舞踏*4
軽食を腹に詰めたら身支度を整える。
ネールが興味深そうにランヴァルドの身支度を覗こうとしてくるので、ランヴァルドは『ネール。人の着替えを、ましてや異性のをまじまじと観察しようとするんじゃない』と教える羽目になった。ウルリカは微笑まし気に見ていた。見ていないで助けてほしかった。
……ネールはウルリカに預けておいて、ランヴァルドは手早く身支度を整えた。このような礼装に身を包むのは本当に久しぶりだ。
「……妙なもんだな」
ランヴァルドは鏡の中の自分を見て苦笑する。かつて礼服に身を包んでいた自分から考えれば、随分と齢をとった。随分と変わった。だが、まあ……それなりには、様になっているだろうか。そう思いたい。
よし、と気合を入れ直したランヴァルドは、『さて、ネールが騒がなきゃいいが……』と思いつつ、ネールの元へ戻る。……まあ、その数秒後、ネールに騒がれることになるのだが!
喋らないながら、行動が非常に騒がしいネールのきらきらした目とぴょこぴょことした動作をなんとか押し留めつつ、ランヴァルドは『こういうところはまるで貴族の令嬢らしくないな……』と少々心配になるような、少々安堵するような、妙な気分になる。
だが、そんな気分でいる時間もここで終わりだ。
「ネールさん。マグナスさん。そろそろ会場へ」
ウルリカが呼びに来てくれたので、早速パーティー会場へと向かうことになる。
……ネールは少々緊張気味だ。初めてのパーティーを前に、下手すると岩石竜と戦った時より緊張しているようである。
「なあ、ネール。そんなに緊張しなくていいぞ。もう、お前の正体が露見することがあっても問題は無いんだからな」
ランヴァルドはネールを励ましてやりつつ、自分の目的を改めて思い出す。
……パーティー会場では簡易的に叙勲式が行われる。そしてその直後、ランヴァルドはステンティール領主アレクシスと、ハイゼル領主バルトサールとの密談に付き合うことになるだろう。
そうして両者に恩を売る。恩の代金として、商品や販路を融通してもらう。
そうすれば金貨500枚分を取り戻すことだって夢じゃない。特に……『叙勲』が待っているのだ。期待は十分、といったところである。
「ネール。緊張しているんじゃなくて、楽しみにしているんだって自分に言い聞かせてみろ。案外、自分で自分を騙せるもんだぜ」
ランヴァルドだって緊張している。だが、緊張による胸の高鳴りは高揚によるものだと言い聞かせれば、案外、体は自分の思い通りに動くようになるものだ。
ネールが『なるほど』という顔で頷いているのを見て笑いつつ、ランヴァルドはいよいよ、会場へ足を踏み入れた。
近隣諸侯が急に集められたパーティー会場では、まあ、当然ながら『こいつはマティアス側の人間なんだろうな』という奴も多い。そう。そもそもマティアスに協力的ではない者は、急なパーティーの招集になど駆けつけられないのが普通なのである!
だが、彼だけは別だ。
「バルトサール様。お久しぶりです」
ランヴァルドが近づけば、ハイゼル領主バルトサールはすぐに気づいて、にや、と笑った。
「貴公、中々面白いことをするではないか」
ランヴァルドも黙ってにやりと笑い返せば、領主バルトサールはランヴァルドの手を握った。
「例の件について、ハイゼルを推薦してくれてありがとう。ステンティール領とのつながりを持てるのは心強い」
「こちらこそ、ありがとうございます。受け入れ先として咄嗟に思いついたのがハイゼルだけだったもので、助かりました」
エヴェリーナの避難先として、ハイゼルはしっかり機能してくれている。同時に今回の事件は、ハイゼルとステンティールの架け橋となった。……そしてそれを誘導したランヴァルドの功績は、それなりに大きい。
「……だが、1つ聞かせてもらおう。我が領の内情について、誰かに話したか?」
一方で、バルトサールはまだ、ハイゼルの古代遺跡については臆病であるらしい。
