2匹目*5
その日、ランヴァルドは『よし、俺が手伝ってやるから代わりに一晩泊めろ』と強気に出て、小屋を1つ、明け渡させた。ハンスやエリクを他の小屋の隅っこへ追いやって、ネールと2人、悠々と小屋を使って、それなりに快適に眠り……そして翌日。
「じゃ、まずはあんたらの村に案内してくれ」
「は?」
起き抜け一番、朝食の支度を始めていたエリクとハンスに、ランヴァルドは満面の笑みでそう申し出たのであった。
朝食もしっかり遠慮なく食べた後、一行は山賊達の村へと向かった。
……ここでも悶着はあったのだが、『ここに居たら領主達が仕向けた討伐隊が来るかもしれない。小屋はそのままにして、荷物だけ持って全員ここを離れておいた方がいい』とランヴァルドが提案し、上手く言いくるめて全員村へ連れて帰ることにしたのである。
「な、なあ、マグナスの旦那?なんだって、俺達の村なんか見たいんだ?」
道中、エリクが心配そうにランヴァルドの顔を覗き込んでくる。
心配は尤もだろう。何せランヴァルドは昨日、『どうせなら領主について国王陛下へ直訴して、国王陛下に助けて頂こうじゃないか!』と山賊達相手に演説をぶちかまし、山賊達の賛同を得てしまっているところなので。
「その、俺達の村を見たからって、特に何も無いと思うぜ?国王陛下に直訴?するってのも、俺達はよく分からねえし……手土産みたいなもんがうちの村にあるわけでも……」
「ああ、心配するな。ただ、税の計算をしたいだけさ」
エリクがまごまごする一方、ランヴァルドは水を得た鮫、或いは風を得た猛禽の如く、元気いっぱいである。
「領主が不当に税を請求した、って証拠を用意するためにも、まずはちゃんと書類を作り直した方がいいだろうからな。幸い、俺はそのあたりの書類も作れるぞ」
……税の計算ややりくりは、かつて、ランヴァルドが父から教えられたことだ。領主になるのであれば当然学んでおくべきことなので、ランヴァルドは一通り、このあたりの知識を身に付けている。
「後は……そうだな、税の督促状、まだあるか?村に一通は来てるだろうが、燃やしてないだろうな?」
「は?ええと……多分、まだあるが」
「よし。ならそれも見せてくれ。それから去年の税を納めた時の証書もあるだろ?それも一緒に頼む」
「あ、ああ……ちょっと探すのに時間がかかるだろうが、まあ、誰かは知ってるだろ」
エリクは首を傾げつつも、『マグナスの旦那は俺達にはよく分からない何かをやろうとしているらしい』と判断したらしい。まあ、それ以上に『ひとまず弟達を山賊稼業から引き離すことができた』という安堵もあるのだろうが、幾分落ち着いた様子である。
「おい、マグナス。てめえ、なんだってそんなこと知ってる?さては、領主の手先……」
「商人だからだ。土地だの農作物だの扱ったことがありゃ、ある程度はできるようになるんだよ」
一方のハンスはまだまだ警戒心があるようだが、エリクが『まあまあ、落ち着けハンス。どのみち俺達はマグナスの旦那に助けてもらわなきゃおしまいなんだ』ととりなしてくれている。
……まあ、ランヴァルドの言い訳は嘘なので、ハンスの直感の方が若干優れているかもしれない。まあランヴァルドは『領主の手先』ではなく、『別領の次期領主だったことがある』というだけだが。
そしてネールはというと、ランヴァルドの足元をうろちょろくるくる動き回りながら、『すごい』という目でランヴァルドを見上げてくる。
純粋無垢にすぎる反応は、これはこれで困るものである。ランヴァルドは『大人しくしていなさい』とネールの頭を軽くぽすぽす叩いた。ネールは只々嬉しそうにはしゃいでいたが……。
そうして朝から歩き続けて、夕方にようやくその村へ到着できた。
「……こいつは、まあ、想像してはいたが」
そしてランヴァルドは絶句することになる。
「雪で何も分からねえな……」
……そう。ここは冬の北部。
当然ながら雪が積もっており……どこが畑でどこがそうでないのかなど、分からないのであった!
