嘘から出す真*1
民衆の扇動は、領主の必須技能と言える。そしてある種、ドラクスローガ領というものはその扇動の力だけでここまで保ってきた領であった。
ここは肥沃な土地は少なく、山も多いために畑も作りにくい。そしてそもそも北部であるため、短い夏と秋の間に得られる実りなど、どう足掻いても大したものにはならないのだ。
……それでも、北部の他の地域では、作物の品種改良や耕作の工夫によって、なんとか食い扶持を保っている領もある。だがドラクスローガはそうしなかった。
かつての竜殺しの名誉。それによって民衆を惹きつけ、動かす力。……ドラクスローガは、それだけで民衆を束ねてきた。
ある種、民衆を扇動する力だ。領主自らが英雄となり、旗を振って、その御旗のもとに集った人々によって領地を成してきたのだ。
……だが当然、それには限度というものがある。
栄光など、飢餓の前には無意味である。人は、誇りなど捨てても生きていけるが、食べ物を捨てては生きていけない。
元々が、北部特有の、武と栄誉を重んじる文化によって保っていたものだ。合理的な理由によって成り立っていた治世ではない。
せめて、今代がドラゴン殺しを成し得ていればよかったのだろうが、それすらもネールに掻っ攫われた形だ。元々、来春には動きがある見込みであったが……ドラクスローガの存続は、いよいよ危ぶまれる事態となってきた。
そして、領が1つ、崩れるとなったら……そこで火事場泥棒を目論む者も現れるものだ。
その筆頭がランヴァルドである。
「ロドホルンは10日ぶりだが、ここでも大分、盛り上がってきたな」
ランヴァルドは、ロドホルンの竜鱗亭のホールにて、ハンスと卓を挟んでいる。尚、隣にはネールが居て、蜂蜜入りのホットミルクをくぴくぴと嬉しそうに飲んでいるところだ。
そしてランヴァルドとしても、勝利の美酒が美味い。何せ、ロドホルン郊外、老貴族トールビョルンはいよいよ、ドラクスローガの貴族達……多くがその親類であるところの彼らに呼びかけ始めた。そして、民衆もまた、動いている。
……そう。『領主を引きずりおろせ』と、民衆が動き始めたのだ!
「あんたらのおかげで、ドラゴンの噂はあちこち飛び交ってる。領主の動きが大分後手になってるのはそのおかげだ。ありがとな」
「……俺はあんたがこええよ」
「そりゃどうも」
ランヴァルドはハンスににやりと笑って、蜂蜜酒のお湯割りを煽った。……ここの店主に金を握らせて、薄めに作らせた酒だ。酷く酔うことはないだろう。
「ま、そういう訳だ。国王陛下の耳にもそろそろ、ドラクスローガの惨状が届いているだろうが……国王陛下がすぐに腰を上げて下さっていりゃ、使者はドラクスローガの終焉を見届けることになるだろうな。そうでなかったら、ドラクスローガの後始末をしてる最中に来ることになるか」
エリクが上手くやっていれば、そろそろ国王が動くことになるだろう。ドラクスローガのことなど国王は知らないだろうが……北部全体が荒れている、ということくらいは既に知っているはず。
ならば、『今後、この国の北部がどうなっていくか』の試金石として、ドラクスローガのことを見届けようと踏んでくれるのではないだろうか。そして当然、事後処理くらいはやってくれることだろう。
領主を打ち倒したとなれば、他の領の領主からの覚えは悪くなりそうだが、真っ当な領主からは、ある程度賛同が得られるはずだ。
問題ない。ランヴァルドはネールを英雄に仕立て上げていくつもりだが、敵を全く作らずにそれを達成するつもりもない。ある程度は敵も居て、しかし熱狂的な信者がそこそこに居て、という状況が目標だ。
だから、この方針でいい。ランヴァルドはこのまま、ドラクスローガを破壊する。
……そして、ネールを竜殺しの英雄としてより一層輝かせ、一方その陰で火事場泥棒しようと思っている。
ランヴァルドは悪徳商人だ。倫理観など、あったものではない!