「いいえ。ただ……まあ、そのあたりはステンティール領主アレクシス様からまた直々にお話があるかとは思いますが、私からはただ、『ハイゼル領のバルトサール様は信頼できる方であり、ステンティールが手を取り合う仲間としても相応しい相手だ』とだけ申し上げました」
「ほう……?」
「私からは誰にも、何も申し上げておりません。が、恐らく、バルトサール様からアレクシス様へ……或いは逆方向に、話が共有されるだろうと確信しております」
ランヴァルドが笑って答えれば、バルトサールは、きょとん、とした。……まさか、ステンティールでも古代遺跡の暴走が見られた、などという話は思いつかないらしい。まあ、精々、後で領主アレクシスから話を聞いて驚けばいい。ランヴァルドはその瞬間を少々楽しみにしている。
領主バルトサールと別れて会場を見回していると、時々、1人、2人と護衛やメイドに誘導されて、会場の奥へ連れていかれる者達が居ることに気づいた。
……まあ、マティアスと手を組んでいた者達をこの機会に捕まえているのだろう。狙い通り、このパーティー会場は『告発会場および残党を根絶やしにする場』として機能しているらしい。ウルリカ達は上手くやっているようだ。
そしてそんな中、しっかりとファンファーレが鳴り響き、領主アレクシスが入場してきた。
毒の影響が未だ残る彼は、杖をつきながら、しかし、なんとか自力で歩いてここまで来たらしい。その姿を見てどよめく者も居たが、領主アレクシスはにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべてそのどよめきを押し留める。
「いや、今回はこのような急な招待にもかかわらず、ご参集いただき感謝申し上げる。そしてこの場をお借りして、いくつか報告したいことがあるのだ」
領主アレクシスが話し始めると、彼の人の良さそうな雰囲気はそのままに、ぴしり、と空気が張り詰める。成程、確かに彼は領主だ。人の上に立つ者なのだ。
「まず……私はここ数か月、病に臥せっていた訳だが……その原因が毒を盛られていたことであったと報告させてもらおう」
……そして最初からそんなことを言うものだから、会場はまたもやどよめきに包まれる。それでも領主アレクシスはにこにこしているばかりなので、ランヴァルドは内心で『もしかして、自分の発言で会場を困惑させるのを楽しんでいるんじゃないか……?』と疑わしく思った。まあ、別にそうであっても構わないが……。
「ああ、ああ、安心してほしい!私に毒を盛るよう指示していた者は既に投獄している。彼からは色々と詳しく話を聞けているところだ。まあ、そう遠くなく、ステンティール中に蔓延った彼の手先を滅することができるだろう。むしろこれは、よい機会であったのだ」
領主アレクシスの言葉に青ざめる者も、会場には何人か居る。そしてその様子は、ウルリカをはじめとした複数名がじっと監視しているのだ。この様子だけでも、パーティーが開かれた意義は十分にあったと言えるだろう。
「そして……私に毒が盛られていることをその類稀なる慧眼によって見抜き、そして、ステンティールの正常化に貢献してくれた方がおられる。その勇士はなんと、ステンティールに封印されていた強大なる岩石竜をも大人しくさせ、この地の危機を救ってくれた!」
さて。いよいよだ。ランヴァルドは居住まいを正し、隣をちらりと見た。ネールはそわそわとした顔でランヴァルドを見上げている。
領主アレクシスの横に立つ護衛の手には盆があり、その盆の上には白銀に輝く美しい細工の勲章がある。
白刃勲章だ。
領主アレクシスはにっこり笑って……名を呼ぶのだ。
「ネレイア・リンド。こちらへ」
ネールは、ぽかん、としていた。
やっぱりなあ、と思いつつ、ランヴァルドは笑ってネールの背を軽く叩く。するとネールはランヴァルドを見て、領主アレクシスが微笑んでいるのを見て、そしてまたランヴァルドを見て……途方に暮れたような顔をした!
