雪国の竜殺し*1
冬の北部はひどく冷える。
降り積もった雪は石畳を覆って凍り付き、吹き荒ぶ北風はまるで肌を切り裂くように冷たい。
枯れた枝が雪に埋もれる中、秋の残滓を感じさせる赤い木の実が見えているが、これもそう遠くなく全て雪に覆いつくされて見えなくなるのだろう。
そう。まだ、冬の盛りではない。これが、北部の冬の『始まり』なのだ。これからより一層冷え込み、より一層雪が降り積もっていく、そんな季節の始まり。
……だが、そんな寒さにも黙らされないのが北部の人間達だ。
「剣?剣ならいいのが揃ってる。そこに並べてあるから見てくれ。そっちのお兄さん、槍ならまだ出してないのがあるんだ。そっちも見てみるか?」
ここはドラクスローガ領、スカーラ。冒険者の集うこの町は、いつにも増して活気がある。
「値段に関しちゃ、これでもかなり下げてるんだ。今はどこも武具が不足しててね……おおっと、そこのガキ。見えてるからな!そのナイフを置け。持ち逃げしたらうちの護衛が容赦しないぜ?」
……静けさなど、ここにはありはしない。
既に降り積もって久しい雪に反射する光は眩しく、そこに集う人々もまた、眩いほどに活気に満ちていた。
ここに集まっているのは、『珍しくも、良質な武具を大量に持ってやってきた商人が居る』と話題になって集った戦士達だ。戦うことを生業としている者も居れば、護身のために武具を望む者も居る。
……そして、そんな中で誰よりも活気に満ち満ちて輝いているのは、間違いなく彼らの中心、ランヴァルドであろう。
「よし、それで売った!銀貨1枚分はおまけしとこう。その代わり、お仲間とやらにも是非、うちで武具を買い求めるように宣伝しといてくれよ!」
……ランヴァルドは露店を開いて、武具を売り捌いているところであった。
尚、値段は割とぼったくりである。まあ仕方がない。この冬の北部は、どこも武具が品薄なので仕方がないのである!
クズに金貨と花冠を
第三章:偽りの竜と偽りの英雄
ステンティール領を発ってからの旅路は、比較的順調であった。というのも、このご時世、北部へ向かおうなどとする人間はほとんどいない。たまに、北部から逃げてくる人々を見ることはあったが、彼らも急ぐ旅路である。こちらが関わることは無い。
……そう。つまり、ネールが人助けをしようとして寄り道することが、非常に少なかったのである!
おかげで随分と早く進んだ。ランヴァルドとしては少々拍子抜けだが……ネールとしても、色々と気になることがあってそれどころではなかったのだろう。
ネールは今、あのステンティールの地下で自分が使った不思議な力を制御する術を練習中である。道中も、歩きながら魔力を制御する練習に勤しみ、今や、ぽやり、と光る小さな光の玉を宙に浮かべておくくらいのことはできるようになった。
珍しいことに、ネールはどうやら、光の魔法の適性があるらしい。ついでに、それを使った身体強化も。……本当に、御伽噺に出てくる勇者様のような有様だが、当のネールにその自覚は無いのだろう。
今も、ネールはランヴァルドの露天の隅っこに居て、商品を盗もうとしていた少年をじろりと睨んでいるところだ。到底、伝説の勇者の類には見えない。本人にもそのつもりは無いだろう。ネールとしては、ゴーレムを切り刻んだあの所業も、『当たり前のこと』でしかないのだろうから。
……まあ、ネールにその自覚が無いのは、ランヴァルドにとっては好都合だ。
ネールはネールの価値を低く見積もっている。だからこそ、ランヴァルドはそんなネールを安く買い叩けている、というわけである。
どうかこのまま、ネールが自分自身の価値に気付かないでくれればいいのだが。……ランヴァルドはそんなことを考えつつも、どんどんやってくる客相手にどんどん武具を売り捌いていく。ネールはランヴァルドの心情など露知らず、一生懸命商品の見張りをしているのだった。
+
ネールは初めて見る光景にびっくりしていた。
まず、雪。
町はすっかり雪に覆われていて、でも、『まだまだ冬本番じゃないからな。雪もこんなもんで済んでる』ということらしい!
