探り合い*4
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ネールはぽかんとして、只々じっと、子ドラゴンを見つめる。
岩石竜、というと、ネールが倒せなかったあのドラゴンのことだろう。だが、今、目の前に居るドラゴンはあんなに大きくないし、鱗も岩のようなかんじではない。
ただ、生まれたての子ドラゴンは……ぷにぷにしている!かわいい!
特にお腹がぷにぷにだ!ネールは夢中になって、岩石竜の子供のお腹を指先でつついた。ぷに、ぷに、とやっていると、岩石竜はくすぐったがって『きゅう』と鳴く。
「ああくそ、まさか瑪瑙の殻の岩石竜の卵なんて存在するとは……もっと俺がちゃんと見ておけば……おい、ネール。まさかこいつを飼うなんて言わないよな?」
……ネールは、子ドラゴンを改めて見つめる。
ぷにぷにと柔らかな体を抱き上げてみれば、つぶらな瞳がネールをじっと見つめた。……かわいい!
かわいさ余って、ネールは子ドラゴンを、きゅ、と抱きしめてみた。ぷに、として抱き心地がいい。子ドラゴンも抱きしめられてなんだか落ち着いたらしく、くるるる、とゆったり喉を鳴らしている。……ああ、かわいい!
「ネール……お前……絆されるなよ?絶対に絆されるなよ?」
ランヴァルドは何とも言えない顔をしていたが、ネールはすっかり、このぷにぷにと柔らかく小さな可愛らしい生き物に夢中である。
だって、だって……かわいいのだ!生まれたての子ドラゴンは、なんともかわいいのだ!
ネールが子ドラゴンを抱きかかえていると、子ドラゴンは『きゅう』と鳴いて、ネールの胸元へ鼻づらを寄せてきた。くんくん、と何やら匂いを嗅いでいる様子だが……。
「こらこらこらこら。ちょっと離れろ」
不思議に思っていたところ、ネールの手から、ひょい、と子ドラゴンが奪われていく。ランヴァルドが子ドラゴンを抱き上げているのだ。
子ドラゴンは何やら抗議するように『きゅい』と鳴いているが、ランヴァルドは呆れたような困ったような顔をしているばかりだ。……この子ドラゴンは何か、まずいことでもしただろうか。
「ああ、ネール。こいつ……岩石竜はな、宝石を食べるんだよ」
不思議に思っていたネールに、ランヴァルドはそう教えてくれた。
なんと、このドラゴンは石を食べるらしい!びっくりだ。ネールも森に居た頃に綺麗な石を食べてみようとしたことがあるが、硬くて食べられなかったというのに。この子は生まれたてなのに、もうあんなに硬いものを食べるらしい!
「だから……お前のブローチを食べようとしたんだろう。それ、エヴェリーナお嬢様の借り物だろ。食われたら大変だ」
成程。どうやらこの子は宝石を食べるらしい。そして、このブローチは……青い石の、綺麗なものだ。ランヴァルドの瞳に似た色の。これを食べられてしまうのは、少し困る。
……ということは。
「……おい、ネール?おい、まさかお前……」
ネールは自分の背嚢に手を突っ込んで、あの洞窟から持ち帰って来た他の宝石を1つ、取り出す。黄水晶、というのだろうか。きらきらして、金色っぽく透けて見えて、とても綺麗だ。
ということでネールはそれを、子ドラゴンに与えてみた。
そうして子ドラゴンは、宝石を食べて満足気に鳴いた。ああ、よかった!
