探り合い*5
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夕刻。
ネールはウルリカに身支度を整えてもらって、そわそわしながら部屋で待っていた。
ウルリカには、『落ち着かない、という様子になるのは悪いことではありません。ですが、それに加えて『退屈』や『不安』といった様子も表現できるとより良いかと』と言われている。なのでできるだけ、不機嫌そうにそわそわしていることにしている。……程度は知れているが。
そうしてネールがそわそわしていると、やがて戸が叩かれ、さっきのメイド他数名、護衛の兵士のような人達までやってきた。ウルリカが少し緊張しているが、まあこの人数ならネール1人でも倒せる。大丈夫だ。
ネールは、ランヴァルドを振り返ることなくウルリカと一緒に部屋を出た。
通された部屋では、習った通りに振舞う。椅子を引いてもらったらさも当然という顔でそこに座る。ドレスの裾は優雅に翻して。姿勢は正しく。けれど、ランヴァルドに教えられた通りに『粗のある』様子で。
「……エヴェリーナ?どうしたの?」
ネールの様子を見て少し怪しむように、領主夫人のテオドーラがそっと話しかけてくる。だからネールは、これもまたランヴァルドに教えられた通り、テオドーラをすぐに見つめて、口を開いて……けれどまた口を閉じて、俯く。
ランヴァルドは、『積極的に伝えたいことがあるふりをしろ』と教えてくれた。何か伝えようとして、結局上手く伝えられない、というふりをするように、と。
そうすれば、相手は『何を伝えたいのだろう』というところに意識が向いて、その後ろに伝えたいことなど何もない、ということ自体に気付かずに居てくれるから、と。……やっぱりランヴァルドは頭が良いのだ。
「エヴェリーナ……ゆっくり、落ち着いて喋ってみて?」
やっぱり、テオドーラ夫人は笑みを浮かべて、そうネールに話しかけてくる。だがネールはまた口を開いて、また閉じるのだ。するとテオドーラ夫人は小さくため息を吐いて、諦めてくれた。『エヴェリーナお嬢様は喋れない』のだ。諦めてもらわなければ困る。
少しすると食事が運ばれてきたので、それを食べる。ランヴァルドがやっていた時のことを思い出して、上品に。けれど、少しずつ。ちびちびと。食欲が無いかのように。
のろのろと進まない食事の様子を演じていれば、ネールが所作に気を付けてゆっくり食べるのがあまり気にならないだろう、とランヴァルドが言っていた。今もそれを気にしながら、人参を煮たものを小さく切り分けて口に運んだ。
人参の隣にあった芋の類は、更にちびちび食べる。エヴェリーナお嬢様は芋の類があまり好きではないらしいので、ネールもそれらしいふりをするのだ。これはウルリカに教えてもらった。
そうしてネールが食事を進めていると、テオドーラ夫人が一方的に話してくる。そう。喋れないネールを相手にするには、相手が一方的に喋るしかないのである。
「その……明日のパーティー、楽しみね」
話しかけられたので、ネールは嫌々、こく、と頷く。
……明日のパーティーとやらのせいで、ランヴァルドもウルリカも忙しそうである。だからネールはパーティーとやらが嫌いである。
「あなたは誰と踊るの?お父様はご病気だから……そうね、補佐官のマティアスはどうかしら。私から声を掛けておきましょうか」
そしてネールはぶんぶんと首を横に振ることになる!ネールはパーティー以上に、あのマティアスという奴が嫌いである!
「嫌なの?けれどあなたはステンティールの娘よ。一度くらいは踊らないと」
踊るのが嫌なのではない。マティアスが嫌なのである。それをどう伝えたものか、ネールは困ってしまう。
「……それとも、マティアスが嫌だ、ということ?」
だが、テオドーラ夫人はどうやら、ネールの言いたいことを分かってくれたらしい。ネールはちょっと安心して頷く。だが、その途端、テオドーラ夫人は顔を顰めた。
「エヴェリーナ。あなたやっぱり……あの新しい家庭教師に何か吹き込まれたのね?」
ネールがぽかんとしていると、テオドーラ夫人は何やら忌々し気な顔で、ここではないどこかを見るような目をした。
「……マティアスが言っていたわ。あの新しい家庭教師として雇われたっていう男……詐欺師なんですってね?マティアスは騙されて死にかけたって言っていたわ」
ネールはびっくりする。だって、話がまるで逆だ!