「……なあ、あんた、何者なんだ」
にやにやするランヴァルドに、ふと、ハンスが声をかけてきた。
「ややこしい書類仕事はできる。随分商売が上手いようにも見えるな。それから……なんだ、あんたが動かしてんだろ?今のこのドラクスローガをよ」
ハンスの目は、疑うようにランヴァルドへ向けられている。だがその疑いの裏にあるのは嫌悪ではなく、どちらかと言えば尊敬に近いものだ。
ついでにハンスは、酒が入っていることもあるのだろうが……少々、興奮しているのだ。
元々、お祭り好きで戦好きの北部の民だ。この、ドラクスローガがひっくり返るか、という状況の中、少しばかり浮かれているのだろう。
「いやいや、俺はそんな大層なことはしちゃいないさ」
ランヴァルドは手を振って笑う。ついでに、ハンスのカップに瓶から蜂蜜酒を注いでやって……。
「俺はしがない旅商人さ。だがこっちは違うぜ。ネールは竜殺しの英雄だからな。だから、何か上手くいってるように見えるなら、そりゃあネールのおかげってところだろう」
ついでにそう言ってネールに笑いかけて見せれば、ネールは嬉しそうにランヴァルドを見上げ、ハンスはそんなネールとランヴァルドを見て益々不思議そうな顔をする。
「……俺にはあんたこそ妙な奴に見えるんだがよ」
「気のせいだろ。そもそも、ドラクスローガが今、こうして動き出してるのは俺がつついたからじゃない。元々、こうなるはずだったんだ。分かり切ったことだった。……ま、幾分、俺が早めたかもしれないがな」
「だろうな。違いねえ」
ランヴァルドが笑いかければ、ハンスもまた笑って、ぐびり、とカップの中身を飲む。
……それから少々気まずげに視線を彷徨わせて、やがて、ぼそぼそ、と言う。
「……その、悪かったな。あの時、あんたを襲って」
ランヴァルドは思わず、笑いそうになる。だって、如何にも北部人らしい大男が背中を丸めるようにして、ランヴァルドにぼそぼそと謝ってきているのだから!
「いや、いい。気にするな。あの時はお互い、ああするしかなかった。だろ?」
ランヴァルドは笑みを漏らしつつ、ハンスの肩を叩く。するとハンスも少し笑みを漏らして、『そうだな』と言った。
「なあ、あんた北部の出身なんだってな」
続いて、ハンスはそう問いかけてきた。大方、エリクから少し聞いたのだろうが……ランヴァルドとしては、この辺りはあまり詳しくは話したくない。
「……まあ、出だけはな」
「どのあたりから来たんだ?」
「あー……」
ハンスは特に悪意なく聞いているのだろう。ランヴァルドがファルクエークの出身だと知ったところで、特にどうともしないしできないはずだ。
だが、情報がどこから漏れるかも分からないので……ランヴァルドは適当に誤魔化すことにした。
「すまんが、あんまり言いたくないんだ。その、生家を追い出されてきた身なんでね」
ということで結局、そんなことを言って蜂蜜酒のカップを傾けることにする。『深く聞いてくれるな』と言外に伝えれば、ハンスは『へえ』と分かっているのかいないのか曖昧な返事をして……。
「……追い出された、って、あんた、何をやったんだ?」
更に聞いてきた!
流石、学も思慮も無い北部の農村出身の狩人である!ランヴァルドは頭を抱えたい気分になってきた!
「……まあ、その、家族と不仲でね。うん。ここまでにしておいてくれ」
「弟が居るんだってな?」
「まだ聞くのかよ……」
「いいじゃねえか、減るもんじゃねえだろうが」
減るものがあるかもしれないからこそ口を噤みたいランヴァルドなのだが、ハンスは酒も入って上機嫌に聞いてくる。これだから北部人は!