「ネール。お前が呼ばれてるんだ。しっかり務めを果たしてこい」
だが、再度ランヴァルドが促せば、ネールはぽかんとしたままではあったものの、しずしずと進み出て、領主アレクシスの前に立つ。
……これには会場も大いにどよめいていた。『ネレイア、とは?』『あのお嬢様はエヴェリーナお嬢様ではないのか?』と。
「ネレイア・リンド。貴殿はかの岩石竜を退け、ステンティールの地を救った。その類稀なる武功を讃え、白刃勲章を授ける」
どよめきの中でも、領主アレクシスの声は朗々と響いた。
続いてランヴァルドが先陣を切って拍手を始めれば、会場はやがてそれに飲み込まれ、皆が拍手をするようになる。
ネールは相変わらずきょとんとしていたが、領主アレクシスが白刃勲章を手渡しついでに、『ほら、振り返って皆にお辞儀だぞ』とでも教えたのだろう。ぺこり、と、それなりに品のある一礼をして見せて、そして、足早にランヴァルドのところへ戻ってきた。
「よし、叙勲おめでとう、ネール」
ネールは相変わらずびっくりから帰ってきていないような顔をしているのだが、ランヴァルドが『貸してみろ』と手を出せば、そこにすぐ白刃勲章を乗せてきた。『自分のものじゃない』とでも思っているのだろうか。
「いいか、ネール。『白刃勲章』は、武功を立てた者に贈られる勲章だ。今の北部の領主達の祖先は皆、白刃勲章を賜ったついでに北部の開墾を行ったり、或いは国境の警護を行ってそのまま領地を得て貴族になった訳だな。そういう、立派な勲章だぞ」
ランヴァルドは改めて、白刃勲章を見る。
かつて、自分の生家にも飾ってあったのを見たことがあるが……二本の剣が交差した意匠の勲章は、やはり、戦う者のためのものだ。
だからこれでよかったのであろう。ランヴァルドは既に、納得している。何せこれは、ランヴァルドが仕組んだことなのだ。
……あの夜、領主アレクシスに一通り古代遺跡の報告を行った後、ランヴァルドが領主アレクシスに打診したのは、『勲章をネールに授与してほしい』というものだった。
理由は簡単。その方が簡単に『領地』が手に入りそうだからである。
まず、貴族になるために必要なものは功績。そして……土地である。まあつまり、土地を買うだけの金と、土地を売ってもらうための伝手が必要、ということになるだろうか。
……どちらも用意するのは時間がかかる。特に、伝手は中々手に入らない。土地を貴族から買おうと思ったら厄介ごとだらけだ。ランヴァルドは貴族になって生家を見返してやりたくはあるが、貴族の厄介ごとに巻き込まれたいわけではない。
そこで、ネールの出番だ。
ネールならば、武功を幾らでも立てられるはず。特に、これから北部に行けば間違いなく活躍の機会がある。そこで大いに活躍して名声を高めるなり、複数の勲章を得るなりすれば……国王直々に声がかかる可能性がある。
『小さなかわいい英雄』は、これからいよいよ荒れゆく国内情勢に齎される小さな灯になるだろう。だからこそ、国王がネールを見つけてくれたならば、間違いなく、ネールを利用したいと考えるはず。
……そして、ネールに『王様に土地を所望しろ』と吹き込んでおけば、きっとそうするだろう。ついでにネール相手なら、『土地を俺に売ってくれ』と言えば頷いてくれるはずだ。
或いは、『まだ幼いネールの補佐役として俺に貴族位を』と所望すればそれだけで上手くいく可能性もある。
全ては、ネールだ。ネールさえ『英雄』に仕立て上げれば……全てが、凄まじくやりやすくなるだろう!
ランヴァルドの思惑など露ほども知らないネールは、未だもじもじしている。……まあ、ネールも貴族の器ではないだろう。いや、肝の据わり方を考えると、案外化けるかもしれないが。
……ランヴァルドは苦笑しつつ、ネールから受け取った勲章を、ネールの胸に飾ってやる。勲章が授与されることが分かっていたので、今日のネールの装飾品は控えめにしてあった。勲章を足して丁度良くなった華やかさを見て、ランヴァルドは『よし』と頷いた。
「突然のことで驚いただろうが、これは俺が領主様にお願いしたんだ。俺の功績もお前のものってことにして、お前に勲章を、ってな」
ランヴァルドがそう説明してやると、ネールは益々不思議そうに首を傾げる。ネールもランヴァルドが勲章を欲しがっていたことは知っているので、それを何故自分に、と思っているのだろう。
「お前は人助けが好きなんだろうが、それがあればもっと人助けできるぜ、ネール。そうしていずれお前は、土地を国王陛下に貰うんだ。そうすればお前のお家ができるぞ。多くの人に住んでもらえれば村ができる。お前の村だ。そうしたらそこでまた、好きなだけ人助けができるぞ」
ランヴァルドが話すと、ネールは、ほわあ、と目を輝かせた。家が欲しいのだろうか。まあよく分からないが……家無し子には『家』が憧れなのかもしれない。
「……ということで、堂々としてろ、ネール。お前はその勲章に見合うだけの働きをしたんだからな」
ネールがこくこくと頷いて満面の笑みを浮かべるのを見て、ランヴァルドもまた覚悟を決める。
……ランヴァルドはネールを、『英雄』にする。
そしてネールが手に入れた地位と名声を利用して、簡単に軽々と、成り上がってやるのだ。