2匹目*2
「よし、ネール。今、俺達はちょっぴり困ったことになっているからな。お前にもしっかり分かっていてもらうために、一通り今の状況を説明しておく。分からなかったら手を挙げて質問しろ」
その夜。ランヴァルドは宿の部屋の中、暖炉の前でネールにそう言うと、ネールはランヴァルドの向かいに座ってこくこくと真剣な顔で頷いた。
「まず、今のドラクスローガ領内の説明をするぞ。第一にドラクスローガはこの冬を越せないであろう者が多い。今年の夏が寒かった影響で、食料が足りないんだ。これは大切なところだからよく知っておくように」
ネールが頷くのを見て、ランヴァルドは『本当に分かっているだろうか』と少しばかり心配になるが、心配したところでどうしようもないので諦める。
「……ま、食料不足については、このロドホルンに居る分にはそれほど感じないがな。もっと北の方だとか西の方だとか、領主様のお膝元から離れりゃ離れただけ、酷い生活ぶりが見えるようになるんだろうよ」
今年の冷夏の影響は、とにかく大きい。ロドホルンにおいては都市部であることもあり、領主の居る町であることもあり、然程余裕の無い様子は見えない。
だが、確実に食料不足が蔓延している。その証拠が、賊の増加だろう。
「で、食料が足りないなら、金を出して南の方から買うか、はたまた、誰かから奪うしかない。金が無い奴は後者一択だ。それは分かるな?だから今、賊が増えてる」
ステンティールでの賊の増え方は、マティアスの手によるところが多かったのだろう。つまり、雇われた者達……元々、『選んで』そういう仕事をしていた連中、ということだ。
だが、今のドラクスローガでの賊は事情が違う。彼らは……要領の悪さや知識の不足故であったとしても、とにかく他に選択肢が無く、仕方なく賊に成り下がった者が大半だろう。
「だから領主としては、然程積極的じゃないんだよな。元が善良な領民だったってのに、それを退治するとなったら、他の領民からの反発が強い。そこで、外から来た余所者に山賊退治をさせたい、ってのはまあ、分かる。領主直々に山賊討伐なんざし始めたら、いよいよ暴動が起きかねないだろうからな」
ネールは神妙な顔で頷いている。
……ランヴァルドとしては、『このあたりはあまりよく分かっていない方がありがたいんだが』と思う。
これから先、ランヴァルドは率先して賊退治を行い、それと引き換えに領主から報酬なり勲章なり、国王への伝手なり、はたまた土地なりを頂きたいところなのだ。ネールが賊退治を躊躇うようになっては困るのだ!
「とはいえ……それ以上に問題になっているのがドラゴンだ。何と言ってもドラゴンだからな。下手に暴れたら町1つ、簡単に滅びかねない。だが同時に、ドラゴンは起死回生の一手にもなり得るんだ。北部の、特にこのドラクスローガではな」
まあ、何はともあれ、ドラゴンだ。
ドラゴンである。領主にとっても、ランヴァルドにとっても、『ドラゴン』は極めて重要なのである。
「竜殺しは英雄だ。竜殺しが始祖になっているのがこのドラクスローガだからな。竜殺しへの憧れはどこよりも強い。だからこそ……領主は自分達の手で……自分自身でなくとも、身内だとか、自分直属の騎士団だとか、そういう連中を使って、ドラゴンを倒したいんだろうと思う」
ランヴァルドが聞いた話では、『領主は直々にドラゴン討伐隊を結成し、派兵する予定だった』ということだった。騎士団を抱えているようだし、まあ間違いないだろうと思われる。
領民に被害が出てきて、いい加減ドラゴンが危険視されるようになったところで、という機の見計らい方も実にそれらしい。
だが。
「そこを俺達に横取りされた、って訳なんだが……その割には、妙に焦りが無いというか、妙な対応なんだよな……」
……その割に、だ。領主はランヴァルド達に手柄を横取りされた割に……妙に、動きが、鈍い!
「俺が領主なら、確実に『竜殺しの英雄』を囲い込みたいからな、褒賞は惜しみなく出して、領主の私財で英雄達の凱旋くらいは仕立ててやるんだが……それが無い。一応、俺達を騎士団に誘い入れようとはしていたが、消極的に見えた。厄介ごとを片付けさせたいのは目に見えるが……あまりにもやり方が下手だ」
ランヴァルドが何よりも戸惑っているのは、領主の手の打ち方があまりに下手であることである。
自分達の身内を『竜殺しの英雄』にしたかったという理屈はあるにせよ、ランヴァルド達をすげなく扱うべきではないのだ。むしろ、ランヴァルド達を取り込んで『身内』にしてしまうべきであって、それが即決できなかったにせよ、ならば翌日、もっとしっかり囲い込むべく良い条件を出すべきであって……。
「あー、くそ、意味が分からん。意味が分からない状況なんだ。ネール、お前もそう思うだろ?」
ネールは『そうだそうだ』とばかりに頷いてくれるが、意味が分からない者がもう1人居たところで何も事態は好転しないのであった!
