雪国の竜殺し*4
「ネール。お前って奴は本当に頼りになるな……」
そうして、1時間後。
ランヴァルドとネールは、ドラゴンを発見していた。
……ここまでの案内は、ネールがやってくれた。どうやらネールは魔力を感じ取ることで、どちらに強い魔物が居そうか分かるらしい。おかげで、ほとんど迷うことなくドラゴンに向かって進み、ドラゴンを発見できた、という訳である。
だが。
「まあ……もう少し早い方がよかった、か……?」
ネールが『どうしよう』という顔をしている横で、ランヴァルドもまた、『どうするかなあ』という顔だ。
というのも……今、ドラゴンの前で、見知らぬ人間達が死にかけているので。
……今、ドラゴンを前に死にかけている者達を観察してみれば、概ね、彼らの正体は分かる。
あり合わせであろう装備に、寄せ集めであろう人員。……元々戦うことを生業としているわけではない者達が、生活苦から一縷の望みをかけてドラゴン狩りに出た、といったところだろうか。
ランヴァルド達よりも先にドラゴンに辿り着いたところを見ると、昨夜はこの近辺で野営していたのだろう。そしてドラゴンの声を聞きつけてここまでやってきて……そして、死にかけている。
ランヴァルドは少しばかり、考える。
……見殺しにした方が厄介が少ないだろうな、と。
今、ここでネールに『やっちまえ』と指示を出せば、ネールはすぐさまドラゴンを屠りにかかるだろう。そしてネールがドラゴンを仕留め、今戦っている連中が生き残ると……奴らの反応は概ね、2通りに分かれるはず。
『命を救われた』と感謝されるか、はたまた、『手柄を奪われた』と憎悪を向けられるか。
……今、目の前の連中はどう見ても勝ち目が無い。ドラゴンはまるで傷を負っているように見えないのに、人間の方はどう見ても手負いだ。放っておいたら死ぬだろう。
だが、こんな状況に追い込まれていても、後から『あのまま戦っていれば俺達がドラゴンを仕留められたはずなのに』と言い出す者が居ないとも限らないのだ。そうなった時には大変に厄介なわけで……それを考えれば、今ここで全員、見殺しにした方がいいのだ。死者は文句を言わないので。
もし文句を言われなかったとしても、感謝しかされないだろう。金を持っていそうには見えない。謝礼は期待できない。
だから、面倒ごとを避けるならば、ここで奴らを助けるべきではないのだ。
……だが。
嫌だ、死にたくない、と声が聞こえる。
ドラゴンが吐き出す炎に巻かれて悲鳴を上げ、地面を転がりながらなんとか火を消そうとしていたり、はたまた、ドラゴンの爪か何かにやられたのであろう傷を押さえて必死に血を止めようとしていたり。
……痛々しいものである。見ていて気分の良いものではない。
そして、『見せていて』気分のいいものでも、ない。
「……ま、お前は助けに行きたいんだもんなあ、ネール……」
それに加えて……どのみち、ランヴァルドは彼らを助けざるを得ない。何故ならば、人助けが大好きなネールが、隣で『まだかまだか』とばかりにそわそわしているので!
