地下にて*1
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ランヴァルドが居ない。ランヴァルドが居ない!
ネールは慌ててあちこち探すが、部屋の中にランヴァルドは居なかった。
「これは……もしや、何かあったのでしょうか……」
ウルリカも戸惑いながら部屋の中を見ているが……ネールには、『何かあった』のが分かる。だってランヴァルドは、もし何でもない用事でここを離れることがあったなら、きっと書置きを残していってくれたはずだから。
それに加えて……部屋の入口の絨毯の毛足が乱れている。ランヴァルドはこんな歩き方はしない。これは、何人もの人が乱暴に歩いた痕跡だろう。
ネールがご飯を食べている間、一時間以上ランヴァルドを1人にしてしまった。その間に悪い奴らに捕まってしまったというのなら、急いで助けに行かなければならないのだ!
まずは外か、と、ネールは部屋を出ようとして……。
きゅう。
……呼び止められた。
ネールは『そういえば』と、自分のベッドに隠した岩石竜の子ドラゴンを見に行った。子ドラゴンは相変わらず、ぷにっとした体をしていて、そして、すこぶる元気そうである。幾分、さっきよりも大きくなったような気がする。ご飯をいっぱい食べたからだろうか。
ネールが首を傾げていると、子ドラゴンはふんふんと鼻を動かして、ネールのブローチに興味を示した。やっぱり食べたいらしい!
ランヴァルドは急いで探さなければならないが、この子がお腹を空かせているのもかわいそうだ。ネールは自分の背嚢から石を出して、子ドラゴンに与えた。
ランヴァルドを探している間、この子がお腹を空かせないとも限らない。ネールは自分の背嚢にあった宝石を全て、子ドラゴンの前に出した。そうしておいてから早速、ランヴァルドを探しに行くべく考える。
……ランヴァルドが居るとしたら、どこだろう。
領主さんのお部屋……に居るのだったら、書置きがあると思う。マティアスという奴に連れていかれてしまったなら、彼の部屋だろうか。或いはもっと別の……。
考えていたら、不意に窓の外から馬の嘶きが聞こえてくる。
慌てて窓に駆け寄って外を見ると、慌ただしく馬車が1台、動き出すのが見えた。……まさか!
ネールは慌てて窓から飛び降りて馬車を追いかけようとした。が、ウルリカにがばりと抱きしめられるようにして止められてしまう。
「ネールさん、落ち着いて!あの馬車はこちらで追います。ネールさんは動かず、どうかそのままで!」
そう言われても、ネールはランヴァルドを助けなければならないのだ!ネールは必死にウルリカを振り払おうとするが……それより先に、ネールとウルリカの横をすり抜けて、護衛の兵の1人が窓から飛び出していった。そして『そこの不審な馬車!止まれ!』と勇ましく声を上げながら馬車を追う。
「……馬車は複数人で囲めば早いですから。ネールさんが動かずとも、我々が対処しますので。私も行って参りますが、すぐに戻ります」
そしてウルリカは部屋をドアから出ていった。他の仲間達に情報の伝達をしに行ったのかもしれない。
……ネールは、ランヴァルドを助けたい。だが、ウルリカのことは、信用している。この人は悪い人じゃない。だからウルリカの言うことは聞きたい。
だが……ウルリカの言葉に納得できても、やはり、落ち着かない。『待っていて』と言われても、落ち着かないものは落ち着かないのだ。
ネールはそわそわしながら部屋の中をうろうろする。
ウルリカはすぐに戻ると言っていた。馬車もすぐ捕まえられるだろうし、何も心配は要らない……のかもしれない。
だがネールには状況がよく分からない。ただ、うっすらと『ランヴァルドは馬車には居ないのではないだろうか』という予感がして、ますます落ち着かなくなるばかりなのだ。
……そう。なんとなく、ネールはあの馬車が罠だったような気がしている。
こちらがランヴァルドの不在に気づいたところを見計らって馬車を出して、こちらの戦力を割かせたのでは、と。だって……なんとなく、ランヴァルドの気配が、外からはしないような気がするのだ。落ち着いて、じっくりと探ろうとしてみれば……下の方から、ランヴァルドの気配がするような気がする。
気配、というと曖昧だが、ネールは魔力を手繰っている。ランヴァルドが持つそう多くはない魔力にランヴァルドが持っていった宝石類の魔力が混ざって、なんとなく『悪徳商人』の気配を感じさせているのだ。
どうしたものか、とネールは悩む。今こうしている間にもランヴァルドは地下で酷い目に遭わされているのかもしれないし、しかし、ランヴァルドがそこに居るという根拠はない。ただ、そんな気がする、というだけで……。
……と、ネールが悩んでいると、またもや『きゅう』と鳴き声が聞こえてきた。
おや、と思ってベッドへ戻ると、そこに居た子ドラゴンは……なんと!