マティアスは騙されたのではない。騙したのだ。そしてランヴァルドは実際に大怪我をして、死にかけて……そこで、ネールと出会った。だからネールは、ランヴァルドの言葉が真実だと知っている。
「マティアスは優しいから、彼を置いておくように言っていたけれど……やっぱり辞めさせましょう。新しい家庭教師は私が探すわ。あの人になんて任せたら、次は何が家庭教師として潜り込んでくるか分かったものじゃない」
……テオドーラ夫人は、やっぱりマティアスの方を信じているようだ。ランヴァルドよりマティアスを信じているのだろうし……自分の夫である領主よりも、マティアスを信じている。
更には、エヴェリーナのこともどう思っているのか分からない。だって、目の前に居るのが実の娘ではなくネールなのだと気づかないのだから。
ネールの母だったら……ネールがネールではない別の誰かにすり替わっていたなら、きっと、すぐに気づいただろう。気づいてくれたはずだ。ネールはそう思う。
……もし、本物のエヴェリーナがこの場面を見たら、どういう気持ちだろうか。自分ではなく、ネールのことを娘だと思って接する母親を見て、エヴェリーナは、一体。
「……どうしたの?エヴェリーナ。心配無いわ。明日はパーティーがあるから忙しいけれど、それが済んだらすぐにでも、新しい家庭教師を探しましょうね」
ネールは頷かなかった。ただ、首を横に振って、それからは諦めて、ただ食事を続けた。テオドーラ夫人が何を言っても、頷きすらしなかった。
だって、エヴェリーナがここに居たら、そうしてほしいだろうと思ったから。
……ネールは、この人のことも嫌いだ。
反応しなくなってしまったネールを見て、テオドーラ夫人は彼女なりに、何か焦りのようなものを感じたらしい。
懸命に何か、明日のパーティーが楽しみだとか、マティアスにダンスの相手を頼んでおくだとか、マティアスは水仙が好きらしいから庭の花壇の一角に水仙を増やそうと思っているだとか、色々と話してくれたが、ネールはただそれを聞き流して、黙々と食事を進めた。
……そうしていたものだから、食事の会はかなり早く済んだ。途中からはテオドーラ夫人も諦めて、何も言わなくなった。
食事会が終わったらすぐ、ネールはウルリカに連れられて部屋へ戻る。
部屋に戻ったネールは、ほふ、と息を吐いた。そんなに長い期間ここに居るわけではないのに、やっぱり、ここが一番落ち着く。
それはきっと、ここにランヴァルドが居てくれるからなのだ。ランヴァルドが一緒だと落ち着くのだと思う。
……そう。ランヴァルドが居れば。
「あら……?マグナスさんは……どちらに?」
ネールは、ウルリカと一緒に部屋を見回した。
けれど、ランヴァルドが居ない。
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「ぐっ……」
腹を殴られた時特有の重苦しい痛みが、じわり、とランヴァルドを襲う。
そんなランヴァルドを嘲笑いながら、目の前の破落戸はもう一発、ランヴァルドの腹部に拳を叩きこんだ。
逃げようにも、後ろから羽交い締めにされているため逃げられない。そもそも、複数人で部屋に押しかけてこられた時点でこうなることは決まっていたようなものだ。
胃の中身を吐き出しそうになる感覚に耐えて、ランヴァルドは目の前の破落戸から目を逸らしたまま、ぼんやりと石の床を見つめる。うっかり目を合わせようものなら、睨んでしまいそうなので。
だが、破落戸はそんなランヴァルドの何が気に入らなかったのか、右頬に拳を振り抜いてくれた。
「おい。目立つところはやめろって言われてんだろうが」
「……めんどくせえな、おい」
破落戸達は破落戸達で好き勝手に話しているが、ランヴァルドとしては『もうそろそろ勘弁してくれ』という気分である。
……こうした暴行を受けることはまあ、初めてではないので諦めも付いているが。いざとなれば癒しの魔法である程度は回復できるが。だがそれはそれとして、痛みは痛みであるし、それらを好き好んで受ける趣味はない。
もうそろそろ、解放されたいところだ。どうせマティアスから『適当に痛めつけて地下牢へ入れておけ』という程度のことを命じられているのだろうが……。
……事の始まりは、小一時間前に遡る。
ネールとウルリカがテオドーラ夫人との食事のために部屋を出ていってからすぐ、エヴェリーナお嬢様の部屋で待機していたランヴァルドの元へ、兵士の恰好をした破落戸達が押し掛けてきたのである。
そして、ランヴァルドが逃げ出す間もなくランヴァルドを捕らえ……この地下牢へと連れてきた。
地下牢へ連れてこられたかと思ったら、次に待っていたのは暴行であったというわけである。どうも、『目立つところは殴るな』と命じられているらしく、服に隠れる部分ばかり狙われた。つまり、概ね、腹部である。たまったものではない。
