雪国の竜殺し*3
雪の道はひどく冷え込む。その上で賊が出るのだから、たまったものではない。
「ん?どうした、ネール……ああ、賊か……」
が、ネールが居る道中は、非常に快適であった。何せ、賊が出たら即座にネールが気づく。そして、賊の処理にネールが手間取ることは、最早全く無いのだ。
今も、山の斜面から雪崩のように襲い掛かって来ようとしたのであろう賊の類を、連中が下りてくるより前、山の斜面上でさっさと殺してしまっている。
……カルカウッドでランヴァルドを裏切った護衛連中相手に戦っていた時には、ネールは人間との戦い方がよく分かっていない様子だった。それで何人か取り逃がしていたことも記憶に新しい。
だが今はどうだ。ネールは迷うことなく人間の急所を狙い、そしてその狙いを外さない。すぱりと頸動脈を切り裂いたり、喉を突いたりしながら、ひらりひらりと山の木々の間を飛び回り、そうしてじきに、賊は全て雪の上に倒れ伏すことになった。
「おー……助かったぜ、ネール」
戻ってきたネールに礼を言えば、ネールはにこにこと嬉しそうに頷いた。全く、大したものである。
「じゃ、俺はちょっと賊を調べてくるから、お前はここで馬を見ていてくれ。乗っててもいいが、あんまり動くなよ」
それからランヴァルドはそそくさと、賊の死体を漁りに行く。金目のものを持っているなら回収するまでだ。その間、ネールはよじよじと馬の背に登って、馬の上に上手く収まっている。……馬は体温が高いので、馬の上にぺそりと寝そべっていると暖かいのだ。ネールはそれがお気に入りと見える。
さて、そして気になる賊の死体は……。
「……まあ、ぼちぼちか」
残念ながら、そこまでの価値のものは無かった。精々、旅人から奪ったものを換金できずに持っていたのであろう、紫水晶と銀で作られた指輪があったくらいなものである。
金の類は、本当に酷い。銅貨が僅かに数枚見つかった程度のもので、金貨はおろか、銀貨すら見つからなかった。……本当にその日暮らしの賊であったらしい。
まあそれでも、武器は持っていたわけだ。彼らの剣や斧を回収して馬車に放り込むと、ランヴァルドは馬の上のネールに『よし、終わったぞ』と声を掛けて馬を歩かせ始める。
……ネールは温い馬の背から離れがたいらしく、しばらく馬の背に寝そべった姿勢のままであったが、『馬がそろそろかわいそうだぞ』と言ってやれば、しぶしぶと、名残惜し気に馬から下りていた。
この様子だと、山に入る前に懐炉でも買ってやった方がいいかもしれない。ランヴァルドは『宿場で売ってるだろうか』と考えつつ、賊の死体を後にして歩き出すのだった。
……そうして辿り着いた宿場は大変な賑わいであった。
本来ならば、そう人の多くない場所であるはずだ。ドラクスローガ領の中、中央のロドホルンと南の方のスカーラを結ぶ街道沿いにある宿場なので、その街道を行き来する旅人が休む場所でしかないはずなのだ。
だが、人が多い。それも、戦士風の見た目の者が多い。
……これが示すところは1つである。
宿に入れば、それは明らかであった。
「おい!そこのお姉ちゃん!俺にも酒を1杯!ドラゴン殺しの前には景気よくやらないとな!」
「酔っぱらって矢の狙いが定まらない、なんてことにはなるなよ?ドラゴンは弓を引くのを一々待っていちゃあくれねえんだからな!」
……まだ日の沈まない内から、この調子である。
そう。ここには、ドラゴン殺しを目論む勇敢な……或いは無謀な者達が押し掛けてきているのであった!