ネールは、今まで自分が居たところは暖かかったんだなあ、と思う。勿論、ネールの故郷でも冬には雪が積もったが、それだって、北部と比べればあって無いようなものだったのかもしれない。
今日は晴れているが、時折強く吹く風は積もった雪を舞い上げる。ネールはその度に『こっち来てろ』と、ランヴァルドに引っ張られて風下の方に移動していた。
……そんなランヴァルドはネールの風除け、雪除けになって、細かな雪を浴びている。ああ、ランヴァルドは寒くないのだろうか!
それから、人もびっくりだ。
皆、荒っぽい。戦士ばかりがお客さんとして集まっているからなのだろうが、それにしても、大分荒っぽい。
びっくりしてランヴァルドの方を見ていたら、ランヴァルドはお客さんが途切れた時を見計らって、苦笑いしながら『まあ、北部だからな。北部人は元が無学の戦士の家系揃いだから、まあ、そういう気性の奴が多いし、それが美徳とされる文化もある』と教えてくれた。
……ランヴァルドは北部の出身なのだと聞いた。だが、露店にやってくるお客さんを見る限り、ランヴァルドのような人は珍しいのかもしれない。
ランヴァルドはお客さんと話す時、意識して彼らに近い喋り方をしているように見える。いつもよりよく笑い、いつもより声が大きくて、いつもより喋り方が多少荒っぽい。そんなかんじ。
お客さんはそんなランヴァルドに乗せられて、たくさん武具を買っていってくれる。ちょっとおだてられて、余計にナイフを1本多く買っていったり、盾も買い替えてくれたり……そんな様子を見ていると、ああ、やっぱりランヴァルドはすごいなあ、とネールは思うのだ。
沢山喋って、魔法みたいにものを売っていく。人々の中心に居るランヴァルドの姿は、ネールにとって憧れだった。ネールにはできないことを、ランヴァルドはたくさんできるのだ。
……でもランヴァルドもちょっぴり疲れるのだろう。コインの数を数えるランヴァルドは楽しそうだったけれど、お客さんが途切れた時にふと見せる横顔が疲れて見えた。
無理もない。ランヴァルドはずっと、働きづめだ。ステンティールでもそうだった。沢山怪我をして、沢山働いて……でも、そんなに休まずに出発してしまうものだから、ネールは少し、心配である。
だから、ランヴァルドが少しでも疲れなくていいように、ネールもお手伝いした。馬車の荷台から槍を抱えて持ってきたり、剣を抱えて持ってきたり。それから、盗人が居ないかちゃんと見張っておくのだ!ほら、今も1人、ネールと同い年くらいの男の子がナイフを持っていこうとしたところであるし……。
……そうして夕方になる頃、ランヴァルドは店じまいすることに決めたらしい。まだ人は多いし、商品も残っている。どうしてだろう、と不思議に思っていたら、ランヴァルドは『ああ、北部は南の方よりもすぐ寒くなるぞ。太陽が沈む前に宿に入っていなきゃ、冬場は本当に死にかねないからな』と教えてくれた。
それは大変だ。ネールは寒いのは嫌いである。……ハイゼルの、氷と水晶のあの洞窟の中で氷の中に閉じ込められてしまってから、余計に寒いのが苦手になった気がする。
……いや、もしかしたら、ランヴァルドと一緒に居るようになってしまったからかも。今までは1人で森の中に暮らしていたのに、暖かい宿のベッドで眠るようになってしまったものだから、ネールは寒いのが余計に苦手になっている気がする。
これは、いいことなのだろうか。それとも、悪いことなのだろうか。
ネールはもう、1人じゃ生きていけないような気がする。前は1人で平気だったことが、今はもう、駄目な気がするのだ。
「ん?ネール、どうした?……ああ、運んでくれるのか。悪いな。ならそっちに並べたやつを片付けてくれ。どこに何をしまうかは箱に書いてあるから。……もう文字は読めるな?よし」
だからネールは、ランヴァルドのお手伝いをする。置いていかれないように、ネールもまた、旅商人のやり方を学ばなければならない。
……ネールは、ランヴァルドと出会う前なら耐えられたことに耐えられなくなってしまったが、ランヴァルドと知り合ったおかげで知ったことも、できるようになったことも、ある。文字の読み書きはその筆頭だ。
ネールは馬車に積まれた木箱の側面に書かれた文字を読んで、『剣はここ』『手斧はこっち』と商品を運んでいく。……できることが増えたのは、嬉しい。ランヴァルドがネールをこうして働かせてくれることも、役に立てている気がするから嬉しい!
