駆け引き*2
ドラクスローガ城の謁見の間は、黒大理石の床と深紅の絨毯が印象的であった。華やかだ、とも、格調高い、とも、派手だ、とも感じられる内装である。
……ランヴァルドが以前、まだ幼い頃にこの城を訪れた時は、『厳めしい』という印象だったことを思い出す。それと同時に、今は『派手だな。少し趣味が悪い』とも思うのだが……よくよく思い出してみれば、昔はこの部屋の燭台が鉄でできたものだったように思う。だが今は、黄金細工の華やかなものだ。
燭台のみならず、昔からは細かな部分が少しずつ変化しているのだろう。それらが少しずつ、この部屋の印象を変えている。
……或いは当時からはランヴァルドの面の皮の厚さが大分厚くなった、というせいかもしれないが。
「ドラゴンを討ち取ったのだな」
現領主、ドグラス・フィン・ドラクドダーレは北部人らしい色素の薄い薄青の瞳を細め、ランヴァルド達が持ってきたドラゴンの首を見つめた。
「はい。こちらの首を、領主様に献上いたします」
ランヴァルドはこの程度の謁見には慣れたものなので、堂々と振る舞う。腰に佩いた剣も相まって、それなりの身分を持つ……つまり、信用がある程度ある人間に見えているだろう。そしてネールもステンティールでお嬢様のふりをしていた経験が見事に活かされ、堂々と、それでいて美しい所作である。
……一方、エリク達はこのような場には全くの不慣れなのだろう。おどおどとして、少々見苦しくもある。まあ、彼らは本来ならば、領主の前に出ることなど生涯で一度も無いはずだったのだ。それがまかり間違ってこのように謁見の間に居るのだから、彼ら自身の混乱はいかばかりであろうか。
「そうか、そうか。ならば確かに、ドラゴンの首を貰い受けよう。……して、どのように討ち取ったのだ?相手はドラゴンだ。それも、伝説のドラゴンが蘇ったのでは、などと言われるほどの大物だったと聞くが」
領主ドグラスは、後ろに並ぶエリク達より話ができそうなランヴァルドのみを相手に喋ることに決めたらしい。まあ、これはランヴァルドの予想通りであるし、エリク達も文句は無いだろう。彼らがもし領主直々に声など掛けられたなら、緊張のあまり気絶しかねない。今もそんな顔をしている!
「では僭越ながら……」
よって、ランヴァルドが喋ることになる。領主相手に礼儀は整っていても物怖じしない態度で居るのは、この方が北部人に受けが良いから。そして何より、こちらの価値を安く見積もられないためであり……これからの話に、より興味を持たせるためだ。
「『彼女』が如何にしてドラゴン殺しを成し遂げたか、お話しさせていただきましょう」
「……『彼女』、だと?」
案の定、領主ドグラスは目を見開いた。
続いて、その目を向ける先は……ネールだ。
ネールはこの場に似つかわしくない幼さでありながら、この場の誰よりも美しく凛としている。ある種、異質なものにすら見えるだろう。
「はい。此度、ドラゴンを殺したのはこちらの少女……ステンティールにて白刃勲章を賜った、このネレイア・リンドにございます」
ランヴァルドが紹介すれば、事前に打ち合わせたわけでもないのだが、ネールは自然と、美しい所作で一礼して見せた。……ランヴァルドは心底、ステンティールでの諸々に感謝したくなった。ああ、見栄えがする!そうだ、英雄は強くなければならないが、同時に、美しくもあるべきなのだ。その方が……売れる!
「……冗談を言っている訳ではないようだな」
「はい。彼女の力はこのドラゴンの首と……白刃勲章が証明してくれるかと」
ランヴァルドは内心で、『ああ、やっぱりネールに勲章を、と提案してよかった!』とほくそ笑む。このような場で、ネールの胸の勲章は本当によく映える。そして彼女自身の実力を裏付けるものとして、こんなに有用なものもあるまい!
