駆け引き*4
ランヴァルドは夜中になってようやく、酒場から解放された。
何せ、『竜麟亭』には後から後から『ここにドラゴン殺しの英雄が居るってのは本当か!?』と人が駆けつけてくるものだから、その度にランヴァルドは話をせがまれ、事実を大分捻じ曲げた物語を語って聞かせてやる羽目になったのである。
物語を語ったのは1度だけではなかった。3度、4度、と繰り返し語らされたものだから、まあ、大分疲れた。
……だが、その甲斐はあっただろう。
今や、ドラクスローガの人々の多くが、ネールのことを『竜殺しの小さな英雄』として知ることになった。そして、その大分脚色され、尾ひれがついた竜殺しの物語は、人々の心に深く突き刺さったようである。元々が竜殺しに憧れる人々の多いこのドラクスローガでは、当然のことだったかもしれない。
また、ランヴァルドは敢えて、ドラクスローガのドラゴンを倒した時の話をあっさりと済ませたのだが、これも良かった。
『詳しいことは他の奴らに聞いてくれ。俺よりよく見ていた奴も居ただろうし』と言ってやれば、エリクやその他、烏合の討伐隊の皆に人々が殺到した。そして、酒が入って饒舌になったエリク達がまた、随分と尾ひれを付けたネールの英雄譚を話してくれるものだから、まあ、盛り上がったのである。
……そうしてランヴァルドは、一晩にしてロドホルンの、そしてドラクスローガ領全体の英雄として、ネールの名を定着させることに成功したのである。
ランヴァルドが『ああ、ネール。お前、もう眠りかけてるな?全く、ドラゴン殺しの英雄もこうしてみるとまだまだおチビだ。……じゃあ悪いがこいつが眠いみたいなんで、俺達はここらで失礼するよ』とホールを抜け出した後も、人々は飲んで食べて騒いで、そしてネールの偉業を褒め称え続けていた。
更には、翌朝、ランヴァルドとネールが起きた頃には既に、表通りで『そういえば聞いたか?例のドラゴンが討ち取られたらしい!しかもそれをやったのは小さな女の子だそうだ!』と噂が囁かれていた。
……狙い通りである。
冷夏と賊のせいで閉塞感のあるこのドラクスローガ領において、美しい少女の華々しい英雄譚は、ほぼ唯一の明るい話題であり、娯楽である。当然、広まるのも速く、民衆に受け入れられるのも速い。
それを、領主ドグラスは計算できていなかった。
……そのツケは、これから支払ってもらわなければならない。
そうして翌日。
ランヴァルドとネールが領主邸前の広場で待っていると、エリク達、烏合の討伐隊がやってきた。
……何人かは二日酔いのような有様に見えるが、まあ、それは気にしないものとする。どうせ領主も気にしてはいられまい。
「よし、じゃあ行くか」
「あ、ああ……あの、マグナスの旦那?俺達は一体、何のためにもう一回領主様のところへ……?」
「なんだ、あんたら分かってなかったのか……?」
エリクの言葉を聞いてランヴァルドは『おいおい、二日酔い以上にそっちが心配になってきたな』と頭を抱えつつ……一応、これだけは伝えておこうと口を開く。
「まあ、なんだ……昨日、俺達はドラゴンの素材を売って稼ぎはしたが、『領主様から』の報酬は出なかった。だが領主直々に討伐隊を結成するくらい、今回のドラゴンは厄介な相手だったし、実際、何人も殺されてるわけだ。それを倒した俺達には、せめて『治安維持に貢献した褒賞』として、何かが出るべきなんだよ」
ランヴァルドがそう説明してやると、エリク達は『ほええ』となんとも間の抜けた顔をしていた。
……依頼が出て討伐対象になる魔物が居ることくらいは知っているだろうに、どうも彼らは、精々が森で鹿を仕留めた時と同じようなものだと考えていたようだ。つまり、仕留めたドラゴンこそが報酬であり、その上で何かが出るとは思っていなかった、と。
「ま、昨日は突然のことだったからな。改めて今日、領主様から何かを頂けるだろう、ってことだ。ついでに、まあ……俺達が持ってるドラゴンの素材を売ってくれ、とも言われると踏んでるが」