「雪、退かすかい?」
「いや……ちょっと待て。いい。そのままでいい。退かすな。むしろそのままにしておいた方がいいかもしれないからな」
エリクが気遣うように聞いてきたが、それをそっと押しとどめてランヴァルドは考える。
畑を見に来たが、畑が見えない。だがこれはこれで悪いことではない。畑が分からない分、逆にいくらか誤魔化しが効く。
冬が終わって春が来た時、雪の下で凍り付いていた大地を耕して起こせばそこは再び畑になるだろうが、そうしなければ『かつて畑だったが、いつからか放棄された土地』になる。
……諸々の偽装をするなら、これを見逃す手は無いのだ。
「先に書面を見せてくれ。納税の時のと、督促状もだ」
何はともあれ、先に状況の把握はしておきたい。実物が見えないのだから、まずは書面だ。
エリクとハンスがどこかへ行ったのを見送って、ランヴァルドは手近な場所の雪を掻き分け、その下の土……畑の土では無いのだろうそれを少し見てみる。
「あー……まあ、想像は付いたが」
山の麓で山の恵みを受けている土地であるはずなのに、肥沃とは言い難い土の様子が見て取れた。
ついでに、傾いた土地を拓いて家を建ててある箇所もあるのを見ると、まあ、畑仕事をするのに向いている土地とは言い難い有様である。
さてどうするかな、と考えていると、そこへエリクとハンスが諸々の書類を持ってきた。
「どれがどれだか分かんねえからよ、とりあえず色々持って来たぜ!」
「ああうん、ありがとう。どこか家を借りられるか。流石に屋外でやりたい作業じゃないんでね。そろそろ明かりが無いと手元も見えなくなりそうだし……」
「なら今日は俺達の家を使ってくれ。隙間風はあるだろうが、炉に火を入れれば多少はマシになるからよ」
「ありがとう。助かるよ」
ついでに今晩の宿をぶんどることにも成功したので一安心である。……隙間風については、暇を持て余すであろうネールに泥でも使わせて塞がせておいた方がいいかもしれないが……。
+
ネールはランヴァルドと一緒に、小さなお家に案内された。
どうやら、エリクとハンスのお家らしい。兄弟2人が暮らしていた家だ、ということだったが、ハンスは山賊になってしまったし、エリクもしばらくここを離れていたわけで……。
「……冷えるな。すぐ暖炉に火を入れよう」
お家の中は、すっかり冷え切っていた!寒い!
だが、暖炉に火を入れて少しすれば、なんとか部屋が暖まってくる。
ネールはランヴァルドと2人並んで暖炉の前にしゃがんで、火に手を翳し、指先を温める。……ネールは別に、指を温めたいわけでもないのだが、ランヴァルドは念入りに指先を温めているようだったので、真似してみたかったのである。
やがて、十分に温まったらしいランヴァルドは、『よし』と声を上げて立ち上がると、机に向かい始めた。
手元を照らすためのランプは、ステンティールで購入したネール用の魔石のランプである。ランヴァルド曰く、『火と違って光が揺らめかないからな。書類仕事をするならこっちの方が目が疲れないんだ』ということであった。
「あー、成程な。くそ、これならまあ、正常な値か……」
ランヴァルドはぼやきながら書類を捲り、何かを別の紙に書きつけ、それからまた書類とにらめっこしている。
こうなってしまうとネールにはやることが無いので、ネールはただ、暖炉の火を絶やさないように時々薪をくべ、時々火かき棒で暖炉の火をつつき、ランヴァルドの邪魔にならない程度に机の上を覗いて書類の文字を読んでみて……というようなことになる。
書類の文字も読めはするのだが、難しいことが書いてあるものだから、意味はよく分からない。これが分かるランヴァルドはすごいな、とネールは思う。
ちら、とランヴァルドの横顔を眺めてみたら、真剣な目がじっと書類に向けられているのが見えた。
魔石の明かりに照らされた睫毛が目に影を落として、藍色の瞳が濃紺に見える。部屋の中は静かだ。薪がぱちぱちと爆ぜる音と、ランヴァルドがペンを走らせたり紙を捲ったりする音、そして時々ランヴァルドが呟く言葉だけが、控え目に響くだけ。
静かだ。とても。ランヴァルドは喋るのが上手だが、喋っていない時にはとっても静かに見える。そしてネールは、静かなランヴァルドを見ているのも中々好きみたいだ。
綺麗だなあ、と思う。雪が降り積もる静かな夜のような、そんな雰囲気がネールは大好き。
なら、邪魔にならないように隅っこの方に居よう、とネールはそっと、部屋の隅の方へ向かう。魔石ランプの明かりも、暖炉の明かりも届かないくらいの隅っこへ。
……すると。
「あー、ネール。もし寝るなら寝ててもいいが、暖炉の傍で寝なさい。風邪ひくぞ」
ネールのことなんて見ていなかっただろうに、ランヴァルドは書類から目を離さないまま、そう言った。
まさか、ランヴァルドはネールのことを見ていたのだろうか!すごい!ネールはびっくりするしかない!