こいつはまずいな、とランヴァルドは内心で焦る。
噂はスカーラでも聞いていたが、まさかここまで、ドラゴン殺しを目論む者が多いとは。
無論、ここに居る連中がドラゴンを殺せる程の実力の持ち主であるとは限らない。だが、ドラゴンとて生き物である。何度もやってくる挑戦者達に矢を1本ずつ射掛けられていけば、100人目の挑戦者の時には99本の矢がドラゴンを襲った後だということになる。そして次の100本目の矢でドラゴンが息絶えないとも限らない。
要は、急がねばならないのである。ネールならばドラゴンを殺すこともできようが、先に倒されてしまったドラゴンを再度倒すことはできまい。
そして、『ドラゴンを他の連中に殺させない』のはランヴァルドの仕事だ。
「ネール……少し予定を変えるぞ。この後、もう山に入る」
ネールは首を傾げていたが、こくん、と頷いた。健気なことである。
……ということで、ランヴァルドは内心でため息を吐きつつもドラゴン狩りに出発する羽目になったのだった。
雪の積もる山道など、できることなら登りたくない。だが、ここで山に登らねば、ドラゴン討伐が邪魔されかねないのだ。
ということで、ランヴァルドはネールを連れて、山道を進んでいくことにする。
「日が出ている間にドラゴンが見つかりゃいいが、そうでなかったらそこらへんの洞穴で野営だな。はあ……」
ため息を吐きつつ、ランヴァルドは周囲を確認する。
雪に残る足跡を見る限り、ランヴァルド達より先に進んでいる連中はそれなりに居そうである。まあ、彼らがドラゴンを討伐できていないからこそ、領主直々に討伐隊を出すことになったのだろうが……。
そして少なくとも、宿場には明日にでも出発しようとしていた冒険者連中が居た。あいつらが揃ってやってきたら、面倒だ。奴らがドラゴンを倒すこともそうだが……奴らがドラゴンを倒せなかったとしても、奴らの目の前でネールがドラゴンを倒してしまった時、厄介ごとに巻き込まれることは間違いないので。
そうして山道を進んでいったところで、ランヴァルドは丁度いい地点を見つけた。
そう。丁度いい地点だ。
……山道は細く、両側には岸壁が聳えている。細く続く谷のような場所だ。元々は大岩の割れ目か何かであったのであろう地点が、風雨によって、或いは人の手によって削り取られて道になったような、そんな場所である。
「よし、ここらでいいだろ」
ランヴァルドは一つ頷くと、ネールに確認する。
「ネール。この岩を切り崩せるか?」
ネールは首を傾げた。まあ、当然だろう。ネールは悪知恵が働かないので。……なので、ランヴァルドは分かりやすいように説明してやるしかない。
「俺達より後に登ってきた奴らがここで立ち往生せざるを得ないように、この道を塞ごうと思うんだが」
「よし、でかしたぞ、ネール」
そうしてネールは良い仕事をした。ステンティールでゴーレムを葬った時のように、金色の光を纏ったネールは見事、岸壁を切り崩し、道を塞いだのである。
……まるで人間技には思えない。だが、ネールにはこれができる。本当に、つくづくいい拾い物をしたな、とランヴァルドはにんまり笑った。
「これでよし……。帰り道はちょっと苦労するだろうが、また岩を斬ってもらえればそこからなんとかできるだろ」
ネールも隣で『任せろ』とばかりにこくこく頷いていることだし、ランヴァルドも帰り道の心配はしない。……ネールさえいれば、あらゆることが割とどうとでも転がせるのだ。これだから、圧倒的な武力というものは便利である。
……だからこそ、ゴーレムを使役しようとしていたマティアスの気持ちも、分からないでもないランヴァルドであった。
落石で道を塞いだ後は、野営の準備を進めることになる。
丁度、少し進んだ先の岩壁に洞穴があったので、今日の野営場所はここにする。
見れば、火を焚いた痕跡が残っていたり、何か飲み食いしていたのであろう痕跡が残っていたりするので、恐らく、先客の誰かもここで野営したのだろう。……尤も、その先客は恐らく、帰ってこなかったのだろうが。
まあ、ネールが居る限り、ドラゴン相手であってもそう心配はあるまい。ランヴァルドはそう算段を立てつつ、火を熾していく。たちまちの内に炎に熱せられた空気がほわりと流れてきて、冷えた体を温めてくれた。
ネールはそこらで拾ってきたらしい枝を焚火の傍に置いていく。これらは燃やさず、ただ、火に当てて乾かすだけだ。雪で湿っていた薪なので、こうして乾かしておいて、明日以降の薪として使うのだ。ランヴァルドが薪を買った時に教えたことをちゃんと覚えていたらしい。中々優秀である。