「そ、そうなのか?なら昨日、マグナスの旦那が売っちまったのは……」
「ああ、あれはいいんだ。領主様も直々に許可をくださったことだしな。ただ、やっぱり気が変わった、と今日言われるだろうから、俺は大きな牙や角、綺麗な皮なんかは売らずに残してあるんだ」
ランヴァルドが説明してやってようやく、エリク達は『おお』と納得半分、尊敬半分の顔をランヴァルドに向けるようになる。……まあ、半分程度しか理解していないのだろうが、それはもうよいものとする。
「そういうわけだ。堂々としていることだな。俺達は『竜殺しの英雄』だ。褒められこそすれ、貶されるような謂れは全く無いんだからな」
ランヴァルドはにやりと笑って、領主邸に向けて歩き出す。門番はランヴァルド達のことを予め聞いていたのだろう。特に何も咎められずに門を抜けることができたのだった。
そうして領主邸に踏み込めば、昨日と同様に謁見の間へと通される。そしてやはり昨日同様、領主ドグラスがやってきて、玉座に座った。その様子を、膝をつき、頭を垂れつつ横目で見ていたランヴァルドは、『ああ、憔悴してらっしゃるなあ』とにんまり笑う。……領主ドグラスは、幾分疲れた顔をしていた。
「……よし、顔を上げろ」
領主の言葉に従って顔を上げれば、やはり幾分疲れた顔で、しかし、それでも領主ドグラスは気丈に振る舞っていた。
「此度の貴殿らの働きは見事なものであった。このドラクスローガに突如彗星の如く参じ、この地に巣食う悪しき竜を、まるで伝説の如く倒したこと、それによってこの地に平和をもたらしたことを称えよう」
「勿体なきお言葉です」
領主の言葉は昨日より淀みない。大方、補佐官と打ち合わせて決めたのだろうが。
「して……まあ、そういうわけだ。貴殿らには褒賞を出そうではないか。……代表の者、前へ」
そうして領主は少々苦い顔でそう言うと、傍に控えていた者から袋を受け取り、壇上からランヴァルド達を、じっ、と見下ろす。
領主の目は間違いなく、ランヴァルドへ注がれている。それはそうだ。ランヴァルドがずっと喋っているのだから、ランヴァルドがまとめ役だと思っているはずである。まあ、あながち間違いではない。間違いではないのだが……。
「ネール。領主様がお呼びだ。行ってこい」
ランヴァルドが小さく耳打ちした結果、ぴょこん、と立ち上がったネールが、堂々と一礼して、堂々と領主の前へ進み出た。……これには領主もなんとも驚いた顔をしている。全く予想していなかった相手が来た、とでも思っているのかもしれない。
「そ、そうか。お前が代表者か……その、ふむ、うーん……」
ネールが堂々としているのを見て、また、ネールが優雅に一礼して見せるのを見て、領主ドグラスは大層戸惑った様子であった。
だが、ランヴァルドをはじめとして、エリク達もまるで何も文句を言わない。目配せすらせず、むしろ、領主の前に出たネールを尊敬の眼差しで見つめるばかりである。
……昨夜から領主の館にこもり切りなのであろう領主ドグラスには、昨夜このロドホルンを風靡した『竜殺しの英雄ネール』の物語を知らないのだから無理は無い。だが、知らないのはあまりにも致命的である。民衆の心を理解する必要は無くとも、利用する必要はあるのだから。
そして、更に。
「……うむ。貴殿らの働きは実に見事なものであった。これが褒賞だ。受け取るがいい」
差し出された革袋をネールが受け取ったその瞬間を見たランヴァルドは、『……金貨10枚程度!20枚以上はありえない!』と即座に判断した。ランヴァルドは袋に入った金貨の枚数を、持てばほぼ確実に判別できるが、見てもある程度までは分かるのである。守銭奴なので。
……領主はこうして、致命的な過ちを2つ、犯したことになる。
そう。『世紀の竜殺し相手に出した褒賞が大層ケチ臭い』というのは、あまりにも致命的であろう!
だが、ランヴァルドが今ここで『褒賞が少ない!』と騒ぐわけにはいかない。ネールはきょとんとしているが、ネールから文句が出ようはずもない。そもそもネールは喋れないのだから!
