北へ
パーティーは華やかに、そして穏やかに進行した。
ネールは多くの人々に囲まれて緊張していたが、終盤には多少慣れたのか、笑顔を見せる場面も度々見られた。……そしてやはり、ここでもネールが可愛らしいことが大いに影響していた。
例えば、ランヴァルドのような可愛げのない成人した男が『功労者』であった場合、彼らはランヴァルドを手放しに誉めそやすことなどしない。その裏には嫉妬や疑い、そして打算がたっぷりと蓄えられているのだから。
……が、今回の功労者は、可愛らしい少女だ。口は利けないものの、身振りや表情でなんとなく、害意が無く、顕示欲もあまり無く、純粋無垢で可愛らしいということは分かってしまうネールが功労者なのだ。
こんなネールが相手なので、来場客は皆、ネールを思う存分誉めそやした。褒められたネールがもじもじと恥ずかしそうに笑うのを見て、それを一種の娯楽か癒しにしている様子である。
……ネールはネールであるが故に、敵対心も警戒心も抱かせない。『この可愛い生き物であるならば、思う存分褒めてやりたい』と相手に思わせてしまう。
成程。これは確かに、英雄向きだ。ランヴァルド自身が矢面に立つより、ネールが立っていた方がいい。やはり、ランヴァルドの判断は間違っていなかった!
会場の多くの人物がネールに好感を抱き、『あの子可愛かったねえ』『あの見た目だと、エヴェリーナお嬢様の影武者だろうなあ』『小さいのにしっかりしていてえらい』といった感想を漏らす中……一方のランヴァルドは、着々と商談を進めていた。
パーティー会場には、ステンティールの有力者が集まっている。つまり、鉱山の所有者や、武具の卸売りの者も当然、集まっているのである。
そして、特に武具を扱う者達の悩みといえば……『マティアスが捕まった以上、マティアスからかかっていた発注分をどうにかしなければ』ということであった。
マティアスは、ステンティール中の武具を集めて、いずれ北部へ売り払う予定だったのだろう。或いは、いざ自分による傀儡政治が民衆に露見した時に彼らが武器を持ち立ち上がらないよう、武器を自分の手元に集めておこうとしていたという面もありそうだが。
……どちらにせよ、マティアスはもう居ない。奴は情報を吐き切って、それらの確認がとられれば、それまでだ。そこで処刑されて終わりであるはず。
となると、マティアスによって買い集められていた武具、そして予約されていた武具の類がだぶつく。買われる前提で生産していたものが、買い手が居なくなってしまった。それも、かなり大規模なやりとりであったものが!
……これは一大事なのである。彼らはどうにかして、誰かに武具を売ってしまいたい。
と、なれば、そこにランヴァルドが『もしよろしければ、できる限り買い取らせていただきますが』と申し出るだけで、彼らは喜んで武具を売ってくれるというわけだ。
こうしてランヴァルドは見事に商談を取りまとめ、自分が持っている金のほぼ全てを使って、武具をたっぷりと買い付けることに成功したのである。
条件は、かなり良い。金貨60枚程度で、本来なら金貨90枚相当になるであろう質と量の武具を買い付けることができたのだ。
金貨500枚分の武具には到底及ばないが、それでもまあ、上々だ。パーティーというめでたい場で、酒とネールの可愛らしさに酔って気が大きくなった彼らとの商談は、お互い上機嫌にまとまった。これ以上は望めまい。
ランヴァルドは久しぶりに、商人としての手ごたえを感じていた。……それこそ、金貨500枚分の武具を発注した、あの時以来かもしれない。
……ということで、パーティー終了後。
部屋に戻ったランヴァルドは『そういえば、馬車を一台に馬一頭、エヴェリーナお嬢様の為に献上しちまってるから、代わりのを領主様に用立ててもらわないとな……』と思い出しつつ、帳簿を付けたり契約用の書類を作ったりしていた。
するとそこへ、ネールがやってくる。
着替えはまだこれからだが、装飾品の類は外し、髪を留めていたピンの類も外して幾分楽な恰好になったネールは、ててて、と走ってランヴァルドの元へやってくると、ランヴァルドの手元を覗き込んで、真剣な顔でそれを読み始めた。
……文字が読めるようになったので、ランヴァルドが作っている書類もある程度読めるようになってきた、というわけだ。折角なので、書類のあれこれを説明してやる。一応、今後も商売に利用させてもらうのだ。ネールにはある程度、商売の勉強もしておいてもらった方がいいだろう。
そうしてネールの筆談とランヴァルドの説明とでぽつぽつと会話していたところ、ウルリカがやってきた。
「失礼します。ネール様のご入浴の準備が整いました」