「仕方ない。俺の腕の見せ所が1つ増えた、ってことにしとくか……」
ランヴァルドは深々とため息を吐くと、背負っていた弓を手に取り、矢筒から矢を取り出して構える。
「ネール。やっていいぞ」
こくりと頷いた直後、ネールは颯爽とドラゴンへ向かっていった。
例の黄金色の光を纏って駆けるネールは、さながら天の御使いか、はたまた伝説の英雄か。そんな存在が飛び込んでくれば、人間達も、ドラゴンも、皆がネールに目を奪われる。
……ドラゴンは、大きい。
翼を広げた大きさは、下手な民家より余程大きいように思われた。小ぶりな家程度なら、その足の一踏み、或いはその尾の一振りで簡単に打ち壊せてしまうのではないだろうか。
赤褐色の鱗がびっしりと並ぶ皮膚は間違いなく強靭。咢に並ぶ牙は鋭く、逞しい手足の先にはまた鋭い爪が、人間の血に塗れている。
……成程。確かに、脅威であろう。
これでせめて頭の悪い生き物であるならば、まだいい。だがドラゴンは何とも嫌なことに、それなりに賢いのだ。
今も、瞬時に強敵であるネールの存在を確認し、どうせ自分に傷一つ付けられないであろう他の有象無象はさておいて、ただ、ネールだけを睨んでいる。
……そして、ぎろり、と睥睨する金色の瞳を、ネールは真っ直ぐに睨み返す。
流石のネールも、ドラゴン相手だ。表情には少々の緊張が見て取れた。だがそれは決して、怯えの類ではない。
逆に、少々怯えたのはドラゴンだった。ドラゴンは繰り出そうとしていた爪を一度ひっこめてまで、ネール相手に警戒を滲ませて半歩下がる。
……そこへ、ランヴァルドが矢を射る。『まあ、及第……』という程度の矢の飛び方ではあったが、ひとまず、矢はドラゴンの胴体に命中した。尤も、ドラゴンの胴は硬い赤褐色の鱗に覆われていて、鏃など通しはしなかったが……これでいい。
ドラゴンが、ランヴァルドの矢に一瞬、気を取られた。自分の胴を確認して、『なんだ、あいつも何ということは無かった』と確認した。
……そして、ネールを前にして生じさせてしまったその隙は、ドラゴンにとって致命的であった。
ネールが動く。
ネールは一気にドラゴンに向けて距離を詰める。風のように速く進み、そして、ドラゴンがネールに気づいた時にはもう、ネールは宙に居た。
ありえない程の高さまでの跳躍だ。家の屋根に届くようなドラゴンの眼前まで。人間には不可能であるはずの高さまで、だ。……そして人間にはありえない高さに到達したネールが見つめるのは、ドラゴンの眼である。
誰かが悲鳴を上げた。ネールが食われると思ったのかもしれない。ネールの目の前にはドラゴンの咢が、牙があるのだから。
……だがドラゴンは逆のことを思っただろう。『食われる』と。
そして事実、その通り。ドラゴンよりネールの方が、速い。
ネールはドラゴンの咢を飛び越えて、額のあたりに飛び乗ってしまう。ドラゴンもこれには驚いただろう。自分の目前に迫るばかりか、自分の頭を足場にする人間など、今まで見たことが無かっただろうから。
ドラゴンが首を振ってネールを振り落とそうとする間に、ネールはさっさとナイフを振り下ろす。
金色に光り輝くナイフが容赦なく振り下ろされる先は……ドラゴンの、目玉だ。
ぎゃおおおお、とドラゴンの咆哮が響く。怒りと恐怖の混ざりあった咆哮はびりびりと空気を震わせた。
強者であるはずのドラゴンが、こうもあっさりと深手を負った。ランヴァルドはネールの腕を知っていながらにして、目の前の光景にまるで現実味を覚えられない。本当に、御伽噺か神話かの一幕のようであった。
さて、ドラゴンの目を潰し、恐らくその奥の脳にまで深手を負わせたのであろうに、ネールは容赦が無い。最後の力を振り絞って暴れるドラゴンにとどめを刺すべく、ネールは暴れるドラゴンの頭の上からひらりと飛び降りた。
ネールが頭から退いて安堵したであろうドラゴンは、しかし、その直後、顎の付け根、人間でいうところの頸動脈がある辺りを、すぱりと斬られることになる。そう。飛び降りざまにネールが斬り割いていったのだ。鎧のように固い鱗に覆われたはずの、ドラゴンの首を。
一太刀で首を斬り落とすようなことにはならないが、命の灯火を吹き消すには十分すぎる一撃だった。ドラゴンは傷から血を吹き出しながら暴れていたが、それもそう長くはなかった。
振り回されそうになった尾をネールが斬り落とし、注意を引くためにランヴァルドがもう1本矢を射るまでの間しか、ドラゴンの命はもたなかったのである。
……こうしてあまりに手早く、あまりに容赦無く、ネールはドラゴンを屠ってしまった。
そう。これはネールにとっては命を懸けた戦いなどではない。……ただの狩りだった。
さて。
ドラゴン殺しはいとも簡単に達成されてしまった。ランヴァルドは『ドラゴンといえどもネールの前にはこんなもんか』と、感心半分、恐れ半分のような気分である。
……だが、ネールの強さに思いを馳せている場合ではない。
ここまでは、ネールの出番だった。……だが、ここからはランヴァルドの出番なのである。
「怪我人は名乗り出てくれ!癒しの魔法を多少使える!ドラゴンは死んだんだ。あんた達は助からなきゃな!」
明るく、そして頼もしく。そう聞こえるように声を張り上げつつ、ランヴァルドは死にかけの人間達の中へと飛び込んでいく。
彼らは死の恐怖に怯え、ドラゴン狩りなどに来てしまった自分の判断を悔やみ、そして、ネールによってドラゴンが屠られた事実を未だ夢見心地にしか認識できていない哀れな人間達だ。だからこそ、回復させ、現実を現実と認識させてやらねばならない。
……ランヴァルドとネールによってドラゴンが屠られ、そして、ランヴァルドとネールによって命を救われたのだ、と、キッチリ認識してもらわねば困るのだ!
