地下にて*7
岩石竜とゴーレムの戦いは苛烈を極めた。
ランヴァルドはネールと子ドラゴンとを抱えて物陰に隠れていただけなのだが、それだけでもはじけ飛んできた石片が当たったり、力を増す冷気に晒されたりしつつ、少々傷を負う羽目になる。
……そして当然、ゴーレムと岩石竜については、それぞれ少々の怪我では済まなくなっている。
岩石竜の鱗は既にいくらか割れ砕け、血を流す傷が数か所見られる。
そしてゴーレムについては、氷によって再生させた手足を再び砕かれて、その度に増す冷気でまた、氷の手足を生み出しつつあるところであった。
……この戦いが激しかろうがどうだろうが、ランヴァルドには本来関係のないことである。ランヴァルドはただ、この場から逃げ出せればよいのだ。
だが……。
「……出るに出られねえ」
出口付近で戦われると、困る。
ランヴァルドはさっさとここを脱出しなければならないのだが、激しすぎる戦いは見事、出口付近の通路にも届く勢いで繰り広げられてしまっている!
……ひたすら頑丈で凶暴な岩石竜と、ひたすら再生し続けるゴーレム。この両者が戦った時、消耗戦の果てまで辿り着くならば、勝つのはゴーレムなのだろう。それはいい。どうでもいい。だが問題は……そうなった時、ゴーレムは次に、ランヴァルドを襲うであろう、という点だ。
岩石竜なら、意識を逸らさせる方法はいくらかある。宝石はまだ1つ2つ懐に残っているので、それを投げつければ多少は目晦ましになるだろう。その隙に逃げ出すことも、できるかもしれない。
だが、ゴーレムは……ゴーレムは、どうしようもない!
強いて言うなら、祭壇の上のあの装置を操作すれば、ゴーレムを止めることもまた、できるはずなのだ。だが……出口より余程、そちらの方が苛烈な戦いに巻き込まれているのである!あんなところで古代魔法の解読などやろうものなら、あっという間に岩石竜の尻尾の一振りかゴーレムの手の一振りで叩き潰される!
ということで、ランヴァルドが狙うのは、一瞬。
……ゴーレムが限りなく劣勢に近づき、手足を完全に砕かれ、それでいて岩石竜の注意がまだゴーレムに向いている、というような、そんな状況。
そこを狙って脱出するしかあるまい。……ネールを抱えて。
……ネールを置いていけば身軽に動ける。だが、そうしてしまった時、ランヴァルドは今後、稼ぎの手段を完全に失う羽目になるのだ。
氷晶の洞窟で助けてしまった以上、今後もネールを連れ回す覚悟はある。そのために、多少、自分が『危ない橋』を渡る羽目になる覚悟も。
……その時だった。
ぎゃおお、と岩石竜の雄叫びが一際大きく響き渡る。見れば、岩石竜の体を氷の槍が貫いていた。どうやらゴーレムはいよいよ、自分の手足よりも武器を生み出した方が効率的であると気づいてしまったらしい。
……少々妙だ、と思わないでもない。ゴーレムが氷によって復活している点も、その氷がどんどんと暴走するかのように、ゴーレム自体の補修などではなく、武器を生み出すように変化していくことも。
だが、それが妙だろうがどうだろうが、関係が無い。今関係があることは……ゴーレムがいよいよ氷の腕を振り上げていて、その腕の先、握られた氷の槍が、岩石竜に向けて繰り出される、ということだけである。
だが、その刹那。
ばきり、と、ゴーレムの核となる魔石に罅が入った。
ばらばら、とゴーレムの体が砕けて落ちていく。
一体何が起きたのか、ランヴァルドには分からない。だが、何か……古代遺跡の装置が、警告音を発していることは分かった。ついでに何か、それら装置が作動しているらしいことも分かったのだが、何がどう動いているのやら、さっぱりである。
だが一つ確かなことは、ゴーレムは魔石を失って動かなくなった、ということである。
ならば今が唯一の機会だろう。これを逃せば、もう脱出の機会は無い。
ゴーレムが消えたとはいえ、岩石竜がいる。手負いとはいえ、あの岩石竜だ。追いつかれたら間違いなく殺される。
ランヴァルドは即座にネールを抱えて、ついでに引っ付いてきた岩石竜の子を振り払う余裕も無く、ただ出口に向かって走り……。
脚を、掴まれた。
走り出したところで脚を掴まれたランヴァルドは、勢い余って転倒する。『ネールを巻き込む訳には』と咄嗟に体を捻って抱きかかえたネールを自分の下敷きにするような羽目にはならずに済んだが、それまでだ。
……足元を見れば、いつの間にやって来ていたのか、マティアスがそこに居た。
「マティアス……てめえ」
マティアスが叩きつけられた箇所からここまで、マティアスが這ってきた痕跡と思しき血の跡が残っている。彼は一体どれほどの執念で、これを成し遂げたのだろう。
「まさか、自分だけ助かろうと、でも?ははは……見くびられては、困るな」
……マティアスが立てない様子であるところを見ると、脚か、或いは肋骨か何かが折れているのだろう。
つまり、マティアスは自力で歩けない。よって、彼自身は彼自身の力で脱出する望みがもう無いということになる。
だからこそ彼は、ランヴァルドの脚を掴んだ。
「僕がこうなったからには、お前も道連れだ……ランヴァルド・マグナス・ファルクエーク!」