「そうか……よ、よし。では続きを話せ」
「はい。それでは……我々がドラゴンを発見し、矢を射掛け始めたところから」
領主ドグラスは、『ネールがドラゴンを殺した』ということについて半信半疑な様子であった。だがそれでも一応は話を聞くつもりらしい。
……そうしてランヴァルドが騙ることになる『物語』の筋書きはこうだ。
ランヴァルドやエリク達が矢を射かけ、ドラゴンの気を引いた。当然、怒り狂ったドラゴンは愚かな人間達を殺すべく、炎を吐き、爪を繰り出し、牙を剥く。
だが、そうしてドラゴンの意識が完全に逸れた瞬間を狙って、ネールが躍り出る。ドラゴンは全く意識していなかった方向からの襲撃に反応しきれず、片目を失うことになった。
そしてネールは金色の光を纏って、まるで天の御使いが裁きを下すかの如く、ドラゴンの首へナイフを振り下ろし……その不思議な力によって、ドラゴンの首を落としたのだ……と、まあ、そんな具合に、ランヴァルドは話して聞かせた。
エリク達にも功績があったかのように偽装してやったし、ネールの力についてはその全てを語ることなく、意図的に少々割り引いて話してやった。
そして何より、『英雄譚』に相応しくなるよう、話し方に緩急をつけ、如何にもそれらしく仕立ててやったのだ。ランヴァルドは内心、『俺は吟遊詩人でもやっていけたかもしれないな』などと思う。
「成程な……そのような力が、その娘にあるというのか……」
「はい。ステンティールの岩石竜を退治したのもこのネレイアです」
ランヴァルドが堂々と告げれば、領主ドグラスはネールをちらりと見て、ふむ、と唸る。
……ネールの実力を疑おうとも、ここにあるドラゴンの首は本物だ。そして『ドラゴンの首だけ誰かから奪い取った』と言うにも、その『誰か』には思い当たらないはずである。何せ、領主直々に出す予定であった討伐隊は、未だロドホルンを出発していない。
そして何より……ネールの胸には、燦然と輝く白刃勲章がある。ネール自身は『綺麗なブローチ』という程度に思っているのかもしれないそれが、ネールを『少女』から『英雄』へと変えてくれるのだ。
「そうか、まあ、よい。よくぞドラゴンを討ち取ってくれた。それで、あー……」
やがて、領主ドグラスは歯切れ悪く何かを言いかけ、側近と何か、ひそひそと話し、それから一つ咳払いをすると改めてネールとランヴァルドとを見つめる。
「貴殿らの功績を、このドグラス・フィン・ドラクドダーレが称えよう。そして……此度の働きへの褒賞は、追って連絡しよう」
そして続いた言葉に、ランヴァルドは『おいおいおい』と少々拍子抜けし、同時に微か、反感も覚える。
……ドラゴンが出た、と噂になってから、もうそれなりに時間が経っている。少なくとも、1日や2日ではないはずだ。その証拠に、既に多くの戦士達がドラゴン殺しを夢見てドラゴンの山へ向かい、そして、命を落とした者も多くあるのだ。
だというのに、出すものが決まっていない、ということは無いだろう。つまり……。
……この領主はどうも、褒美を出し惜しみしたいらしい。
「畏まりました。しかし我々はまだ宿は取っておりません。このままではご連絡を頂くにせよ、ご苦労をお掛けすることになると思いますが……」
「ああ、よい。それならば明日の昼、またここへ来るように。そこで正式に褒賞を出そう」
ランヴァルドは、『宿が決まっていないのでどこか宿を指定してそっちで人数分の部屋をとってくれ。それができないならこの城に泊めろ』と言外に主張したのだが、領主ドグラスはまるで気にすることなく随分と随分なことを言う。……良く言えば大らかだ。率直に言うならば、がさつである。
「そういうことでしたら今日一日、ロドホルンに滞在することにしましょう。あー……しかし、先立つものが無い者もおりまして。そこで、宿の支払いで町の方々を困らせぬために、どうか、ドラゴンの皮の一部だけでもこちらで買い取っては頂けませんか?」
仕方が無いのでランヴァルドは『こちとら今晩の金にも困る連中抱えてんだ。すぐに現金を寄こしな』というようなことを丁寧に言ってやる。不躾は承知の上だが、向こうの不親切が先である。この程度なら遠慮しない程度に、ランヴァルドの面の皮は厚い。
……だが。
「そういうことなら買い取りをやっている店を紹介しよう。そこに持っていけば値が付くはずだ」
領主ドグラスはにべもなくそう言ってのけたのであった!
良心も気遣いも何もあったものではない!いっそ、良識が無いと言ってもよいだろう!
ついでに……ドラゴン殺しの英雄や、今ここにあるドラゴンの皮や鱗を利用しよう、というところにまで頭が回らない程度には、愚鈍であるらしい!
