嘘から出す真*5
領主ドグラスの狂ったような笑い声の中、ドラゴンが動く。3体同時に、だ。
……だが、それらドラゴンより先に動くものがある。
そう。ネールだ。
この地下の大広間、ドラゴンが卵のように封印されていたこの空間には、幸いにして柱が何本も立っていた。
恐らく、ここにドラゴンを封印したのであろう初代ドラクスローガ領主がこの空間を造った際、ここが崩れては困るから、ということで沢山の柱を噛ませたのだろうが……今代領主の敗因は、その初代領主の心遣いにある。
ネールは柱を蹴って柱へ跳び、更にまた柱を蹴っては別の柱へと向かい……どんどんと高度を上げていく。それこそ、天井すれすれにまで。
一方のドラゴン達は、そんな高さにまで飛び上がることはできない。何故なら、天井があるからだ。彼らは体が大きい分、小回りが利かない。ネールのように、天井すれすれ、また柱と柱の間などを移動するのは不得手である。
ドラゴンはそれ故に戸惑った。部屋の隅、天井を蹴って急降下してくるネールを見て、咄嗟にどう動くべきか考えあぐねた様子であった。
そしてそれこそがドラゴンにとって命とり。3体のうちの1体は、ここであえなく首を落とされることになる。
その間、ランヴァルドは何をしていたかというと……祭壇の近くを必死に探していた。
そうして魔力の痕跡を辿り、それらしい箇所を探していけば、なんとかそれらしいものは見つかる。
「多分これだろ!」
ランヴァルドがレバーを引くと、ごうん、と何かが動く音がする。
……そして、開いていた天井が閉まる。
ランヴァルドはひとまず安堵した。これで、ドラゴンが市街へ出てしまうことは防げるだろう。……逆に言えば、恐らく先程、町の広場で倒したドラゴンは、ここから出てきたのだ。割れた卵の残骸が、先程のドラゴンの正体だった。
となると……ネールが戦っている間に、ランヴァルドはこの錯乱した領主から、事情を聞かねばなるまい。
……ネールの英雄譚を語る吟遊詩人として。
「一体なんのつもりでドラゴンなんざ出しやがった?」
ランヴァルドは早速、領主ドグラスへと詰め寄る。……領主ドグラスはナイフを構えてはいるものの、こちらにも剣はある。ランヴァルドは容赦なく剣を抜いた状態で、再度問いかけた。
「答えろ。何のつもりで、ドラゴンを自分の領地に解き放つなんてバカな真似をした!」
……だが、領主ドグラスは答えない。既に人の言葉を喋るような精神状態ではないのかもしれないが。
だから仕方がない。ランヴァルドが代わりに喋ることになる。いつものように。
「……まあ、1回目はなんとなく分かる。どうせ、食糧難に相次ぐ賊の被害、そういった問題から領民の目を逸らさせるために、わざと1体、封印を解いたんだ」
最初の1体。ランヴァルドとネールがドラクスローガで最初に倒したドラゴンも、きっとこの領主が出したものだった。
そう考えれば諸々、納得がいくのだ。何せ、領主達の反応は色々とおかしかったので。
まず、領主の討伐隊が悠長であったのは、ドラゴンによる被害がより大きくなることをむしろ望んでいたからだ。領民の意識が領主の舵取りよりドラゴン被害に向くようになれば、その方がありがたかった。
……ドラゴンの居た山の魔力が然程濃くなかったのも、『ドラゴンがその山で生まれたわけではなく、ただその山に降り立っただけ』ということなら理解できる。
ランヴァルドは、『あの時点でドラゴンの出所があの山じゃないことは分かっててもよかったか……』と少々歯噛みした。まあ、分かっていたところでどうしようもなかっただろうが……。
続いて、いざネールがドラゴンを討ち取った時。……領主があの芳しくない反応だったのは、間違いなく『脚本に邪魔が入った』からだろう。
元々は、自分で出したドラゴンを自分で片付けるつもりだったはずだ。だからこそ、その準備を進めていたし、その準備しか進めていなかった。もしかしたら、領主ドグラスは一度封印を解いたドラゴンを再度封印することができるのかもしれない。或いは何か、竜殺しの祖先から継いだ力があるのかもしれないが……。
その力をアテにしていたところ、そんな力無しにもドラゴンを倒せてしまう者が現れてしまった。それがネールだ。
領主は、自らが、或いは自らの手の内の者が『竜殺しの英雄』として名声を得る脚本を、根こそぎ書き換えられてしまった。それ故に反応に困り、対応を見誤ったという訳だ。
「まあ、1体目が駄目でも、2体目3体目を出せばいい、という程度に思っていたんだろうな、あんたは」
……思えば、ドラゴンの素材を買い取らなかったのも、その理由だろう。
2体目、3体目のドラゴンの封印を解けば、ドラゴンの素材は一気に市場に流れて値崩れを起こす。だからできるだけ、ドラゴンの素材は買いたくなかった。買ったら損になり、かといって買ったものを値の高い内に売ったら領民から憎まれる。
……つまり、領主は既にあの時、2体目以降の封印も解くつもりでいたのだ。そこは覆せぬ決定だったのだろう。
「……だから、『2匹目のドラゴンが出た』って時に、あんな慌てようだったんだな」
そしてそんな時に、エリク達の嘘がまた事態をややこしくする。
領主ドグラスは思ったことだろう。『どうして封印を解いていないのに、ドラゴンが出たのだ?』と。
そう。領主ドグラスは、ランヴァルドが思っていた以上に噂に翻弄される立場にあった。
『どうドラゴンを処理するか』ではなく、『何故ドラゴンが現れたのか』『自分以外にもドラゴンの封印を握る者が居るのでは』という疑いにまで気を回し、周囲を疑っていなければならなかったのである!