そう。マティアスがランヴァルドの脚を掴んだのは……自分を連れて脱出させるためではなく、自分諸共、ここで死なせるためだ。
マティアスの手を蹴り解いて、ランヴァルドは立ち上がり、逃げようとする。……だが、この隙を生じたことは、あまりにも致命的だった。
岩石竜がこちらを見ている。『見つかった』と気づいたランヴァルドは、それでもなんとか、出口へ向かって走る。
諦めるわけにはいかなかった。最後の最後まで、可能性が完全に潰えるその瞬間まで、足掻くつもりだった。……だが、そんなランヴァルドを嘲笑うかの如く、岩石竜が出口を塞ぐ。
のっそりとしているように見えてランヴァルドより素早い岩石竜は、いよいよランヴァルドの希望を潰しにかかっていた。
岩石竜はランヴァルドを睥睨している。
マティアスの狂ったような笑い声が聞こえる。
腕の中のネールが温い。
……ランヴァルドは懐の宝石を取り出すと、ネールを強く抱きかかえ直した。そして岩石竜に向かって地を蹴るべく、脚を踏み出し……。
きゅう。
……そんな鳴き声が、響く。
緊張感のまるで無い……あまりにも異質な、のんびりとした鳴き声だ。なんと、マティアスが笑うのを止めてしまう程度には、場違いな鳴き声であった。
ランヴァルドはあまりに予想外で場違いな子ドラゴンの主張を聞いてしまい、頭が真っ白になる。
が、そんなランヴァルドのことなどまるで気にした様子が無い子ドラゴンは、ぽん、と、地面に転がった。弾力のある小さな体が、ぽて、ぽて、と地面を転がり、きゅう、と鳴く。
続いて子ドラゴンは、ぽてぽてぽて、と、小さな体に短い手足で一生懸命這って進み、岩石竜の元へと向かっていく。……すると、岩石竜は出口をしっかり塞ぎながらも、子ドラゴンへと興味を移した。
今の内なら岩石竜の横を通り抜けられるだろうか。否、流石にこの塞がれ方をしていたら望みがない。……ランヴァルドがそんなことを考えつつ、子ドラゴンと岩石竜の様子を見ていると……。
きゅ、きゅ、と子ドラゴンは鳴きながら、岩石竜の顔面をぺたぺたと登り始めた。
そうして岩石竜の頭の上を通り越し、背中まで元気に這っていくと……そこに突き刺さったままだった氷の槍を見て、きゅー、と悲しげに鳴く。
きゅー、きゅー、と子ドラゴンの声が響く中、ランヴァルドは動けず、岩石竜は動かず、マティアスもまた、状況を見極めようとしてか、目を凝らしてなんとか岩石竜の様子を見ているが……。
……ぱちり、と、ネールが目を覚ました。
おや、とランヴァルドが覗き込むと、ネールはどこか、ほやん、とした顔をしていたが……すぐに覚醒して、きょろ、と周囲を見回す。続いてネールは、『きゅー』という子ドラゴンの鳴き声をもまた、確かめただろう。
ほんの数秒、子ドラゴンの鳴き声を聞いていたネールはやがて、身じろぎしてランヴァルドの腕から抜け出したがった。ランヴァルドは『もうどうにでもなれ』という気持ちでネールを降ろす。するとネールはまるで躊躇うことなく岩石竜へ近づいていくではないか!
止せ、と叫びかけたランヴァルドだったが、ネールはまるで警戒することなく歩き、そして、子ドラゴンよろしく、岩石竜の背中によじ登り始めたのである!
ランヴァルドはぽかんとして、この奇妙な光景を見守った。
ネールによじ登られる間も、岩石竜は大人しくしていた。一体何事だ、と思うランヴァルドであったが……確かに、そろそろあの岩石竜の命も危ういのだろうな、と理解する。
恐らくあの岩石竜は、最早、まともに動くのも難しい体調なのだろう。体を氷の槍で刺されているのだ。無理もない。
……否!だからといって、ネールがよじ登るのに大人しくしている理由には足りないようにも思うのだが!だが、ランヴァルドにはまるで理解できずとも、ネールは見事、岩石竜の背によじ登り終え、ついでに子ドラゴンがきゅいきゅいと鳴き出してネールを迎えるのであった。
「……あー、ネール?どうした?」
ネールと子ドラゴンが大きな岩石竜の背中の上で何やら顔を突き合わせてもぞもぞやっているのを見ていると、気が気でない。ランヴァルドはとりあえず、ランヴァルドの足元で何かしようとしていたマティアスを蹴り飛ばしておいてから、改めてネールに問いかけてみたが……。
……ランヴァルドがマティアスの手を踏み躙ってやっている間に、ネールはとてて、と駆けて戻ってきた。そして、ランヴァルドの袖を掴んで、くいくい、と引っ張るのである。……岩石竜の方に!
「お、おい。ネール。お前一体、何を考えてるんだ?」
ランヴァルドは先程までとは全く異なる種類の嫌な予感を覚えつつ、ネールに聞いてみた。するとネールは何か、身振りで説明しようとして……上手い身振りを思いつかなかったのか、足元にしゃがんで、融けた氷が小さな水たまりになったものに指を突っ込み、床に文字を書き始める。
『けが なおして』
「……怪我?」
うん、とネールは頷いた。
「誰の?」
あれ、とばかり、ネールは岩石竜を指差した。
「……岩石竜の、怪我、を……治す、のか?」
ネールは頷いた。
「俺が!?」
ネールは真剣な顔で、頷いた!