それからランヴァルドは、ひたすら癒しの魔法を施し続けた。
何分、この寄せ集めのドラゴン討伐隊は、人数だけは多かったのだ。それでいて即死した者は奇跡的に居らず、それ故に、ランヴァルドはキッチリ人数分、癒しの魔法を使う羽目になったのである。
……魔法を使いすぎるということは、精神をすり減らすのと同じことである。ステンティールで拾っていた魔石も全て使い果たし、ネールがどこからか拾ってきた魔石も使って、なんとか魔力は足らせたが……魔力を制御するための精神力は、気力で振り絞る以外にどうしようもないのだ。
ネールはそんなランヴァルドに寄り添って、不安そうにランヴァルドを見ていた。だが、ここで1人も死なせない方が、この後がやりやすい。ランヴァルドは結局、ドラゴンを倒したネールよりもボロボロになって、なんとか全員の傷を『とりあえず放っておいても死なないな』という程度にまで治し切ったのであった。
「よし……これでひとまず、全員、処置、できたな……」
ランヴァルドはただ『この場でぶっ倒れて眠りたい』という欲望をなんとか捩じ伏せて、烏合のドラゴン討伐隊へ笑いかけた。
……彼らは、死の恐怖を味わった後、ネールとランヴァルドによって救われた者達だ。少なくとも今この場でネールとランヴァルドへ敵意を向けるようなことはしない。まあ、賢明である。彼らとしては、ネールとランヴァルドを殺せばドラゴン殺しの栄誉は自分達のものだが、それに踏み切らないだけの理性はあるようだ。
「ああ……あんたらには、何と礼を言ったらいいか……」
「いや、いいさ。気にするな。俺達は別に、あんたらを助けに来た訳じゃない。ただ、ドラゴン狩りに来たってだけだ。ただ、そのついでに助けられる命は助けたかった、ってだけで……」
ランヴァルドは『あくまでもドラゴン狩りを達成したのは俺達だ』と言外に主張しながら彼らを改めて観察する。
……一度死にかけたこともあり、彼らは酷い恰好である。血や泥にまみれ、あちこち焼け焦げ、煤けて、そして……装備は貧相だ。痩せている者も多い。戦士や狩人を生業にしている者も居るのだろうが、全員ではない。
やはり、生活苦でドラゴン狩りに踏み切らざるを得なかった連中なのだろう。ならば彼らには厄介なしがらみも、後ろ盾も無いということになる。
……ならば利用しやすい。
「で、ちょっと相談なんだが……このドラゴンの解体を手伝ってくれないか?ついでに、肉や骨を運ぶのも。恩に着せるってわけじゃないが、まあ、俺は魔法の使い過ぎで、とても解体作業なんざできそうになくてな」
ランヴァルドが苦笑しながらそう言えば、彼らは戸惑ったような顔をしつつも、『まあ、命を救われた以上は……』と頷き合う。
だが。
「勿論、報酬は出す。鱗1枚なんてケチなことは言わないさ。運んだ分の半分はあんたらの取り分ってことにしよう」
ランヴァルドがそう言えば、流石にどよめきが起こった。
「ええっ!?は、半分も!?あんた正気か!?」
「ああ。正気だとも。どうせ俺達2人じゃ、碌な量は運べないからな。……これであんたらの家族に少しでもいいものを食べさせてやってくれればいい。皆、そのためにここに来たんだろ?」
ランヴァルドがいっそ慈愛に満ちたような顔で彼らに笑いかければ、彼らの内の何人かは涙を流し、何人かはぽかんとし、そして何人かは驚きと喜びに笑みを浮かべる。
そんな彼らの様子を確認したら、ランヴァルドはもう1つ……本命の注文を付け加える。
「……ただ、もう1つ頼みがあるんだ。あんた達には是非、語り部になってほしい。『ネレイア・リンド』が如何にしてドラゴンにとどめを刺したか、の」