ネールが商品を片付けていく間に、ランヴァルドは簡易的な棚を分解して木の板の状態に戻したり、布と木の棒だけで器用に拵えていた天幕を畳んで片付けたり、と手早く動いて、露店はすぐに撤収できた。
それからランヴァルドは、馬車と積み荷を宿ではないところにまで運んでいって、そこにお金を払って諸々を預けた。
どうやらここは、そういうところらしい。旅商人達の商品や馬車を、お金と引き換えに守ってくれるところだそうだ。ランヴァルドが教えてくれた。
『とくに北部じゃ、ただの宿に馬車を置いておくと盗まれたり荒らされたりしがちだからな。今後、どうしても宿に馬車と馬を置いていかなきゃいけない時には、大事な積み荷は部屋に運ぶぞ』だそうだ。
何はともあれ、今日は無事に馬と馬車と荷物を預けることができたので、ランヴァルドとネールは宿へ向かう。
……のだが。
宿は、カルカウッドやハイゼルの宿と似た造りをしていた。入ってすぐが食堂であり酒場でもあるホール。奥のカウンターで食事や飲み物の注文ができて、また、そこで部屋を借りる手続きもできる。
そう。そこは同じだ。同じなのだが……。
……ホールは人で溢れかえっていて、大変に賑やかだ。そして、荒っぽい。
笑い声も、話す声も、大きい。話している内容は大分荒っぽくて、それから多分、下品だ。ついでにそこに怒声が混じることも多い。後でランヴァルドに聞いてみたら『ああ、あれは怒ってるわけじゃない。北部人の、特に戦士や冒険者の類は声がでかいんだ。まあ、喧嘩も多いが』と教えてくれた。
ネールはこの光景を見て、びっくりしてしまった。ネールが今までいた地域では、こんなかんじのところはあんまり無かった。『治安が悪い』という評判のところで、少しこんな具合のところがあったかもしれないが、それらを見たのはネールの父と一緒の時……随分と昔のことなので、もう忘れかけてしまっている。
ネールがホールの様子にびっくりしている間にも、ランヴァルドはネールの手を引きつつカウンターへ向かい、そこで宿の部屋の手続きをした。……カウンターで手続きをしてくれている人は、ちょっと怖そうな人だった。でも、その人は静かな人だった。必要以上に喋らない。やり取りは最低限だ。
……『北部の人は大きな声で沢山喋るか、ほとんど喋らないか、どちらかなんだろうか』と不思議に思うネールであった。
部屋へ行くまでの間にも、ちょっと大変だった。
ランヴァルドが部屋の手続きを終え、店主から『2階。一番奥の、右』とだけ言われて鍵を渡された後、ホールでお酒を飲んでいた一団から『よお、そこの兄ちゃんに可愛いお嬢ちゃん!折角だ、一緒に飲んでいかねえか!』と声を掛けられてしまって、ランヴァルドはそれをやんわりと断った。
それでも多少、相手の機嫌を損ねてしまったようで、ネールは少し、ひやひやした。もし喧嘩になるようならネールが出るぞ、と意気込んで、いつでもナイフを抜けるようにしていたのだが……結局、ナイフの出番は無く、ランヴァルドに連れられてそのまま宿の部屋へと到着した。
「はあ、やれやれ……」
ランヴァルドは背嚢を下ろして、ベッドに腰掛けて、深々とため息を吐いた。疲れているみたいだ。
「……ああ、ネール。驚いただろ。北部は大体どこもこんなかんじだ。もっと都市部に行けば、もう少しはお上品なんだが……地方の小さな町の酒場は大体どこもあんなかんじだな」
ランヴァルドがそう言うのを聞いて、ネールは『ああ、ランヴァルドはあんまり北部が好きじゃないんだな』と理解した。
……北部はランヴァルドの故郷であるはずなのだが、まあ、故郷の風土と反りが合わないということもあるんだろう。
「元々戦士の家系だっていうのもあるだろうが、連中は荒っぽい。で、教養がある訳でもないんでね、品が無い。連中は特に、酒が入るとそうなるな。奴ら、倒した敵の話か酒の話か、はたまた女の……いや、やめておこう。品の無い話の内容を解説するのも馬鹿らしいことだし……」
『女の』の後に続く言葉が何だったのかは分からないが、まあ、ランヴァルドが止めておくならネールも考えるのは止めておくことにする。
「そういうわけで、俺は少々肩身が狭いって訳だ。お前みたいな小さくて可愛いのは庇護の対象になることも多いが、俺みたいなのはどうしても、『男の癖に戦えもしない軟弱者』ってことでね、大体、碌な目に……おいどうしたネール」
かわいい!?ランヴァルドは今、ネールのことを『可愛い』と言っただろうか!?小さくて、可愛い!?……嬉しい!どうやらランヴァルドにとって、ネールはかわいいらしい!