「で、ドラゴンの噂はどんどん増えていく一方だし、山賊は増えていく一方で……あんたはいよいよ、追い詰められた訳だ。ドラゴンの方は噂でしかないんだから、領民に説明のしようがない。『無いことの証明』はできないからな」
ランヴァルドがハンス達に流させた噂の性質の悪いところは、ドラゴンが居るという噂に対して、『ドラゴンは居ない』という真実を証明することが極めて困難であるというところにある。
領主は手の打ちようがない。今までに誠実な積み重ねがあればまだ話は違っただろうが、豪快さと戦士の血脈によってのみ統治してきたドラクスローガのことである。残念ながら領主としては……『更なる名声で失策を上書きする』他に手段が残されていなかった。
「……で、さっき出したのが、『本当の』2体目。あれはまさか、俺とネールを殺すためだけに出したのか?それとも、アレが市街地を荒らし回った後で颯爽と登場する予定でもあったのか?」
先程、ネールが広場で倒したドラゴン。あれの意図はランヴァルドとネールの抹殺だったのだろうか。或いは、ランヴァルドに煽られて反逆の意を示す領民達をまとめて殺せればそれが好都合だとでも思ったのか。
「俺達を始末したいだけなら悪手だった。領民の支持を得るための茶番だったならもっと悪い」
まあ……結局のところ、この領主は領主としての手腕が足りなかった。能力が足りない分を善性で補うでもなかった。だからこうなった。それだけのことである。
「何せ、たった今、あんたの切り札は全部消えたところだ」
……ネールがランヴァルドの元へ満面の笑みで駆けてくる。
その背後には、3体分のドラゴンの死骸があった。
「ば、馬鹿な……何故、ドラゴンを倒せる?」
「おいおい!それを言ったらあんたのご先祖様はどうだったんだ?え?」
領主ドグラスは高揚感を失い、その分、若干の冷静さを取り戻しているらしい。表情が青ざめているところを見ると、今の状況がまずいものだということまでは分かっているようだ。
「さて、後はこいつを領民の前に引きずり出して勝利宣言、と。よし」
ランヴァルドは、そんな領主ドグラスを見てにやりと笑うと……自分の荷物から縄を取り出して、手早く拘束し始める。
……人身売買をやったことは無いランヴァルドであるが、やったことがあると言われても納得されてしまうであろう手際の良さであった。
「次の領主にはトールビョルン様が落ち着くだろうから、俺はそのおこぼれに与るってことで……さーて、これから忙しくなるぞ、ネール。こいつは後始末が大変だ」
領主ドグラスが静かに現実を受け止めつつある横で、ランヴァルドは早速、考え始める。
「やらなきゃいけないことが山ほどある。えーと、まずはエリクが王都から国王陛下の使者を連れ帰ってきてくれることを祈りつつ、戦勝処理ってところだな。ドラクスローガの領主が死んだ以上、新しく領主が必要な訳だし……ああ、その都合でお前にはまた、英雄になってもらうからな、ネール」
そう。これから忙しくなる。
何せ、あることないこと大体全部をネールの功績にしようと考えているランヴァルドである。ネールは神妙な顔で頷いているが、それを分かっているのかいないのか。
「それから……このドラゴンだな」
更に、ランヴァルドが処理しなければならないものはドラクスローガの領主関係だけではない。
このドラゴンこそが、ランヴァルドが最も気にしなければならない代物である。
「ああ、ネール。ここのドラゴンだが、解体はするな。このまま暫くここに置いておくことになるだろう。あー、えーと……多分、国王陛下の使者の、それもそこそこ地位が上のが来てくれてから、だな」
ランヴァルドは少々頭痛がしてきたような気持ちで、早速計画を立て始める。
「いいか?ネール。このドラゴンは……できれば、国王陛下に直々にお買い上げいただきたいんだ」
そう。このドラゴンを使って、更に稼ぐための計画を!
