魔獣の森*1
二人は朝食を摂り、それから宿を辞した。そのまま向かう先は、買取の店である。
流石に魔獣の森を近くに有するカルカウッドともあって、買取をやっている店はいくつかある。その中である程度信用できる店なら、まあ、どこでもいい。ランヴァルドは宿の女主人に紹介された店の戸を叩いた。
「いらっしゃい」
からん、とドアベルを鳴らして店に入れば、如何にも誠実そうな店主が顔を出す。ランヴァルドもそれに合わせて、如何にも誠実そうな顔をしておいた。
初めて会う相手と取引する時、ランヴァルドは相手に合わせた態度を取ることが多い。誠実そうな相手なら誠実なふりを。多少薄汚いことをするような相手なら、薄汚いことをしてやればいい。だから今回は、まあ、悪徳商人の顔は引っ込めておくことにする。
「買取ですか?」
「ああ。こちらを」
ランヴァルドは早速、自分の懐から大切にしまっておいた鋼鉄鷲の尾羽を出した。魔石はまだ、出さない。今後、また魔獣の森に行って稼ぐようなことがありそうな以上、怪我への備えはあった方がいい。
「ほう!これはいい尾羽ですね。これを矢羽根にすれば、本当によく、真っ直ぐ矢が飛ぶだろうなあ……」
店主は早速、鋼鉄鷲の尾羽の状態を確認していく。ネールはその間、店内をきょろきょろ、と見回したり、カウンターの上の尾羽を見てみたり、とそわそわしている。彼女にとってこうした『ちゃんとした』店は馴染みが無いのだろう。だからこそ、昨日のような裏通りのああいう店でぼったくられていたのだ。
「ふむ……これならば、銀貨3枚でいかがですか?」
「ああ。それでいい」
そうして、鋼鉄鷲の尾羽数枚は、それだけで銀貨3枚の値になった。要は、これだけで3日ほど宿に泊まって食事を得られる、というくらいの値段である。小遣い稼ぎとしては上等だ。
「ところで、売っているものがあったら見せてほしいんだが……」
「ほう。何をお探しですか?」
「まあ、色々と。商品を含めて、荷物を一式失くしてしまってね」
ついでに売っているものも見てみることにする。薬や包帯の類や鞄……そういった品はごく僅かで、何よりも多いものは、やはり魔物の素材や魔石の類。つまり、魔獣の森の恵み、という訳である。
ランヴァルドはそれらを見て商品を選ぶふりをしながら、一通り、商品の品質と値札とを頭に叩き込んだ。やはり、ランヴァルドの記憶よりも幾らか、価格に変動がある。……つまるところ、このカルカウッドでは今までネールが高級品を安値で買い叩かれていたために、需要と供給の均衡が他の都市とは違うのだろう。
ランヴァルドのような旅商人は国中に居る。だが、それだって、都市と都市との間での流通には限界がある。南の都市で供給過多になっているものが北の都市で需要過多になっていることだって珍しくないのだ。
「この背嚢を貰おう。中々質がいいな」
そうして相場を覚えたランヴァルドは、背嚢に目を留めた。荷物を全て失ったランヴァルドが最初に手に入れなければならないものは、荷物を詰めるための鞄の類なのだ。
「ええ、お目が高いですね。これは魔獣の森の魔物の皮で作ってあるものですから、こんなに薄いのにとてつもなく頑丈なんですよ。軽くて丈夫でしなやかで、使い勝手がいい。銀貨6枚でお譲りします」
……ランヴァルドは、少々迷う。銀貨6枚、というと、まあ、そう安いものではない。だが、これから長らく使うことになるであろう背嚢だ。品質の良さもあり、まあ仕方が無いか、と思う。
だが……足掻けるところは足掻く。
「なら、隣のもう少し小さいのと合わせて2つで金貨1枚ってのはどうだ?」