「あー……これに加えて、貴殿らには栄誉を与えよう」
ランヴァルドが頭の中で算盤を弾く中、領主ドグラスは更に言葉を続けた。
「ドラクスローガ騎士団への入団を許可する」
……ランヴァルドは内心で、『お断りだクソ野郎!出すならそんなつまらん栄誉より金を出せ!金を!或いは勲章くらい出せ!』と罵声を上げていたが、表向きはただ表情を引き締めるのみに留めた。
面の皮の厚い悪徳商人は、こういう風に面の皮を制御するのも得意なのである。
「今、北の山間部の集落が、賊に襲われていてな……その賊を討伐するための討伐隊を編成しているところなのだが、何分人手が足りないのだ」
ランヴァルドは『あーはいはい知ってる知ってる』と嫌気が差しつつも領主の話を聞く。尚、ネールはぽかんとしているし、エリク達は話がほぼ理解できていないのだろう。戸惑った表情でおろおろしている。
「本来ならば騎士団には、選ばれた精鋭しか入団することはできん。だが、貴殿らには特例での入団を認めよう。どうだ。栄誉あるドラクスローガ騎士団へ、入団しないか。賊の首を狩り、民からの憧れと尊敬を一身に浴びて、ロドホルンの大通りを凱旋したいとは思わないか?」
……要は、領主はドラゴン殺しの英雄を自分の身内として取り込みたいのだろう。それもそのはず。今、ネールはもちろん、この中の誰もが領主の配下ではない。皆が皆、風および根無し草のように自由な存在なのである。
これは領主としては少々やりづらいだろう。だからこそ、領主はこちらを騎士団として取り込みたいのだ。
同時に、本当に人手不足でもあるのだろうが。……ランヴァルドは、『まあ、この領主のところだったら賊も増えそうだよなあ』と大いに納得した。
「どうだ。騎士団に入団したならば、待遇も保証できる。十分に冬を越せるだけの賃金は出せる。食事と寝床もこの城の宿舎で世話ができるぞ」
さて。
ランヴァルドは少々悩む羽目になる。というのも……条件はまるで魅力が無いのだが、それでも、『領主直々に討伐依頼を出した賊を狩る』というのもまた、ネールに箔をつけるために丁度いい仕事だからである。
騎士団への入団となるとしがらみばかりが増えそうではあるが、ここで1つ、ドラクスローガでも恩を売っておくというのも悪くはないだろう。
北部の領地を1つ、ドラゴンからも賊からも救ったならば、流石に国王陛下にまで話が届くだろう。そうすれば、ネールが所領を賜れる可能性も高くなるというものだ。
……だが、この領主ドグラスは、どうも、直接は利益を齎してくれなさそうな人物である。ランヴァルドとしてはタダ働きなど御免なので、できる限り、待遇を引き上げさせたいのだが……。
或いは、うっかりネールが首を横に振る前にランヴァルドが上手いこと、『騎士団への入団はできないが、賊退治はやります』というように話を持っていくしかない。さてどうするかな、とランヴァルドは考え始め……。
「あー……その、俺はやめときます」
何故か、エリクが先に発言していた。
「その、あんまりにも畏れ多いんで。へへへ……」
エリクが気まずげに笑うと、他の烏合の集団も、『俺も』『俺にも勿体なさすぎるお話なので……』と次々に辞退していく。
これは少々、不思議であった。ランヴァルドは少々、首を傾げたくもなる。
……この烏合の討伐隊の連中は、ドラゴン狩りに賭けるしかないような連中であったはずだ。つまり、大金を手にするか、死ぬか、という道を選んだのだ。
そんな連中が、安定して給金の出る、そしてドラクスローガ領内では間違いなく一定以上の地位を得られる職である騎士団への入団を辞退する、とはどういうことだろうか。
まあ、『身に余る』ということは確かだろう。狩人をやっているというエリクですら、然程強くないようである。賊の集団と戦って勝てるとも思えない。そんな自分達の実力を鑑みての辞退であるなら、まあ、理解はできるのだが……。
「そうか……。では、そちらの……あー、黒髪の。お前はどうだ」
やがて領主の目はランヴァルドへ向く。まあ、1人でも確保しておきたいのだろうな、と思われる。
「私はしがない旅商人ですので、お役に立てるとは思えません。しかし、こちらのネールであるならば、実力も確かですし、お役に立てるかもしれません」
ランヴァルドはひとまずそう発言して時間を稼ぐと、ネールがこちらを見たのに目を合わせて、小さく頷いてみせた。するとネールは、ぱっ、と表情を輝かせて頷く。……人助けが大好きなネールはこうなるだろうと思ったのだ。予想通りである。
「騎士団への入団は、辞退いたします。しかし、この地の平和を取り戻すために尽力することについては、是非やらせていただきたい」
そして、ランヴァルドがそう言いきれば、ネールは笑顔でこくこくと頷き、そして領主は『これはこちらの要望が通ったのか?通っていないのか……?』となんとも複雑そうな顔をするのであった。
……そして、エリク達は、なんとも複雑そうな顔をして、曖昧に笑みを浮かべていた。