……お腹が空いていると、悲しくなってくる。それで寒いと、余計にそうだ。ネールはそれを知っている。だからこの子ドラゴンにもご飯を食べさせてやりたかったのだ。
「……宝石を食わせるとは」
ランヴァルドは何やら頭を抱えているが……まずいことをしてしまっただろうか。
ネールは心配になってランヴァルドをそっと伺い見る。すると、ランヴァルドは何か言おうとして……それから、深々とため息を吐いた。
「ああ……いや、いい。そっちはお前の取り分だからな。ああ……好きにすればいい」
どうやら、ネールの分の宝石はこの子ドラゴンにあげてもいいようだ!ネールはほっとした。
「だが、そのドラゴンをずっと飼い続けることはできないぞ、ネール。それは分かるな?」
……だが、ランヴァルドの言うことも、分かる。
生き物を飼うということは、責任を伴うことだ。ネールの父が、かつてそう教えてくれた。ネールが家の近くの森から小鳥を拾って帰って来た時のことだった。結局、あの小鳥はいつの間にか、逃げ出してしまったのだったか。
「まあ……そうだな、放す、のなら、山の深いところじゃないとな。人里に下りてきても人の迷惑になる。人にとっても、そいつにとっても、よくないことだ」
ランヴァルドの言葉を聞いて、ネールは頷く。人も魔物も、お互いにお互いの住処に踏み込まなければ襲ってこない。それはよく知っている。
「……ついでにな、ネール。本物のお嬢様は……魔物は、飼わないと思うぞ」
いや、それは分からないのではないだろうか。ネールは訝しんだ。
あのエヴェリーナという子も、この子ドラゴンのぷにっとした体を抱きしめてみたら、きっと気に入ると思う。ほら、ランヴァルドだって、今、半ば無意識になのか、子ドラゴンのお腹をぷにぷにとやっていることだし……。
……子ドラゴンについては、このお部屋にこっそり匿うことにした。明日になればパーティーがあって、それが終わったらマティアスというあの悪い奴が捕まるのだというから、それが終わったら、どこか山の深いところへ帰してやろうと思う。
「ああ……マティアスのことがあるって時に、岩石竜の子が生まれるとはな……」
ランヴァルドは頭を抱えていたが……それでも彼は、この子ドラゴンの子を『殺してしまえ』とは言わなかった。多分、ランヴァルドもネールと同じ気持ちでいてくれているのだと、ネールは思う。
ネールは『よかったね』という気持ちで岩石竜の子をまた膝の上に抱いて、ぷにぷに、とその頬を軽くつつくのだった。
……ああ、かわいい手触り!
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実は、子ドラゴンは高く売れる。物好きな金持ちが愛玩用に、と飼う例は度々あるのだ。尤も、きちんと飼いきれる者は少ないが。
だが、岩石竜は子供の頃ならまだしも、成体になるにつれ可愛らしさは無くなっていく。そして、決して美しい種族でもない。よって、まあ、そういう用途では売れないだろうと思われた。
ましてや、あの坑道で見た岩石竜は……かなり、大きかった。あの大きさになってしまうものを、人間が愛玩目的で飼えるはずがない。
……一方で、かつては岩石竜の子供を手懐けて、坑道の中で宝石を探し当てるように躾けた例も聞いたことがある。岩石竜はただの石も食うが、やはり宝石や魔石を好む。よって、坑道内で上手く使えば、岩盤の向こうにある宝石の鉱脈目掛けて掘り進んでくれるのだとか。
ということで、ランヴァルドは少しばかり、この子ドラゴンを売ることを考えた。
だが……まあ、結局のところは『面倒が勝る』と判断された。
岩石竜の幼体を宝石掘りに使う例は、今ではもう聞かないものだ。つまり……過去にやってみて、結局上手くいかなかった、ということになるだろう。
まあ、その理屈は分かる。岩石竜は大人になってしまって、人間に制御できなくなってしまったなら……それはもう、ただの害獣なのである。もしかしたら、先の鉱山内で出たあの岩石竜も、そうしてかつて人間に飼われていたもののなれの果てなのかもしれない。
そんな商品を売ってしまえば、ひと時の金にはなるだろうが、その後何十年も、その地域から恨まれる結果になりかねない。『金を毟り取るだけ毟り取って後のことは知らない』とできてしまえばそれでいいのだが、生憎、ランヴァルドはまだそこに至るまでの筋道が立っていないのだ。
『もう稼がずとも大丈夫』となったなら、子ドラゴンを売ることも検討したのだが……今は山に放すのが一番マシだろう。特にこのステンティールでの今後の商売に差し支えるようなことをすると、今後の儲けに大きく関わるのだ!碌でもないことに!
……まあ、ネールはここ最近、ずっとエヴェリーナのふりをするために窮屈な思いをしていたところだ。
小さなドラゴン1匹でご機嫌に過ごしてくれるなら、まあ、それはそれでいいのかもしれない。どうせ明日のパーティーで諸々のカタがつく。そう長い期間、ドラゴンの面倒を見なければならないわけでもないので……。
「……いくつか宝石を避難させておくからな」
……だが、このドラゴンは宝石を食うのである。ランヴァルドは『俺の取り分まで取られちゃかなわんからな……』と、自分の背嚢の中の宝石をいくらか、服の隠しや靴の中などに隠し持っておくことにした。一方、ネールはそんなランヴァルドを見て首を傾げつつ、自分の分の宝石をどんどんと、子ドラゴンに食べさせるのだった!嗚呼!