ランヴァルドは、値切れるところはきっちり値切りたい。少しでも得を取りたい。そういう性分なのであった。
「ほら」
そうして店を出たランヴァルドは、買ったばかりの背嚢をネールに渡した。
ネールはぽかん、としながら背嚢を受け取る。……そしてまた、ぽかん、とランヴァルドを見上げるのだ。
「背嚢。今のじゃあ使い勝手が悪いだろう?こっちを使え」
ネールはよく分かっていない様子であったが、上等な革のしなやかな手触りに、ほわ、とため息を吐いて目を輝かせた。
「お前は俺の雇い主なんだからな。ちゃんとした装備で効率よくやってもらわなきゃ困る。言ってみれば、これは俺からお前への投資だ。気にせず使ってくれ」
ランヴァルドの言葉の意味も、理解できているのかいないのか。それはさておき、ネールは花が綻ぶような笑顔で頷くと、早速、ランヴァルドが渡した背嚢を背負い始める。ランヴァルドはそれを見て大いに満足した。
……背嚢は、大切だ。特に、魔獣の森で稼ぐのならば。
集めたものをどれくらい持ち帰れるかは、背嚢にかかっている。容量が必要なのは勿論、背嚢自体が軽ければより良い。それでいて丈夫でなければならない。
ランヴァルドは、『すぐに背嚢の元を取ってやるさ』と意気込んで、次の店へ向かう。
それからランヴァルドは、ネールを伴ってあちこちで必要なものを買い集めていった。
まずは着替えをもう一着ずつ。続いて薬や包帯の類。干し肉やビスケットといった携帯食の類に、水筒、瓶。それから、紙やペンやインクや手帳、櫛や剃刀、手鏡、爪を整える小さなナイフ……といった、商人に必須の道具類も。
……そうしたものを一通り買い集めて、ひとまずランヴァルドは再び『ふりだしまで戻る』ことができた。脚の腱を切られて魔獣の森に置き去りにされた昨日から考えてみれば、『ふりだし』に1日足らずで戻ってきたことは奇跡と言えるだろう。
「さて……ネール」
だが、『ふりだし』で満足するようなランヴァルドではない。早速ネールに話しかけてみると、ネールは嬉しそうに顔を上げて、ランヴァルドを見つめるのだ。実にいい。やる気のある無知な雇用主というものは、実にいい。
「この後、飯を食ったら魔獣の森へ行ってみよう。いいか?」
ランヴァルドがそう問いかければ、ネールは笑顔で頷くのだった。
カルカウッドから魔獣の森までは、歩いて1時間かそこらである。少し早めの昼食を摂ってから町を出れば、正午を少し回った頃にはもう、魔獣の森に到着していた。
「よし……じゃあ、いつもお前がやっているみたいにやってくれ。ただし、俺は戦えないからな。護衛は任せるぞ。教えた方がいいことがあれば、その都度教える」
ランヴァルドは少々の緊張と共にそう言って聞かせる。するとネールは、こくん、と頷いた。
……まあ、昨日、魔獣の森を抜けるまでの間の護衛の様子を見ている限り、ネールは十分、護衛としてもやっていけるように思われた。だから大丈夫だ、とランヴァルドは自分を奮い立たせて、ネールと共に魔獣の森へと踏み入っていく。……つい昨日、信頼できるはずの護衛に裏切られた身としては無謀なようにも思われたが、『危ない橋』を渡ることには定評のあるランヴァルドなのである。
……魔獣の森は今日も薄暗く、魔力に満ちている。
この国には各地にこうした魔力の多い場所があるが、その中でもこの『魔獣の森』は、そこそこの規模であった。
魔力が多いということは、魔力による産物が多いということ。森の奥へ踏み入ればそこは、希少な薬草や鉱石、最高級の果物や霊水といった品物の宝庫だ。
……だが、魔物の巣窟でもある。
