、20にも上る。ただ一か所に留まっていて、これだ。それも、大ネズミや大蝙蝠といった雑多な魔物ではない。兵士達では太刀打ちできないような、そんな大物だけで20なのである。
これがたった3時間かそこらで襲い掛かってくるのだから、魔物は無尽蔵なのか、と疑いたくもなる。
……そして実際、魔力が多い土地というものは、ある種、無尽蔵に魔物を吐き出し続ける呪われた土地であるのだ。
土地の魔力については、魔石や薬草といった恩恵もあるが、それ以上に魔物を生み出すという害の面が大きい。ある程度までなら、開拓を進めて魔物を狩り尽くしていけばなんとかなるだろうが、流石にこの量、この範囲となると、あまりに現実味が無い。
土地の魔力が尽きるまで魔物を殺し続ける、というのも現実的ではない以上、この土地自体をどうにかするのが先だろう。
即ち……。
「……そもそも、どうしてジレネロストは急に魔力を持つようになったんだかな」
この土地が滅んだ理由、その謎を解き明かすことに他ならない。