「ああ、ありがとうございます。……じゃ、ネール。行ってこい」
ネールの背をぽふぽふと叩いて促してやれば、ネールはこくりと頷いて、ぱたぱたと駆けていく。ここのメイド達にもすっかり慣れたもので、ネールはにこにこと楽し気だ。そしてメイド達もネールの世話を焼くのが楽しいらしく、にこにこと楽し気なのである。
この場面を見ていると、『本物のお嬢様』のようだ。……ネールはここに留まっても、そこそこ楽しく幸せに過ごせるのだろうが。
「近く、こちらを発たれるのですね」
ウルリカがそう切り出してきたので、ランヴァルドは頷く。
「ええ。今週中には北部に向かって出発したいところです」
「そうですか」
元々、急ぐ旅路であった。北部の冬はもう目前……否、既に北部は冬だろう。食糧難も、それによって起きている賊騒動も、できる限りさっさと首を突っ込みたいところであることに変わりはない。
「是非、あなた方にはここに留まって頂きたかったのですが」
「……妙に買われているようですが、俺はあなたが思うような善人じゃあありませんよ」
「あなたはあなたが思うような悪人でもありませんよ」
ウルリカは涼しい顔である。……実によく口の回るメイドだ。彼女は彼女で商人向きかもしれない。否、この鉄面皮はやはり、商人よりは監査官向きだろうが……。
「あなたは北部の出なのでしたね」
「ええ、まあ……」
「やはり、故郷の治安が悪化しているという話に、思うところが?」
ウルリカの、少々案じるような言葉を聞いて、思わず苦笑が漏れる。なんともらしくないことだ。
「あなたが思うようなことは思っていないと思いますがね。俺は生家を自ら出てきた身です。だが、生家に留まっていたなら、間違いなく死んでいた。そういう家に対して、思うところがあるとするならば『精々苦しめ』という程度のものでしかありません」
少しばかり、生家でのことを思い出してしまって苦い気分になる。
……特に今回、領主夫人とマティアスのあれこれを見ていて、余計に、自分の実母と義父とのあれこれが思い出されたのだ。本当に、碌でもない。本当に。
「まあ……それに付き合わされる民衆には、同情しますがね」
「……そうですか」
ともすれば憎悪に沈んでいきそうな思考を引き戻して蓋をしてしまえば、ウルリカはなんとも読めない表情で頷き……そして。
「まあ、それでも一応はお伝えしておくべきでしょうから……」
胸元から、一枚、紙を取り出した。
……何かに結んであったかのように折りたたまれていた形跡があるところを見ると、鳥文か何かで運ばれてきたものなのだろうが……。
「ドラクスローガ領をご存じですか?」
「へ?ええ、まあ……」
唐突なウルリカの言葉に困惑しつつも、『あそこ、何かあったか?』とランヴァルドは思考を巡らせる。だがその思考が行き着くより先に、ウルリカは少しばかり微笑んで、告げてくれたのだ。
「あそこは今、どこよりも武具を必要としているそうです。そして何より……優秀な戦士を」
『竜の炎』の名の如く、かつてドラゴンの巣窟であったというその土地は、この国の北西部……ステンティール領からそのまま北上していったあたりに位置している。
ドラクスローガの地がドラゴンのものから人間のものになったのは、初代ドラクスローガ領主であったその人が竜殺しを成し得たからだ。当時の王は彼の竜殺しの功績を称え、彼に貴族位とドラクスローガの名、そしてドラクスローガの地を与えたのだという。
元々ドラゴンが住んでいた土地だということもあり、土地の魔力は豊富。……つまり、資源が多く、実りも多く、そして魔物も多い土地柄、ということだ。
それ故に今も、ドラクスローガは竜殺しの英雄となる夢を抱えた冒険者達が集う、戦士の町として有名だ。
よって、魔力を多く有する素材を求めるならば、ドラクスローガに行くべきなのだ。質の良い薬草も、高級な果物も、そして何より、魔物の皮も牙も毒も……全てが、ドラクスローガに揃っている。
ついでに、そうした資源を手に入れるべく、多くの冒険者……ないしは腕利きの護衛が揃っている土地であるので、そういった用向きであってもあそこ以上の場所は無い。
……そう。そういう場所なのだ。ドラクスローガは、戦士の町である。
優秀な戦士はこの国で一二を争う程に居るであろうに、そのドラクスローガが、何故、『武具と優秀な戦士』を求めているのか。
それを考えれば……ランヴァルドには、なんとなく、思い浮かぶものがあった。
「……まさか、伝説のドラゴンでも復活したんですか?」
「あら、ご存じだったのですか?」
……なんと。
天変地異はこの国中で起きているようだ!