魔物とは、獣の類が膨大な魔力に晒されて変異したもの。或いは、純粋な魔力から生まれ出でた生粋の化け物。それらの総称である。
大抵、人を襲う。それでいて、普通の獣などとは比べ物にならない程に、強い。
魔力によって毛皮は強靭に、爪や牙は鋭くなっている。その骨も、筋肉もそうだ。
だから魔物は、ランヴァルドのように護身術を少しやったことがある程度の者がまともに戦う相手ではないのだ。
だから大抵の冒険者は、森の浅いところを行ったり来たりして獲物を探すものだ。森の浅いところならば、魔物は出にくい。出たとしても、そこまで強い魔物は出てこない。魔物を魔物たらしめるものは、魔力である。よって、より魔力の濃い森の深部の方が、より強い魔物を生み出しやすい、という事になる。
だが同時に、強い魔物の方が価値が高いのだ。金剛羆もその例だが、濃い魔力によって変性した魔物の牙や毛皮は高く売れるのである。冒険者の中でも腕の立つ者達は、敢えて森の深部へ潜っている。ランヴァルドが雇って裏切られた例の護衛達も、そうした腕の立つ冒険者であった。
……そして、ランヴァルドは森のどこへ向かうかと言えば……ネールを伴ってまっすぐ深部を目指す。危険はどうでもいい。とにかく、金だ。金を稼ぐために、深部へと向かうのだ。
魔獣の森を歩いて少しすれば、案の定、魔物が襲い掛かってきた。
それは、樹皮のような奇妙な鱗を持つ大蛇である。だが、大樹蛇と呼ばれるそれに向かってネールが駆け出したと思ったら、次の瞬間にはもう、ネールのナイフが大樹蛇の首を刺し貫いていた。実に仕事が早い。
「ああ、待て。こいつの牙を採るなら、その前に毒を採った方がいい」
そして、早業のネールは早速大樹蛇の牙を抜こうとしていたので、ランヴァルドは慌てて、小瓶片手に大樹蛇の死体へと向かっていく。
「いいか?こういう風に、瓶を牙に押し当てておいて、それから目の後ろ辺りを押すんだ。そこに大体、毒腺がある」
ランヴァルドは説明しながら説明通りに動き、そうして、大樹蛇の毒を採る。牙を伝って毒が滴り落ち、小瓶はすぐに満たされた。
「反対側の牙の方もあるからな。やってみろ」
瓶を渡してネールにやらせてみると、ネールは緊張した様子ながらもランヴァルドがやっていた通りに動いて、見事、大樹蛇の毒で小瓶を満たすことができた。……ネールは無知でこそあれ、愚かではない。教えればそれなりに伸びそうだ。ランヴァルドは少々、安心した。
「毒を抜き切ったら牙を抜くぞ。大樹蛇の皮は大した値にならないからな、残りは捨て置こう。他の魔物の餌になるだろうから」
ほら、と空の瓶を渡せば、ネールはこくこくと頷いて、喜んで大樹蛇の採毒に取り掛かっていく。二本目の小瓶に移る頃にはネールの手つきも慣れたものになっていき、そうして大樹蛇の毒腺が空っぽになる頃には、すっかり手慣れた様子になっていた。
続いて牙を抜いていくが、こちらは既に何度もやっていると見えて、実に鮮やかな手さばきであった。ランヴァルドは『本当にこいつはこれで生きてきたんだな』と少々複雑な気分になる。まあ、痛ましいことだ、と思う程度の良心も、無い訳ではない。普段はできるだけ、意識の外に押しやっているが。
……そうしてネールの採取風景を見ていると、ふと、背後から気配がした。
「っと」
ネールが気づいて動くより先に、近かったランヴァルドが動く。
……随分と久しぶりに、剣をまともに抜いた気がする。ランヴァルドは自嘲混じりの笑みを浮かべて、付け焼刃ではない……だが然程のものでもない剣術を、思い出すことになる。
幾らかの、かつての記憶と共に。