もうすっかり、そこにあった宝石を1粒残らず全て食べてしまった後だったらしい!
子ドラゴンは心なしかにこにこしているように見える。たくさん宝石を食べて満足なのだろう。
また、体も幾分大きくなっているような気がする。ネールの膝の上ではもう収まりきらないような、そんな大きさだ。宝石のおかげか、成長がとても速いようだ!
……が。
きゅう、きゅう。
子ドラゴンはまた鳴くと、ふんふん、と鼻を動かして……。
床を食べ始めた。床を。
ネールはぽかんとしながら岩石竜の子の暴挙を見つめていた。
床は確かに、綺麗な石でできている。だが、だからって食べちゃっていいのだろうか。美味しいのだろうか。床、美味しいのだろうか!
そもそも床を食べちゃうと穴が開いてしまうのではないだろうか。……ああ、ほら!もう穴が開き始めている!子ドラゴンがぷにっと床の穴にはまり込むようにしながら、またもりもりと元気に床を食べているではないか!
……ネールはここまでをただ、見守ってしまった。どうすればいいか分からなかったのである。ネールの今までの経験は乏しく、ついでに、『ドラゴンがお家の床を食べ始めてしまったらどうすればよいか』など習ったことが無かったのだ!(大抵の人間にはそんな経験はないが、それすらネールは知らない!)
ネールの困惑などいざ知らず、子ドラゴンは元気にもりもりと床を食べ進めていく。そして……。
ぽてっ。
……遂に、床を食い破って、階下に落ちてしまったのであった!
ネールは大慌てで子ドラゴンの後を追い……穴から自分も飛び降りようとする直前、『そういえばこの穴はどうすればよいのだろう』ということに気付き……ひとまず、降り際に近くの敷物をずらして、そっと隠しておくことにした。
ああ、ああ……どうか、怒られませんように……。
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ランヴァルドは自分の服や靴の中から取り出した宝石魔石の類を、床に並べた。
……何のため、と言えば、ひとまず自分が使える魔力の残量を大雑把にでも把握するためであり……同時に、『餌』とするためである。
そう。ランヴァルドは思い出したのだ。自分がこれら宝石類を隠し持つに至った理由を。
……宝石を喰らう子ドラゴンの存在を!