……いや、浮かれていてはいけない。ランヴァルドに『可愛い』と思ってもらえているならそれは嬉しいが、今はランヴァルドが大変だ、という話なのだ。ネールは居住まいを正して、ちゃんとランヴァルドの話を真剣に聞く。ランヴァルドはそんなネールを見て『よく分からん奴だなあ……』と呆れていたが……。
「ああ……まあ、お前は大丈夫そうだが……俺はここじゃ、馬鹿にされることの方が多い。だからやり方を工夫する必要があるし、奴らに気に入られるような振る舞い方を覚えておかなきゃいけないって訳だ。まあ、そこは上手くやる。会話さえできりゃ、俺はいくらでも上手くやっていけるさ」
ネールは神妙な顔で頷いた。そうだ。ランヴァルドは喋るのがとても上手い。今日だって、多くの戦士相手に商品をどんどん売り捌いていった。あれができるのだから、やっぱりランヴァルドはすごい人なのだとネールは思う。
「口は回る方なんでね。連中だって、『力が強い奴』だけが偉いと思ってるわけじゃない。『頭が回る奴』ってのも、それなりには評価される。だから俺も、ずっと侮られてるってことは無いんだがね。まあ、連中、下に見た相手のことはとことん下に見るからな。舐められてると『商品をタダで寄こせ』とも言いかねない」
ネールはふんふんと頷きながら、『やっぱりランヴァルドはすごい』と思い、同時に『ちょっと北部は嫌い』とも思った。
ランヴァルドをバカにしたり困らせたり、それから捨てたりする地域のことは嫌いだし……見てきた限りでは、どうも、ネールも北部がちょっぴり嫌いである。
「ま、連中と深い付き合いはしたくない。明日には発つぞ。いいな?」
ネールは『そうだそうだ』という思いで深々頷いた。それを見たランヴァルドは『よし』と笑って、ネールを抱えあげるとさっさとベッドの中に入れてしまう。
「じゃあさっさと寝ないとな。先に1人で寝てろ。俺は少し、下で情報収集してから寝るから」
……が、ランヴァルドがそんなことを言うので、ネールは慌ててベッドから出る!
「お、おいおいおい、寝ろ。いい子だから」
ネールは困った。ランヴァルドは下……つまり、さっきの煩い人達が居るところに行って、そこで何かしてくるのだろう。きっと、喋って、喋らせて、上手にやるのだ。だが……そうやってランヴァルドが1人でやっていたら、ネールは置いていかれてしまうような、そんな気がして落ち着かない。
それに、ランヴァルドだってさっきの人達が好きじゃないようだった。そんなところに行かなければならないのだろうか。
「……連中から情報をせびるなら、酒を飲んでるところに突入していくのが一番手っ取り早いんだ」
ランヴァルドは言い訳のようにそう言うと、またネールをベッドにもそもそと戻してしまう。
「ま、そういう訳だ。お前は先に寝ろ。いいな?」
……結局、ネールは落ち着かない気分のまま、頷いた。ランヴァルドの前では、できるだけいい子でいたい。心配だし、一緒に居たいが……ネールが一緒だと、ランヴァルドが動きにくくなるのかもしれない。だからネールは、我儘は言わないのだ。
「お前がこれから倒すことになるドラゴンの情報、しっかり掴んでくるからな。お前にも働いてもらうことになるぞ、ネール。そのためにも休める時にしっかり休んでおいてくれ」
ランヴァルドは部屋から出る時、そう言ってから出ていった。
……そう。ネールにはネールの仕事がある。ランヴァルドにランヴァルドの仕事があるように。
だから、大丈夫だ。置いていかれない。
……ネールはランヴァルドが部屋を出ていくのを見送って、もそもそ、とベッドに潜る。
北部の夜は、寒い。殊更に寒い。
ベッドの下から染み込んでくるような寒さに耐えかねて、足をもそもそ擦り合わせてみるが、それでもどうにも、寒い。
嗚呼!こういう時、ランヴァルドが隣で寝ていたならば、こっそりベッドに入らせてもらうのだが!
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