「分かりました。でしたら、買い取りについては私も心当たりがございますので、そちらで。領主様のお手を煩わせるわけには参りませんので」
ランヴァルドがそう申し出て恭しく一礼すれば、領主は面倒そうに頷いた。
一方、側近は何かに気づいたらしく、そわそわと落ち着かなげであったが、領主はそれに気づく様子も無い。やがて側近は進言しようかしまいか考えて諦めたらしく、大人しく姿勢を正してしまった。
……領主達には、ドラゴンの首や皮を買い取るだけの金が無いのかもしれない。何せ、これだけのドラゴンの皮だ。ドラゴンもどきの類ではない、純然たるドラゴンの、それも、『伝説のドラゴンではないか』と囁かれるほどの傑物のものなのだ。値を付けようと思って付けられるものでもない。
だからこそ、領主の立場であれば、今ここで『そこそこの金銭と名誉』と引き換えにドラゴンの首と皮と牙あたりまでを譲れ、とするのが最良の策だったのだが……ランヴァルドはにっこりと笑って、また深々と一礼した。
「ではまた明日、こちらへ伺います」
……金を出さない相手に用は無い。精々明日、ランヴァルド達が再び訪れた時には態度を一変させておいてくれるよう、暗躍してやるのみである。
城を出た一行は、何とも言えない顔をしていた。
ランヴァルドは思案中であったし、エリク達、烏合の討伐隊は皆、こんなことにはあまりに不慣れで、緊張が解けたまま、ふわふわとどこか夢見心地であった。夢見心地でありながら、『領主様のあれは一体、どういう意味だったんだ……?よく分からなかった……』などと話し合ってもいるのだが。
……さて。
ランヴァルドは考えを一旦まとめると、『仕方ねえな』と舌打ちしつつ、懐から金貨を3枚ほど取り出した。
「さて……エリク。またで悪いが、頼みがある。あんた達は、こいつで宿をとってきてくれ」
「え!?き、金貨!?」
そして、金貨3枚をエリクの手に握らせる。『金貨だ』と分かるように、ある程度他の連中にも見せながら渡したので、エリク1人が持ち逃げすることはできないだろう。全員で結託したらその時はその時だが、それはそれとして……。
「まあ、この人数が全員入る宿はそうそう無いだろうから、適当にバラけてもらって構わない。ただ、俺とネールは『竜麟亭』の、表通りに面した部屋で頼む。……いいか?」
「あ、ああ……分かった」
エリクは恐々と金貨を見つめて、『ひゃー』などと声を漏らしている。……もしかしたら、金貨を見たのは初めてなのかもしれない。
「宿代を払って、それでも余ったらその分は奢りだ。酒の代金にでも使ってくれ」
「ええっ!?いいのか!?」
「ああ、いい。あんたらには本当によく働いてもらったことだし……ここで会ったのも何かの縁だしな。また明日の昼頃、領主邸の前の広場に集合、ってことで頼む。領主様から褒賞を頂かなくっちゃな」
ランヴァルドが笑ってエリクの背を叩けば、エリクはまごまごと、何とも落ち着かな気な様子である。エリクはこんな調子なので、ランヴァルドより身長が高いはずなのに、どうも、見下ろされている感覚が無い。
「いいのか?俺達は何も……ドラゴン相手に、死にかけてただけだってのに。俺達まで、そんな、褒賞だなんて……」
「いいんだよ。こういうのは話がデカけりゃデカい方がいい。俺は、ネールさえちゃんと認めてもらえるんなら、他の誰が一緒に認められたって構わないんだ。なら、できるだけ大勢が良い目を見た方がいい。だろ?」
思ってもいないことをつらつらと話して聞かせて、それからランヴァルドはふと、『ああ、そうだ』と思い出したように言う。
「ただ……そうだな。縁ついでに一つ助言させてもらうなら、ドラゴン皮の類を売るのは明日以降にした方がいい。もしかすると、領主様が直々に買い上げたいと仰るかもしれないからな」
言っていることは半分ほど真実で、半分ほどは誘導だ。
否。正確に言えば……『半分ほど、これから真実になる』といったところだろうか。
「或いは、今ここで俺が買い取って、現金で分け前を出してもいい。尤も、こっちにもそんなに手持ちは無いからな。金貨50枚分くらいの限度にはなるが……どうする?」
「え?あー、うーん……うん!?金貨50枚!?」
「ああ。……おいおい、俺は商人なんだ。それくらいは持っていないと商売にならないんだよ」
武具の売り上げがあって良かった。ランヴァルドは心底ほっとしつつ、エリク達の様子を見る。彼らはこういったことには不慣れなのだろう。『まあ、すぐ金になるなら』と、ランヴァルドにドラゴンの素材を任せることにした者も多く居た。
……つまり、ランヴァルドがドラゴン素材を寡占することに大方成功した、ということになる。
「じゃあ、俺は宿をとってくる。ええと、あんたらのは竜麟亭の、大通りに面した部屋、だったな?」
「ああ。2階の入って左の部屋だと言えば店主にも分かるはずだ」
エリクに宿は任せて、ランヴァルドはドラゴン皮の方を預かる。ついでにそれらの運搬のために、何人かを駆り出して……さて。
「で、マグナスの旦那。あんたはどうするんだ?」
「俺達はこの後、広場でドラゴンの皮を売る。……俺は商人だからな」
エリクがきょとんとしている中で、ランヴァルドは『さて、せめて荷台くらいは借りたいところだが……』と周囲を見回し、早速、露店を畳もうとしているご婦人を見つける。あれを借りられれば丁度いいだろう。
……そうして、エリクが尚もきょとんとしているのに、にやりと笑ってやった。
「買い取りの店に行くよりも自分で売った方が勝算がありそうな時は、そうするもんだ」