「……弟は、まあ、10も齢が離れてるもんだからな。可愛い奴だったよ」
話さずにおいても面倒を呼び込みそうである。仕方なく、ランヴァルドはこの酔っ払いにもう少し付き合ってやることにした。
「俺より出来が良くてね。……俺と弟は父親が違ったんだが、まあ、そういうのもあって、母としては弟の方が可愛かったんだろう。それで俺は家を出る羽目になったんだが……」
ランヴァルドに毒を盛ったのは、恐らく、実母であった。養父は知ってはいたのだろうが、止めはしなかったのだろう。そして弟は……。
「……でもまあ、父母はともかく、弟は俺によく懐いてたよ。自分より兄の方が出来が悪いってことも、よく分かってないみたいだった。だからだろうけどな」
弟は、無邪気だった。まだ幼く、大切に守り育てられ、悪意とは無縁に育っていた。
だから、ランヴァルドにもよく懐いていたのだろう。父が違うことも知らないまま、ランヴァルドのことを慕っていた。ランヴァルドが家を出る頃には流石に勉学や剣や魔法や、学ぶことが増えていたが……その少し前までは、ランヴァルドの後をついて歩いて、まるで雛鳥のようだった。
生意気なところもあったが、概ね、可愛い弟だったように思う。……だが弟は、ランヴァルドの立場を脅かす存在でもあった。だから、ランヴァルドは自分が良い兄であったかどうか、あまり自信が無い。
弟を見つめる時、恵まれた才能への嫉妬が全く混じらなかった自信は無い。周囲が『弟君の方が優れているのでは』と囁くのを聞いて、その直後に弟が駆け寄ってくるのを、ランヴァルドはきちんと笑顔で迎えられていただろうか。
そして何より……両親も一緒の『家族水入らず』の食卓で、ランヴァルドは1人、勝手に疎外感を覚えてはいなかったか。それが弟に、伝わってはいなかったか。
弟が懐いてきていたのは、幼いながらにそれらを察して、ランヴァルドを憐れんでのことだったのでは。
……考えれば考える程、気分が悪くなってくる。ランヴァルドは思考を打ち切った。本当に、碌なことが無い。これだから北部は。
「……こんなもんでいいだろ。すまないが、これ以上は本当に喋りたくない」
「そ、そうか……いや、すまねえ。その、兄貴にも言われるんだが、俺は遠慮ってもんがねえから……」
ランヴァルドが余程冷たく見えたのか、ハンスが縮こまってもそもそ喋る。その様子が少々おかしかったので溜飲を下げつつ、ランヴァルドはまた蜂蜜酒のカップを傾け……。
「……ん?どうした、ネール」
ふと、ネールがランヴァルドの腰のあたりに抱き着いてきた。むぎゅう、としがみつくその顔はよく見えないが……少しばかり、頬を膨らませている様子は見えた。
もう眠いのだろうか、とも思ったが、それも少々違うようである。ランヴァルドは首を傾げつつ、ネールの頬を、つん、とつついてみる。
……ハンスとばかり喋っていたものだから、構ってもらえなくて拗ねた、というところだろうか。
「全く、困った英雄様だな」
ランヴァルドはため息を吐くと、よっこいしょ、とネールの身体を抱き上げる。
ネールは驚いた様子であったが、ランヴァルドはそのままネールを抱え直してやった。……かつて、弟にそうしていた時のように。
「ったく、いつの間に俺に妹ができたんだかなぁ……」
ランヴァルドはネールの背をぽふぽふと叩いてやりつつ、あやすようにちょっとばかり揺すってやる。するとネールは目を瞬かせ……ふや、と柔い笑みを見せるのだ。
……どうやら、機嫌は直ったらしい。ランヴァルドはよく分からないながらも、『ま、ご機嫌で居てくれるなら抱っこくらい安いもんか』と思うのだった。
そんな時だった。
「ネレイア・リンド!ネレイア・リンドは居るか!」
宿の扉が開かれて、そんな声が響き渡る。
見れば、ぞろぞろと3名ほど、鎧兜姿の兵士達が入ってきていた。
ざわつくホールの中、ランヴァルドは瞬時に思考を巡らせる。……ネールはおろおろしているし、ハンスもまた、おろおろしている。決定を下せるのはランヴァルドだけだ。
そして……。
「こちらに」
ランヴァルドはネールを抱き上げたまま、堂々と、そして悠々と立ち上がった。ホール中の視線がランヴァルドとネールに注がれる。
だが、それらの視線に臆することもなく、ランヴァルドはいっそ微笑すら浮かべて兵士達を見つめ返した。
「ああ、よかった。領主様がお呼びだ。至急、城へご同行願おう」
兵士達は、堂々としたランヴァルド達相手に特に臆するでも気色ばむでもなく、そう告げる。……ということは、『反逆者として処刑する』といった内容では無いのだろうが……。
「用件は?」
「それは領主様からご説明がある」
「そうか。まあ……そういうことなら、すぐに向かおう。丁度よかったよ。明日にでも、こちらから伺う予定だった」
ランヴァルドは少々緊張しつつも、兵士にもネールにもそれを気取られないように笑う。
卓の上に銀貨を置いて、ハンスに『じゃあ行ってくる。後は頼んだぞ』とだけ告げて、悠々と歩く。
……さて、領主ドグラスは、この期に及んで何を要求してくるのだろうか。
少なくとも、自分がこれから大失態を犯す、などとは露ほども思っていないのだろうが。