……そうして、5日後。
「お世話になりました。また何かあればどうぞ、ご贔屓に」
「ああ、こちらこそ本当に世話になった!ありがとう。何かあったら……いや、何も無くとも、是非、また立ち寄っておくれ」
ランヴァルドは領主アレクシスに挨拶をし、いよいよ、ステンティールを発つことになった。
この5日間で、体調はすっかり良くなった。
良い薬を分けてもらえたこともそうだが、やはり、きちんとした睡眠ときちんとした食事、そして休養が傷と魔力の回復には一番なのだ。
更に挙げるならば、やはり、仕入れが上手くいったことがランヴァルドの体調および機嫌に影響している。
パーティー会場で取り付けた商談の通り、金貨100枚分に近い武具を買い付けることができた。これを北部へ持っていけば、まあ、当初予定していたほどではないにせよ、かなりの稼ぎになることが見込まれる。
そして何より……。
「本当はずっとずっと、ここに居てほしいが……貴殿らの救いを待つ土地があるそうだからな。是非、彼らのことも救ってやってほしい」
「私のような者が『救う』などとは烏滸がましいようではありますが……できる限りのお手伝いをさせていただいて参ります」
領主に挨拶する間も、ランヴァルドは『ドラクスローガのドラゴン狩り』のことで頭がいっぱいである。
……ドラゴンが出て、多くの戦士が返り討ちにあっているというドラクスローガ。その地において、ネールがドラゴン狩りを成功させてしまったなら……いよいよ、ネールは『英雄』として、この国中へ名を馳せることになるだろう!
「では。……さ、行くぞ、ネール」
ネールはネールで、つい昨日戻ってきたエヴェリーナに『ずっとここに居るわけにはいかないの……?』とせがまれていたところであったが、ネールはやがてエヴェリーナと握り合っていた手をそっと離して、ふりふり、と手を振って別れを告げた。
ネールがランヴァルドの元へ、とてて、と走ってきたのを連れて、領主邸を去る。
『元気でね!』とエヴェリーナの声が追いかけてくるのに振り返り、ネール共々手を振りつつ、ランヴァルドとネールは……馬車を引く馬と共に、山道をのんびり下りていくのだった。
……そう。馬車である。
馬車は地味ながら質の良いものを用立ててもらったし、馬も丈夫そうなよい馬を譲ってもらえた。
元が盗品だったというのに、それがこうも良い馬車と馬に化けたのだから、丸儲けである!
「さて、ネール。次に行くところでは、悪いドラゴンが人間を襲っているらしい。俺はそこの人達を助けてやりたいと思うんだが……どうだ?」
さて。歩きながらネールにそう問いかけてみれば、ネールはなんともやる気たっぷりな様子でこくこくと頷いた。
「よし、頼んだぜ、ネール。地下のゴーレム相手にお前がやってたアレをまたやれれば、伝説のドラゴンだってお前の敵じゃないだろうさ」
……今回、ステンティール領で得られたものは大きい。
馬車も馬も、そして馬車に積まれた多くの武具もそうだが……ネールの胸に燦然と輝く勲章も、領主達からの信頼も、そして、ネール自身の経験も。本当に多くのものを得た。
ネールが黄金の光を纏ってゴーレムを破壊した、あの様子。あれは正に、物語の中の英雄の姿そのものであるようにさえ思えた。
「魔法を制御する練習をしていけば、あれをやった直後に寝ちまうようなことにはならなくて済むだろうからな。頑張るんだぞ」
こくこくと頷くネールを見下ろしつつ、ランヴァルドは『そういえば』と思い出す。
「……そういえばお前、ゴーレムが復活しそうだった時、何か感じたか?」
が、ネールはランヴァルドの問いに、きょとん、としながら首を傾げ、それから何やら考え……しかし、首を横に振った。
ランヴァルドより多くの魔力を持つであろうネールにも、よく分からなかったらしい。まあ、そういうことなら仕方がない。ランヴァルドは『何も無けりゃいいが』と思いつつ、只々、歩みを進めていく。
2人と1頭と1台が並んで進んでいく道は、北に向かって伸びている。吹き荒ぶ風は冷たく、そのうち雪混じりになりそうな空模様であった。
……いよいよ、寒さが厳しくなってきた。そんな季節のことであった。
2章終了です。3章開始は12月22日(日)20時20分を予定しております。