「……で、そこに『2匹目のドラゴン』の噂だ。これはもう、お手上げだな……」
……そうして今、『2匹目のドラゴン』の噂が出ている。こうなるともう、よく分からないことがよく分からないことに絡み合い、もう何も分からないのである!
「噂の出所は……山に居た山賊みたいな奴か?となると、山に入るとドラゴンだけじゃなく賊も居るかもしれないのか。参ったな……」
賊に、ドラゴンに。実に厄介である。
更に、領主の心は分からず、ランヴァルド達は今のところ損はしていないが、功績の割には得もできていない。嗚呼、実に厄介である!
「まあ……俺達にできることは、とにかくドラゴンを狩ることだな。ドラゴンを狩っている分には、領主様も表立っては文句を言ってこられないだろうし、むしろ、2匹目まで倒したとなると、いよいよ俺達をキッチリ囲い込まなきゃならなくなるはずだから……」
ランヴァルドはそうネールに言い聞かせつつ、『これで次も領主の反応が芳しくなかったらどうすりゃいいんだ……』と頭を抱える。
なんとなく、なんとなくだが……脳裏に浮かぶのは、ステンティールの領主アレクシスである。彼がこの場に居たとしてもきっと、『どうしよう』と一緒に悩むばかりなのであろう。嗚呼、その様子がはっきりと想像できてしまうランヴァルドであった。
何はともあれ、ドラゴンだ。2匹目が居るなら2匹目を狩るしかない。
ということで、ランヴァルドとネールは翌日の朝から山へ向かうことにした。
「えーと、ドラゴンが出たって話だったが……相変わらず、魔力は薄いな。ドラゴンが居るとは思えないんだが」
前回、ドラゴン狩りの為に入った山であるので雰囲気は分かる。そして、魔力が薄いことも。
魔力の様子は相変わらずである。ドラゴンが生まれるような魔力は到底、無い。だというのにドラゴンが出たというのだから、やはりおかしな話なのだが……。
「ん?ネール、どうした?」
そしてネールは、妙にきょろきょろと辺りを見回して、首を傾げている。困ったような顔をしているので、ランヴァルドはそこらの木の枝を取って、雪の上に文字を書くように指示してみる。
すると。
『ドラゴン、いない』
ネールはそう書いて、途方に暮れたような顔をするのだ。
「まあ、そりゃ見つからないが……」
前回もこんな調子だったことを考えると、ネールがこんな顔をしている理由がよく分からないのだが……ランヴァルドが首を傾げていると、ネールは更に続けて文字を書く。
『この山、ドラゴンいない』
「……は?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまいつつ、ランヴァルドはネールが書いた文字の意味を考える。
居ない、とは。ドラゴンがこの山に居ない、とは……。
「居ない、って……え、お前、そういうのも分かるのか?」
ランヴァルドが聞いてみるも、ネールはぽやんとしているばかりである。……なんとなく分かるが理屈は分からない、といったところなのかもしれない。
「ということは、もうドラゴンは飛び立っちまった後、ってことか?だとしたら声の1つ、影の1つくらいは見つかっても良さそうなもんだが……」
ランヴァルドが訝しむ間も、ネールは困ったような顔をしている。やはり、理屈は分からないものの『ここにドラゴンは居ない』ということだけは分かるらしい。
「……まあ、お前がそう言うなら信じてみるか。ドラゴンが立て続けに2匹も同じところに出るなんてのも、おかしな話だしな」
結局、ランヴァルドがそう言えば、ネールは『信じてもらえた!』とばかり、嬉しそうに頷くのであった。
が。
「だがな、ネール。『居ないことを証明する』ってのは、ものすごく、ものすごく難しいんだぜ……」
ランヴァルドとしては、頭を抱えるしかない。
そう。何せこれは……一応は、領主から頼まれていることなので!
「……ドラゴンが居ないことを確認するためには、結局、この山の全部を見て回らなきゃならない。或いは……ドラゴンの目撃情報が嘘だった、ってことなら、その嘘を流した犯人を捕まえる、とかな」
在ることの証明は簡単だ。実物を見つけて持ってくればいい。今回でいうならば、ドラゴンの首が1つあればその証明には事足りる。
だが……無いことの証明というのは、何とも難しく、そして無駄が多いものなのだ。
この山にドラゴンが居ないことを証明するならば……山を全て虱潰しに探してようやく、『この山にドラゴンは居ない』と言える。だが山の奥まった岩の割れ目の奥までもを全て把握することなど、できようはずもない。
更には、『居なかった』と領主に告げたとして、『捜索の仕方が悪いのでは』と言われてしまえばそれまでだ。ランヴァルド達が捜索したという証拠もまた、得られないのである!
ならば、『嘘があった』という証明を得る方がまだ簡単にも思えるが……北部の人間はほとんどが酔っ払いの素質を持っているのである。そんな彼ら1人1人に話を聞いていくなど、まあ、無駄であろう。酔っ払いは自分が酔っぱらっている間に何を喋ったかなど一々覚えてはいない!
ということで結局、『この山にドラゴンは居ない』ということを証明することなど、実質不可能なのである。ランヴァルドは頭を抱えるしかないのであった!