部屋にウルリカが戻ってきたところで、ウルリカには子ドラゴンの存在を白状しておくことにした。
……が、ウルリカは『あら』と少々目を見開くと、吸い寄せられるようにネールの膝の上の子ドラゴンへと近付き……ぷに、と、子ドラゴンをつついて、それから納得したように『まあ、いずれ山に返すべきだろうとは思いますが、数日間ここに居ることについては特に問題ないのでは』と言い出した。
どうやらウルリカもネールの同類であるらしい。座るネールの傍らに座って、ネールと共に子ドラゴンを撫でたり、つついたりしている。嗚呼!
そうしてネールとウルリカが子ドラゴンと戯れていると、ふと、部屋の戸が叩かれた。
瞬時にランヴァルドはネールとウルリカを振り返り、ウルリカは戸の向こうを警戒し、そしてネールは瞬時に子ドラゴンを抱えてベッドへ向かい、クッションと毛布の中に隠した。……ネールも一応は、『これは見つかったらまずいものだ』という感覚があるらしい。不幸中の幸いである。
「……はい。どうぞ」
俊敏にネールが戻って来たところで、ランヴァルドはさも何も無かったかのようにゆったりと、余裕のある返事をする。そしてウルリカが部屋の戸を開き……そこに居たのは、見たことはあるものの、話したことのないメイドであった。
「エヴェリーナお嬢様に、奥様より伝言をお預かりしました」
「奥様から?」
ウルリカが応対するメイドの顔を見て、ランヴァルドは『ああ、そういえばテオドーラ夫人の傍に仕えているのを見たことがあったな』と思い出す。なんだかんだ、ランヴァルドは人の顔を覚えるのが得意な方なのだ。
となるとこれは本当に領主夫人からの伝言なのだろうな、と判断できる。まあ、領主夫人がマティアスと手を組んでいると知れている以上、だから何だ、という話だが。
「夕食は家族水入らず、一緒に摂りましょう、とのことです。迎えの者が参りますので、夕刻にはご支度を」
「お嬢様は未だ、体調が芳しくないご様子でして」
「それでも構わない、とのことでした。声を出せないことも、不安や怯えに苛まれていることも、奥様はご承知の上です」
……案の定、メイドからもたらされた伝言は、少々厄介なものであった。
ネールが本物のエヴェリーナではないことを見抜くためにパーティーを開催したいのだろうと思われたのだが、それより先に食事の席を設けてよりこちらの手数を減らそうとしてくるとは。
「お嬢様は今晩もこのお部屋でお食事なさる、と奥様にお伝えください」
「夕刻にお迎えに上がります」
……ウルリカの話をまるで聞く気が無いらしいメイドは、さっさと退出していった。それを見送ったウルリカは深くため息を吐いて、戸を閉めた。
「どうしたものでしょうか。間違いなく、奥様はエヴェリーナお嬢様のことを怪しんでおいでなのでしょう。だからこそ『家族水入らずで』などと仰っているのかと」
家族だけで、というのであれば……つまり、家庭教師であるランヴァルドは同席するな、ということなのだろう。マティアスからランヴァルドのことを何か入れ知恵されたか。
「だとしても、メイドは同席できるのでは?なら少なくとも、あなたはネールに同席できる」
「……そうですね。なんとか会食の席の給仕にでも潜り込みますが……ずっとネールさんの傍に居る、という訳にはいかないでしょうから……」
不安だ。不安である。
ネール1人で、領主夫人と相対させて大丈夫なものだろうか。
ネールは『エヴェリーナお嬢様は声を出せなくなってしまった』という設定なので、喋る必要は無い。そもそもネールは喋れないので、まあ、余計な情報を漏らすような心配は無いだろう。だが、相手は何かを企んでいるはずである。そんな中に、ネールを1人で送り込んで、大丈夫だろうか。
……少し悩んで、ランヴァルドはネールの前に屈み、ネールと視線を合わせた。
海色の瞳はランヴァルドが思っていたよりずっとしっかりと意思の強さを伺わせていた。彼女は彼女なりに考え、決意を固めているのだろう。
「……ネール。頑張りどころだが、いけそうか」
ランヴァルドがそう問いかければ、ネールは力強く頷き、笑ってみせた。『心配するな』というように。
……ならば、ランヴァルドはネールを送り出そうと思う。
『特に警戒せずにネールを送り出した』という事実は、それはそれで目晦ましになる。相手の警戒を嘲笑うかのように振る舞ってやるのも、1つ有効な戦略だろう。
「よし。なら、くれぐれも気を付けて行ってこい。もし危ない目に遭いそうになったら、躊躇なく殺して逃げろ」
ランヴァルドはネールにそう告げると、ネールの肩を軽く叩いた。
「頼むぜ、雇い主様よ」
更にそう続ければ、ネールは、ぱっ、と満面の笑みを浮かべて、にこにこと頷くのだった。