「ところでネール。さっき岩壁を崩す時に使っていたが……金色の光の魔法、ある程度使いこなせるようになったんだな?」
ついでに、優秀なネールにそう尋ねてみると、ネールは少し難しい顔をしつつ、こく、と頷くような、首を傾げるような、微妙な仕草をして見せる。……まだ完全に使いこなせては居ないのだろうが、『ある程度』は使えるようになった、というところだろうか。
まあ、細かいところは分からないので、ランヴァルドはネールに紙とペンを差し出してやると、ネールは早速、覚えたての文字を並べていく。
『つかれる』
「ああ、まあ、そうだろうなあ。魔力の消費はかなり大きいんだろ?」
『たぶん、そう』
「そうか。まあ、そういうことなら今日はできるだけゆっくり休まないとな。野営だから、限度はあるが……」
例の、金色の光を纏う魔法。あれがどのような魔法なのかはランヴァルドにも分からないが……ナイフの刃渡りではおよそあり得ないほど巨大なものをすぱりと切れてしまうのだ。ネール自身の強化のみならず、ナイフを媒介にして魔力の刃を生み出すような、とんでもない魔法であることは間違いない。
それを使っている以上、ネールの消耗はかなりのものだろう。
『剣をふるんじゃなくて、剣に、ふりまわされるかんじ、ちょっとへった。でもまだある』
「おお、つまり、使いこなせつつある、ってことだな。偉いぞ」
ネールは神妙な顔で、ゆっくりと文字を書いていく。どうやらネール自身も、自分の状態をどう表現していいのか分かりかねているようであった。
……ネールはどうも、生まれつき喋れなかったわけではないように思える。だが、そこからそれなりに長い間、喋らずに過ごしてきたのだろう。だからこそ、自分が考えたことを言葉に直して伝える、という経験に乏しい。その分は訓練しないといけないだろう。
多少、まどろこしくはあるが、ランヴァルドはネールの拙い筆談に付き合った。ネールの能力は把握しておく必要があるし、ネールがこれから先、もう少し手早く筆談できるようにするためにも、今、訓練させておいた方がいいだろうな、と考えられるので。
……だが、気になることもある。
『魔物がでるところだと、魔法つかいやすい?』
「うん?……まあ、そうだな。魔物が多いってことは、魔力が多い土地ってことだ。なら、お前は空気に溶けた魔力を上手いこと利用できるってことなのかもしれない。俺にはできないんで、よく分からないが……」
ネールの質問に答えてやると、ネールは『なるほど』というように頷いた。が、ランヴァルドは『これはどういうことだろう』と、少々不思議に思わないでもない。
……ランヴァルドが然程魔法に秀でているわけではない、という事情は抜きにしても、ネールの質問は少々不思議であった。
というのも、普通、魔力の多い土地において魔法が使いやすくなる、といったことは起こらないのである。
となると、ネールはそれこそ、空気から魔力を吸い取って自分の魔力として利用しているのかもしれないが……それは一体どういう仕組みなのか、と疑問が生じてくる。
魔力の多い土地である魔獣の森で浮浪児をやっていたから、魔力に体が適応した……のだろうか。だが、そんな例は聞いたことが無いのだが……。
「……今の、俺以外の奴にはナイショにしておくんだぞ」
何はともあれ、あまり外に出すべき情報でもないだろう。ランヴァルドがそう言っておけば、ネールは何故か嬉しそうに、こくん、と頷くのだった。
その日の夜はもう諦めて、ランヴァルドはネールと一緒に寝た。理由は至極単純。いくら火を焚き、洞穴で風除けもしているとはいえ、野営だ。寒いのだ。寒いのである。
が、寒いのは寒いのだが、それでも子供特有の高めの体温を腕の中に抱き込んで横になれば、まあ、多少は快適に過ごすことができた。ネール自身も、ランヴァルドでぬくぬくと暖を取ってそれなりに眠れたようであったので、まあ、よしとするしかない。……ネールの教育には、あまり良くないのだが!
そうして迎えた翌朝。ランヴァルドは物音で目を覚ました。
「……ネール。今の、聞いたか?」
腕の中のネールも目を覚ましていたので尋ねてみれば、ネールもこくりと頷いた。
「ドラゴンの声だな。羽音も聞こえた。多分、この先の谷だな」
……ランヴァルドはにやりと笑い、ネールもまた、やる気に満ち満ちた表情を見せている。
どうやら、今日中にドラゴンを仕留めることができそうである。