……だが、転んでもただでは起きないのがランヴァルドだ。
「なら、領主様のお望み通り、『ドラゴンの方はいいから山賊の方』ってことにしとくか……」
そう。あっちが駄目なら、こっちをやるのみ。
幸い、領主は『ドラゴンより山賊優先で……』というようなことを言っていたではないか。アレもあの時は『ドラゴン狩りの栄誉は領主側のものにしたいし、野良の英雄には汚れ役である山賊狩りをやってもらいたいってわけだ』と解釈していたが……あれも違う理由があったのだろうか。
「ま、考えるだけ無駄だな。相手の思惑はその内割れるだろ。……よし、ネール。さっさと下山して、山賊が出るっていう山に向かうぞ。で、今日は山の中で野営だな……」
ランヴァルドはため息を吐きつつ、さっさと歩き出す。……この山から山賊が居るという山までは、ロドホルンを挟んで反対側である。
随分と無駄に歩かされた訳だが……これ以上、この山で無駄に時間を過ごすよりは余程マシというものだ。最早利益が見込めないと見えれば、そこまでに労力や金銭をつぎ込んでいたとしても、さっさと手を引くべきなのである。商売の基本だ。
「山賊か……。ああくそ、ネール、お前、殺さずに倒すことはできるか?ん?ああ、やったことがないか。そうか……」
ランヴァルドは山道を歩きつつ、ネールと話しつつ、『さて、どうするかな……』と次の商売を考えるのであった。
冬の北部で野営するのは半ば自殺行為である。だが、きちんと洞窟の類を見つけて、出入り口を雪で塞ぐなりして風を防いで籠れば案外何とかなるのである。
つまり、冬の北部での野営は、如何に洞窟を上手く探せるか、というところにかかっているのだが……それすらもしないのが、ランヴァルドである。
「どうだった、ネール」
斜陽の煌めきを受けて長く影を落とす木々の上から、ネールがぴょこんと降りてくる。ネールは高い木に登って、周囲の様子を見まわしていたのだ。何を探すためかといえば……『煙』である。
この冬の山の中、賊が生活するのならば、間違いなく火を焚くだろう。煮炊きのためではなく、暖を取るためだ。
つまり、煙が上がっているところがあれば、そこに賊の拠点がある、というわけであって……。
「成程、あっちか。でかしたぞ、ネール」
そしてネールは、『あっち!』と指差して胸を張る。ランヴァルドがその頭を撫でてやると、ネールはなんとも嬉しそうな顔をして、てくてくとランヴァルドの後をついて歩き出す。
「これで今晩の宿はなんとかなりそうだな」
……ランヴァルドは賊退治をした後、賊の拠点を奪ってそこで野営することに決め込んでいる。
ロドホルンで一泊するより速いし安い。いいことづくめなのだ。
そうして山の中、雪をさふさふと踏みしめながら歩いていく。……これには少しばかり、ネールが苦労している様子だった。
まだまだ冬の初めとはいえ、既にあちこち、足首が埋まる程度には雪が積もっている。深いところはランヴァルドの膝まで雪だまりになっているだろう。そんな中を進むのだから、ネールはなんともやりづらそうであった。
……この様子を見るに、やはりネールは北部出身ではないのだろう。北部出身の者ならばだれでも、雪の中を歩く術は身に付けているのだから。
「ネール、俺の横じゃなくて、後ろを歩け。俺の足跡の上を歩くようにすりゃ、多少は歩きやすいだろ」
仕方ないので、ランヴァルドはネールを自分の後ろに配置することにした。途端、ネールの歩く速度が上がったので、余程歩きづらかったのだろう。
振り返って確認してみれば、ネールはなんともご機嫌であった。にこ、と笑いかけてくるので、ランヴァルドは『もう少ししたら賊が出るだろうから、その時は頼むぞ』と言い置いて、また進む。
雪の上に2人分の行列が長い影を落とし、2人分の足音がさふさふと響く。
ランヴァルドはぼんやりと、かつて幼い自分が実の父親と歩いた時のことを思い出した。あの時、自分は父の後ろを歩いていたのだったか。今の、ランヴァルドの後ろを歩くネールのように。
……そんなことを考えながら歩いていたところ、ふと、ネールがランヴァルドの背後から飛び出した。
その直後、ひゅん、と風を切る音がして矢が飛んできて……その矢は見事、ネールのナイフに弾き飛ばされた。
立て続けに、もう1本、2本、と矢が飛んでくる。1本はネールがまた弾き飛ばし、もう1本は身を屈めて避ける。
化け物じみた挙動で矢を凌いだら、ネールが早速、飛び出していく。
雪の上では足場が悪いと判断したらしく、木を足場に、まるで鳥のように宙を進んでいく。そして矢を放った者、その人へと肉薄し……。
……ネールの目に、迷いが生じた。
「待て!ネール!殺すな!」
ランヴァルドもまた、ほぼ同時に声を上げていた。
何故なら……弓に次の矢を番えようとしていたその人に、見覚えがあったからである。
琥珀色の瞳に枯れ草のような褪せた金髪。北部人らしい身長と立派な体躯。
……ついこの間、酒場で笑っていたあのエリク・ノルドストレームに見えた。