……が、ランヴァルドも、暴行の類はそれなりに慣れている。踏んできた場数が違うのだ。
ということでランヴァルドは、地味に一芝居打っている。
最初は、反抗的に。地下牢へ連れて行かれる間も、『私が何をしたっていうんだ?』『私は領主様から雇用されている家庭教師だ!何の権限があってこんなことをする!?』などと、しっかり反抗的に喚いておいた。
……そして、数発殴られるまでは、やはり反抗的にしておいた。一発殴られては相手を睨み、もう一発殴られたら少し怯んだ様子を見せつつもまだ気丈に振る舞い……段階を経て、ぐったりとして何も物を言わず、その目はぼんやりと虚ろに床を見つめるばかりとしていくのだ。
要は、変化だ。変化があると、奴らは納得する。最初から大人しくしておいても奴らは納得しない。マティアスから聞いていた内容によっては、疑いを抱いてより酷いことをしてくる。
ただ、最初は反抗的で、しかし一発二発殴られて大人しくなったなら……そこに彼らは『納得』を得る。自分がランヴァルドを確かに大人しくさせたのだ、と納得してくれるのである。
「……ま、そろそろ勘弁してやれ。もう抵抗しないみたいだからな」
……ということで、ランヴァルドはぐったりしながらも内心で『やっとか。まあ数発分は殴られる回数を誤魔化せたな』と苦笑する。
まあ、地味ながら……そして根本的な解決にはならないながら、こうしたみみっちい演技も必要なのである。悪徳商人としてやっていくならば。
「しばらく大人しくしてるんだな。聞きたいことを聞かせてもらったら、明日には出してもらえるそうだ。よかったじゃねえか」
「ま、ちゃんと話すんだぞ?話さないでいたら、地獄がお前を待ってるぜ」
破落戸達の笑い声と共に、ギイ、と鉄が擦れて軋む音が響き、やがて、ガチャリ、と鉄格子の戸が閉められた。
「……ったく」
地下牢の中、ランヴァルドは先程までのしおらしい様子とは一転、実にふてぶてしく石の床の上に胡坐をかいて座った。
……多少、暴行の類に慣れ、痛みに慣れたとしても、屈辱を感じなくなれたわけではない。多少摩耗して感覚が薄れたとして、腹が立つことは立つし、ふてぶてしくなりたくもなることも当然、あるのである。
「マティアスの野郎、ネールじゃなくて俺が目的だったか。ぬかったな」
深々とため息を吐いて、ランヴァルドは独り言ちる。……テオドーラ夫人からの不自然な食事の誘いは、ネールを標的にしたものではなく、ランヴァルドを標的にしたものであったようだ。
となると、ネールが護衛だということを既に悟られているのか……否、単にネールと一緒にウルリカや、ウルリカの仲間達の注意をネールの方へ集中させるためだったとも考えられる。まだ、ネールの正体が露見したものと見るのは早いだろう。
「明日には出してもらえるらしいが……つまり、パーティー会場で何かやるってことだろうな。ってことはそれまでにネールのことを聞き出しておいて、証言させるつもりか……。それまでになんとか、助けが来るといいんだが」
ランヴァルドは呟きつつ、体の傷を魔法で治療し始めた。特に、腹部だ。内臓にも影響が出ているだろう。体の内側から治していくようにして、ランヴァルドは魔法を使い始めた。
……勿論、目立つところの傷は治さない。『ちゃんと暴行を受けました』という顔をしておいた方が、何かと有利なのである。敵の油断を誘うにも、味方の同情を買うにも。
そして同時に、『そんなに魔力が無い』のである。……残念ながら、ランヴァルドはそこまで魔法の出来がよろしくない。全ての傷を癒しきるには、魔力が足りないのである。特に、この後、どうも拷問か何かをされそうなので。余計に魔力を節約しておきたいのだ。
……だが。
「……ん?」
ランヴァルドは妙な感覚を覚えて、はて、と首を傾げる。
どうも、魔法を使っても『まだ使える』ような気がするのだ。まるで、まだ魔力が余っているかのように。
……その謎は、集中してみればすぐに分かった。
ランヴァルドは服の隠しや靴の中から『それら』を取り出して苦笑する。
「子ドラゴンが孵った時にはどうしたもんかと思ったが……魔石を隠し持っていたのはアイツのおかげだな」
そう。ランヴァルドは普段ならあり得ないことに……今は、魔法の補助となる魔石をいくつか持ってきているのだ。それは、ネールが孵してしまった例の子ドラゴンのせいで!
怪我の功名とはこういうことだろう。ランヴァルドは苦笑しつつ、早速、取り出した魔石を使ってもう少々傷を癒しておこうとした。
……だが。
「……いや、待てよ」
同時に、ふと、過ぎる思いがある。
……これは、もっといい使い方ができるぞ、と。