「まず、このドラゴンの素材だが……この鱗が如何に有用かが分かっちまった。単なるお守りじゃなくて、これは確かな実用品だ」
ランヴァルドが焦っているのは、ドラゴンの素材の価値が大きく変わろうとしているからだ。
……ランヴァルドが体験した通り。ドラゴンの鱗は、ドラゴンの炎を防いだ。そしてその効果を、さっき広場に居た多くの領民達が体験している!
そう。ドラゴンの素材は今や、古のドラゴン殺しへ思いを馳せるためのお守りではなくなってしまった。
『炎に対する加護を得るための実用品』になってしまったのである!
「だってのに、一気に4体分も増えやがった!これじゃあ値崩れは待ったなしだ!」
そして、値崩れ待ったなし!何せ、広場に今落ちているドラゴンの死体のみならず、ここに3体分もドラゴンの死体があるのだから!
……領主ドグラスが1体目のドラゴンの素材を買いたがらなかったわけである。値崩れ待ったなしが分かっている素材を買いたくないのは、ランヴァルドも同じなので。
「だが……幸い、まだ、領民達はここにドラゴンの死体が3匹分もあることを知らないんだ。なら、値崩れは防げるかもしれない」
広場のドラゴン素材は、まあ、恐らくその全てをランヴァルドのものにすることはできないだろう。既に今、どさくさに紛れてドラゴンの鱗や牙や皮を持っていこうとする者が絶対に居るだろうと予想されるので。
だが、それはいい。むしろ、それで領民が満足してくれれば、それがいい。可能ならば小銭稼ぎをしたい気持ちはあるが、そこまでだ。
……ランヴァルドは最早、ドラクスローガの領民達を客だとは思っていない。あのドラゴンの鱗は、もっとずっと高級品であり……高級な客に売り捌くべきものなのだ。
「更に幸いなことに、これから国王陛下の使者が来ると思うが……国王陛下へツテができれば、そっちに売り捌くことができるかもしれない」
そう。
ランヴァルドは今、国王に手が届くところに居る。
「国王陛下相手なら、ドラゴンの鱗をドラゴン3体分まとめてお買い上げ、なんてこともしてくださるだろう。そうなりゃ、値崩れなんて気にせずに高値で素材を売り捌ける!」
……だから、動かねばならない。
ランヴァルドは今、『皆が今後も欲するであろう超高級素材が値崩れ待ったなし』という状況に、唯一介入できる立場にあるのだ!
そして、今、このドラクスローガを取り巻く権力……次期領主に収まるのであろうトールビョルン老や、今ここに居る領主ドグラス、そしてこれからここへ目を向けざるを得ないであろう国王など……権力者達に最も近しい位置に立っているのもランヴァルドなのである!
「ってことで、ネール。ここには領民を立ち入らせちゃならない。ああ、だがとりあえず鱗だ。鱗を持っていくぞ。何かの保険ってことでな。特に値段が高くつく位置のをなんとか、誤魔化しが効く程度にくすねていこう」
がめついランヴァルドは、笑ってネールに指示を出す。ネールも『それなら分かる』とばかり、元気に鱗を採り始めた。
「……ああくそ、ドラゴンの鱗が持ってるだけで炎を防ぐなんて分かってりゃ、もうちょっとやりようがあったんだが……」
ランヴァルドとしては、最初に森で仕留めたドラゴン素材についても少々惜しくなってくる。あれも、この付加価値が分かっていたならもっと高値で売り捌けたものを、と。
その時だった。
「ま、待て!」
領主ドグラスが、顔を上げていた。
「炎を防いだ、と言ったか?ドラゴンの、鱗が……?」
「ああ。……ドラクスローガには何かそういった伝説が?」
ランヴァルドは領主ドグラスが急に冷静さを取り戻したらしいことに驚きつつも、『そういう話があれば売り文句に使えるんだが』と期待して聞く。
……だが。
「……な、らば……その娘は、まさか、古代人の生き残りか……?」
領主ドグラスは顔面蒼白でネールを見つめている。