……そして、ランヴァルドが折角そう言ってくれたのだから、ネールはのんびり、暖炉の傍でほこほこ温まりながらランヴァルドの背中を眺めていることにした。
時々『あーくそ……大したことねえな』や『都合の悪い数字ばっか出てきやがる……』といったぼやきが漏れてくるのを楽しく聞いて、ぱちぱちと薪が爆ぜる音を聞いて、火で体はのんびり温まって……。
……ネールは段々眠くなってきて、暖炉の傍で丸くなって、眠ってしまった。ランヴァルドには申し訳ないような気もしたけれど、しょうがない。
だって、あんまりにも静かで、穏やかで、幸せだったものだから……。
+
ネールがうとうとし始めたのが横目に確認できたので声をかけ、それから少ししたら、ネールは暖炉の傍で丸くなって眠り始めた。まるで猫である。
ランヴァルドは苦笑しつつも書類の確認を進め……そして、結論を出した。
「弱い」
……そう。弱い。どうにも、弱い。
『不作の分を加味して税をある程度軽減しろ』という言い分は聞き入れられてもいいだろうが、『領主は不正に税を搾取した!』と主張するには若干、弱い。
どうも領主ドグラスのところには優秀な税務官が居るようである。厄介なことに。
何はともあれ、エリクにはこれを伝えておかないといけないだろう。ランヴァルドは屋外に出て、そこで焚火を起こして大鍋でスープか何かを煮込んでいたエリクに近づいた。
「ああ、マグナスの旦那!もうじきスープが煮える。できたら持っていくよ」
「ああ、ありがとう。……で、こっちの書類の整理は終わったんだが……」
ランヴァルドは『どう説明したら伝わるかね』と苦心しながら、エリクに分かりやすく『案外、税の取られ方は、まあそこまで悪辣ではなかった』という話をしてやる。
工夫して説明してやったおかげか、エリクも、そして寄ってきたハンスも、内容を理解できたらしい。理解できたために、彼らの表情は曇り始める。
「おいおいおい、話が違うじゃねえか。領主が碌でもねえ野郎だって証拠が手に入るんじゃなかったのか?」
「まあ、一応、証拠になるとは思う。だが、領主を引きずり下ろすには流石にちょっと弱い」
ハンスをなだめつつ、ランヴァルドはため息を吐いて……言った。
「だから仕方がない。この村の収入について過少申告し直した書類を作るよ」
「……は?」
「『この村の生産高はたったこれしかありません』って少なく見積もって税を計算し直せば、当然、少なく計算が出るからな。それと照らし合わせれば、督促状の額は大きすぎる、ってことになるだろ?まあ、他にも色々と手を回した方が良さそうだが……」
ランヴァルドが説明してやれば、ハンスは首を傾げ、エリクは、ふんふん……と頷き、そして、気づく。
「な、なあ、マグナスの旦那。それ……脱税じゃねえのかい?」
恐る恐る、といった様子のエリクと、エリクの言葉を聞いて目をひん剥いているハンスとを見て、ランヴァルドは朗らかに笑みを浮かべた。
「うん。まあ、そうとも言うかもしれない」