「ま、運が良ければ、ってところだろうが……」
望みは薄いようにも思うが、一応、この屋敷は石造りだ。床は板張りの個所も多いが、壁や基礎は石である。ついでに、エヴェリーナの部屋については大理石で床が張られていたはずである。
ということで……洞窟の中、鼻がいいのか魔力を感知しているのか、宝石や魔石に向かっていく性質を持つ岩石竜の子ならば、もしかしたら、ここにある宝石類目掛けてやってくる、かもしれない。
……まあ、期待は薄いが。
「にしても……妙な気配はあるんだよな」
岩石竜およびネールかウルリカか、はたまた味方の護衛の誰かか……そういった者達の助けを期待しつつ、ランヴァルドは未だ違和感の残る腹を撫でさすりながら、自分の足元から感じる気配に向けて感覚を研ぎ澄ませていた。
「……デカい鉱脈でもあるのか?」
そう。それはどうも……巨大な鉱脈か何かのように感じられる。
然程魔法に秀でていないランヴァルドにすら感じられるのだから、さぞかし大きな魔力なのだろうが……。
「ま、山を切り開いて作った町だからな。そういうこともあるか」
自分で自分を納得させつつも、ランヴァルドは少々、嫌な予感を覚えてもいた。
なんとなく、地下からの気配に覚えがあるような、そんな気がしたのだ。
……まるで、じわり、と体温を奪っていくかのような。静かで冷たい、そんな気配がするような気がした。
それから少しばかり、ランヴァルドは眠った。眠って、体力を温存しておくことにしたのだ。
未だ、暴行のせいで失われた体力は戻っていない。癒しの魔法を魔石無しで使うためにも、少し休んで魔力を回復させておくべきだ。
……石の床の上では体が冷えたが、それでもなんとか、うとうとと浅い仮眠を摂ることはできた。多少は、体調もマシになっただろうか。
うとうとしていたランヴァルドの意識が覚醒したのは、物音が聞こえたからだ。
かつ、かつ、と足音が複数名分。ついでに、鎖が鳴るような重い金属の音やら何やらも。
……これは、拷問か何かが始まりそうな気配がする。
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ネールは屋敷の地下を突き進んでいた。
というのも、岩石竜の子は落っこちた先でも更に床を食べて、穴を開けてしまったからである!
床を破ってしまえば、その下にあったのは地面……ではなく、周りを石壁に囲まれた場所だった。人工的な空間なので、誰かが造った場所なのだろう。
……そして、きっと、近くに宝石があるのである。岩石竜はそれはそれは一生懸命に駆けていくが、これはきっと、宝石を食べるためなのだ。つまり……宝石を持っているはずのランヴァルドが、近い!
と、地下を突き進んでいた岩石竜とネールであったが、ネールはふと、大好きな気配を感じ取った。それも、すぐ近くに。
……ネールは岩石竜を俊敏に捕まえると、気配がする壁の方に向かって岩石竜をムニッ、と突き出してやった。すると岩石竜はそこの匂いをふんふんと嗅いで……元気に石壁を食べ始める!
壁の方からは、やはり人の気配がする。ランヴァルドの気配もあるし、それ以上に、他の人間の気配もあった。
それから時々、声が聞こえる。木の枝がしなって何かにぶつかった時のような音も聞こえてくる。が、石の壁越しだと上手く聞き取れない。
……それでも岩石竜が賢明にごはんを進めていけば、壁越しに音が聞こえてくるようになる。
「……なんだ?なんか、そっちの壁から音が聞こえたような……」
「気のせいだろ?いや、もしかして誰か居るのか?」
人間の声だ。そして、同時にランヴァルドの気配も濃くなってくる。ネールは岩石竜の食欲を頼って、じりじりと壁に向かいあい……。
ぽこっ。
……ついに壁が崩れて、岩石竜が飛び込んでいく。
「うわっ!?な、なんだ!?」
そしてその穴を通って、ネールもまた、飛び込んでいく。
飛び込んだ先には、鞭を持った男が2名、ナイフを持った男が1名、手ぶらの男が2名……そして、手足に枷を嵌められて、背から血を流すランヴァルドの姿があった。
傷ついたランヴァルドを見たネールは、すぐさま動いた。考える前に体が動いたのだ。
だが、今までネールが森で狩りをしていた時のような、凪いだ心でナイフを振るったわけではない。もっと、内側から自分を壊してしまうのではないかと思われるほどの激情が、ネールを突き動かしている。
狭い牢屋の中を飛び回るようにして、ネールは即座に敵を殺した。
的確で、力任せで、それでいて、命知らず。そんな戦い方に抵抗できる者は、この場に居なかったのである。
……そうしてネールはなんとか、ランヴァルドを救い出すことができたのだった!
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